月別アーカイブ: 5月 2016

水槽に新顔2種3匹

 

2ヶ月ほど前に、飼っていたザリガニが死んでしまったので、貝のカワニナ2匹以外はずっと空になっていたわが家の水槽に、最近新顔が入りました。子供たちが近くの用水路でつかまえてきたアブラハヤ1匹とホトケドジョウ2匹です。はじめは警戒して物陰にかくれていたのですが、今では人が近づくと餌の時間かと思うらしく寄ってきます。大きさはアブラハヤが体長6cmほど、ホトケドジョウが体長4cmほどです。

ホトケドジョウはずっと昔はここらへんではウマクソドンジョと呼んでいました。当時はまだ農耕・運搬用に牛馬を飼っている農家が珍しくありませんでしたので、道ばたにもよく馬糞などが落ちており、ホトケドジョウの淡い黄土色の色合いや普通のドジョウにくらべぼてっとした体形がちょうど馬糞の雰囲気に合っていたからでしょうね。

ホトケドジョウは今はけっこう珍しい魚になってしまい、絶滅危惧種に指定されています。比較的水温が低く、きれいな水が流れている川でないといません。さらに渓流にすむホトケドジョウはナガレホトケドジョウとして現在は別種とされています。

DSCN7646_2 DSCN7648_2

 

 

 

 

 

 

 

シテ句会 2016.5.18

 

隔月毎に行っていたシテ句会を毎月開催にかえてから今回は2回目。第三水曜日の18:30〜21:00、酒田市駅前にほど近い「アングラーズ・カフェ」というお店をその時間は借り切って句会を行います。母体である『シテ』は現代詩や俳句・短歌などの短詩形文学の作品発表と批評を目的とする同人誌ですが、現在9号まで発行しています。

句会への参加は上記同人の場合でも任意であり、今回は同人からは5名、外部から5名の合わせて10名の参加がありました。相蘇清太郎・伊藤志郎(都合により投句のみ)・今井富世・大江進・大場昭子・齋藤豊司・南悠一、それに新規参入の佐藤喜和子・土田貴文のお二人にくわえ、見学ながら投句もありというあべ小萩さん。人数的にはこれくらいが多すぎず少なすぎずで、適切かなという感じがしました。

事前に無記名で2句投句し、句会当日は清記された句群=其の一&其の二の中からおのおの2句ずつ選びます。その句を取った、また取らなかった人もそれぞれ披講を行い、そのあとで初めて作者が明かされます。もちろん作者のその句に対する思いや作句の意図なども話すことになります。このような句会の進め方はおおむねどこの句会でもほぼ同じで、先入観を排し忌憚のない批評を述べてもらうための古来からの工夫です。

以下の記述は当句会の主宰をつとめる私(大江進)からみての講評です。異論反論歓迎です。では其の一から。

0 カーネーション娘に贈る母のあり
2 じつと待つ時速二キロの花だより
2 五月雨を窓に借りてちょっと泣けた
1 逢ひたきは菜の花畑の真中で
1 行く僧と汚れた足袋と桜(はな)の道
5 ひかりの底から墜ちてくる揚雲雀
2 声しゃがれ耳かじられて太郎猫
1 雪渓の暇薫風の縁なせり
4 宇宙の人二三来たりて青き踏む
0 遍路行網膜裏に世界果て

最高得点は6句目の<ひかりの底から墜ちてくる揚雲雀>で、5点入りました。巣から飛び立つときに急角度で真っすぐに上がることから揚雲雀というのですが、降りる時も同様に真っすぐおりてくる様を、「ひかりの底から」といい、「舞い降りる」ではなく墜落してくると詠んだところが眼目。草原などから上がって次いで下りるという一連の飛翔行動を作者は目で追っているわけで、時間の経過となにほどかの負の心理的投影がうまく表されています。私も取りました。作者は南悠一さん。

次点4点句は9句目<宇宙の人二三来たりて青き踏む>ですが、「宇宙の人」をどう解釈するかによってずいぶん世界が変わるでしょう。宇宙人、宇宙飛行士とみるのが順当なところですが、地球の人=人間も、宇宙人のひとりであり実際的な意味ではこの宇宙において唯一のヒトかもしれないとみることもできます。萌え出たばかりの柔らかい草の野原に出て、その感触や日差しや風をゆっくりと味わうというのも人間ならではの、よく考えればちょっとへんな宇宙人のへんな慣習かもしれません。作者は私です。

2点句は3句あります。はじめの<じっと待つ時速二キロの花だより>は主に桜の開花前線が南から北へ、西から東へと移動していくようすを、時速2キロとしたところがいいですね。人が歩く速度が普通は時速4キロということで、時速2キロはそれの半分かと体感的に納得できるところがあります。一日に何十キロなどと言われるとぴんと来ないでしょうから。しかしそれを「じっと待つ」と作者自らが回答を出してしまったところが惜しいかな。作者は伊藤志郎さん。

次の2点句は<五月雨を窓に借りてちょっと泣けた>は、やはり上の句と同じように作者の心情をそのままじかに表出してしまったところが弱いですね。窓ガラスに雨が降りかかって滴が流れ落ちるという景だけにとどめたほうがよくはないですか。それでどう感じるかは読者にゆだねると。語調も散文そのままで、かえって損をしています。作者は参加者のなかでは断トツに若手の土田貴文さん。

3つ目の2点句は<声しゃがれ耳かじられて太郎猫>。太郎猫というからには大柄の雄猫で、いわゆるドラ猫タイプですかね。猫は今では年中発情期といっていい状態にありますが、とはいうもののやはりいちばんは早春の季節で、雄猫同士が激しくけんかをしたりもします。そのあたりを太郎猫といったところがうまいのですが、声も耳もですこし盛りすぎかも。作者は相蘇清太郎さん。

1点句は3句ありますが、<逢ひたきは菜の花畑の真中で>はどうみても普通は恋人同士の逢い引きと受け取るでしょうね。とすると大甘。しかし作者の大場昭子さんによると亡くなった父母のことだそうです。それだと題材は俄然おもしろくなるので、そうと分かるような工夫がぜひほしいところです。

他の1点句<雪渓の暇薫風の縁なせり>は、「暇」が溶けかかった雪渓のところどころの隙間のことであることがわからないと読みができません。雪が溶けたところから急速に草木が芽をだし花を咲かせる、その緑のかぐわしい香りが漂ってくるようすを薫風というわけです(雪渓も薫風も夏の季語ですが、この句の場合はそれは問題にならないでしょう)。言葉使いや型はよくできているのですが、内容的にはやや常套的で予定調和の感。作者はあべ小萩さん。俳人協会にも属し、作句は9年ほどされてるそうですが、私としては新しい表現や現代的な題材にも向かっていただきたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここまでで約80分。10句全部に言及しほぼ全員が取捨の弁を述べ合っていくとあっというまに時間がすぎていきます。したがって、これ以上句数が多いとまったく触れないで終わってしまう句が生じてしまうことがあるので、先に述べたようにこれくらいの規模がちょうどいいかもしれません。小休止のあと其の二です。

0 雪四合代田に逆立つ青き山
5 抜かれたる腸(わた)の記憶やこいのぼり
1 住み慣れし静かなむら(口に巴)に遠き雲雀
4 新緑の雪崩るる果ての日本海
0 薔薇そうび古き館を守ります
2 山裾に広がる浄土梨の花
0 桜(はな)のぞみ風のはざまに独りおり
1 夜会はねて五月雨の人となりぬ
2 窓で切ってそれそこの居れ西日四角
3 開くノートの一ページ風光る

最高点の5点句は2句目の<抜かれたる腸の記憶やこいのぼり>です。鯉幟は五月五日の端午の節句に、男子の成長と武運を祈願して飾られるものだから、前向きに向日的に詠まれるのが普通ですが、ここではあえて鯉の空洞となったところに目を向けています。「記憶」がどういった記憶かは読者に投げられているのですが、やはり悲哀や後悔や虚無感がどうしても漂ってくるようです。中七でいったん切れるので、拡大解釈すれば昨今の人間の臓器移植などにも想像はおよびそうです。作者は私です。

次点4点句は4句目<新緑の雪崩るる果ての日本海>は、いうまでもなくこれは鳥海山でしょう。実際に山体の西側は海の下まで続いていますし、いまちょうど残雪の下の緑が濃くなりつつあります。ただ、中腹より下はスギなどの人工林なので黒っぽい色合いになってしまっていますし、紅葉とは反対に新緑は下から上へとのぼっていくので、「雪崩るる」はやや強引で、実景よりもイメージの先走りという印象はあります。私も取ったんですけどね。作者はあべ小萩さん。

3点句、10句目の<開くノートの一ページ風光る>はたいへんよくわかるのですが、よくあるシチュエーションでかつ展開も常識的といえます。中学か高校生かという。なにかもっと作者(伊藤志郎さん)のオリジナルな言葉や広がりがほしいところです。

2点句は2句あります。最初の<山裾に広がる浄土梨の花>の「浄土」をそうだよねと思う人と、すこし大げさすぎないかと思う人がいるでしょう。果樹園の梨の花がいっせいに白い花を咲かせている光景は、むろん人工的な景なので、きれいではあるものの、自然植生のなんらかの草木の白花がたくさん咲き乱れているような荘厳さはないかなと私は思います。作者の大場昭子さんによれば、これは酒田市の刈屋の梨のことだそうです。

もうひとつの2点句は9句目<窓で切ってそれそこに居れ西日四角>は表現はぎこちなくまだまだ推敲が必要ですが、西日が四角いというのはたいへんおもしろいです。私も取りました。しかし四角い窓で切り取ったから西日も四角と因果関係をみな語ってしまったのがもったいない。作者は土田貴文さん。俳句を始めたばかりということですが、視点はなかなかのもの。基礎的な技術を身につければ言うことなしです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

其の一、其の二とも、1点句または無得点の句については今回は基本的にパスしました。私は、あるいは当句会は決して得点主義ではないのですが、ほとんどの人が取らなかったのにはやはり相応の理由があると思います。意味が不明瞭だったり、あまりにも常識的で陳腐だったりです。悪しからず。

 

大型の掛時計

 

滋賀県のUさまからご注文いただいた大型の掛時計です。直径は400mm、厚さは45mmあります。医院を5月上旬に開業するので、その待合室にとのご希望でした。当方もやりかけの仕事や連休中の予定もあり、1ヶ月だけ待っていただきました。当工房とは初めてのお取引なのですが、インターネットで「掛時計」を検索していて当工房で以前に作った「ユーランダケアエ」の画像ならびに当該ブログ記事に行き当たったとのこと。

ユーランダケアエとはちょっとへんなネーミングですが、クルミ科のことを学名ではJUGLANDACEAEといいます。無垢の木の大型掛時計はこれで3個目ですが、いずれも外側のフレームをアメリカン-ブラック-ウォールナットの厚板を丸く切り抜いてこしらえていることからの名前です。

以前のものはフェイス(文字盤)にもやはりクルミ科のサワグルミの幅広無地の薄板を使っています。今回も当初はそのつもりでいたのですが、あいにく在庫の板がいくらか寸足らずだったので、セン(ハリギリ)に変更しました。どちらも国産の広葉樹で色が白っぽい材で、しかも経年変化してもそれほど色が濃くならないという特徴があります。ウォールナットのほうは実物は写真よりももっと濃い色なので、それとの対比をねらっています。時針と数字は真黒=本黒檀の1mmと2mm厚の薄板を糸鋸で切り抜いて作っています。

市販の「木製」の掛時計の場合、オール無垢の木で、かつフレームが完全に一木からの切り抜きというものはありません。量産品でそんなばかみたいにコストがかかるものやリスクの大きいものはやってられませんからね。フェイスもせいぜい合板の突き板ですし、時針や数字はプラスチックか金属製、もしくはレーザー加工機による焼き込みですね。

いろいろな変わった仕掛けのある時計や、カジュアルまたはカントリー、ファンタジックな時計などは私自身が好みではないので、モダン&シンプルのデザインにしたのですが、無垢材のみのそういったタイプの掛時計となると世の中的にもきわめて稀かと思いますが、ニーズがまったくないわけではありません。

さらに今回は医院の待合室ということで、ムーブメントも電波式にしました。初めて採用するのでじつはうまく動くかどうか心配していたのですが、結果オーライです。電池を入れると自動で針が12時の位置までぐるぐる回り(長針は12回転→短針は1回転)、次いで5〜15分くらいで電波を受信するとその位置までまたす〜っと動いてぴたっと止まります。以後はおそらく10秒ごとくらいに長針が微動しつつ時刻を合わせている感じです。

これくらい大きな掛時計となると家庭用には大きすぎるでしょうし、当然値段も張りますので、在庫はなく完全受注生産です。寸法も材料に合わせて作りますので若干の差異が生ずることがあります。

DSCN7604_2 DSCN7610_2 DSCN7614_2

 

オオヤマフスマ

 

もう30年くらい前にはなるかと思いますが、庄内砂丘で遊佐町と酒田市の境界線あたりにある鳥海南工業団地は、いまだに3分の1くらいが空いたままになっています。平野部に抜ける道路の北側一帯もついこの間まで空き地のままだったように記憶していましたが、先日その道を通りかかったら一面に太陽光発電のパネルが並べられていて驚きました。

じつはこの部分の空き地は開発されないままに自然発生の雑木林になっていたので、人工林である松林がたとえ枯れても、ひとりでに潜在植生に近い雑木林になってしまう例として注目していました。今回、太陽光発電を設置するにあたって全面的に伐採してしまったようですが、どういう植物が生えているかを事前に綿密に調べたりは、まあしてないでしょうね。裸地→自然林の貴重なデータになったはずなんですけどね。

それでまだ空き地になったままのところに踏み入ってすこしだけですが植生を調べてみました。クロマツは点々と生えていますが、それ以外にもカシワやニセアカシア、コナラなどがあり、フジの花が真っ盛りでした。草本としては目についたのが写真のオオヤマフスマの群落です。ナデシコ科オオヤマフスマ属の多年草ですが(Moehringia  laterihlora)、「山地に生える」といってももっと海に近い砂浜のすぐ近くにも生えています(この場所ではない)。しかしこれほど密な群落は私ははじめて見ました。花の径は1cm強ほどですが、やわらかい緑の葉と真っ白な星のような花がじつにすてきです。他にはブタナ、カワラアカザ、ハマエンドウといったところ。あまり多くはありません。

以前に調べたときは希少なイヌハギのほか、コマツナギ、ナミキソウ、カワラケツメイ、ウンラン、カワラハハコ、ハマダイコンなどの花がありました。一度は皆伐され地ならしされてまったく裸になった土地ですが、自然はなかなかたくましいです。

DSCN7633

 

DSCN7634

 

トリマー用円形切削治具

 

片手で操作できるくらいの小型のルーターはトリマーと呼ばれています。エッジの面取りをする際などに用いられ、トリミングするための機械ということからのネーミングです。そのトリマーには10cm角くらいの樹脂製のベースが付いていますが、そのベース下面から刃物(ビット)を任意の出にすることで浅い凹面・溝の掘削や、木端の縁などに丸みをつけたり角面や飾り面をつけたりします。

さて板の中ほどに丸い大きな穴をあけようとした場合、ジグソーまたは糸鋸で切り抜くというのが普通のやり方です。しかしこれには難点もあって、1)切断面が板面に対して完全な垂直になりにくい(多かれ少なかれ曲線で切っていくので刃にかかる抵抗が左右同じではないため)。2)いくら鋭利な刃物であってもはっきりとナイフマークはついてしまうので、これを後できれいに削り落とすのは内部+凹部の場合はけっこうめんどう。3)薄板ならともかく厚板でかつ硬木だと機械や刃にそうとうな負担がかかる(刃が熱をもって弱くなり折れることも)、等々といった不具合があります。

そこで登場するのが、円形穴の倣い型(テンプレート)を作り、ルーターで切削する方法です。高速回転する刃で木を削っていくので微小なナイフマークはやはりついてしまうのですが、ジグソーなどのノコギリ刃で切っていくのに比べれば非常になめらかです。垂直度も実用上問題ありません。板厚も径12mmのロングビットを使えば50mmくらいまでは大丈夫です(1回の削り代は水平方向4mm以下、垂直方向も10mm以下)。ただ、まずそのテンプレートを製作する手間がよけいにかかるわけで、それをどのように正確に効率的に作るかが問題です。

DSCN7589_2

 

写真はトリマーを使って大きな正円を切り抜くための治具です。もとのベースを外してこの横長のベースを取り付け、回転軸の芯をネジでしっかりと止めてから、切り抜く材料の上をトリマーをゆっくり移動しつつ切削していきます。当工房ではテンプレートは通常5.5mmの合板を使用しているので(重切削用は9mm)、径6mmのストレートビットの出を3mmくらいにして2回転します。もちろん元の材も切り抜く部分の材も作業台に固くネジ止めし、5.5mm合板の下には並ベニヤの捨て板を敷きます。芯(回転軸)の位置を変えれば半径300mmくらいまで切削可能。

これまでも同様の仕組みの治具を間に合わせでこしらえ材の加工をしたことはあるのですが、今回は繰り返し長く使えるような、もっとしっかりしたものを作りました。

 

庭の花 1

 

DSCN7595_2

 

わが家の庭はいわゆる造園もされていない平坦な単なる原っぱですが、それなりにいろいろな花が咲きます。植えているものもあるし、自然に生えてきたものも。このブログで、3月9日にスノードロップについて書いたのですが、その後に咲いたヒヤシンス、ヒメオドリコソウ、チューリップ、ホトケノザ、カキドオシ、タネツケバナ、チチコグサ等については写真も撮りはぐれてしまいました。

もう5月も下旬になってしまいましたが、現在咲いている草や木を備忘録としてあげておきます。個人的にはまずなんといってもヤマボウシです。十数年前に苗木でもらった樹ですが、今の庭に植えてからもすこしずつ背丈は伸びてはいるものの、花はまったく付けていませんでした。それが昨日の朝よくよく観察したら、たくさんの葉のあいだになかば埋もれるような感じで薄緑の花が2個だけ咲いていました。ヤマボウシといえば普通は真っ白な花なのですが、これからそう変わっていくのか、そもそも薄緑色の花の品種なのかよくわかりません。

その他は写真の上から順にブルーベリー、ヒメウツギ、ハルジオン、ベルフラワー、タツナミソウ、シャクナゲです。木本の花はすでにピークを過ぎています。鉢植えだったものを昨年地植えにかえたものも5種類ほどあるのですが、枯れることなく無事に根付いたようでうれしいです。他に咲いていたのがアザレア、ラベンダー、トキワハゼ、タチイヌノフグリ、カタバミ、ツメクサ等。

DSCN7594_2

 

DSCN7596_2

 

DSCN7598_2

 

DSCN7599_2

 

DSCN7601_2

 

DSCN7602_2

 

低地のブナ自然林

 

ブナといえばある程度標高のある山岳地の樹木というのが一般的な認識です。それは基本的にはそのとおりで、鳥海山の場合も標高500mくらいから上でないとブナに出会うことはまずありません。

しかし自然植生として大昔からそうであったのかといえば、どうやら違うようです。平地や低山域に生えていたブナはほとんどが農地の開拓や炭焼、住居・道路などの人為的な作用によって伐られてしまい、ほとんど完全に近いほど消滅してしまいました。これは単に推測で言ってるわけではなく、一般的認識とは逆に、きわめて稀で小規模ながらも標高のずっと低いところにもブナの自然林が現存しているからです。

今回紹介するのは鳥海山大物忌神社の蕨岡口ノ宮の境内にあるブナ自然林です。標高としてはなんと150mくらいしかありません。山形県庄内地方において他にもいくつか低地のブナ自然林は残存していると聞いていますが、私自身が現地に行って実際に観察したところをあげてみます。

大物忌神社蕨岡口ノ宮は地質的には鳥海山の一部といっていいのかどうか微妙なところですが、遊佐町の東方、庄内平野の東端の小高い山中中腹にあります。吹浦と並んで、鳥海山を御神体とする大物忌神社の口ノ宮ですが、往時はたいそうなにぎわいをみせたものの、鉄道や国道の網目から外れたことなどが大きな原因で、いまはかなり衰退しています。神社の建物はたいへん大きく立派であるだけに、かえって一抹の寂しさを覚えます。周辺一帯は通称「上寺(うわでら)」とよばれる門前町であったわけですが、今は実質その機能をほとんど喪失。かつて鳥海山に参詣する際の一大基点・宿場町として栄えたのですが、今はその面影はありません(私は宗教的なるものにはほとんど興味関心がないので、神社の来歴や修験道の意味合いなどについては触れません)。

神社の境内に入ると、平坦地の東側の縁に石段が見えます。400段ほどあるそうですが、傾斜がかなりあるところに直線で作られているため必然的に一段あたりの踏み代は小さくなってしまいます。ところどころ足が全部載らないほどの狭い段もあるので、登りはともかく下りは相当注意が必要です。

この石段の下ほうは左右がスギ林ですが、上るにつれてブナが現れてきて、上部三分の一くらいはブナが優占する広葉樹林となります。このブナ林は平成16年に遊佐町の天然記念物に指定されていますが、全体でどれくらいの面積があり何本くらいのブナが生えているのかはわかりませんでした。ただ石段の両側に数列以上の大きなブナが並んでいるので、少なくとも100本くらいの中・大木は生えているのではないでしょうか。いちばん太い樹で目通り60cmほど。

写真は今年の5月14日のものですが、新緑の薄みどりの若葉と白っぽい幹のコントラストがとても美しいです。石段を上り切ったところにも幹が分岐する大きなブナが生えていました(5枚目の写真)。人為的に植えたスギやモウソウチクなどがなく、境内全体がもしブナを主体とする自然林であったなら、どんなにか荘厳かつきわめて希少・貴重なものであったかと思うといささか残念です。

DSCN7581

 

DSCN7582

 

DSCN7583

 

DSCN7586

 

DSCN7585

 

コーヒーブレーク 79 「信号」

 

DSCN7011_2_3

 

野遊びは売地の立札過ぐるより

建物の変遷がはやい。街角の一画で家屋の解体が始まったと思ったら1週間くらいできれいさっぱり更地になる。ほどなく別の建築工事が着手となり、一般住宅なら2ヶ月くらいで完成してしまうことも今はめずらしくない。だからひさしぶりに訪れた街の様子がすっかり変わり、以前はどんな建物があったのか皆目思い出せないことも多い。/解体するにしても、昔は重機でばかばか強引につぶしてしまうだけだったが、今はまわりにネットをはって、手仕事も多く用いながら材料毎に分別してすこしずつ壊していく。当然かなりの手間がかかるので、比較的作業条件のいい住宅の解体でも、坪あたり5万くらいはかかるという。40坪の家なら壊すだけでも200万はかかるわけで、そのせいか解体もされず朽ちるままに野ざらしにされている建物が少なくない。使うあてのない建物に何百万もかけるような余裕はないということだ。

信号が百ある部落蜃気楼

道路の信号がまったくないか、あってもほんの数えるほどということが町村の紹介の文言として(ときに自慢げに)用いられることがある。昔ならいざしらず、現代では田舎ほど車社会であって、一人に一台の自動車がないと生活も仕事も成り立たない。一家に一台ではない、一人に一台。生活必需品である。家屋は古びて狭そうなのに、車だけは軒先に4、5台並んでいる光景もちっとも珍しくなくなった。

自動操縦装置はニンゲン山笑う

自動車の自動操縦装置の開発がすすんでいるらしい。目的地を入力すると、車が自律的に動いて人を運んでくれるというのだが、もちろんまだまだ課題は多く、万一の場合の事故の際は誰が責任をとるのかというあたりも判然としない。車の所有者なのか、搭乗者なのか、自動運転のソフトを開発・管理しているメーカーなのか。従来通りに人間がハンドルを握って運転していても事故はすくなからずあるのだから、自動運転がそれよりずっと正確で事故率も格段に少ないとなれば一定程度の普及はするだろうとは思う。/しかし私はいやだな。車は人や物の移動運搬の手段としてだけでなく、運転すること自体の楽しみというのもあるので、それが無くなるか大幅に減少することになるなら車の魅力の大半が失われてしまうだろう。なにしろ現在でさえ、オートマチック車は大嫌いで、マニュアル車に限ると思っているんだから。

 

低地のイワカガミ

 

鳥海山の某所、標高約240〜300mに咲いているイワカガミ(イワウメ科 Schizocodon soldanelloides)。 ※コイワカガミと別種として分ける説もあるが、差異は連続的で同所にふたつのタイプが混在することもあり、同一種の連続的変異・個体差とする説が有力である。

最初に私が発見したのは2010年5月のことで、イワカガミは「高山植物」の代表的な花と思っていたのでたいへん驚きました。そのときは他の人もいっしょだったのであわただしく通り過ぎてしまったのですが、その後に地形図やカメラやその他機材を用意して一人でたんねんに周辺を調べました。その結果、標高240〜300m付近に断続的に小群落を成して生えており、もっとも低い地点は標高237mでした。高精度のGPSを用い、地形図とも照らし合わせたので誤差はほとんどないでしょう。下の写真は2016年5月2日のものですが、新しい葉がたくさん出ており花数も多く、すこし安心しました。

人里からいくらも離れていないこのような低山域にイワカガミがある程度の規模をもって生息しているのは、いったいなぜでしょうか。以下は私の推測ですが、氷河期前後の冷涼な気候下で分布を広げたイワカガミが、その後の温暖化で生息域を狭められて中・高山帯に退避したのに対し、たまたま当地は豊富な湧水があったために(湧水温度は7〜9℃くらい)それに依存するかたちで生き残ったのではないかと思います。

ちなみに同様の例として、やはり鳥海山の標高300m程度のところにニッコウキズゲ、アカモノ(イワハゼ)が生えていることも確認しています。

鳥海山の場合、通常は標高1000mくらいの森林限界を超えたあたりからイワカガミが姿をあらわすのですが、もしそれよりずっと低い標高300mくらいまでの間が分布の空白であるとすると、両者は1万年ほど隔離されている可能性があります。遺伝子レベルでの違いとなると素人の手にはおえませんので、ぜひ専門家に調べていただければと思います。

いずれにしてもこのイワカガミはたいへん貴重なものであることは確かですので、盗掘等を避けるために場所の詳細は秘密とします。写真も場所を特定されそうなものは掲載しません。

DSCN7450_2

 

DSCN7455_2

 

DSCN7440_2

 

黒柿ブックマッチの象嵌完了

 

4月10日の記事で、黒柿ブックマッチの木口薄板のことを紹介しましたが、これを蓋の一部に象嵌して箱物を3つ作ることにしました。仕上がりの形状としては例によって角形被蓋刳物です。

左右対称の2枚の薄板なので、まず1mm程度の極薄板を裏に貼って一体化。それからベースになる厚板の母材(37mm厚のオニグルミの柾板)に象嵌部分の凹みを掘り込み。深さは象嵌する黒柿材の厚さより0.2mm程度浅くします。象嵌の材は四方の縁(厚みの断面)をほんのわずか下向きに勾配を付け、母材に圧入したときに圧縮気味に収まるようにします。その精度は数値でいうと、凹みより象嵌材を縦・横とも0.1〜0.2mmくらい大きめにするのがポイントです。

今回の象嵌は、猫の顔のようにも見える偶然に現れたおもしろい模様なので、やり直しはできませんし、また欲しいと思っても入手不可能な材料です。そのためいつも以上に慎重に作業をしましたが、3組ともうまくでいきました。象嵌の出っ張りはあとで鉋で削り最終的にはサンディングペーパーで面一に均すのですが、あまりきれいに収まっているので、逆にプリントかなにかのように思われてしまいそうです。

蓋の裏側にはすでに実(み)に被さるだけの掘り込みも終えていますが、写真は象嵌の周囲の余白はまだ仕上がり寸法より一回り以上大きい状態です。

DSCN7395_2