月別アーカイブ: 6月 2016

コーヒーブレーク 82 「含水率」

 

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葦原中国含水率拾割とはなりにける

[あしはらのなかつくに がんすいりつじゅうわりとは なりにける] 日本が「日本」と呼ばれるようになったのはわずか1300年ほど前、7世紀後半から8世紀初頭のこと。その前はもっぱら「倭」と呼ばれていた。また倭や日本が現在のように地理的に日本列島と重なるともいえず、その範囲は確かなことは不明である。物理的な距離や船運の機動性を考えると、現在の朝鮮半島の一部が日本であってもおかしくないし(その逆もまたしかり)、反対に北海道などはまったき外国であったとしてもなんら不思議なことではない。どこに住みどんな人間を「日本人」と呼ぶのかと、真面目に考えていけばいくほどわけがわからなくなる。/葦原中国(あしはらのなかつくに)は、秋津島、敷島、大八州、大和、瑞穂国などと同じく日本の別称のひとつ。

雨雲をかきわけ来たり梅雨の星

[あまぐもを かきわけきたり つゆのほし] 梅雨である。終日ではないにしても、外での仕事や用事を予定する場合はいつも雨に降られる可能性を頭においておかなければならない。単に雨の日が多いというだけでなく、不安定でめまぐるしく天気が変わることが多く、最新の3時間毎または1時間毎の予報でさえ外れることは珍しくない。メッシュが粗いので、それに漏れたごく局地的な雨ということもあるし。

夭折のやまかがし猫の首輪ほど

[ようせつの やまかがしねこの くびわほど] 人間が若くして逝ってしまうことを夭折というわけであるが、しかしながらいったいなにをもって夭折である・なしに分かれるのであろう。まず年齢であるが、赤ん坊や幼児や小学生くらいだと、病気であれ事故であれあまりにも早い死であって、ふつうは夭折とすら呼ばれない。やはり中学生以上の少年期からだろう。またいくつまでかといえば30代前半くらいまでかなという気はする。それは青年期の真っ盛りという感じであって、40代にもなるともう人によりけりではあるものの、やはり死んでも夭折とはふつうは呼ばれないだろう。/いやいや、じつは年齢区分もさることながら、実際に「夭折した◯◯」と称されるのは、小説家なら小説で、画家なら絵画や版画で、音楽家なら音楽で、平均水準よりはだいぶん高い成果を成した者でなければ、いくら少年期・青年期の真っ盛りに死んだとしても夭折した◯◯とは呼ばれない。結局その世界で生前であれ死後であれその仕事を高く評価された者のみが夭折と呼ばれるのにふさわしいのであって、三流芸術家や一般庶民の場合は何歳で死のうと夭折などという言葉とはほんとうは無縁なのである。

 

庭の花 3

 

わが家の庭に咲いている花です。それほど数が多いわけではありませんが、途切れることなく何かの花が必ず咲いています。ナツツバキは3年前に植木市で苗木で買ったものですが、背丈はあまり伸びていませんが、今年はかなり蕾の数が多いです。

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園芸品種ですがユリ各種

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ナツツバキ(ツバキ科) 別名シャラノキ=沙羅木、自生では新潟県以西といわれる。ツバキの仲間は常緑生であるが、このナツツバキやヒメシャラは落葉性。花は径50~60mmの白色。

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オウゴンマルバマンネングサ(黄金丸葉万年草 ベンケイソウ科) 緑色のマルバマンネングサの変種。ポット植えのものだが、黄花が咲いた。

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ドクダミ(ドクダミ科) 別名の十薬はさまざまな薬効があることから。名前が損しているのか、世間一般ではあまり好まれないようだが、白い独特の花が美しく、匂いも先入観を排してみれば別に臭いわけではない。

 

ジオガイド講座で地層めぐり

 

昨年から「鳥海山・飛島ジオパーク」の認定に向けて、酒田市・遊佐町・にかほ市・由利本荘市が動いているのですが、それに合わせて民間からガイド希望者が各種の講習を受けています。初年度が初級講座で、それをクリアした人は翌年度は上級講座にすすむことができます。

現在上級講座を受けてジオパークのプロのガイドを目指している人は40名弱いますが、私もその一人です。プロといってもほんとうにそれを本業とされている方は全国でもごく少数で、まあほとんどのガイドはせいぜい副業程度ですね。とはいえ、お金をいただく以上、いいかげんな案内や説明はできないので、しっかりとした技術・知識を身につける必要があります。

ジオパークは多岐にわたるので、講座の内容もいろいろなのですが、先日6月11日は「酒田エリア」の第4回目の講座で、午前午後とも旧八幡町のなかの特徴的な地質があらわれている露頭を6カ所みて回りました。講師は地層地質専門の池田充直氏。

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古升田?の土石採掘場入口の露頭。中央横の礫層はかつての河川の跡で、岩の傾きから右側が上流であったことがわかる。

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三保六(さぶろく)の化石床。16万年前くらいは浅い海で、そこに住んでいた貝が大量に寄せ集められ化石となった「化石床」のある地層。下の写真の中央横向きの白くつぶつぶとあるのが貝の化石。

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中台(なかだい)の亜炭層。かつて沼地であったところに植物の遺骸がたまり、その後の熱と圧力で亜炭化したもの。左下面の黒っぽい横筋がそれである。

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白玉川右岸の玉ねぎ状風化岩。海でできた玄武岩の層が隆起して陸地化したところで、鉄分を多く含むため岩の表面から風化して玉ねぎの皮のようにうすく剥がれる。

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白玉川右岸の硬質泥岩。上の玉ねぎ状風化のあるところからいくらも離れていない場所の泥岩で、板状に節理が入る頁岩である。草薙層。薄く剥がれ硬いのでかつては矢じりにも使われたようだ。

 

桑の実と木苺

 

クワの実とモミジイチゴの実です。上の写真はクワですが、黒っぽくなっているのが詰みごろで、橙色のはもうちょっと熟してから摘みます。昨年は3回ほど収穫しジャムを作ったのですが、へんな添加物の入っていないクワの実ジャムはじつにおいしいです。撮影時は事情があってすぐに帰らなければならず、摘むことができなかったのですが、次回まで他の人や鳥たちに食べられていなければいいですけどね。

下の写真は俗にいう「木苺」です。葉の形がもみじに似ているのでモミジイチゴというのですが、いいあんばいに熟したものを選んでその場で食べます。痛みやすいので、よく選ばないとおえっとなるかもしれません。

いずれも山野でふつうに見られる木の実で、毒はなく生でもおいしいので手軽に食すことができるのですが、山奥でもないのにほとんどの場合誰にも採られないままになっていることが多くなりました。もったいない。

(※ その後、クワの実をたくさん摘んできて、ジャムを作りました。砂糖は「きび砂糖」で、ダークラム酒とレモン汁をすこし加えて仕上。今回は結果1.5kgのジャムができました。へんな添加物が入っていないとてもおいしいジャムです。プレーンヨーグルトにトッピングして食べるのが私はいちばんお気に入りです。)

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シテ句会 2016.6.15

 

毎月開催に変更してから今回で3回目のシテ句会です。第三水曜日の午後6時半〜9時、酒田駅にほど近い「アングラーズ・カフェ」というお店をその時間は借り切って句会を行っています。母体である『シテ』は現代詩・俳句・短歌などの短詩形文学の作品発表と批評を目的とする同人誌で、現在10号まで発行。こちらも年3回発行だったものを今号から季刊(3・6・9・12月発行)にアップしています。

句会への参加は上記のシテ同人から任意、プラス外部から句会のみ参加というかたちですが、相蘇清太郎・あべ小萩・今井富世・大江進・大場昭子・齋藤豊司・佐藤喜和子・土田貴文・南悠一の各氏、ならびに見学の方も含めて10名(うち2名は都合により出句のみ)の出席でした。

事前に無記名で2句投句し、句会当日は清記された句群=其の一・其の二の中からおのおの2句ずつ選句。その句を取った、また取らなかった人もそれぞれ披講を行い、その後にはじめて作者名が明かされます。もちろん作者としての思いや作句の意図なども話すことになります。こうした句会の進め方はおおむね他の句会でも同様で、先入観を排し忌憚のない批評を交わすための古来からの工夫です。

なお得点は、高得点=すぐれた句、ということを必ずしも意味するわけではありません。俳句としての形(五七五や季語)がしっかりできていて、分かりやすく瑕疵のない句に点が入りやすいのは当然です。しかしそれはおうおうにして常識的・常套的な内容であることも多く、「いいんだけどどこかで見たことのある句」になりがちです。むしろ注目するべきは未熟であっても驚きや発見がある新鮮な句です。

以下の記述は当句会の主宰をつとめる私(大江進)からみての講評です。異論反論歓迎です。では其の一から。

2 一日(いちじつ)のはまなすの花や波の音
4 夭折のやまかがし猫の首輪ほど
2 沙羅の花母の記憶の離れゆく
3 渓谷の付録のやうに山躑躅
0 福田パンひとり居の卓衣更え
0 十日ほどいのち燃やしてヒメボタル
2 囃子のせ風折碧しそら童
2 数式の解かれ谷は山吹となす
1 風そよと緋に染まりたる山躑躅

最高点は4点句の<夭折のやまかがし猫の首輪ほど>。ヤマカガシは色合いのすこし派手な蛇ですが、まだ小さいそれの骸が道ばたにでもあったのでしょう。「夭折」「猫の首輪」と言ったことで、自ずとその小さな蛇の大きさや形状・色彩、また小動物に対する愛情と哀惜の念がよくわかるかと思います。作者は私です。

次点3点句は<渓谷の付録のやうに山躑躅>。ヤマツツジの花期は終わってしまいましたが、新緑に赤橙色または朱赤色の花はたいへんきれいで目立ちます。また比較的谷筋のすこし湿ったところに咲いていることが多いので、まさに渓谷のアクセントという感じがします。それを「付録」と表したところが面白いとは思いますし、私も取ったのですが、付録は通常は主役ではない脇役、おまけの意味なので、その点は気になるといえば気になります。作者はあべ小萩さん。

2点句は4句あります。はじめの<一日のはまなすの花や波の音>ですが、ハマナスは咲いて一日で散ってしまう一日花で、儚さを覚えることがあります。そしてやや遠くから波の音が聞こえてくるという状態はそのこととうまく響き合っているとはいえます。しかし海辺に咲くハマナスの説明に終わっているようでもあり、物足りなさがあります。作者は相蘇清太郎さん。

つぎの2点句<沙羅の花母の記憶の離れゆく>は、記憶が「薄れゆく」ではなく「離れゆく」であるところがとてもいいです。亡くなった母への「私」の記憶が希薄になっていくのではなく、この世に対する「母」の側からの記憶・執着・未練といったものが希薄になっていくというのでしょう。視点が通常とは逆になっているわけです。ナツツバキの白く清楚な印象も中・下句によく合っています。秀句です。作者は大場昭子さんですが、最近は新聞の俳句投句欄の巻頭句を重ねているなど大奮闘中です。

3つ目の2点句<囃子のせ風折碧しそら童>は、率直にいって私はまったく読み込むことができませんでした。「風折」は「雪折」の同類かとは思いつつも、ひょっとして季語かしらとか、「そら童」って何? 「青し」ではなくなぜわざわざ「碧し」としているのか、等々。作者の土田貴文さんの説明によれば、祭りの情景のようですが、おそらくほとんどの読者には推測も難しいのではないでしょうか。

最後の2点句<数式の解かれ谷は山吹となす>は、新緑に黄金色のヤマブキの花が群開している景はかなり鮮烈です。車の窓外からかヤマブキの姿がとびこんできたのでしょうが、それを「数式の解かれ」としたところが独創的でいいです。もし「魔法の解かれ」とか「呪文の解かれ」とかであったなら陳腐すぎる句になってしまうところです。私も取りました。作者は南悠一さん。

無得点の<福田パン〜>は意味不明かつ素材盛り過ぎ、<十日ほど〜>はヒメボタルの説明で終わってしまっています(※ 福田パンはさまざまな具をはさんだ盛岡市発祥のコッペパンとのことだそうですが、衆知の品名とはいえず、読者には読み解くのが難しいです)。<風そよと〜>はまずヤマツツジの花は緋色ではないよね(すくなくとも一般的には)という入口のところで跳ねられてしまうでしょう。

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今回は諸事情でスタートが30分くらい遅れたので、ちょっと駆け足気味です。では其の二です。

6 夕ぐれはおよそそれから夏の闇
0 青田澄み早苗饗の朝心騒ぎ
2 月並みな風も吹くのさ昼の月
0 暗闇の静寂に浮かぶ白牡丹
1 葦原中国含水率拾割とはなりにける
1 水紋は雨の足跡夏燕
1 砂に落つハマナスの花の香りかな
5 はつものの豆ごはん炊きまみむめも
0 緋(あか)鈍く此ぞ冷たるを檸檬とす

最高点は最初の句で6点入りました。<夕ぐれはおよそそれから夏の闇>ですが、夏至前後は日がなかなか暮れず、たとえば夕食をとったあとでもまだ空がほの明るいといった今頃の夕暮れ時の雰囲気がよく出ています。「およそそれから」とちょっとぼかした表現も効いていると思います。私も点を入れました。作者は南悠一さん。

次点5点句は<はつものの豆ごはん炊きまみむめも>ですが、一読して坪内捻典の<三月の甘納豆のうふふふふ>を想起しました。かなり有名な句なので、挙句は「類似句」とされがちで、だいぶ損してしまいます。しかし中と下は韻をふんでおり、擬音ではなく五十音のま行列ですから、実際には異なる面も多いのですが、それでも「同じような句」という印象をくつがえすのは難しいでしょうね。私も取ったのですが、もっと練ったほうがいいかと思います。作者は大場昭子さん。

2点句はひとつ<月並みな風も吹くのさ昼の月>ですが、「昼の月」であっても「夕月」「宵月」などと同じく秋の季語ではないでしょうかね。当句会では「おおむね当期の季語を入れる」というルールを付しているので、それから逸脱しています。それから昼間の月はやはり夜の月にくらべれば程度の差はあれどちょっと異様な感じはするので、それで「月並みな」と言われると、とても川柳的になってしまいます。けっして川柳をけなしているわけではありませんが。作者は今井富世さん。

1点句が3句ですが、はじめの<葦原中国含水率拾割とはなりにける>は、問題句でしょう。まずもって葦原中国の読みがわかりません。句会の清記ではルビを付けていますが、それなしには無理。「あしはらのなかつくに」と読み、日本の古名のひとつです。それに対して含水率は言うまでもなく現代語なのですが、それでいてまた十割ではなくわざわざ拾割としたあたりも曲者です。私の句なのですが、昔も今も(葦原中国が日本国になっても)、拾が十になっても、かわることなく季節はめぐり梅雨となって国中がたっぷりの雨に降り込められてしまう……。といったあたりのことを詠みたかったのですが、分かりにくいですね。それに明確な季語はやはりありません。

次の1点句<水紋は雨の足跡夏燕>は、ぱっと見て誰の句かだいたい想像がついてしまいます。あべ小萩さん。俳人協会とその系列の結社に属し、9年だったか作句をされているとか。さすがというか、やはりというか五七五+季語という定型にぴったりはまっています。が、新しいという感じは残念ながらぜんぜんしませんね。それがわるいわけではないですけどね。

最後の1点句<砂に落つハマナスの花の香りかな>は、ハマナスは灌木とはいえ高さ1〜1.5mくらいはあります。バラ科で香りの高い花とはいえそれが地面にまで届くというのは少し無理があるかと思ってしまうと、句意が不明になります。しかし作者の相蘇清太郎さんによると、花は一日花なので、砂上に散ったたくさんの花びらのようすを詠んだとのこと。あ、そうすると開花している花のことではなく落花なんですね。落花の芳香が砂に染み込むというのはとてもおもしろい視点なので、それを、もっと活かせればと思います。

無得点句の<青田澄み〜>は早苗饗(さなぶり)の説明だけで終わってしまった句。<暗闇の〜>は闇+静寂+白(はく)牡丹で三題話的な予定調和。<緋鈍く〜>は肺結核で死んだ梶井基次郎のことのようですが、このままではまず読者には伝わりません。

 

アオダイショウ

 

数日前のこと、工房の外に出ようと思ったら引き戸のすぐ前に蛇がいました。一瞬おどろきましたが、マムシではないことはすぐわかったので、じっくり観察し写真も撮りました。

自宅に戻ってからも再確認しましたが、アオダイショウです。長さは1mくらいで細めの感じ。最大2mほどにもなる蛇なので、まだ小さいほうです。蛇が大嫌いな人にはもうしわけありませんが、写真でもわかるようにおとなしそうな顔をしていますね。マムシなどは見るからに攻撃的な顔ですし、こんな至近距離(約60cm)で眺めるのは危険です。

写真も撮り終わったので、戸を大きくあけて外に出してやろうと思ったら、室内側の材木の陰に隠れてしまいました。古い隙間だらけの工房なので、まあ心配はないと思いますが、外に出られなくなって死んだりしてしまうのがいちばん困ります。

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黒柿象嵌鬼胡桃角形被蓋刳物

 

黒柿の木口を薄く切ったもの同士を合わせると左右対称のおもしろい模様が現れることがあります。一般にはブックマッチと呼ばれる手法ですが、今回は猫の顔が出てきたのでびっくりしました。全部で3組あるのですが、もうひとつはナントカ仮面のような模様、さらにもうひとつはなんだかよくわからない模様です。

これをオニグルミ(鬼胡桃)の40mmほどの板に埋め込んで(象嵌して)長方形の刳物に仕立てました。大きさは長さ182mm、幅87〜89mm、高さ45mm、実の深さは32mmです。

ただちょっと残念なのは、一枚の黒柿ではなく2枚をつき合わせているためか木口材の約2mm厚の薄板のためか、湿度や温度の変化で中央の合わせ目が、ほんのわずか歪んでしまうことです。光線の具合によってはそれがはっきりと筋となって目立ってしまいました。他の部分にも若干の干割れが生じています。

今年11月2〜8日に酒田市の清水屋デパートの画廊で個展を行なうことになっています。一点ものの刳物を30〜40点ほど中心に展示する予定で、今回の黒柿の象嵌の刳物もその一部です。ただし上記の難点があるので、これは販売については要検討中です。

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 一番下の写真のNo.526は売切れました。

 

コーヒーブレーク 81 「鳳凰」

 

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鳳凰のつばさやすめし植田かな

[ほうおうの つばさやすめし うえたかな] 鳥海山が鳥海山という名称に統一されたのは明治時代から。それ以前は鳥ノ海嶽、松嶽山、飽海嶽、北ノ山、羽山、宿世山、吉出山、日山などいろいろであり、鳳凰山というのもその一つである。要するに実際に日常的に付き合いのある者同士に話が伝わればいいので、その間柄において共有されればどんな名前でもかまわない。ところが、明治政府になって近代国家として欧米と対抗し国防のことを考えれば、国土のあちこちがてんでばらばらに呼ばれていたのでは困るわけである。近代的測量のノウハウを導入し、あらためて国土の精密な測量を行い地図を作製する際に、そこに記された名称は決定的なものとなる。/地図に地名を落とし込む際に、不明なものは測量官が地元の者に尋ねることになるが、そのときに聞き間違いや勘違い、誤記などであっても、いったん公的に文書化されたものはほぼ自動的に「正式名称」となってしまう。その例を一つ挙げると、月光川は山間部に入って3本の川に分かれるのだが(三ノ俣の現在の月光川ダムの所)、本来はいちばん西寄りにあるのが西ノコマイ、南よりにあるのが南ノコマイ、その間の小さな川が中のコマイ。ところが西と南とを取り違えたのか、かなり最近まで逆の名前が地図には刻まれていた。

シャーレのひかりのなかに種撒きぬ

[しゃーれの ひかりのなかに たねまきぬ] 植物の種子のなかには非常に小さくて、一見ほこりかなにかのようにしか見えないものがある。その場合でも成体は必ずしも他の植物とくらべて矮小なわけではないのが不思議なところだ。そのような微小かつ希少な種子では種まきをガラスのシャーレの中に行うことがある。細い砂を薄く敷き、蓋は平板のガラスに割箸などを間にかってすこし隙間をもうける。上には半紙をかぶせて薄暗がりとする。/無事発芽しても順繰りに土の上に移植していかないといけないので、それが面倒であり苗を傷つけないようにうまくやるにはかなりの慣れが必要。まさに職人芸である。そして初めにまいた種子が成体に育つまでには大半は脱落(枯死・腐死・間引き)してしまうのもかなしいところだ。

のどけしや雲は山に山は雲に

[のどけしや くもはやまに  やまはくもに] まだ残雪を多くかぶった山では、そのすぐ上に貼付いたように雲があると、どこまでが山でどこからが雲か定かでないことがある。山体と空が雲を媒介として解け合ってしまっているような光景は、なんといっても春から初夏のものである。/ときに鳥海山の外輪山から頂上にかけて、山体がさらに背伸びをしたようなかっこうに雲が現れることがあり、約2500年前の北面の山体大崩壊の前は現在よりももっと標高のあるこんな形の山であったかもしれない、いやその現実的な2400〜2500mを越えて万一にも3000mほども高さがあったら、鳥海山はどんなにかすごい山となったであろうなどという夢想にふけるのも、いとおかしである。

 

 写真は遊佐町吹浦地区の十六羅漢の磯場。これも鳥海山から日本海に向かって西方に流れ出した溶岩と、海蝕によって作られたもの。)

 

ナイトウォーキングのお誘い

 

6月19日(日)の午後7時半〜9時半の予定で、鳥海山南西麓の牛渡川・丸池周辺のナイトウォーキングを行います。6/4に一度実施したのですが、あまりにも急な告知と、地区運動会などが重なってしまい、参加者はわずかでした。しかし闇夜に咲くバイカモ(梅花藻)や、ハナカジカやウキゴリやイワナなどの多数の魚、今年初のホタルも観察できました。最後は湧水でいれたコーヒーを味わいました。

今回も1週間前の告知ですが、天気の具合とジオパーク関連のもりだくさんの用事やイベントの合間をぬっての企画です。もうじき梅雨に入りますし、皆が都合のいい日を待っていては実施できませんので。

夜に牛渡川を訪れる機会はめったにありません。下のPDFをご覧のうえ、ぜひ多くの方に参加いただきたいと思います。

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胴腹ノ滝とヤグルマソウ

 

すっかり有名になってしまった、鳥海山南西麓の胴腹ノ滝。崖(溶岩流の先端)の途中から湧水が二条の滝となって出ているので、それで胴腹(どてっぱらの意)と呼ばれています。滝もみごとですが、駐車場から滝までの約150mの歩道は、周囲の杉林は人工林ながらも戦後すでに半世紀以上経っているようで、自然植生の樹や草もいろいろ観察できます。

いま盛りなのはヤグルマソウです。林床のかなりの面積を占めるように群生。ユキノシタ科の多年草ですが(Rodgersia podophylla)、葉は5枚の輪生で、矢車形の一枚の葉が最大で長さ40cmにもなります。葉の姿も独特かつ立派ですが、上部につける円錐花序はやはり長さ40cmにもなるものも。花は一個の大きさは5〜10mmくらいの小さなものですが、それが束になって咲き、やや薄暗い林床にあちらこちらに白く浮かぶようすは幻想的です。

春・夏・秋のそれぞれに花が咲くので、それを楽しみながらの滝見や水汲みはいかがでしょうか。ちなみにこのとき(6/5)の湧水温度は右左ともに8.8℃でした。水量はかなり多いほうです。

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胴腹ノ滝と不動神社

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鳥居の前あたりから杉の幹の間ごしに滝がちらちらと見えはじめる。

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往路を振り返る。向こうが駐車場。

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ヤグルマソウの花。星形の小さな花の白い部分は花びらではなく萼片。