底冷のあいだみつをの暦かな
あいだみつをは有名人である。酒田市に在住したこともある吉野弘という詩人(故人)や、現在もっとも新聞・雑誌等で露出度の高い詩人と思われる谷川俊太郎の名前はたとえ知らなくとも、あいだみつをの名前を知らないという人はまずいないだろう。他家または飲食店の洗面室、ときに公的な施設のトイレなどで氏の言葉を表したカレンダーを目にすることは、あの「〜、人間だもの」といったフレーズに代表されるような氏のコピー(あえて詩とは言わない)に遭遇することはさそれほど珍しいことではない。/氏の言っていることは、その言葉自体はたいていの場合とりたてて変なわけではない。常識的でまっとうな言葉ではある。しかしわざわざ口に出すのは恥ずかしいような、あまりにもあたりまえすぎる言葉を、あそこまでどうどうと人目はばからず語られてしまうと私は妙に居心地がわるい。あいだみつをの暦を目にして「ああそのとおりだ」と素直にうなづけない私はきっと心がひどく汚れているのだろう。
隣国より風花数片来たりけり
花とはいうものの草木のそれではなく雪のことである。よく晴れた冬の日であるにもかかわらず、ちらちらと舞い降りる雪片のこと、またはその様をいう。地上ではさほど強い風が吹いているわけでもなく、空は青空で雲もほとんどないのに、たいした量ではないとはいえ陽に照らされながら雪が舞うのは不思議な感じがするし、たしかに桜の花が舞い散るのにも似た情緒がある。むろん今ではその科学的メカニズムはわかっているが、かつては天より来るひとつの僥倖としてとらえられたのも宜なるかなである。
かきまぜてきゅうと言えり闇鍋は
闇鍋というものをはるか昔の高校の山岳部の時代にたしか一度経験したことがあるように記憶している。その後、成人してから友人同士でも一度あったかどうか。それで結果がどうだったのかまではまったく思い出せないので、まあ普通に食すことのできる穏当な闇鍋であったのであろう。/闇鍋というからには、各自が持ち寄って鍋に投じた食材がなんであるかは秘密で、鍋の中がよく見えないくらいに周囲を暗くする。そしてめいめいが箸なりお玉なりで器にとって順繰りに食べるわけだが、なにに当たるかはお楽しみということだ。ただし「自分自身が食べることが可能なもの(好き嫌いはいちおう別として)」を最低限のルールにしないとさすがにまずいだろうな。闇鍋のせいで腹をこわした、食中毒が発生したなんてことになったら笑い話にもならない。