旧蕨岡道を駒止から鳳来山まで その1

 

先日(11/30)、鳥海山のかつての主要な参詣道であった旧蕨岡道に行ってきました。神道的には鳥海山自体がご神体であって、とうぜん本殿は頂上にあります。しかし日常的にかつ誰もが頂上まで参拝に登るというのは困難もしくは不可能なので、山形県側の麓には吹浦と蕨岡にそれぞれ、里宮(口ノ宮)である吹浦大物忌神社と蕨岡大物忌神社があります。

戦前くらいまではこの里宮を起点として頂上に至る参詣道の吹浦道と蕨岡道は「ぞろぞろと人が連なって」という表現が誇張ではないくらいに夏場は登る人が多かったようです。しかしその後、しだいにお山参りの慣習も希薄になり、また1970〜80年頃に山岳観光道路の鳥海ブルーラインと鳥海高原ラインが標高1100m付近まで開削されたことによって、急速に参詣道の過半はすたれてしまいました。鉄道の羽越本線と国道7号線が通った吹浦のほうはまだしも、それらから外れてしまった蕨岡はかつてのにぎわいはうそのようです。

登山用のガイド本・地図などでも、「蕨岡口」として載っているのは本来の参詣道ではなく、戦前戦中にソブ谷地の鉄鉱床を採掘搬出するために開かれた嶽ノ腰林道を利用して鳳来山の西側斜面に至るルートです。私自身、20年近く前に湧水の探索をしていて偶然に旧蕨岡道の跡をみつけるまでは、蕨岡道とは昔からソブ谷地経由のものだとばかり思っていました。鳥海山登山で何度も通過しているにもかかわらずです。

現在、蕨岡からその東側の集落である杉沢〜褄坂〜月ノ原までは舗装された車道があり生活道路ですが、その先は嶽ノ腰林道の砂利道です。その林道に入って間もなく300mくらいのところの道の左側にちょっとした平地があり駒止の笹小屋の跡があるのですが、それを過ぎてさらに600mほど行ったところで車を停め、右手の尾根に向かって旧蕨岡道の山道に入りました。林道の向かいの反対側は月光川本流右俣の西ノコマイ左岸の牧場に降りていくY字路の分岐になっています。

 

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林道のすぐそばの杉林の一画に車1台分程度の駐車スペースがある。ここからは歩きだが、幅50cmほどの水路に沿って数十mゆるくのぼっていくと、水路が二手に分かれる。道は水路に沿ってどちらにもついているが、右側の細めの水路に従ってさらに約60mほど行くと「弘法水」という湧泉に突き当たる。大きな岩の下から水が湧いているが、水温は9.3℃あり、気温1.3℃に比べずいぶん暖かく感じる。標高は約350m。パイプは嶽ノ腰林道の下をくぐって、たしか牧場の飲料水として利用されていたように思う。この湧泉は元々は月ノ原側の北のほうではなく、南側にすぐ流れ落ちて熊野川に直に注いでいたらしいことが地形から判断できる。

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弘法水を過ぎるとすぐに道は屈曲し、先ほどの左側の水路に沿って延びていくようになる。すこし登って後ろを振り返ると庄内平野と日本海が見える。この日は積雪は20cm程度で、長靴だけでまだ大丈夫であった。もう少し深くなればカンジキが必要になるだろう。

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水路は赤土に素堀の人工の用水路で、作ってから60年以上経っており、だいぶ掘れてしまっている。深いところは岸辺から水面まで2m以上あるところも。傾斜の急なところは水路の底がまるくえぐれており、まるでポットホール=甌穴のようだ(こういうのはポットホールとは呼ばないのだろうか?)。

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落葉広葉樹林のなかに続く水路。参詣道の蕨岡道はこの水路の管理道と重なったり平行したりしながらずっと上まで続いている。

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登るに連れて杉の植林帯も消え、広葉樹林もしだいにブナが優占となってくる。このあたりで標高450mほど。

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標高500m近くになると道は用水路から離れる。左側の尾根筋(写真は逆方向で写しているので右側)から道は3mほど下にあり、V字型に深くえぐれている。これはおそらく人の往来が激しいために植生がなくなって裸地化し、雨が降るたびに浸食していったためと思われる。1年当たり仮に3mmでも1000年も経てば3mになってしまうわけである。これを見てもいかに利用頻度の高いメインルートであったかが分かる。しかしこれだけ深く狭くなると歩きずらく、すれ違いも難しくなるので、実際この道の外側には2本3本のバイパスができている。

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V字型の隘路をすぎるとほどなく道は二手に分かれる。おそらく右側の薮化しているほうが元の参詣道で、標高544mの小ピークの南側を巻いてから次の鞍部を越えた先で「水呑」という飲料水等の補給地に出ていたと思われる。が、現在は道は左手に折れて544mピーク手前の鞍部を越していくようになっている。そこを過ぎるとすぐに目の前に「水呑ノ池」が広がる。大きさは約1ヘクタール。/以前は湿地だったのを、戦後に大井建設の請負で西側に高い堤防を築いて溜池にしたという。堤防を築く前は湿地からの水はダイレクトに南南西に流れ、月光川本流の右俣である南ノコマイに合流していた。現在は池からの水は用水路によって南西方向に運ばれ、途中の湧泉の水も加えて月ノ原と褄坂の集落に広がる水田等に利用されている。水源は元湿地東側の沢の水だけでなく、なんとソブ谷地の湧水を人工水路で尾根を越えて合流させている。/現在の地形図では水呑ノ池の南側に池尻があり熊野川に注いでいるように描かれているが、これは豪雨時などに堤防が破壊されないようにするためのオーバーフローだ。

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湧水を主な水源とする沢水が流れ込んでいるので、南側の半分くらいは池面が凍結していない。そこにカイツブリかと思われる水鳥がひと番い浮かんでいた。

水呑ノ池から先は次回に掲載します。乞うご期待。

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