雄雌のあるはかなしき鶯餅
動物に雄と雌があるのは生存戦略上の危険分散のためである。別の個体同士が遺伝子レベルでシャッフルされることで、多様な子孫が産まれる。いろいろな子孫がいれば環境が大きく変わってもどれかは生き残るであろうという。みながみなほぼ同じ遺伝子のクローン状態だと、環境が激変した際にその種は全滅ということになりかねないから。/と、ここまで書いてふと思ったのだが、この世には雌雄の区別をもたない生き物はたくさんいる。むしろそのほうが多数派かもしれない。だとするとそれらは上記のリスクにどのように対処し回避してるんだろうか? う〜む、上に述べた理屈も単なる後付けの屁理屈なような気もしてきたなあ。
山腹を切り開きしや寒三日月
つい数日前のことだが、仕事場のからの帰りに西方の空を見ていると、上弦のじつにきれいな形の三日月が出ていた。星とか月といった天体になると、肉眼ではその距離感がよくわからない。むろん遠くにあるのだということは理解できても、それがどの程度の遠さなのか。山の頂ぐらいの距離なのか、地球をはるかにこえた人間にとっては無限といっていいような距離なのか。/距離感もそうだが、ペーパームーンという言葉があるように天体は立体感も失われてしまう。いま見えている月も球体の一部であるはずなのに、凹凸のない平坦な物質のようにしか見えない。まさに金色の紙を切り抜いたような。
真球を夢みており冬満月
完璧なまん丸の球体のことを真球というのだが、むろんそれは理論上の話であって現実には完全な球というものは存在しない。例えば地球は巨視的にみればかなりまん丸ではあるものの、赤道半径が6378.137m、極半径6356.752mで、赤道半径が21mほど長い回転楕円体であるという。扁平率は約1/300だから、楕円体とはいうものの素人目にはほとんど球体に近いような気はするが、まだまだ。/真球度というものを調べてみると、たとえばハードディスクの軸受やそのベアリングの玉の精度は10年以上前にすでに20nm(ナノメートル)に達しているとか。1nmとは1ミリの1/100000なので、実感からはほどとおい想像しがたい数値だ。/また「コスタリカの石球」というおもしろいものも出てきた。1930年代初頭にコスタリカの蜜林で発見された200個以上のまん丸い石の玉で、大きさは径2cm〜2m強まで。製作年代はおそらく西暦300〜800年頃と目される。ではどれくらいの真球度かというと最大誤差で0.2%とか、それよりずっと少ない球もあるらしい。0.2%でも仮に直径1mなら2mmの誤差ということだから、当時の手加工でそこまでの精度が可能なのかどうか疑問視され、絶滅した超高度な文明があったのではとか、宇宙人のしわざかなどといったお決まりの説も。しかし現代の日本で実際に石材加工業者が試作してみると、時間さえじゅうぶんかければ手加工でもその程度の真球はできることが判明し、一件落着。