コーヒーブレーク 92 「夜行バス」

 

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なにひとつ変わることなく神の留守

[なにひとつ かわることなく かみのるす] 神無月(かんなづき)というのは旧暦十月の異称である。この月は八百万(やおよろず)の神が出雲大社に集まるという。したがって出雲以外の地には神様がいなくなるのだそうな。しかし神様は自分の産土にいてこその神様であって、そこをほっぽりだして”全国大会”に出かけるとはなにごとだ、という気はする。まあ、しょせん神仏などその程度の、観光土産のおまもり程度の意味しかないのだ、ということを自らが宣言しているようなものか。

弧をしぼる水平線や十一月

[こをしぼる すいへいせんや じゅういちがつ] 十一月ももうじき終わるが、雨の日が多く晴れたり曇ったりの不安定な天気。天気予報も外れること、しばしばである。しかし、だからこそなのかもしれないが、たまにきれいに晴れ上がりいくぶんか暖かい日は、遠くまで景色もくっきりと見えてたいへんよろしい。雪を冠った鳥海山や月山も神々しいまでに美しい。/俳句歳時記ではたいがい11〜1月を冬とし、2〜4月を春としているが、てやんでぇ!というものだ。11月はたしかに当地でも最低気温は零度近くまで下がり、霰がちらつく日があるとはいえ、それでもまだ冬とはいえない。まだまだ秋の領分であり、冬を目前とした晩秋である。

夜行バスなお獣道疾走す

[やこうばす なおけものみちを しっそうす] ずっと昔の20代の頃、東京に住んでいてたまに帰省するのに夜行の普通列車を利用していた。上越経由で9時間以上かかったと思うが、帰省するのはたいていお盆とか正月のあたりなので、ほとんどの場合、普通列車の自由席では腰をおろすことが難しいほど混雑していた。むろんだからといって指定席をあらかじめ取っておくなどの経済的余裕はないし、ましてグリーン席(一等席?)などは論外であった。はじめから最後までほぼ通路に立ちっぱなしだったことさえあるが、そこは若さ故の「なんとかなる」の範疇ではあった。/試しに夜行バスなるものに乗ったこともあるのだが、いちおうシートに座れるとはいえ、やはりきゅうくつでろくに眠れはしなかったので、列車よりは安上がりとはいえ、二度くらい利用しただけで終わってしまった。上越新幹線を利用して4時間半ほどで往来できる昨今とは隔世の感がある。

 

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