月別アーカイブ: 1月 2016

雪の粘性

 

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工房のトタン屋根に積もった雪が、気温がすこしゆるむにつれてずり下がり、軒先に垂れています。これは長さ1m弱ですが、過去最大では2m近くに達し、もうすこしで地面に届くかと思われたことさえあります。

雪の量が多くも少なくもなく、適度に湿り雪で、気温も0℃をわずかに上回る程度、風は弱い、といった諸条件がそろわないとこういう光景にはなりません。通常は一気に雪崩れ落ちるか、軒先から20〜30cm突き出たくらいで自重で折れて落ちてしまいます。

トタン屋根に接した最下部はすこしだけ氷結していますが、それより上は雪です。一日中完全に気温が零下というわけではないので、さらさらとはいいがたい雪がかろうじて氷の層にくっついたままになっているのですが、氷や雪がこんなにも粘っこいとは驚きです。硬く不動のものとみなされがちな地層・岩石も、何十万年〜何億年も時間をかけて圧力を加え続けると、飴のように屈曲するわけですが、この軒先の下垂する氷雪もそのミニ版といえるかもしれません。

 

タモ波杢&セン変杢のくり物の蓋

 

10月の個展に向けて、一品ものの箱などを製作中です。前(今月初頭)のはセン縮杢角形(or方形)被蓋くり物でしたが、今度のはタモ波杢&セン変杢のくり物です。蓋と実の掘り込みがほぼ終わったので、その内側の凹部の縁を基準に外側に5〜7.5mm大きな線を描き、それに沿って外形の切断→側面のサンディングによる基本成形を終えた蓋が下の写真です。(撮影は2016.1.20)

上左がセン(栓)の変杢、他の4個はタモ波杢(波状杢)です。タモのほうは木取の向きを2個ずつ変えています。面取りや側面・上面の膨らみなどの加工はこれからですが、みなすこしずつ変化をつけて同じようなものが二つとない状態にしようと考えています。

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貧乏性

 

工房で石油ストーブを使用しているのですが、2台あるうちの1台は古くからある家庭用の小型の3.8kW/hのもの、もう1台は3年前に購入した「業務用」とでもいうべき18.5kW/hの最大出力をもつ大型の石油ストーブです。後者は「木造47畳、コンクリート65畳まで対応」とうたっているだけあって、フル稼働すると前者の5台ぶんほどの強力なパワーがあります。

ただ、当工房の作業場は母屋部分で24坪あり天井も4.5m以上と高く、また外壁が断熱材もない波トタン張りとあって、いくらストーブを焚いても部屋全体を暖かくすることはまず不可能です。そのためあくまでも局所的な暖房ということで割り切って稼働させているのですが、大型のほうは10段階ある火力調整のボタンを最小の1にしてもなお毎時0.54リットルの灯油を消費します。最大の10ではなんと毎時1.8リットルもの灯油を消費します。朝から晩近くまで(8〜18時)それで焚いたら石油のポリタンクが一缶まるまる一日で無くなってしまう計算です。

今年は石油の単価が下がってすこしは楽になったとはいえ、むやみにストーブを焚いたのでは暖房費がかかりすぎてたいへんなので、結局多くの場合小型ストーブも大型ストーブも最小かそれに近くまで絞って最小限で使用しています。まあ比較的経済的余裕があり、かつ厳寒期でも、過去をふりかえってみても目盛りを半分以上には上げた記憶がないので、節約というよりも単なる貧乏性なのかもしれません。

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シテ句会 2016.1.21

 

奇数月の第3水曜日に開催している恒例のシテ句会ですが、今回は私=大江進の都合により翌日の木曜日に変更。『シテ』は現代詩や俳句や短歌等の短詩系文学の作品発表と批評を目的とする同人誌ですが(現在8号まで発刊)、有志および外部の者による句会も行っています。場所は酒田駅にほど近い「アングラーズ・カフェ」というお店にて、午後6時半〜9時。

今回の参加者は相蘇清太郎・伊藤志郎・今井富世・大江進・齋藤豊司・南悠一の6名です。大場昭子さんは雪のため車を出せずということで、残念ながら投句のみとなってしまいました。事前に無記名で2句投句し、句会当日は清記された句群(第一幕・第二幕)の中からおのおのが2句ずつ選びます。その句を取った弁、あるいは取らなかった弁をみなで述べ評し合ったあとで、はじめて作者名が明かされます。こうしたやり方は他の句会でもおおむね同じで、先入観を排しできるだけ忌憚のない批評・意見を出してもらうための古来からの工夫です。

以下の記述は句会の主宰をつとめる私からみての講評です。遠慮会釈のない辛口批評を含みます。異論反論も当然あるかと思いますし、コメントいただけたら幸いです。では第一幕から。(頭の数字は得点です)

3 球根の春待つ力微熱帯び
0 新顔の神酒戴くや獅子の脚
1 もう目覚めないかもしれず山眠る
0 秘宝館幻想去りて宙夜澄み
3 やわらかく洋梨の首括りたき
0 年あけて猫の茶碗にも頭つき
5 冬泉深きところに祖先あり

最高点は7句目の<冬泉〜>で5点入りました。私も取りました。冬の泉ですから夏場と違ってむしろ陽光と雪明かりに照らされているのかもしれません。湧いている地下水がゆらゆらときらめいている、そんな感じです。ずっと昔から人々はこの泉をありがたく尊いものとして利用してきたのだという思いが、「深きところに祖先あり」という表現になったようです。ただ泉と深さと祖先とはいささか同質の言葉がそろいすぎかもしれません。またせっかくの「冬の泉」ならではの、夏場の泉とは異なった特徴を出せないかという欲張った注文はあります。作者は大場昭子さん。

次点3点句は二句で、はじめの<球根の〜>は、動植物や何かが春を前にして微熱を帯びるというような表現はよくある表現ですね。また待春の力と微熱を帯びるのは、同じことの繰り返しともとれるので、もうすこし整理したいところです。球根もただ球根と一般名にしないで、具体的な花の名前を、それも意表をつくようなものを持って来ると、ぜんぜん別の展開もありそうです。作者は伊藤志郎さん。

同じく次点の<やわらかく〜>は、洋梨のあのくびれともなんともいえないような不定形を前にしての、微妙な心理を詠んでいます。首を括るとはちょっと過激な表現で、サディステックなにおいもあります。洋梨はラ・フランスという品種が圧倒的に主流で、これは1864年にフランスで発見された品種であり、当地の国王の顔形を揶揄してラ・フランスと呼ばれることになったとの説も。そうした背景も加味すれば、洋梨の味同様になかなかに滋味深い句といえます。作者は南悠一さん。

1点句の<もう目覚めない〜>の下句「山眠る」は冬の季語。しかし目覚めないかもしれないのは、いったい何なのか判然としません。山自体が天変地異等によって通常の春を迎えることがない可能性とも、人間のほうが就寝時にあす無事に目が覚めるだろうかといらぬ心配しているとも、いろいろに解釈できます。実際、睡眠中の突然死なんてことも他人事とはいえないような年齢になってきましたしね。作者は私です。

点が入らなかった三句のうち、<新顔の〜><年あけて〜>は、いづれも正月の挨拶句の類いですから、あまりよけいな評をしなくともいい気もしますが、やはり表現がもたついていてすっきりと読みくだせないところがあります。「新顔の」と先にあるので、獅子の「脚」とまでいわなくともいいでしょうし、「猫の茶碗にも」の「も」は要りませんね。新年なのでいつものキャットフードではなく、おかしらのついた餌をあげたという図ですが、そのままの状況説明になってしまっています。<秘宝館〜>の句は、状況がごたついているますし、「宙夜」はすこし気負い過ぎでしょう。

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さて小休止をはさんでから、第二幕です。

1 初春をことほぐ朝に芹碧し
2 短日をやや刹那にて生きてをり
3 鉄路の音の消ゆる夜や雪嵐
2 大寒や絡みあひしか蛇眠る
3 なんとみごとなおかしらつきのたいやき
0 書初めの紙より白き峰の雪
1 狂ほしき老女の叫び虎落笛

最高点3点句が二句あります。最初の<鉄路の音の〜>は、映画やテレビドラマや小説などに頻繁に登場するシーンではあります。情景も情感もよくわかる。しかしこれではあまりに予定調和的であり常識的すぎるので、夜行列車と雪との組み合わせでもっと別のさまざまな句ができそうです。作者は相蘇清太郎さん。「月並俳句」のおもしろさということを話されていましたが、常套的で定型感にあふれていながらも、だからこそおもしろいという俳句もたまにはありますね。しかしそれはかなりの上級テクニックのような。

もう一方の3点句の<なんとみごとな〜>はもちろん「見事な尾頭つきの鯛」を下敷きとした句です。鯛焼は冬の季語ですが、当然ながらどの鯛焼にも尾も頭もかならずついているわけで、それを「なんとみごとな」ともったいぶった口調でぬけぬけと宣うおかしさがあります。祝賀と上物の頂点のような尾頭つきの鯛と、そんなものとは無縁の庶民的・日常的な鯛焼とを対比的に用いており、じつは本音ではいろいろと言いたいことがありそうです。作者は私です。じつは句会当日に配られた清記では<なんてみごとな〜>となっていたのですが、それは私の字が下手くそだったからでしょう。「なんて」ならば「なんてりっぱな」でしょうね。

次点2点句も二句です。<短日を〜>の句は、季語の短日+刹那はどうにも付き過ぎでしょう。たしかに日が短くなってくると、気持ちのほうも短兵急というか焦って行動してしまうところがあるので、それはよくわかりますが。「やや」としたところでやや救われたかもしれません。作者は南悠一さん。

もうひとつの2点句の<大寒や〜>は、実際の光景をそのままに描いてしまいました。冬眠する蛇が一カ所にたくさん集まっているのはよくあることらしいので(私は実見したことはありませんが)、もうすこしなにかを付与するかまったく別の視点が必要かと思います。しかしながら第一幕の冬泉の句と同様に、身の回りの自然をよく観察感得されているようで、作句の鑑ですね。作者は大場昭子さん。

1点句は二句。<初春を〜>は初春という言葉自体がすでに祝賀の意味合いを持っているのに加え、芹が青々としているそれだけで充分にめでたいことなので「寿ぐ」は要りません。また下五で「碧し」と見なれない表記にしたことも効いていないと思います。作者は今井富世さん。<狂ほしき〜>は虎落笛と老女の叫びでは、あまりにも付き過ぎです。作者は齋藤豊司さん。

点の入らなかった<書初めの〜>は、常識的で陳腐。山の雪が紙のように白いと言われても……。

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俳句の作り方は人さまざまでしょうが、私は吟行は苦手ですし、集まって即興で俳句を作るのもうまくできません。自分の部屋で机に向かって「さあ、俳句を作るぞ」と相当に意識を集中しないとできません。黙って紙を見つめたまましばらくという時もありますが、いちばん効果的なのは私の場合は他の俳人の句集や、定評のある俳句歳時記を丹念に読むことです。すると自分が思いついたような発想や表現はほとんどの場合すでにどこかで誰かが句にしていることがわかります。当然ですね。

ひとと同じような句を作ってもしかたがありません。すべての人がそうであるべきとはさらさら思いませんが、私は娯楽やお稽古事として俳句を作っているわけではありません。したがって真似をするためではなく、真似をしないために、または有名な句の類似句に結果的になってしまわないようにするためにこそ、他者の句は意識的に読み込むようにしなければなりません。したがって以降はそれらとは異なる言葉や表現方法をひたすら模索することになります。

 

タモ波杢&セン変杢のくり物製作開始

 

今年の10月に地元の酒田市の画廊で個展を開くことになりました。会期等が完全に確定してからあらためてお知らせしますが、いずれにしてもまずは作品がたくさん必要です。

昨年11月下旬からこの正月にかけて製作していたセン(栓)の縮杢被蓋くり物(→1/10記事)のような、銘木を素材とした比較的小型の一品ものが中心となるのですが、続いていまタモ波状杢とセン変杢を材料にやはり被蓋くり物を作り始めています。下の4枚の写真は木取と一次下拵えを終えた材料です。このまましばらく風を通しながら放置養生します。 (撮影は2016.1.13)

 

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左から、センの蓋材、センの実の材、タモの実の材(2個ぶん)、タモの蓋(4個ぶん)と実の材(2個ぶん)。計5個の被蓋くり物をこれらの材料で作るつもりでいます。

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センの変わり杢です。大きな枝が生じていた箇所の近傍かと思いますが、なにかの生き物を思わせるようなおもしろい変わった杢です。歪みや割れが心配ですが。実のほうには対照的に素直な柾目の無地板を使います。

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DSCN6695_2上2枚はタモの波状杢ですが、これほど緻密で整然とした波状杢は稀です。通常は箱の長手が木目と沿う方向になるように使いますが、逆に向きを90度かえて妻手を木目方向に沿うように使ってもいいかなと考えています。年輪自体が激しくくねっているので、その縞模様をうまくいかしたいと考えています。実のほうはやはり対照的に通直な柾目材を使います。いずれも杢のようすがよくわかるように表面をすこし濡らして撮影していますが、塗装後の表情もだいたい似たような仕上がりになると思います。

 

新しいヘッドランプ

 

木工の仕事や登山などで長年使っていたヘッドランプが壊れてしまいました。スイッチの切り替えがスムーズにいかないなどの不具合はすこし前から生じていたのですが、ついにまったく点灯しなくなりました。たぶん後頭部の電池ボックスから供給されるライトのところの電気コードの接触不良か断線かと思い、ネジをはずして内部をたしかめようとしたのですが、ネジが固くてまわせず、ネジ頭をなめてだめになってしまったので諦めました。

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そこで新調したのが上の写真のヘッドランプです。メーカーは前のと同じジェントス(GENTOS)のHW−000Xというモデル。HWはHEAD WARSのことで、このメーカーのヘッドランプのシリーズ名のひとつ。電源は単3型電池3本、明るさはなんと最大300ルーメンもあります。体感的には60ワットの白熱電球を点けたくらいの、小さなヘッドランプの灯りとは思えないほどの明るさです。バンドは頭の周りだけでなく頭頂部にもバンドがあるタイプで、ランプがずれにくい(ヘルメットに装着する際のシリコンラバーのバンドも同梱されています)。ただし防滴仕様なので水中での使用は不可です。

明るさは3段階に容易に切り替えできるので、前の機種が最大200ルーメンくらいだったことを考えると、普段はH/M/LのうちのM(中)またはLで十分だろうと思います。新しい乾電池または満充電した充電式電池で、Hで8時間、Mで20時間、Lで150時間保ちます。また後頭部の電池ボックスには赤い光もつくのですが、こちらは点灯で400時間、点滅で750時間とのこと。スポット〜ノーマルに無段階調整できるフォーカスコントロール機能もついています。

電池については、メーカーはパナソニックの「エネループ」を推奨。1000〜2000回の充電ができるというニッケル-水素タイプの充電池なので、たしかに一回あたりの電気代は1〜2円程度でしょう。格安です。私もヘッドランプに限らず電池のほとんどをここ10年ほどずっとエネループのお世話になっています。

 

コーヒーブレーク 69 「おかしらつき」

 

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なんとみごとなおかしらつきのたいやき

「冷めた鯛焼はおいしくない」というコメントを某所で見て驚いた。それは元々があまり質のよくない皮と餡子だからにちがいない。むろん熱々の鯛焼がおいしいことは確かだが、上等な鯛焼は冷めてもそれはそれでまたおいしい。基本的に私は餡子ものが大好きだな。バターとクリームをたっぷり使った洋菓子もおいしいが、萬頭その他で上質な餡子に遭遇するとしみじみと幸せを感じる。/鯛焼とは関係ない話だが、魚を皿に盛りつける場合、頭が右か左か、背が上か下かで、いろいろな「流派」らしきものがあるらしい。そのほうが身をほぐしやすいとか骨を外しやすいといった理由はあることもあるが、主観もだいぶ混じっている。個人的な嗜好であればなんだろうといっこうにかまわないのだが、それをもっともらしく理由をつけて伝統云々や正否で語りだす人もいるので呆れてしまう。/私個人は頭左向きの背が上というごく普通のスタイルがいちばんしっくりする。食べるときに頭や内蔵や骨をきれいに外し、食すことができる部分はすべて余さずきれいに食べることを自分に課している。

無人爆撃機といえど初乗の

いわゆるドローン(drone)である。もともとは軍事用に開発された自律飛行をする小型の無人飛行機=UAVのことだが、いまでは民間・商業用にも急速に普及しつつある。むろん言うまでもないことだが、本来のドローンは超精密機器の塊で、偵察のみならず爆弾やミサイルを搭載した強力な爆撃機として運用されている。GPS等を駆使して自分自身で飛行し、1万キロ以上も離れたアメリカ本土から画面を見ながら相手をボタンひとつで粉砕するなども朝飯前。ゲーム機器で戦争ごっこに興じているのと基本原理はほぼ同じようなものか。/ドローンの登場は従来の戦場における熟練兵士の損失を避けるためという理由もあるようだが、”パイロット”には高度のテクニックが要求されるそうなので、だれでも簡単に操縦できるというものではない。爆撃機としてのドローンは機体本体だけでなく周辺機器や運用システムも含めると一機あたり数百億円だとか……。

もう目覚めないかもしれず山眠る

俳句を多少ともされている方にはいまさら言うまでもないが、「山眠る」は冬の季語。同様に「山笑う」が春、「山滴る」が夏、「山粧う」が秋の季語とされる。夏が「滴る」となっていることにすこし違和感があるが、それは一般的な俳句歳時記では5〜7月(立夏〜立秋前日)を夏としており、6月頃の梅雨を含むからかもしれない。ちなみに「滴り「滴る」自体も夏の季語で、地中からしみ出した水が崖などの岩肌を伝って落ちる雫のことをいう。暑い時分だからこそ湧き出る水に涼しさをよけいに感じるということだろう。/さて前にもどるが、新暦5月5日頃から8月7日頃までを夏とする「二十四節気」はほとんどの人の生活実感からは乖離している。5月の連休の頃はたしかに暑い日もあるとはいえ、それはよく晴れた日の限定的なもので、野山の緑もまだ伸び始めであり海川の水はまだ冷たい。朝晩は涼しい。日によってはストーブがほしいと思うほど肌寒いときもある。全体としてはまだ春の気分であって、とても夏とはいいがたいであろう。/さらに問題なのは夏が終わり秋到来とされる立秋のほうで、8月7日頃は言うまでもなく暑さ真っ盛りである。お盆をすぎ下旬あたりからはさすがに朝晩は涼しい日もあり秋めいてきたと思うこともあるが、8月7日あたりで秋だよというのは無理がありすぎるだろう。あるいは敗戦日の8月15日を秋だと思う人はまずいないのではないか。これはまちがいなく夏です。/結局、俳人は己の皮膚感覚や生活実感よりも、歳時記という他人がこしらえた”マニュアル”を優先している人が多いのだろう。「自然の移り変わりに敏感になる」云々と言うが、むしろ私にはそれはどこかの権威に感覚や思考をおもねてしまう鈍感さ臆病さご都合主義の表れの最たるものだとしか思われない。

 

凧絵の額装

 

地元のお得意様から依頼された凧絵の額装です。秋田県男鹿(おが)地方に伝わる伝統的な凧=男鹿凧の手書きのものだそうです。絵師はもう亡くなっています。絵の大きさは66×96cmほどあります。もっと大きな凧絵もあったのですが、飾るところがないということで、やや小さめの絵だけ1枚額装することになりました。

材料は天然スギの無地柾目板です。赤味のところだけで木取していますが、人工的に植栽したスギにくらべると樹脂分が多いようで、サンディングする際もペーパーがすぐ目詰まりしました。コーナーは留合わせ(45度に切った材料同士を合わせる)ではなくホゾ組みです。画面のカバーは安全面と重量を考慮して、ガラスではなく2mm厚のアクリル板。仕上がり寸法は27×723×1030mmです。

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佐藤和貴子 金工作品展

 

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山形県遊佐町に在住の金工作家、佐藤和貴子さんの作品展です。2007年に秋田公立美術工芸短期大学工芸コース鋳金を卒業し、現在は遊佐町にアトリエを構えて製作をしているとのこと。

たまたまのある縁で妻がDMを受け取ったことから、さっそく日曜日に二人で行ってみました。酒田市市役所のすぐ近くの喫茶店「みつばちcafe」というお店に入ってすぐのところに陳列棚があり、ペーパーウェイトや箸置や豆皿、アクセサリーといった小さなものがいろいろ並べられていました。上のDMには無花果の実が写っていますが、私は栗の実のペーパーウェイトが気にいり購入しました。妻はシジミ貝が口をひらいた形の小さな箸置です(材質はピューター=錫合金?)。栗は青銅の塊なので、4cmほどの大きさのわりにはずっしりとした重さがあります。

まだ30歳くらいの若い女性ですが、本格的に金工をされている方はわりあい珍しいのではないでしょうか。地元だということもありますが、ぜひ頑張っていただきたいと思います。

会期は1/15〜31まで(木曜定休)。時間は11:30〜17:00で、17・24・31は作家在廊とのこと。お店の住所は酒田市本町3−1−5、電話は0234−22−8711 です。作家物の工芸品に興味関心のある方はぜひどうぞ。

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保護保管用木箱

 

先般の黒柿や栓縮杢などを素材にした被蓋くり物などの一点ものは、工芸品的な扱いをして飾り棚などに出したりしまったりすることもあるので、傷つかないようにするためにその品物に合わせた大きさと仕様の専用の木箱が必要です。通常は桐材が使われることが多いのですが、当工房では現在、桐は在庫もありませんし使用していません。そこで白っぽい針葉樹でヤニなどもないスプルス(またはスプルース。ベイトウヒ)の無地柾目板で箱を作っています。

保護保管用の容器とはいえ、やはり素人のものではないと思ってもらえる程度の品質は必要です。仕上げは無塗装の素木のままですが、接合精度などは家具などのそれに準ずるものです。

下の写真は木箱の側面を組み立てているところですが、板同士は小根ホゾという仕口で組んであります。ホゾの厚さを溝巾よりもやや厚めにこしらえ、木殺しをしてからゴムハンマーで叩いて入れるのですが、木工用ボンドも丁寧に塗布して、乾くまで箱組専用の紐式クランプできつく締め付けます。箱の底に薄いベニヤ板が見えていますが、これは側板が直角に組まれるようにするためのガイド用で、実際の底板や天板(蓋)は側板と同様にスプルスの無地柾目板になります。

こうした箱だけでもひとつ数千円はかかるので、中に収納する品物はとうぜんながらそれより一桁以上高価なものでなければ、結局足が出てしまいますし、バランスがとれません。

2枚目の写真は、1枚目の写真とは別の以前のものですが、やはり被蓋くり物の一品ものを納めた箱です。品名や作者名(工房名)などは電熱ペンで焼き入れで表記しているため、薄れて消えしまうことはありません。

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