除雪車の戻りし未明四日かな
今冬は雪がすくない。いくらか降雪をみるものの、目立った積雪は昨年は1回きりである。年があけてからはまだ積雪らしい積雪はない。除雪車による主要道の除雪基準は積雪がおおむね15cm以上の場合ときいたことがある。しかし「だいじょうぶだろう」という甘い予測のもとに出動せずに結果的に交通が途絶してしまってはたいへんなので、この時期は天気予報(降雪予測)に神経をぴりぴりとがらせることになる。出動は大雪のときは午前2時くらいとおっしゃっていたから、街灯などの比較的多い街中以外は完全に真っ暗闇のなかでの作業であり、時間との競争でもあって、たいへんな仕事だ。いまは仕事も生活もいなかほど車がなくてはにっちもさっちもいかないので、午前5時すぎくらいには最低限1車線ぶんは確保しなければならない。
電気にてはたらく臼なれど臼飾
わが家では昔も今も餅つきはせず、もっぱらよそからもらうか買うかである。身内の餅つきに手伝いにいくことはあるが、その場合でもいまは電動機械による餅つきだから、厳密にいえば「餅こね」であって「餅つき」ではない。なんとなれば蒸した餅米を大きなプロペラで機械がこね回すからであり、杵または杵のような太い棒状のものでどすんどすんと突くわけではないからだ。/突いた餅のほうがこねてつくった餅よりおいしいとはよく言われることがあり、先日も耳にしたばかりであるが、真偽のほどはわからない。が、一般論としていえば餅に仕上げる方法が基本的に異なるにもかかわらず、同じ餅米を同じように蒸したのではそれは味に違いが出るのは当然と思うので、餅こねなら餅こねにあった餅米の品種や蒸し方を追求すればいいし、こね方を改良すればいいだけの話なような。実際に家庭用の餅つき機を使用されている方のコメントをみると、大半は「つきたての餅は市販の餅よりずっと美味しい」である。
鏡開けばこけつまろびつちりぢりに
「鏡開」の鏡は鏡餅のことで、ミラーではない。正月に歳神に供えた鏡餅を下げて皆で分け合って食べることをいう。餅を細分する際に刃物で「切る」ことをさけて槌などで割ることや、割るという言葉を忌み嫌って「開く」とする、といったようなもっともらしいウンチクが語られることがあるが、まあほとんどこじつけ&駄洒落レベルの話ですね。私としてはそういうのはどうでもいい。/もっとも今は十中八九かそれ以上にパックされた鏡餅が用いられているようである。大きめの鏡餅を自分でこしらえるのはたいへんだし、むき出しではネズミにかじられたり黴が生えたりするしね。