月別アーカイブ: 12月 2016

小型の時計2種類完成

 

定番の小型の時計2種類が完成しました。ひとつは掛け時計 002で、直径118mm×厚さ22mmのサワグルミ(沢胡桃)製。時刻をあらわす数字のかわりにスリットを12カ所外周に入れています。フエイスはすこし膨らみ。吊り紐は革製で、標準は無着色のヌメ革ですが、赤・深緑・茶・焦茶・黒の革もすこし在庫があったのでそれも一部使ってみました。

小型なのでトイレや洗面脱衣室、キッチンなどに向いていると思います。軽量なので、石膏ボードに細いピンで打って止めるタイプの小さなフックなどでも大丈夫です。
税込価格6500円(送料は個数にかかわらず一律500円)

 

 

もうひとつは置時計 001です。幅94mm×奥行46mm×高さ100mmのウォールナット製。厚板を掘り込んで作っています。仕上げは上記の掛時計002と同じくウレタン艶消塗装。この置時計(卓上時計)は時刻の数字を打刻したあとに白くペイントしています。いくらか膨らみのあるフェイスは後方にすこし傾斜していますが、これは本体の厚みをいかして底面を斜めにカットすることで可能にしています。
税込価格8500円(送料は個数にかかわらず一律500円)

 

2種類ともこのあとパッケージングなどもしなければいけませんので、発売は12月20日頃の予定です。今回作ったのはそれぞれ十数個ですので、ご希望の方はご予約ください。

 

小型置時計製作中なり

 

当工房の定番製品である小型の置時計を作っています。長らく在庫切れとなっていたのですが、先日の個展でご注文をいただきましたので、これを機に十数個製作しているところです。

ウォールナットを用い、仕上がりのサイズは縦・横約10cmのほぼ正方形で、厚みは46mmですが、正面の文字盤が球体の一部を切り取ったような凸面となっているため、それを旋盤で加工します。また裏面はムーブメントがすっぽり入るように深く掘り込みます。

写真の1枚目はムーブメント用の裏側の掘り込みで、型板を当てて所定の径と深さになっているか確認しています。2枚目は、次いで表の文字盤(フェイス)の曲面も切削したものを、バンドソーで仕上+1mmくらいでざっと切断しています。この後に横切丸鋸盤で正確にカットするのですが、最初から円盤状の形のものを丸鋸板で切るのは非常に危険です。

3枚目は基本成形が終わったところですが、置いたときに フェイスがいくらかのけぞるように底面だけすこし傾斜をつけてカットしています。4枚目はサンディングペーパーを180番→240番→320番と各面に手がけをし、各エッジを1mmほど面取りをしたものを塗装しているところです。1回目の下塗(サンディングシーラー)を終えたあとで1〜12までの数字を打刻+ペイントをします。

 

 

 

 

青猫句会 2016.11.23

 

青猫句会11月ぶんです。本来は第三水曜日の16日だったのですが、メンバーの急な事情で1週間延期しました。酒田駅にほど近い「アングラーズ・カフェ」というお店を借り切って、午後6:30〜9:00に開催。今回の参加者は相蘇清太郎・今井富世・大江進・大場昭子・齋藤豊司・佐藤歌音・佐藤や志夫(やは弓+爾)・南悠一、投句のみは土田貴文の各氏で、合わせて9名でした。

句会は其の一と其の二に分けて行われます。参加者は事前に2句を無記名投句、おおむね当季の季語を入れるということになっています。
では其の一から。

1 冬の野を当てなく漂う捨聖
2 日輪の恵みまるごと柿熟るる
2 かざぐるま止まずガリヴァー沖渡る
1 鐘の音の聞く耳持たぬ冬菊よ
1 団栗の独楽と聞き入る静けさや
3 どの木にも風の行方や野分晴
3 小春日やまだ温き壷腿にあり
3 黄落や捨てたきものの捨てどころ
0 空高し実の無き柚子を白くして

得点はばらけました。最高点3点句は3句あります。まず<どの木にも風の行方や野分晴>ですが、強い風が吹き荒れた後の穏やかな晴天。枝葉が風によって折れたり葉が散ったり、あるいは昨今だとゴミがひっかかっていたりするかもしれません。烈風による被害もあるでしょうが、一方では人智を越えた自然を前に一種の開放感もあります。作者は私です。

次の3点句<小春日やまだ温き壷腿にあり>ですが、壷が火葬後の骨を入れる骨壷であることが想像できます。しかし普通は「膝」とするところをわざわざ「腿」とする必然性はとくに感じられませんし、腿にするとどうも妙な意味合いがたちあがってくるような気がして、私は取れませんでした。「小春日」と「温き」の重なりもどうでしょうか? 作者は佐藤や志夫さん。

三つ目の3点句は<黄落や捨てたきものの捨てどころ>です。長い月日の間に身辺に厚くまとってしまったものを、ひとつひとつ外して捨ててしまいたいと思うことがあります。もちろん”断捨離”のように物を捨てる整理するということではありません。意味の取りようによってはかなり深刻な場面になりそうなところを、紅葉ではなく黄葉の明るい落ち葉であることによって救われているようです。私も取りました。作者は大場昭子さんです。

2点句はふたつあります。<日輪の恵みまるごと柿熟るる>は、柿と太陽・お日様との取り合わせはいかにも常識的であり常套的すぎます。別のもっとなにか意外なものによって柿が熟れるのだ、というくらいの独自な発想が必要。作者は佐藤歌音さん。

<かざぐるま止まずガリヴァー沖渡る>は面白い句です。私も取りました。小さくてかわいらしいものと巨人との対比があり、どういう状況なのかよくわからないながらも惹かれるものがあります。ところが作者の南悠一さんによると「かざぐるま」は春の季語ともなっている玩具のかざぐるまのことではなく、海辺に立ち並ぶ風力発電用の巨大な風車のことだそうです。う〜ん、あれをかざぐるまと呼ぶのはちょっと無理なように思いますし、それであれば誤解をまねかないように「風車」としたほうがいいのでは(ただそれだと青猫句会のルールである当季の季語を入れる、に反することになりますが)。

1点句ならびに無得点句については、キンタロー飴、あるいは??ということで、すみませんが省略します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

其の二にいきます。

2 凍港へおるやおらぬや晩の風
1 愚痴ありき呟きありきなどか秋
2 距てられ霧の中から霧を見る
1 拾ひたる肘の金具や草紅葉
3 冷ややかに甌穴の眼の二三十
1 山ひとつ花束にして山装ふ
3 諄々と血はしづもれて柘榴かな
2 一風に衣ぬぎたる老紅葉
1 夜の秋葉落つる如く風少し

やはり得点はばらけました。最高点の句<冷ややかに甌穴の眼の二三十>は、まずもって「甌穴」のその読みも意味も不明という人が多かったです。海辺や河川の岩の上にあいた丸穴のことで、かめの穴のようだということで甌穴。しかし今は英語でポットホールと説明するほうが一般的なようです。そういう自然にできた穴がいっぱいあってまるで眼のようだというのですから、ちょっと不気味かもしれません。「冷ややか」は秋の季語ですから、水が澄んでいる、空気が透明感があるといったことも背景にあります。作者は私です。

もう一つの3点句<諄々と血はしづもれて柘榴かな>は、各人のザクロに対するイメージによって評がかなり分かれました。鬼子母神伝説にあるような陰惨な流血を連想する人もいれば、私のようにザクロそのものの透明感のある赤い美しい種子を想い浮かべる人も。鎮もれるですから後者でしょうね。私も取りました。作者は南悠一さん。

次点2点句は3句あります。<凍港へおるやおらぬや晩の風>は、なぜ「夜」ではなく「晩」なのか、在・不在は人間なのか風なのか……。私には読み取ることができませんでした。作者は土田貴文さん。今回は投句のみで欠席だったため、作者の弁をきくことはできませんでした。其の一でも同様だったのですが、他者には伝わりにくい表現のしかたで、一考を要すると感じています。

<距てられ霧の中から霧を見る>は暗中模索という様なのでしょうか。霧の中で霧しか見えない……。心情的にはわかるような気がしますが、漠然としており観念的で、まだ詩歌にまで昇華されていないと思います。作者は大場昭子さん。<一風に衣ぬぎたる老紅葉>は、色あせた紅葉が一陣の風でいっきょに散ってしまったということですが、まあそのままですね。作者は今井富世さん。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

今さらいうまでもないことだとは思いますが、自分が感じたこと思ったことを俳句というかたちにして句会で披露するということは、他者にもその思いを伝えたい、わかってほしいということでしょう。誰もわからなくともいいのだということであれば公開する必要はありません。難しいことではありますが、自分の作品を第三者の眼と立場に立って、その表現された十七音だけを手がかりにしてどれだけ読み取れるかという観点でよくよく推敲するべきかと思います。

それから季語ですが、歳時記の記載を絶対視するわけではないものの、あまりにもそれから外れた使用方だと、やはり他者には句意が伝わりません。一句ごとにいちいち歳時記で季語の確認をしてほしいと思います。

 

旧蕨岡道を駒止から鳳来山まで その2

 

前回12月5日に続いて、「旧蕨岡道を駒止から鳳来山まで」の後半部分です。主に稲作用の溜池である水呑ノ池までは、その池や水路を点検管理するための歩道が駒止の先からと、さらに嶽ノ腰林道を500mほどすすんだ地点からとの2本があります。後者は堤防工事や池の点検管理のための新しい作業道です。

したがって水呑ノ池まではときどきに集落の人たちが訪れるので、歩道もほぼ問題なく歩けるように手入れがなされています。しかしその先の、湯ノ台口の南高ヒュッテ近くまでの旧蕨岡道は、戦後はほとんど利用する人がなくなって荒れ果てていました。20年近く前に私が初めて遭遇したときは道型はしっかりついているものの、太さ15〜20cmはある樹木と密生した灌木と笹で道が覆われていました。

この道は鳥海山の山道のなかでも最も古くかつ賑わったメインルートであり、ふたたび通れるように整備すればいろいろな面で利用価値が高いということで、不通区間の刈払をすることにしました。15年くらい前です。最初は私一人で折りたたみ鋸でぎこぎこやっていたのですが、翌年くらいから東京都武蔵野市の関前南小学校の5年生の生徒数十名にも手伝ってもらいました。当時宿泊体験学習ということで遊佐町になんと9泊10日で来訪されていた子供たちです。現場で実際に作業できる時間は1時間ほどしかないのですが、3年かけて2003年10月に1.2kmの刈払が終了しました。

 

dscn8838_2
ツキノワグマの足跡。大人の手の平くらいの大きさ。これは水呑ノ池から旧道にすすんだすぐのところの「水呑」という場所のものだが、じつはこれより前の地点ですでに2回足跡に出会っている。ついたばかりの新鮮な足跡なので、もしかすると同一個体かもしれない。このあたり一帯はクマが多いということは以前から知っていたし今日は私一人の単独行なので、ときおりホイッスルを鳴らしながら登ってきた。クマの足跡に遭遇してもああやっぱりなという感じだけで、怖いとは思わなかった。

dscn8841_2
主稜線に上がったところ。庄内平野で遊佐町や酒田市あたりから鳥海山を眺めたときのスカイラインとなる尾根なので、左右ともに開けており眺望がたいへんいい。しかしところどころ深さ1.5〜2mほどの凹みになっているところもあり、昔は往来が頻繁であったことが実感できる。

dscn8842_2
しだいにブナが優占してくる。ただし風がもろにあたる尾根の上なので、幹や枝は曲がりくねっているものが多い。樹間から鳥海山上部の真っ白に雪をかぶった姿が見えた。

dscn8847_2
不通だった頃の予備調査で、私が最初に出会ったときは倒れて半ば土に埋もれていた陶製の祠である(見つけてすぐ泥をはらい上に立てた)。参詣道の祠というとほとんどみな石でできたものであるが、瓦と同様の土と釉薬でできた陶製のものはきわめて珍しいと思う。「奉納 羽後酒田港亀ケ崎古城内 國松重次郎」と刻まれており、有力な旦那衆が職人に作らせて人夫にでも担がせてここに持ってきたものであろう。背後の朽ちた大木はクロベかアスナロだが、10年近く前に残念ながら枯れてしまっている。

dscn8851_2
祠のあるところから200mもすすむと湯ノ台口の登山道と合流する。分岐点には右側杉沢、左側湯ノ台の標識がある。写真はここから鳳来山のほうにさらに登っていったところで、樹木がほぼブナの純林に近い状態になった地点のもの。分岐点からは約1kmで、このすぐ先にソブ谷地との分岐点のT字路があるが、ソブ谷地方面はほぼ廃道といっていいほど荒廃している。積雪は20〜30cm。

dscn8854_2
下山してきて水呑ノ池を反対側からみたもの。手前が池口で、湧水起源の沢水が流入しているためこちら側はまだ凍結していない(厳寒期に訪れたことはないので、全面凍結するかどうかは不明)。

dscn8860_2
池に近い部分の、池から流下する用水路。水は池の底の排水弁の調整による。この写真では明瞭にわかるが、尾根の真上に川が流れているなどということは自然状態ではありえないことである。勾配がゆるいのでこのあたりは川底があまり洗掘されていない。

・・・・・・・・・・・・

以上2回にわたって旧蕨岡道を紹介してきましたが、春先や紅葉の頃はすばらしい景観があり、さまざまな花が咲いています。参詣の歴史的なことがらに思いをはせるのにも絶好の場所です。冬場もカンジキを履いてくれば鳳来山くらいまでなら、冬山登山のベテランでなくとも参加可能なツアーが組めるでしょう。みなさんぜひ歩いてみてください。ただしとくに単独行の場合はクマに注意です。おすすめは鈴ではなくホイッスルです。

 

旧蕨岡道を駒止から鳳来山まで その1

 

先日(11/30)、鳥海山のかつての主要な参詣道であった旧蕨岡道に行ってきました。神道的には鳥海山自体がご神体であって、とうぜん本殿は頂上にあります。しかし日常的にかつ誰もが頂上まで参拝に登るというのは困難もしくは不可能なので、山形県側の麓には吹浦と蕨岡にそれぞれ、里宮(口ノ宮)である吹浦大物忌神社と蕨岡大物忌神社があります。

戦前くらいまではこの里宮を起点として頂上に至る参詣道の吹浦道と蕨岡道は「ぞろぞろと人が連なって」という表現が誇張ではないくらいに夏場は登る人が多かったようです。しかしその後、しだいにお山参りの慣習も希薄になり、また1970〜80年頃に山岳観光道路の鳥海ブルーラインと鳥海高原ラインが標高1100m付近まで開削されたことによって、急速に参詣道の過半はすたれてしまいました。鉄道の羽越本線と国道7号線が通った吹浦のほうはまだしも、それらから外れてしまった蕨岡はかつてのにぎわいはうそのようです。

登山用のガイド本・地図などでも、「蕨岡口」として載っているのは本来の参詣道ではなく、戦前戦中にソブ谷地の鉄鉱床を採掘搬出するために開かれた嶽ノ腰林道を利用して鳳来山の西側斜面に至るルートです。私自身、20年近く前に湧水の探索をしていて偶然に旧蕨岡道の跡をみつけるまでは、蕨岡道とは昔からソブ谷地経由のものだとばかり思っていました。鳥海山登山で何度も通過しているにもかかわらずです。

現在、蕨岡からその東側の集落である杉沢〜褄坂〜月ノ原までは舗装された車道があり生活道路ですが、その先は嶽ノ腰林道の砂利道です。その林道に入って間もなく300mくらいのところの道の左側にちょっとした平地があり駒止の笹小屋の跡があるのですが、それを過ぎてさらに600mほど行ったところで車を停め、右手の尾根に向かって旧蕨岡道の山道に入りました。林道の向かいの反対側は月光川本流右俣の西ノコマイ左岸の牧場に降りていくY字路の分岐になっています。

 

dscn8808_2
林道のすぐそばの杉林の一画に車1台分程度の駐車スペースがある。ここからは歩きだが、幅50cmほどの水路に沿って数十mゆるくのぼっていくと、水路が二手に分かれる。道は水路に沿ってどちらにもついているが、右側の細めの水路に従ってさらに約60mほど行くと「弘法水」という湧泉に突き当たる。大きな岩の下から水が湧いているが、水温は9.3℃あり、気温1.3℃に比べずいぶん暖かく感じる。標高は約350m。パイプは嶽ノ腰林道の下をくぐって、たしか牧場の飲料水として利用されていたように思う。この湧泉は元々は月ノ原側の北のほうではなく、南側にすぐ流れ落ちて熊野川に直に注いでいたらしいことが地形から判断できる。

dscn8812_2
弘法水を過ぎるとすぐに道は屈曲し、先ほどの左側の水路に沿って延びていくようになる。すこし登って後ろを振り返ると庄内平野と日本海が見える。この日は積雪は20cm程度で、長靴だけでまだ大丈夫であった。もう少し深くなればカンジキが必要になるだろう。

dscn8817_2
水路は赤土に素堀の人工の用水路で、作ってから60年以上経っており、だいぶ掘れてしまっている。深いところは岸辺から水面まで2m以上あるところも。傾斜の急なところは水路の底がまるくえぐれており、まるでポットホール=甌穴のようだ(こういうのはポットホールとは呼ばないのだろうか?)。

dscn8822_2
落葉広葉樹林のなかに続く水路。参詣道の蕨岡道はこの水路の管理道と重なったり平行したりしながらずっと上まで続いている。

dscn8825_2
登るに連れて杉の植林帯も消え、広葉樹林もしだいにブナが優占となってくる。このあたりで標高450mほど。

dscn8827_2
標高500m近くになると道は用水路から離れる。左側の尾根筋(写真は逆方向で写しているので右側)から道は3mほど下にあり、V字型に深くえぐれている。これはおそらく人の往来が激しいために植生がなくなって裸地化し、雨が降るたびに浸食していったためと思われる。1年当たり仮に3mmでも1000年も経てば3mになってしまうわけである。これを見てもいかに利用頻度の高いメインルートであったかが分かる。しかしこれだけ深く狭くなると歩きずらく、すれ違いも難しくなるので、実際この道の外側には2本3本のバイパスができている。

dscn8831_2
V字型の隘路をすぎるとほどなく道は二手に分かれる。おそらく右側の薮化しているほうが元の参詣道で、標高544mの小ピークの南側を巻いてから次の鞍部を越えた先で「水呑」という飲料水等の補給地に出ていたと思われる。が、現在は道は左手に折れて544mピーク手前の鞍部を越していくようになっている。そこを過ぎるとすぐに目の前に「水呑ノ池」が広がる。大きさは約1ヘクタール。/以前は湿地だったのを、戦後に大井建設の請負で西側に高い堤防を築いて溜池にしたという。堤防を築く前は湿地からの水はダイレクトに南南西に流れ、月光川本流の右俣である南ノコマイに合流していた。現在は池からの水は用水路によって南西方向に運ばれ、途中の湧泉の水も加えて月ノ原と褄坂の集落に広がる水田等に利用されている。水源は元湿地東側の沢の水だけでなく、なんとソブ谷地の湧水を人工水路で尾根を越えて合流させている。/現在の地形図では水呑ノ池の南側に池尻があり熊野川に注いでいるように描かれているが、これは豪雨時などに堤防が破壊されないようにするためのオーバーフローだ。

dscn8836_2
湧水を主な水源とする沢水が流れ込んでいるので、南側の半分くらいは池面が凍結していない。そこにカイツブリかと思われる水鳥がひと番い浮かんでいた。

水呑ノ池から先は次回に掲載します。乞うご期待。

小型の置時計の製作

 

定番の製品として作っている置時計は当工房では1種類だけです。先日の個展(酒田市・清水屋の画廊にて11/2~8)に見本品を展示したところ、いくつか予約注文をいただきました。

材料はアメリカン-ブラック-ウォールナットです。長い名前なので通常略して「ウォールナット」と称されているものがこの樹で、アメリカ産です。クルミの仲間ですが、日本産のオニグルミなどにくらべるとずいぶん色が濃いです。まさにブラックという感じですね。気乾比重は0.64で、比較的重いほう。硬めの材料のわりには加工しやすく、接着性と塗装性も良好。乾燥したあとは狂いにくく強度と耐久性も高いです。

洋家具の材料としては古来よりたいへん人気があり、北米では数百年前から計画的な植栽と材木生産が行われていますが、人気があり需要が多いぶん材料単価はかなり高いほうの部類になります。厚手の板で無地となると80万/㎥以上するでしょう。今回のこの置時計の場合は、デザインと機能上の観点から素材厚で51mm(約2インチ)は必要なので、材料コストとしては頭の痛いところです。

下の写真は素材の板を厚さ46mmに下拵えしたあと、径約140mmにバンドソーで丸くカットしたところです。製品は前面の文字盤が曲面=球体の一部になっているので、旋盤でそれを削り出した後に、縦・横100mmほどに四角にカットします。材料的にはずいぶん無駄が出るわけですが、きれいな曲面を作り旋盤加工する際の安全面からはやむをえません。色の濃いのと薄いのとツートンカラーになっているものがありますが、外周部で後からカットする部分にクルミなどの端材を接着したためです。「幅150mmくらいの欠点のない厚手のウォールナット材」という時点ですでにかなりハードルが高いので、家具材には使えないような寸法のものをできるだけ活用するようにしています。

dscn8806_2

 

カンニングペーパー?

 

dscn8869_2

 

ジオパークの案内をする際に、一日または半日の間に一カ所だけでなくいくつものジオサイトを連続的に回ることが多いので、必然的にタイムスケジュールは非常にタイトなものになります。ある場所で10分予定をオーバーしてしまうと、次の場所では10分予定を縮めないといけなくなり、とりわけ同じガイドではなく別の人が別の場所のガイドをする場合は、はっきり言ってとても迷惑な行為となってしまいます。

ちゃんとしたガイドであれば参加者(お客)の構成や、持ち時間に合わせた案内をあらかじめ用意し現地の下見やガイドのシミュレーションをしているので、それが無駄になってしまうおそれすらあるわけです。私自身も案内に夢中になってしまい、つい時間を失念してしまう可能性がないわけではないので、最近は写真のように時間のメモを腕時計に貼付けるようにしています。目立たず、しかし一目瞭然というわけです。

宇宙飛行士がミッションやマニュアルの要諦をコンパクトに記したものを、そのときどきに腕に巻き付けていますが、おおげさにいうとそんな感じですね。