月別アーカイブ: 11月 2016

ジオパークのガイドのための小道具

 

9月9日に鳥海山・飛島ジオパークが認定となりましたが、それの現地審査ならびに訓練のための模擬ガイドでは、ただ口頭で説明するだけではなく、さまざまな小道具も用いました。地学的なことがらは話だけでは理解することはたいへん難しいので、そのための補助です。

ものとしては地形の模型や地図や写真などがありますが、下の写真は地形・地質説明のための手書きの絵です。上は鳥海山の西側馬蹄形カルデラの中の湧水の概念図、下は最終氷期(7〜1万年前)の中で最も海水準が下がったとき(約120m)の海岸線をあらわしたものです。いずれも直接目で見ることはできないものなので、事前によほど基本的な知識のある人でないと、口頭で説明を受けただけではちんぷんかんぷんだろうと思います。

実際にこれらの補助的な道具を併用しながら何度か模擬ガイドまたは本番のガイドを行って感じたことは、お客にはとてもわかりやすいことや注意をひきつけることができること、話すほうも一種のあんちょこ(備忘録)として使えることです。絵は水性マーカーと色鉛筆を使って私自身でさっと描いたものですが、パソコンの「お絵描きソフト」などを用いたきれいすぎる緻密すぎる絵よりも、かえってこういう下手くそな絵のほうがむしろ好ましいと感じました。お客から「あ、このガイドが自分で描いたんだな」と思ってもらえれば親しみもわきます。文字情報は最小限にとどめます。

基本的に野外での説明のためのものなので、水に濡れてもいいように紙に書いたものをラミネートしています。フィルム面に照明の光や太陽光などが反射すると非常に見にくくなるので、艶消しのフィルムを用いたラミネートであることが必須です。サイズはA3とA4の2種類。大・中型バスの中での説明やお客の人数が多い場合は後ろの人からも見えるようにA3でないといけませんし、車から離れて諸々の荷物をザックに入れて運ばないといけない場合はA4になります。

 

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小型の掛時計の製作

 

先般の個展(11/2~8 酒田市の清水屋デパートの画廊)で追加注文をいただいた定番の小物類が4種類、特注の小物類が3種類あります。下の写真はその中のひとつで、径12cmくらいの小型の掛時計です。

材料の都合もあって木取と下拵え、円形の荒加工までは30数個ぶん作ったのですが、全部を最後まで仕上げるには時間がかかります。しかしそれでは他のご注文の仕事が期限(原則3ヶ月以内)に間に合わなくなってしまうので、とりあえず十数個を先に仕上げる予定です。

加工の方法にはいろいろ独自のノウハウがあり、またこの掛時計は人気のある定番品のため加工の詳細は書けませんが、ああこんな感じで作っているんだなということを知っていただければと思っています。

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コーヒーブレーク 92 「夜行バス」

 

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なにひとつ変わることなく神の留守

[なにひとつ かわることなく かみのるす] 神無月(かんなづき)というのは旧暦十月の異称である。この月は八百万(やおよろず)の神が出雲大社に集まるという。したがって出雲以外の地には神様がいなくなるのだそうな。しかし神様は自分の産土にいてこその神様であって、そこをほっぽりだして”全国大会”に出かけるとはなにごとだ、という気はする。まあ、しょせん神仏などその程度の、観光土産のおまもり程度の意味しかないのだ、ということを自らが宣言しているようなものか。

弧をしぼる水平線や十一月

[こをしぼる すいへいせんや じゅういちがつ] 十一月ももうじき終わるが、雨の日が多く晴れたり曇ったりの不安定な天気。天気予報も外れること、しばしばである。しかし、だからこそなのかもしれないが、たまにきれいに晴れ上がりいくぶんか暖かい日は、遠くまで景色もくっきりと見えてたいへんよろしい。雪を冠った鳥海山や月山も神々しいまでに美しい。/俳句歳時記ではたいがい11〜1月を冬とし、2〜4月を春としているが、てやんでぇ!というものだ。11月はたしかに当地でも最低気温は零度近くまで下がり、霰がちらつく日があるとはいえ、それでもまだ冬とはいえない。まだまだ秋の領分であり、冬を目前とした晩秋である。

夜行バスなお獣道疾走す

[やこうばす なおけものみちを しっそうす] ずっと昔の20代の頃、東京に住んでいてたまに帰省するのに夜行の普通列車を利用していた。上越経由で9時間以上かかったと思うが、帰省するのはたいていお盆とか正月のあたりなので、ほとんどの場合、普通列車の自由席では腰をおろすことが難しいほど混雑していた。むろんだからといって指定席をあらかじめ取っておくなどの経済的余裕はないし、ましてグリーン席(一等席?)などは論外であった。はじめから最後までほぼ通路に立ちっぱなしだったことさえあるが、そこは若さ故の「なんとかなる」の範疇ではあった。/試しに夜行バスなるものに乗ったこともあるのだが、いちおうシートに座れるとはいえ、やはりきゅうくつでろくに眠れはしなかったので、列車よりは安上がりとはいえ、二度くらい利用しただけで終わってしまった。上越新幹線を利用して4時間半ほどで往来できる昨今とは隔世の感がある。

 

湯ノ台の石油鉱井の跡

 

鳥海山の南面、湯ノ台地区の一画に古い石油採掘の跡があります。麓の集落の上草津をすぎて、くねった道を北のほうに車でのぼっていくと10分弱でまた人家が見えてきますが、湯ノ台高原にある戦後の開拓集落である湯ノ台です。もうすこし行けば鳥海山荘や家族旅行村、猛禽類保護センターなどの施設があるのですが、建物が見えはじめた最初のところで左側の木陰に三角形の赤いあやしい建物が……。

湯ノ台という地名からもわかるようにこのあたりには鉱泉があるのですが、小さな橋をわたって敷地内に入るとかすかに石油の匂いがします。一面にススキが繁茂しており、その間に間に真っ黒の土壌がのぞいています。地表に滲み出て堆積したアスファルトで、夏場の暑い時は靴がずっぽりはまってしまうので要注意です。

これは昭和9年(1934年)、日本石油により試掘、昭和16年頃には豊富な石油鉱床が発見され、昭和18年には約2万kl/年の原油が採取されたそうです。しかしながら戦時中の濫採によって急激に枯渇してしまい、昭和21年以降は2000kl/年以下にまで減ってしまいました。現在はまったく稼働されていません。

この付近では古来(縄文時代から?)より地表面に石油の兆候がみられ、アスファルトの採取→接着・防水・防腐剤などに利用されていたといいます。油層は深度350〜500mの北俣層上部にあるとのこと。

赤い三角屋根の建物は当時の資材庫か採掘した原油の貯蔵庫だったかもしれません。現在は使用されていませんが、地表にはいまもこの敷地内や周囲一帯で石油がわずかながら出ており、それが地下水や河川などを汚染するおそれがあることから、この建物よりだいぶ下のほうに汚染防止のための新たな処理施設があります(関係者以外立ち入り禁止)。

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猿穴はひとつではなかった

 

鳥海山の西面にある有名な噴火口跡の猿穴ですが、じつは通常の地図に出ているひとつだけでなく、他にも周辺にいくつかの噴火口跡があるらしいという話はきいていました。最初にきいたのは十年くらい前のことだったように思いますが、そのときは単にうわさ話のなかの一こまで、また根拠もなにもなかったので聞き流してしまい、そのうち忘れてしまいました。

ところが今年になって鳥海山・飛島ジオパークのガイド仲間から、グーグルの航空写真と国土地理院の地形図をもとにしたかなり信憑性の高い話が流れてきました。それらを仔細に眺めるとたしかに少なくともあと二つくらいは噴火口の跡がありそうにみえます。ぜひとも実地調査をして確かめたい。

とはいうものの、ただでさえ薮(低灌木が主)ぼうぼうなので、夏場は見通しがきかず+暑くて+虫も多いという三重苦。加えて今年は春からお盆過ぎまで鳥海山・飛島ジオパークの認定に向けての準備、さらに11月上旬に木工の個展というわけで、まったく時間的に無理でした。それらが一段落して、やっと一息ついたのですが、こんどはぐずぐずしていると雪が降ってきてアプローチがたいへん難しくなってしまいます。

それで思い立ってまず一人で偵察に行ったのが11月12日。薮こぎは多少は慣れているはずの私も、これ以上に密生し曲がりくねった猛烈な薮はないだろうなと思うような薮をかきわけての探索でした。その調査・確認のもとにジオパークのガイド仲間などといっしょに4名で再度訪れたのが11月16日です。16日には噴火口跡の探索だけでなく、林道から猿穴への登り口の標識の取り付けと刈払もしました。夏場にブルーラインの側から猿穴を訪れるぶんにはかなり楽になったと思います。(※ 写真はいずれも11/12のもの)

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はじめに一人で行った際のGPSの軌跡。誤差が数メートルあるものの、見通しのあまりきかない場所での地形図+コンパスでの探索を強力に助けてくれるすぐれもの。重要なポイントは地図に記憶させることができるが、左の085は観音森林道からの猿穴の登り口。中央の赤丸の等高線が猿穴で、その北東側の086(087は軌跡に隠れていてこの図では見えない)と、東側の088が今回確認した噴火口跡。o85から088までは水平直緯線距離で約200m。

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グーグルのマップで航空写真を検索。上のGPSの軌跡図とほぼ大きさを合わせてトリミングしている。この写真ではさらにもっと噴火口跡があるようにも見えるし、単なる樹木や噴火口ではない地形の凹凸のようにも見える。やはり現地に実際に行ってみないとわからない。

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猿穴の噴火口跡の北西側の縁に三角点(標高点)がある。これも草木に半ば埋もれていた。標高763.3m

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猿穴の三角点から眺めた観音森。古い絵地図には桑ノ森とある。高木が生えていないのは戦後の昭和30年代前半頃までは農家の牛馬のための採草地だったことによる。強風のためではない。標高685.2m

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以上4枚は、猿穴から北東方にある噴火口跡の底。猿穴と同様にすり鉢の底には水たまりはなく、大きな岩がごろごろしている。風穴らしき穴も多数あるが、詳細は未確認。同様な小さな噴火口跡は並んで数カ所ある。

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以上2枚は、猿穴から東方にある噴火口跡。猿穴よりはだいぶ規模が小さいものの同形のすりばち状の地形。最後の写真は北側の縁から眺めたもので、樹木の陰影と傾きででなんとなく凹みがわかるだろうか。

 

フォトスタンドと掛時計の材料の養生

 

11/2〜8の個展で予約注文をいただいたものの一部ですが、フォトスタンドAタイプと径12cmくらいの小型の掛時計を作っています。フォトスタンドは素材がオニグルミ、掛時計はサワグルミ。木取りして一次下拵えとして仕上寸法より2〜3mm程度厚い状態にします。そのあとは、いったん切削は中断して「養生」をします。

素材(荒木)の板は多かれ少なかれ反りや捻れがあるのですが、それを一度鉋盤を通して平滑にしても内部応力の変化によってまた徐々に狂ってきます。そのひずみを出るだけ出させるために写真のように一枚ずつ木端立てにして1週間ほど放置します。風が通るように板と板とは隙間をあけます。

こうした作業を養生と呼んでいますが、これはたいへん重要な行程で、養生なしに一気に加工をすすめると製品になってから不具合が出て来るおそれがあります。よく「作るのにどれくらいの時間がかかるんですか?」と聞かれることがあるのですが、それは実際に切ったり削ったりの加工している時間のことだけの話なのか、材料出しや養生や乾燥などの時間も含むのかによって大きく変わります。たとえば「実時間は1個当たり3時間、養生なども含めると2週間」といった具合になります。

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フォトスタンドの木取

 

先日の個展で、「箱の宇宙」というテーマで製作した刳物の他に、ふだん製作している小物類も10種類ほど展示しました。その中で時計各種とフォトスタンドなどの予約注文をいただきましたので、さっそくその一部の製作を始めています。

まずはフォトスタンドAタイプの木取です。27mm厚のオニグルミの板から仕上げで20mm厚までもっていくのですが、原則として白太をのぞいて赤味だけを使います。2個分ずつ木取をし、一次下拵えの削りをして23mmにそろえて1週間程度養生します。木取する際、これまではベニヤ板の型を使って墨付をしていたのですが、それだと木目のバランスなどはいちいち型板を外してみないとわかりません。それでも用が足りなくはないのですが、やはりちょっと面倒。

そこで今回から透明なプラスチック板の型板を作って、それで木取をすることにしました。写真はその型板で、4mm厚の塩ビ板です。製品の仕上がり寸法より幅は6mm、長さは1個ぶんにつき6mm長くしてあります。木目を見ながら同時に切り取り線を記すことができるので具合がよくなりました。

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生態系に関する本3冊

 

まだ一部しか読んでいませんが、生態系に関する新たな知見に富んだ本3冊。たまたまオオカミが関係する本が2冊並びましたが、ありうべき生態系を考える場合のかっこうの素材のひとつがオオカミであるということです。

アメリカ合衆国では一度はほぼ全滅しかけたオオカミを、隣国のカナダから移入したのですが、そのいきさつや葛藤や矛盾、困難さなど、非常に多くの示唆に富んでいます。在来の動物の調査や保護管理すらろくにできていない日本が、オオカミの移入などとうていできるとは思えませんが、そのあたりのことはまた後日すこし詳しく書いてみようと思っています。

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大江進作品展『箱の宇宙』終了しました

 

11月2日から8日まで、酒田市の清水屋デパートの画廊で行っていた大江進作品展『箱の宇宙』が一昨日終了しました。多くの方からご覧いただき、まことにありがとうございました。さて、気になる結果ですが、大盛況とはいえませんが不振というわけでもなく、赤字はまぬがれました。展示していた品物以外のご注文の家具などで、新たなお客様を何人か得ることもできましたので、まずは成功の部類に入るかと思います(諸事情により具体的な数字は明かせませんが、ご容赦ください)。

写真は会期が終わり、撤収をしてきた車の荷室です。個展にむけてこの1年間心身ともにあわただしかったので、のんびり山を散策するなどして、また次の仕事の鋭意をやしないたいと思います。来春以降に酒田市でないところでの展示会も考えていますので、みなさまなにとぞよろしくお願いいたします。

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青猫句会 2016.10.19

 

毎月第三水曜日の恒例の青猫句会です。午後6:30〜9:00、酒田駅にほど近い「アングラーズカフェ」にて。参加者は相蘇清太郎・今井富世・大江進・大場昭子・佐藤歌音・佐藤百恵・佐藤や志夫(やは弓+爾)夫・土田貴文・南悠一、投句のみはあべ小萩・齋藤豊司の各氏で、合わせて11名でした。時間や会場の広さなどの都合も含めてですが、10名くらいの規模の句会が常時行えればいいなと思っています。

句会は其の一と其の二の二部にわけて行われます。
では其の一から。

2 息せざる永久の眠りやかくあらむ
2 羽黒蜻蛉コロッケ揚げる夕餉窓
4 しずしずとそそくさと蛇穴に入る
1 出る杭を打つのはたれぞ秋刀魚焼く
0 愁宵に「春怨秋思」紐を解く
1 いましばし命まぶしむ秋の蝶
6 杣道に朴の実ひとつ道しるべ
0 野良猫もシチューを食べる夜寒かな
2 秋潮に引き込まれるや臨港線
0 神風の逝きたる浜の桜貝

最高点は7句目<杣道に朴の実ひとつ道しるべ>で6点入りました。朴の実は長さ15cmはある紡錘形でごつごつした形をしています。落下した実は初めは赤味が目立ちますが、すこしすると茶色に変色し、ときに小動物の遺骸が落ちているみたいで驚くことがあります。杣道とは一般的な登山道や遊歩道ではなく山仕事をする人専用の細い道のことですが、その道に朴の実がひとつ落ちているというのは情景としてはよくわかります。しかしそれを「道しるべ」であると答えまで言ってしまっているのは、むしろ残念。朴の実が落ちていることのみにとどめたほうが読者の想像は広がるのではないでしょうか。作者はあべ小萩さん。

次点句は<しずしずとそそくさと蛇穴に入る>で、4点。哺乳動物にくらべ爬虫類や両生類などの動物はその生態・挙動が類型化されがちですが、よく観察すると一匹づつ個性があります。また当然ながらアオダイショウやシマヘビ、ヤマカガシなど、種類によっても違いがあります。「しずしずと」「そそくさと」という言葉を並列させることで、そのあたりの多様性と蛇に対する親しみのようなものも表現できているのではないかと思います。作者は私です。

2点句は3句あります、最初の<息せざる永久の眠りやかくあらむ>はこれだけでは永眠されたのが誰であるか、人なのか他の生き物なのか、はたまた擬人化されたなにかなのかわかりません。しかしいずれにしても作者は相手の最期を実際に自分の目で看取ったということでしょう。私もこの8月19日に14歳の愛猫トントを私の膝の上で看取ったばかりで、なんだか身につまされます。自分も最期はそういったかたちで死ぬことができればいいなと思いました。作者は相蘇清太郎さんですが、亡くなったのはお母様とのこと。

次の2点句<羽黒蜻蛉コロッケ揚げる夕餉窓>のハグロトンボは里の小川などで水面近くをひらひらとゆっくり蝶のように飛ぶ黒いトンボですが、私の家のすぐ近くを流れる川にもたくさんいます。その川にそって人家も建ち並んでいますが、そうした家の台所の窓から川が見えているのでしょう。揚げているのがコロッケであることもトンボが羽黒蜻蛉であることも、たいへんのどかな景でいいですね。私も取りました。ただ座五は「夕餉窓」は「夕餉かな」くらいにしたほうが音調はいいと思いますし、「窓」はいわずもがなでしょう。作者は齋藤豊司さん。

3つ目の2点句は<秋潮に引き込まれるや臨港線>は、本線から分かれた貨物列車専用の支線かなにかの鉄道でしょう。それが港まで続いているわけですが、場所によっては線路の向こうに海が見えており、まるで海が線路を引き込んでいるような案配という景でしょうか。空気が澄んでいて遠くまでよく見通せる秋だからということはいえるでしょうが、冬の荒海とかだとまた違った情感が醸し出せそうですね。作者は南悠一さん。

1点句は2句ありますが、<出る杭を打つのはたれぞ秋刀魚焼く><いましばし命まぶしむ秋の蝶>は、前者は常套的かつ陳腐なフレーズがぜんぜん効いていないし、後者は季語の「秋の蝶」の解説そのままになってしまっています。「命まぶしむ」という表現はいいですが。

点の入っていない句にも言及します。<秋宵に「春怨秋思」紐を解く>は春怨秋思がまずほとんどの読者にはわからないでしょう。誰もがよく知る言葉以外は使ってはいけないなどとは決して言いませんし思いませんが、この場合はその書の題名が活きているかどうかですね。<野良猫もシチューを食べる夜寒かな>は取り合わせはユニークでおもしろいのですが、「野良猫も」は「野良猫の」でしょう。「も」は注意を要する助詞です。<神風の逝きたる浜の桜貝>はまずもってこの句会のルールである「おおむね当季の季語を入れる」をふまえていません。桜貝は春の季語です。また神風は特攻隊などを意味するのだと思いますが、散った命が桜貝というのではあまりに感傷的すぎるでしょう。

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今回の出席者は9名で、投句は10句ですが、これを2時間半の句会で過不足なく批評しあうのはかなり難しいです。選句もたいへんですが、簡潔明瞭な評を行うのもたいへん。みんなの協力と主宰(私)と司会進行役(南悠一さん)の的確な采配が必要です。
では其の二です。

0 鳥群るる大樹の塒秋深し
2 願いごとはなし月面に流れ星
5 百の実の落つる音消す秋の水
1 群青に吸はれしこころ秋桜
1 名を呼んで揺れるコスモスただ一本
2 路傍なる案山子一つ目小僧かな
1 空蝉を弔うごとく風の鳴く
3 ぐみの実を濡らし光輪の滴る
0 母逝きて秋風吹くや渡り川
3 微睡みに宇宙遊泳し菊枕

最高点は3句目<百の実の落つる音消す秋の水>で5点入りました。けれども「秋の水」という季語は本来は澄んだ静謐な水ということなので、木の実がたくさん落ちる音が水音で消えるというのは無理があるように最初は感じました。しかし芭蕉の句のように、蝉がたくさん鳴いているからこそ山中の静かさがいっそう引き立つというような反転があると思えば、木の実の落下の音さえも吸い取ってしまうほどの静かな水面である、とも受け取ることができます。だとするとこれは佳句ですね。作者はあべ小萩さん。其の一に続いての最高点句で、合わせて11点獲得です。さすがです。

次点3点句はふたつです。<ぐみの実を濡らし光輪の滴る>(※ぐみは漢字ですが私のワープロソフトでは変換できませんでした。)は私も取りましたが、いつも散歩に行く月光川の川縁に生えているグミの実をイメージしたので、川の流水のきらめきが実に反射した様子を「光輪」と受け取りました。作者は南悠一さんですが、ご本人は砂丘地に生えているグミを詠んだようです。この句の場合の「滴る」は動詞として用いており先にグミの実が出てくるので、夏の季語とはみなさないでしょう。

次の、<微睡みに宇宙遊泳し菊枕>の「菊枕」は秋の季語で、乾かした菊の花を詰め物にした枕のことで、手元の歳時記によれば「菊枕は邪気を払い、頭痛を治し、かすみ目に効果があるといわれる」とあります。いまどき実際にそういう枕を使う人はいないかもしれませんが、「宇宙遊泳」と取り合わせることでおかしみが出ました。作者は齋藤豊司さん。其の一での羽黒蜻蛉の句もそうですが、従来の句とはちがって地に足がついてきた感じがします。

2点句はやはりふたつです。<願いごとはなし月面に流れ星>は、ほとんど真空に近い月面では星屑も尾を引くことはないので、実際的に願い事を唱えるのは不可能。しかしまあそういった客観的な話ではなく、きわめてリアルにこの現実のみしか信じていない、あの世とか神様などというものはいっさい志向しないのだという強い人生観があらわれているかもしれません。作者は私です。

次の2点句<路傍なる案山子一つ目小僧かな>は、いまや稀な存在となってしまった田んぼの案山子を詠んでいます。昼日中はともかく、夜真っ暗なときに車のライトなどに突然浮かび上がる案山子、しかも伝統的な蓑をまとったへのへのもへじの案山子ではないマネキンに現代の衣装を着せて、などとなるとどっきりします。一つ目小僧とすることで衝撃がやわらいでしまいましたが、いっそ磔刑かもとしたほうがいまの世情にはあってるかも。作者は佐藤や志夫さん。

1点句<群青に吸はれしこころ秋桜>は澄んだ秋の空を背景に咲くたくさんのコスモスでしょうが、景そのままでちょっともの足りないですね。次の<名を呼んで揺れるコスモスただ一本>もコスモスが出てきますが、こちらは視点は個性的でいいと思います。ただ「名を呼んで」ではなく「名を呼べば」でしょうし、「ただ」とまでいわなくともいいですね。<空蝉を弔うごとく風の鳴く>は空蝉自体が鳴くとしたらいいのでは? それに空蝉は夏の季語です。