日別アーカイブ: 2016年12月6日

旧蕨岡道を駒止から鳳来山まで その2

 

前回12月5日に続いて、「旧蕨岡道を駒止から鳳来山まで」の後半部分です。主に稲作用の溜池である水呑ノ池までは、その池や水路を点検管理するための歩道が駒止の先からと、さらに嶽ノ腰林道を500mほどすすんだ地点からとの2本があります。後者は堤防工事や池の点検管理のための新しい作業道です。

したがって水呑ノ池まではときどきに集落の人たちが訪れるので、歩道もほぼ問題なく歩けるように手入れがなされています。しかしその先の、湯ノ台口の南高ヒュッテ近くまでの旧蕨岡道は、戦後はほとんど利用する人がなくなって荒れ果てていました。20年近く前に私が初めて遭遇したときは道型はしっかりついているものの、太さ15〜20cmはある樹木と密生した灌木と笹で道が覆われていました。

この道は鳥海山の山道のなかでも最も古くかつ賑わったメインルートであり、ふたたび通れるように整備すればいろいろな面で利用価値が高いということで、不通区間の刈払をすることにしました。15年くらい前です。最初は私一人で折りたたみ鋸でぎこぎこやっていたのですが、翌年くらいから東京都武蔵野市の関前南小学校の5年生の生徒数十名にも手伝ってもらいました。当時宿泊体験学習ということで遊佐町になんと9泊10日で来訪されていた子供たちです。現場で実際に作業できる時間は1時間ほどしかないのですが、3年かけて2003年10月に1.2kmの刈払が終了しました。

 

dscn8838_2
ツキノワグマの足跡。大人の手の平くらいの大きさ。これは水呑ノ池から旧道にすすんだすぐのところの「水呑」という場所のものだが、じつはこれより前の地点ですでに2回足跡に出会っている。ついたばかりの新鮮な足跡なので、もしかすると同一個体かもしれない。このあたり一帯はクマが多いということは以前から知っていたし今日は私一人の単独行なので、ときおりホイッスルを鳴らしながら登ってきた。クマの足跡に遭遇してもああやっぱりなという感じだけで、怖いとは思わなかった。

dscn8841_2
主稜線に上がったところ。庄内平野で遊佐町や酒田市あたりから鳥海山を眺めたときのスカイラインとなる尾根なので、左右ともに開けており眺望がたいへんいい。しかしところどころ深さ1.5〜2mほどの凹みになっているところもあり、昔は往来が頻繁であったことが実感できる。

dscn8842_2
しだいにブナが優占してくる。ただし風がもろにあたる尾根の上なので、幹や枝は曲がりくねっているものが多い。樹間から鳥海山上部の真っ白に雪をかぶった姿が見えた。

dscn8847_2
不通だった頃の予備調査で、私が最初に出会ったときは倒れて半ば土に埋もれていた陶製の祠である(見つけてすぐ泥をはらい上に立てた)。参詣道の祠というとほとんどみな石でできたものであるが、瓦と同様の土と釉薬でできた陶製のものはきわめて珍しいと思う。「奉納 羽後酒田港亀ケ崎古城内 國松重次郎」と刻まれており、有力な旦那衆が職人に作らせて人夫にでも担がせてここに持ってきたものであろう。背後の朽ちた大木はクロベかアスナロだが、10年近く前に残念ながら枯れてしまっている。

dscn8851_2
祠のあるところから200mもすすむと湯ノ台口の登山道と合流する。分岐点には右側杉沢、左側湯ノ台の標識がある。写真はここから鳳来山のほうにさらに登っていったところで、樹木がほぼブナの純林に近い状態になった地点のもの。分岐点からは約1kmで、このすぐ先にソブ谷地との分岐点のT字路があるが、ソブ谷地方面はほぼ廃道といっていいほど荒廃している。積雪は20〜30cm。

dscn8854_2
下山してきて水呑ノ池を反対側からみたもの。手前が池口で、湧水起源の沢水が流入しているためこちら側はまだ凍結していない(厳寒期に訪れたことはないので、全面凍結するかどうかは不明)。

dscn8860_2
池に近い部分の、池から流下する用水路。水は池の底の排水弁の調整による。この写真では明瞭にわかるが、尾根の真上に川が流れているなどということは自然状態ではありえないことである。勾配がゆるいのでこのあたりは川底があまり洗掘されていない。

・・・・・・・・・・・・

以上2回にわたって旧蕨岡道を紹介してきましたが、春先や紅葉の頃はすばらしい景観があり、さまざまな花が咲いています。参詣の歴史的なことがらに思いをはせるのにも絶好の場所です。冬場もカンジキを履いてくれば鳳来山くらいまでなら、冬山登山のベテランでなくとも参加可能なツアーが組めるでしょう。みなさんぜひ歩いてみてください。ただしとくに単独行の場合はクマに注意です。おすすめは鈴ではなくホイッスルです。