日別アーカイブ: 2016年5月16日

コーヒーブレーク 79 「信号」

 

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野遊びは売地の立札過ぐるより

建物の変遷がはやい。街角の一画で家屋の解体が始まったと思ったら1週間くらいできれいさっぱり更地になる。ほどなく別の建築工事が着手となり、一般住宅なら2ヶ月くらいで完成してしまうことも今はめずらしくない。だからひさしぶりに訪れた街の様子がすっかり変わり、以前はどんな建物があったのか皆目思い出せないことも多い。/解体するにしても、昔は重機でばかばか強引につぶしてしまうだけだったが、今はまわりにネットをはって、手仕事も多く用いながら材料毎に分別してすこしずつ壊していく。当然かなりの手間がかかるので、比較的作業条件のいい住宅の解体でも、坪あたり5万くらいはかかるという。40坪の家なら壊すだけでも200万はかかるわけで、そのせいか解体もされず朽ちるままに野ざらしにされている建物が少なくない。使うあてのない建物に何百万もかけるような余裕はないということだ。

信号が百ある部落蜃気楼

道路の信号がまったくないか、あってもほんの数えるほどということが町村の紹介の文言として(ときに自慢げに)用いられることがある。昔ならいざしらず、現代では田舎ほど車社会であって、一人に一台の自動車がないと生活も仕事も成り立たない。一家に一台ではない、一人に一台。生活必需品である。家屋は古びて狭そうなのに、車だけは軒先に4、5台並んでいる光景もちっとも珍しくなくなった。

自動操縦装置はニンゲン山笑う

自動車の自動操縦装置の開発がすすんでいるらしい。目的地を入力すると、車が自律的に動いて人を運んでくれるというのだが、もちろんまだまだ課題は多く、万一の場合の事故の際は誰が責任をとるのかというあたりも判然としない。車の所有者なのか、搭乗者なのか、自動運転のソフトを開発・管理しているメーカーなのか。従来通りに人間がハンドルを握って運転していても事故はすくなからずあるのだから、自動運転がそれよりずっと正確で事故率も格段に少ないとなれば一定程度の普及はするだろうとは思う。/しかし私はいやだな。車は人や物の移動運搬の手段としてだけでなく、運転すること自体の楽しみというのもあるので、それが無くなるか大幅に減少することになるなら車の魅力の大半が失われてしまうだろう。なにしろ現在でさえ、オートマチック車は大嫌いで、マニュアル車に限ると思っているんだから。