月別アーカイブ: 2月 2016

コーヒーブレーク 71 「かきまぜて」

 

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底冷のあいだみつをの暦かな

あいだみつをは有名人である。酒田市に在住したこともある吉野弘という詩人(故人)や、現在もっとも新聞・雑誌等で露出度の高い詩人と思われる谷川俊太郎の名前はたとえ知らなくとも、あいだみつをの名前を知らないという人はまずいないだろう。他家または飲食店の洗面室、ときに公的な施設のトイレなどで氏の言葉を表したカレンダーを目にすることは、あの「〜、人間だもの」といったフレーズに代表されるような氏のコピー(あえて詩とは言わない)に遭遇することはさそれほど珍しいことではない。/氏の言っていることは、その言葉自体はたいていの場合とりたてて変なわけではない。常識的でまっとうな言葉ではある。しかしわざわざ口に出すのは恥ずかしいような、あまりにもあたりまえすぎる言葉を、あそこまでどうどうと人目はばからず語られてしまうと私は妙に居心地がわるい。あいだみつをの暦を目にして「ああそのとおりだ」と素直にうなづけない私はきっと心がひどく汚れているのだろう。

隣国より風花数片来たりけり

花とはいうものの草木のそれではなく雪のことである。よく晴れた冬の日であるにもかかわらず、ちらちらと舞い降りる雪片のこと、またはその様をいう。地上ではさほど強い風が吹いているわけでもなく、空は青空で雲もほとんどないのに、たいした量ではないとはいえ陽に照らされながら雪が舞うのは不思議な感じがするし、たしかに桜の花が舞い散るのにも似た情緒がある。むろん今ではその科学的メカニズムはわかっているが、かつては天より来るひとつの僥倖としてとらえられたのも宜なるかなである。

かきまぜてきゅうと言えり闇鍋は

闇鍋というものをはるか昔の高校の山岳部の時代にたしか一度経験したことがあるように記憶している。その後、成人してから友人同士でも一度あったかどうか。それで結果がどうだったのかまではまったく思い出せないので、まあ普通に食すことのできる穏当な闇鍋であったのであろう。/闇鍋というからには、各自が持ち寄って鍋に投じた食材がなんであるかは秘密で、鍋の中がよく見えないくらいに周囲を暗くする。そしてめいめいが箸なりお玉なりで器にとって順繰りに食べるわけだが、なにに当たるかはお楽しみということだ。ただし「自分自身が食べることが可能なもの(好き嫌いはいちおう別として)」を最低限のルールにしないとさすがにまずいだろうな。闇鍋のせいで腹をこわした、食中毒が発生したなんてことになったら笑い話にもならない。

 

最上級の黒柿の下拵え 1

 

黒柿で丸形と角形の被蓋くり物を作るべく、木取→下拵えをしています。丸形のほうは旋盤で削るので、くり物というよりも挽き物(ひきもの)と呼んだほうがより適切かもしれません。写真はその丸形のほうの蓋の材料です。直径120〜130mm、厚さは33mmです。いま見えている側が下側(内側・凹側)になり、下のほうが天側(表側・凸側)になります。

ご覧のようにとにかく杢がじつにすばらしく、最高級かつ希少材である孔雀杢も表れています。とくに側面にはそれが顕著。当工房ではこれまで黒柿を素材とした小家具や小物類をそれなりにいろいろ作ってきましたが、材料的に今回の品は最上クラスのものであることはまちがいありません。

角形のほうについてはまた別に紹介します。

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ドリルのトリオ

 

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写真は、当工房でしょっちゅう使っている充電式ドリルです。左二つはドライバドリル、右はインパクトドライバです。なぜ似たものがいくつもあるのかですが、先端工具がみな異なりますね。一番左は下穴開け用の錐、真ん中は座ぐりカッター、右にはプラス2のネジ締め用のビットが付いています。

例えば木の板を木ネジを使って壁に止めるとすると、1)まずネジよりすこし小さい径の下穴錐で下穴をあけ、2)皿木ネジの頭の大きさに合わせて座ぐりをし、3)木ネジをねじ込みます。ドライバドリルは可変径のチャックなので、1〜3まで先端工具をそのつど取り替えながらでも作業は可能ですが、けっこう面倒です。まして何十本もあるネジ止めの場合などは、とてもそんな悠長なことはやってられません。

それでひとつのドリルはひとつの先端工具専用にして、先端工具の交換ではなく機械自体を丸ごと交換しながら作業をするわけです。この際に、一目でどのドリルがどの役割のものか判別できるように、ドリルをわざと色違いとしています。逆に14.4Vのリチウムイオンバッテリーはみな共通なので、万一途中で電池が弱くなれば即座に他のドリルのものから差し替えができます。

少なくとも私が知るかぎりでは、一台のドリルのみで先端工具をとっかえひっかえしながら作業しているような本職はいません。

 

黒柿の箱物の木取

 

今年10月に地元のデパート内の画廊で、個展を開く予定です。とはいうもののできている製品は、定番的な小物類若干以外あまりないので、大部分は個展向けに新しく作らないといけません。

昨年11月下旬くらいからそのつもりで作り始めてはいるのですが、今回の第三弾はクロガキ(黒柿)を材料とした「挽き物(旋盤で削って作るもの)」と「くり物」です。くり物の「くる」は掘るという意味ですが、厚目の板を掘り込んで器などを作ります。個展は蓋付きの箱ものを中心とするつもりなので、挽き物&くり物による箱物ということになります。

下の写真は黒柿の板をためつすがめつしながら、どこからどういうふうに木取をしてなにを作ったらいちばん材料が活きるかを思案しているところです。杢の良し悪しやバランスという点はもちろん最重要ですが、黒柿は生木からの乾燥過程で割れなどが発生しやすく、そうした割れや歪みや虫食・変色・腐れなどを除けながらの木取なので、頭がパンクしそうになります。ああいい杢だなあと思う部分にかぎって割れなどが入っていることが多いと感じるのは、マーフィーの法則でしょうかね。

また、これは何度も言及していることですが、黒柿は非常に貴重かつ値段の高い材料で、写真のような孔雀の羽根やさざ波を想わせる微細な杢板となると、おおよそm^3あたり2000〜3000万円(!)はするので、単価的に世界で最も高価な材料のひとつとなります。家具材で国内外で最近たいへん人気の高いアメリカン-ブラック-ウォールナットの幅広で無地の板でもm^3あたり100万くらいなので、黒柿がいかに頭抜けているかご理解いただけるかと思います。加工にも細心の注意が必要です。

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道路の消雪

 

雪景色のなかの黒い路面。一見するとてかてかに凍結した車道みたいですが、じつは山形県遊佐町の鳥海山麓に位置する三ノ俣(みつのまた)集落の、湧水を利用した消雪道路です。道は尾根状の小高い土地の上を走っているのですが、道路をずっと登っていき、別の尾根の先端に突き当たるあたり(「さんゆう」という観光施設があります)から大量の湧水が出ていて、それを冬の間ずっと路面に流して雪が積もらないようにしています。水深は数cm程度。長さは1.5kmくらいでしょうか。

いくら湧水があるといっても中途半端な水量であったり、水量が不規則であったりでは、路面に水を流すとそれこそスケートリンクのようになってしまって逆に非常に危険です。道路に四六時中ザブザブ流しても大丈夫なだけの豊富で安定した湧泉がなければこれは不可能です。この写真を見ただけでも、いかに鳥海山の湧水が豊かであるかがわかるというもの。もちろん全国的にもたいへん珍しい事例です。湧水に興味関心のある方は必見と思います。遊佐町ももっと外向けにアピールすればいいのに。

道路の左右の端は縁石が途切れることなく続いていて、せっかくの湧水が路外にもれないようにしています。また水が滞留したりあふれても困るので、路面のところどころにグレーチングを渡した排水溝が横切っていて、水量を巧みに調整するようになっています。

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鶯餅と桜餅

 

工房での昼食用の漬物や野菜などを買いにときおり訪れている、最寄りの産直の店に行ったところ、鶯餅と桜餅が並んでいました。餡子ものが大好きな私は、家族のぶんも含めて3パック計9個を買いました。

鶯が鳴くのも、桜の花が咲くのも当地ではまだまだ先のことなので、これは季節を先取りするというよりも単純に暦の上の「節分」または「立春」に合わせただけでしょう。ちょっと味気ない話ではありますね。実際にホーホケキョというさえずりが聞こえてきたり、桜の花があちこち咲き乱れる頃にはこういったいわゆる手作りの和菓子は姿を消してしまうのがとても残念です。

鶯餅はこし餡を求肥などで包み、やや細長く丸め、表面には黄な粉をまぶしたもの。鶯は実際には茶褐色で、よくいわれる鶯色のような緑味はおびていませんので、鶯餅は二重に「イメージ優先」の餅菓子といえるかもしれません。

桜餅のほうはこし餡を道明寺粉で包み、さらにそれを塩漬けした桜の葉(主にオオシマザクラの葉)で包んだもの。長命寺というクレープのような形の別のタイプの桜餅もあるようですが、私は断然道明寺派です。葉っぱはもちろんいっしょに食べます。

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栓変杢&タモ波杢の被蓋くり物、5点完成

 

セン(栓)の変杢1点、タモ波状杢4点、あわせて5点の角形被蓋くり物が完成しました。指物ではなく、蓋も実も厚板を掘り込んで箱状にしたものです。蓋にはおもしろい杢の出ている材料を、実にはそれと対照的にノーマルな無地柾目板の材料を用いています。同じ種類の材料(ものによっては同一の丸太)でも取る場所や使う向きによってこれほど表情が異なるという点も、天然木ならではの得難い魅力です。仕上げは外部は半艶、内部は艶消しの塗装を施しています。

今年10月に地元の画廊で個展を行なうことになっていますが、それに出品するつもりで製作しているものです。寸法等はそれぞれの写真の下に記していますが、販売価格については個展開催の直前にならないと確定しません。それでも製作原価から計算してのおおよその値段はわかりますので、仮予約という形での予約は受け付けます。ご興味のある方はメールにてお問い合わせください(すでにNo.506は仮予約をいただいています)。

 

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No504 栓変杢角形被蓋くり物 サイズ 幅215×奥行131×高さ51×実の深さ33mm 近くに大きな枝が生えていたのだと思いますが、エビかなにかの動物を想わせるようなおもしろい杢が出ていたので、それに合わせて木取しました。42mm厚の板を掘り込んでいます。

 

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No.505 タモ波状杢角形凹面被蓋くり物 サイズ 幅185×奥行135×高さ41×実の深さ25mm 以下4点の蓋は同じ一枚の板から木取しています。みごとな波状の杢が出ていたので、それを最大限いかすようにしました。削っていったらあいにく中から入り皮がすこし表れてきたこともあって、通常とは逆に凹面の蓋にしています。が、これ以上凹ませるとあぶないので、入り皮を完全に除去することはできませんでした。

 

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No.506 タモ波状杢角形被蓋くり物 サイズ幅 185×奥行135×高さ42×実の深さ24mm 505の隣り合わせの材料です。年輪自体がうねった細かい波状杢が蓋の幅いっぱいに出ており(見えているぶんだけで100本=100年以上)、その濃淡のストライプ模様がたいへんモダンな雰囲気をかもしだしています。 売切れ

 

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No.507 タモ波状杢角形被蓋くり物 サイズ 幅180×奥行130×高さ42×実の深さ24mm 505・506とは木取の向きを90度変えています。器の長手方向を年輪の向きと一致させており、これがふつうの作り方です。材料的には波状杢の出ている部分の幅がやや狭くてもだいじょうぶなので、505・506よりは作りやすいです。落ち着いた雰囲気です。

 

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No.508 タモ波状杢角形被蓋くり物 サイズ 幅180×奥行130×高さ42×実の深さ23mm 507の隣り合わせの材料で、外形寸法も同じですが、蓋の四周の縁をかなり丸くしたことで、ずいぶん雰囲気が異なりました。波状杢も全面にきれいに出ています。 売切れ

 

コーヒーブレーク 70 「刃こぼれ」

 

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家屋敷艦隊のごとくに地吹雪

地吹雪は基本的には地面に降り積もった雪が、強風でまた舞い上げられて吹雪となることである。したがって空は晴れているのに、地上0〜3mだけがまったく視界を閉ざされた猛烈な吹雪、ホワイトアウトになることもそう珍しいことではない。ことに庄内平野は国内でも有数の地吹雪の名所であるらしい。日本海にそって小高い庄内砂丘があるとはいえ、北西の風が直接平野に吹き付けるからであり、その平野も田んぼがほぼすべてを占める平坦地だからだろう。風をさえぎるものがほとんどない。基盤整備が成され、碁盤の目のような整然と並んだ大面積の水田耕作は、この庄内平野が全国的にももっとも早かったと聞いたことがある。/農家の集落は、今でこそ車で移動運搬が基本だが、昔はとにかく歩くしかなかったので、自家の田んぼにほど近いところに居を構えたのは当然である。数十戸程度の規模の集落が広大な平野に点在するのはそのためだ。激しい地吹雪のときに徒歩で隣の集落に出向くのは、文字通りに命がけであった。/そういえば自分の子供時分にも大雪+地吹雪のために臨時休校なんてことも何度かあったような気がする。今のようなちゃんとした防寒着もないしね。

煮凝や向こうから誰かが凝視

父親は生前よく自ら出刃包丁を握って井戸端で魚をさばいていた。日本海に数kmという距離であるということもくわえて、食卓にはよく新鮮な魚がのぼった。父が自分で魚を捕るのは、夏場に川魚を若干という程度にすぎなかったので、魚は主に近所の魚屋か行商の魚売りから買うことが多かった。大半が日本海の近場の港にあがった魚である。冬はよく煮凝りも食べた。煮魚の汁にしみ出たゼラチン質が、室内ながら外気温とさほど変わらない台所の鍋の中で固まるのである。夕食用にとっておいた煮凝りを、腹を減らした小学生(私)がつまみ食いでぜんぶ平らげてしまって怒られたこともある。

冬晴や空の下端の刃はこぼれ

当地の冬の晴れの日は極端に少なく、平年最も少ない月の2月だと平均してわずか2日だけだときいたことがある。それだけに冬場にたまに晴れた日は、格別のうれしさがある。晴天であるのみならず、風もほとんどないとなればうれしさが倍加する。雪が積もった山野がはるか遠くまでくっきりと見え、いつもはかすんで見えない朝日連峰の白い峰々がひとつひとつ指呼できるときなどは、いつまでも飽かずそれを眺めていることがある。/鳥海山中腹の南面にスキー場開発という計画が1984年にコクドより発表され、旧八幡町は県のバックアップも得て積極的に推進。しかし強い反対運動が起こり紆余曲折の末、13年後1997年に計画中止をコクドが表明し、スキー場計画は頓挫した。希少種のイヌワシの存在がスキー場を止めたとも喧伝されるが、それも理由のひとつではあっても、ほんとうのかつ最大の理由は冬場の悪天候と、すでにスキー人口の減少をコクドが明確に予測したからである。もしスキー場が計画のままにできていたら、悪天候による稼働日数の低下や、遭難者の発生等により、ほどなく閉鎖においこまれたであろう。あとは膨大な負債と倒産・失業者をかかえて、旧八幡町は没落したにちがいない。ちなみにコクドそのものも2006年に解散している。

 

スパゲッティを茹でる

 

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工房での昼食はほとんどすべて自炊です。自分ひとりだけの食事なので、ご飯を炊いてみそ汁と漬け物各種を並べるか、ときどきはスパゲッティやうどんを茹でるだけのごく簡単なものです。料理にあまり手間ひまをかけるのは私個人的には時間(と人生)の無駄としか思わないので、これで十分です。もっとも食材の質自体にはわりあい気をつかっています。

そのスパゲッティも大量の湯をわかすのはもったいないので、工房にひとつだけある直径20cmの片手鍋で茹でるので、最初に沸騰した湯に麺を投じる際は、麺同士がくっついたりせずに満遍なく熱が伝わるように、写真のような具合に鍋に入れます。案外これは知らない人もいるみたいですが、手で束ねた麺をタオルを絞るようにして軽くひねってから手を離すと花が開くようにうまく散らばります。今回のは撮影もしなければと思いながらあわててやったので、まだむらのある広がり方ですが。

このあと鍋から飛び出した部分を手で順ぐり中に押してやると、自然と麺がからまったりすることなく鍋に没入します。あとは太箸でときどき軽くかき回すだけ。麺同士がくっついて生煮えだったりするスパゲッティは、とうぜんおいしくはないので、茹で加減だけはとくに注意です。具材はいちばんシンプルなのは少量のバージンオリーブオイルと醤油を麺とからめただけのもので、これがぜんぜん飽きもこないしとてもおいしいです。