葦原中国含水率拾割とはなりにける
[あしはらのなかつくに がんすいりつじゅうわりとは なりにける] 日本が「日本」と呼ばれるようになったのはわずか1300年ほど前、7世紀後半から8世紀初頭のこと。その前はもっぱら「倭」と呼ばれていた。また倭や日本が現在のように地理的に日本列島と重なるともいえず、その範囲は確かなことは不明である。物理的な距離や船運の機動性を考えると、現在の朝鮮半島の一部が日本であってもおかしくないし(その逆もまたしかり)、反対に北海道などはまったき外国であったとしてもなんら不思議なことではない。どこに住みどんな人間を「日本人」と呼ぶのかと、真面目に考えていけばいくほどわけがわからなくなる。/葦原中国(あしはらのなかつくに)は、秋津島、敷島、大八州、大和、瑞穂国などと同じく日本の別称のひとつ。
雨雲をかきわけ来たり梅雨の星
[あまぐもを かきわけきたり つゆのほし] 梅雨である。終日ではないにしても、外での仕事や用事を予定する場合はいつも雨に降られる可能性を頭においておかなければならない。単に雨の日が多いというだけでなく、不安定でめまぐるしく天気が変わることが多く、最新の3時間毎または1時間毎の予報でさえ外れることは珍しくない。メッシュが粗いので、それに漏れたごく局地的な雨ということもあるし。
夭折のやまかがし猫の首輪ほど
[ようせつの やまかがしねこの くびわほど] 人間が若くして逝ってしまうことを夭折というわけであるが、しかしながらいったいなにをもって夭折である・なしに分かれるのであろう。まず年齢であるが、赤ん坊や幼児や小学生くらいだと、病気であれ事故であれあまりにも早い死であって、ふつうは夭折とすら呼ばれない。やはり中学生以上の少年期からだろう。またいくつまでかといえば30代前半くらいまでかなという気はする。それは青年期の真っ盛りという感じであって、40代にもなるともう人によりけりではあるものの、やはり死んでも夭折とはふつうは呼ばれないだろう。/いやいや、じつは年齢区分もさることながら、実際に「夭折した◯◯」と称されるのは、小説家なら小説で、画家なら絵画や版画で、音楽家なら音楽で、平均水準よりはだいぶん高い成果を成した者でなければ、いくら少年期・青年期の真っ盛りに死んだとしても夭折した◯◯とは呼ばれない。結局その世界で生前であれ死後であれその仕事を高く評価された者のみが夭折と呼ばれるのにふさわしいのであって、三流芸術家や一般庶民の場合は何歳で死のうと夭折などという言葉とはほんとうは無縁なのである。