鳳凰のつばさやすめし植田かな
[ほうおうの つばさやすめし うえたかな] 鳥海山が鳥海山という名称に統一されたのは明治時代から。それ以前は鳥ノ海嶽、松嶽山、飽海嶽、北ノ山、羽山、宿世山、吉出山、日山などいろいろであり、鳳凰山というのもその一つである。要するに実際に日常的に付き合いのある者同士に話が伝わればいいので、その間柄において共有されればどんな名前でもかまわない。ところが、明治政府になって近代国家として欧米と対抗し国防のことを考えれば、国土のあちこちがてんでばらばらに呼ばれていたのでは困るわけである。近代的測量のノウハウを導入し、あらためて国土の精密な測量を行い地図を作製する際に、そこに記された名称は決定的なものとなる。/地図に地名を落とし込む際に、不明なものは測量官が地元の者に尋ねることになるが、そのときに聞き間違いや勘違い、誤記などであっても、いったん公的に文書化されたものはほぼ自動的に「正式名称」となってしまう。その例を一つ挙げると、月光川は山間部に入って3本の川に分かれるのだが(三ノ俣の現在の月光川ダムの所)、本来はいちばん西寄りにあるのが西ノコマイ、南よりにあるのが南ノコマイ、その間の小さな川が中のコマイ。ところが西と南とを取り違えたのか、かなり最近まで逆の名前が地図には刻まれていた。
シャーレのひかりのなかに種撒きぬ
[しゃーれの ひかりのなかに たねまきぬ] 植物の種子のなかには非常に小さくて、一見ほこりかなにかのようにしか見えないものがある。その場合でも成体は必ずしも他の植物とくらべて矮小なわけではないのが不思議なところだ。そのような微小かつ希少な種子では種まきをガラスのシャーレの中に行うことがある。細い砂を薄く敷き、蓋は平板のガラスに割箸などを間にかってすこし隙間をもうける。上には半紙をかぶせて薄暗がりとする。/無事発芽しても順繰りに土の上に移植していかないといけないので、それが面倒であり苗を傷つけないようにうまくやるにはかなりの慣れが必要。まさに職人芸である。そして初めにまいた種子が成体に育つまでには大半は脱落(枯死・腐死・間引き)してしまうのもかなしいところだ。
のどけしや雲は山に山は雲に
[のどけしや くもはやまに やまはくもに] まだ残雪を多くかぶった山では、そのすぐ上に貼付いたように雲があると、どこまでが山でどこからが雲か定かでないことがある。山体と空が雲を媒介として解け合ってしまっているような光景は、なんといっても春から初夏のものである。/ときに鳥海山の外輪山から頂上にかけて、山体がさらに背伸びをしたようなかっこうに雲が現れることがあり、約2500年前の北面の山体大崩壊の前は現在よりももっと標高のあるこんな形の山であったかもしれない、いやその現実的な2400〜2500mを越えて万一にも3000mほども高さがあったら、鳥海山はどんなにかすごい山となったであろうなどという夢想にふけるのも、いとおかしである。
(※ 写真は遊佐町吹浦地区の十六羅漢の磯場。これも鳥海山から日本海に向かって西方に流れ出した溶岩と、海蝕によって作られたもの。)