隔月毎に行っていたシテ句会を毎月開催にかえてから今回は2回目。第三水曜日の18:30〜21:00、酒田市駅前にほど近い「アングラーズ・カフェ」というお店をその時間は借り切って句会を行います。母体である『シテ』は現代詩や俳句・短歌などの短詩形文学の作品発表と批評を目的とする同人誌ですが、現在9号まで発行しています。
句会への参加は上記同人の場合でも任意であり、今回は同人からは5名、外部から5名の合わせて10名の参加がありました。相蘇清太郎・伊藤志郎(都合により投句のみ)・今井富世・大江進・大場昭子・齋藤豊司・南悠一、それに新規参入の佐藤喜和子・土田貴文のお二人にくわえ、見学ながら投句もありというあべ小萩さん。人数的にはこれくらいが多すぎず少なすぎずで、適切かなという感じがしました。
事前に無記名で2句投句し、句会当日は清記された句群=其の一&其の二の中からおのおの2句ずつ選びます。その句を取った、また取らなかった人もそれぞれ披講を行い、そのあとで初めて作者が明かされます。もちろん作者のその句に対する思いや作句の意図なども話すことになります。このような句会の進め方はおおむねどこの句会でもほぼ同じで、先入観を排し忌憚のない批評を述べてもらうための古来からの工夫です。
以下の記述は当句会の主宰をつとめる私(大江進)からみての講評です。異論反論歓迎です。では其の一から。
0 カーネーション娘に贈る母のあり
2 じつと待つ時速二キロの花だより
2 五月雨を窓に借りてちょっと泣けた
1 逢ひたきは菜の花畑の真中で
1 行く僧と汚れた足袋と桜(はな)の道
5 ひかりの底から墜ちてくる揚雲雀
2 声しゃがれ耳かじられて太郎猫
1 雪渓の暇薫風の縁なせり
4 宇宙の人二三来たりて青き踏む
0 遍路行網膜裏に世界果て
最高得点は6句目の<ひかりの底から墜ちてくる揚雲雀>で、5点入りました。巣から飛び立つときに急角度で真っすぐに上がることから揚雲雀というのですが、降りる時も同様に真っすぐおりてくる様を、「ひかりの底から」といい、「舞い降りる」ではなく墜落してくると詠んだところが眼目。草原などから上がって次いで下りるという一連の飛翔行動を作者は目で追っているわけで、時間の経過となにほどかの負の心理的投影がうまく表されています。私も取りました。作者は南悠一さん。
次点4点句は9句目<宇宙の人二三来たりて青き踏む>ですが、「宇宙の人」をどう解釈するかによってずいぶん世界が変わるでしょう。宇宙人、宇宙飛行士とみるのが順当なところですが、地球の人=人間も、宇宙人のひとりであり実際的な意味ではこの宇宙において唯一のヒトかもしれないとみることもできます。萌え出たばかりの柔らかい草の野原に出て、その感触や日差しや風をゆっくりと味わうというのも人間ならではの、よく考えればちょっとへんな宇宙人のへんな慣習かもしれません。作者は私です。
2点句は3句あります。はじめの<じっと待つ時速二キロの花だより>は主に桜の開花前線が南から北へ、西から東へと移動していくようすを、時速2キロとしたところがいいですね。人が歩く速度が普通は時速4キロということで、時速2キロはそれの半分かと体感的に納得できるところがあります。一日に何十キロなどと言われるとぴんと来ないでしょうから。しかしそれを「じっと待つ」と作者自らが回答を出してしまったところが惜しいかな。作者は伊藤志郎さん。
次の2点句は<五月雨を窓に借りてちょっと泣けた>は、やはり上の句と同じように作者の心情をそのままじかに表出してしまったところが弱いですね。窓ガラスに雨が降りかかって滴が流れ落ちるという景だけにとどめたほうがよくはないですか。それでどう感じるかは読者にゆだねると。語調も散文そのままで、かえって損をしています。作者は参加者のなかでは断トツに若手の土田貴文さん。
3つ目の2点句は<声しゃがれ耳かじられて太郎猫>。太郎猫というからには大柄の雄猫で、いわゆるドラ猫タイプですかね。猫は今では年中発情期といっていい状態にありますが、とはいうもののやはりいちばんは早春の季節で、雄猫同士が激しくけんかをしたりもします。そのあたりを太郎猫といったところがうまいのですが、声も耳もですこし盛りすぎかも。作者は相蘇清太郎さん。
1点句は3句ありますが、<逢ひたきは菜の花畑の真中で>はどうみても普通は恋人同士の逢い引きと受け取るでしょうね。とすると大甘。しかし作者の大場昭子さんによると亡くなった父母のことだそうです。それだと題材は俄然おもしろくなるので、そうと分かるような工夫がぜひほしいところです。
他の1点句<雪渓の暇薫風の縁なせり>は、「暇」が溶けかかった雪渓のところどころの隙間のことであることがわからないと読みができません。雪が溶けたところから急速に草木が芽をだし花を咲かせる、その緑のかぐわしい香りが漂ってくるようすを薫風というわけです(雪渓も薫風も夏の季語ですが、この句の場合はそれは問題にならないでしょう)。言葉使いや型はよくできているのですが、内容的にはやや常套的で予定調和の感。作者はあべ小萩さん。俳人協会にも属し、作句は9年ほどされてるそうですが、私としては新しい表現や現代的な題材にも向かっていただきたいと思います。
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ここまでで約80分。10句全部に言及しほぼ全員が取捨の弁を述べ合っていくとあっというまに時間がすぎていきます。したがって、これ以上句数が多いとまったく触れないで終わってしまう句が生じてしまうことがあるので、先に述べたようにこれくらいの規模がちょうどいいかもしれません。小休止のあと其の二です。
0 雪四合代田に逆立つ青き山
5 抜かれたる腸(わた)の記憶やこいのぼり
1 住み慣れし静かなむら(口に巴)に遠き雲雀
4 新緑の雪崩るる果ての日本海
0 薔薇そうび古き館を守ります
2 山裾に広がる浄土梨の花
0 桜(はな)のぞみ風のはざまに独りおり
1 夜会はねて五月雨の人となりぬ
2 窓で切ってそれそこの居れ西日四角
3 開くノートの一ページ風光る
最高点の5点句は2句目の<抜かれたる腸の記憶やこいのぼり>です。鯉幟は五月五日の端午の節句に、男子の成長と武運を祈願して飾られるものだから、前向きに向日的に詠まれるのが普通ですが、ここではあえて鯉の空洞となったところに目を向けています。「記憶」がどういった記憶かは読者に投げられているのですが、やはり悲哀や後悔や虚無感がどうしても漂ってくるようです。中七でいったん切れるので、拡大解釈すれば昨今の人間の臓器移植などにも想像はおよびそうです。作者は私です。
次点4点句は4句目<新緑の雪崩るる果ての日本海>は、いうまでもなくこれは鳥海山でしょう。実際に山体の西側は海の下まで続いていますし、いまちょうど残雪の下の緑が濃くなりつつあります。ただ、中腹より下はスギなどの人工林なので黒っぽい色合いになってしまっていますし、紅葉とは反対に新緑は下から上へとのぼっていくので、「雪崩るる」はやや強引で、実景よりもイメージの先走りという印象はあります。私も取ったんですけどね。作者はあべ小萩さん。
3点句、10句目の<開くノートの一ページ風光る>はたいへんよくわかるのですが、よくあるシチュエーションでかつ展開も常識的といえます。中学か高校生かという。なにかもっと作者(伊藤志郎さん)のオリジナルな言葉や広がりがほしいところです。
2点句は2句あります。最初の<山裾に広がる浄土梨の花>の「浄土」をそうだよねと思う人と、すこし大げさすぎないかと思う人がいるでしょう。果樹園の梨の花がいっせいに白い花を咲かせている光景は、むろん人工的な景なので、きれいではあるものの、自然植生のなんらかの草木の白花がたくさん咲き乱れているような荘厳さはないかなと私は思います。作者の大場昭子さんによれば、これは酒田市の刈屋の梨のことだそうです。
もうひとつの2点句は9句目<窓で切ってそれそこに居れ西日四角>は表現はぎこちなくまだまだ推敲が必要ですが、西日が四角いというのはたいへんおもしろいです。私も取りました。しかし四角い窓で切り取ったから西日も四角と因果関係をみな語ってしまったのがもったいない。作者は土田貴文さん。俳句を始めたばかりということですが、視点はなかなかのもの。基礎的な技術を身につければ言うことなしです。
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其の一、其の二とも、1点句または無得点の句については今回は基本的にパスしました。私は、あるいは当句会は決して得点主義ではないのですが、ほとんどの人が取らなかったのにはやはり相応の理由があると思います。意味が不明瞭だったり、あまりにも常識的で陳腐だったりです。悪しからず。