青猫句会 2016.10.19

 

毎月第三水曜日の恒例の青猫句会です。午後6:30〜9:00、酒田駅にほど近い「アングラーズカフェ」にて。参加者は相蘇清太郎・今井富世・大江進・大場昭子・佐藤歌音・佐藤百恵・佐藤や志夫(やは弓+爾)夫・土田貴文・南悠一、投句のみはあべ小萩・齋藤豊司の各氏で、合わせて11名でした。時間や会場の広さなどの都合も含めてですが、10名くらいの規模の句会が常時行えればいいなと思っています。

句会は其の一と其の二の二部にわけて行われます。
では其の一から。

2 息せざる永久の眠りやかくあらむ
2 羽黒蜻蛉コロッケ揚げる夕餉窓
4 しずしずとそそくさと蛇穴に入る
1 出る杭を打つのはたれぞ秋刀魚焼く
0 愁宵に「春怨秋思」紐を解く
1 いましばし命まぶしむ秋の蝶
6 杣道に朴の実ひとつ道しるべ
0 野良猫もシチューを食べる夜寒かな
2 秋潮に引き込まれるや臨港線
0 神風の逝きたる浜の桜貝

最高点は7句目<杣道に朴の実ひとつ道しるべ>で6点入りました。朴の実は長さ15cmはある紡錘形でごつごつした形をしています。落下した実は初めは赤味が目立ちますが、すこしすると茶色に変色し、ときに小動物の遺骸が落ちているみたいで驚くことがあります。杣道とは一般的な登山道や遊歩道ではなく山仕事をする人専用の細い道のことですが、その道に朴の実がひとつ落ちているというのは情景としてはよくわかります。しかしそれを「道しるべ」であると答えまで言ってしまっているのは、むしろ残念。朴の実が落ちていることのみにとどめたほうが読者の想像は広がるのではないでしょうか。作者はあべ小萩さん。

次点句は<しずしずとそそくさと蛇穴に入る>で、4点。哺乳動物にくらべ爬虫類や両生類などの動物はその生態・挙動が類型化されがちですが、よく観察すると一匹づつ個性があります。また当然ながらアオダイショウやシマヘビ、ヤマカガシなど、種類によっても違いがあります。「しずしずと」「そそくさと」という言葉を並列させることで、そのあたりの多様性と蛇に対する親しみのようなものも表現できているのではないかと思います。作者は私です。

2点句は3句あります、最初の<息せざる永久の眠りやかくあらむ>はこれだけでは永眠されたのが誰であるか、人なのか他の生き物なのか、はたまた擬人化されたなにかなのかわかりません。しかしいずれにしても作者は相手の最期を実際に自分の目で看取ったということでしょう。私もこの8月19日に14歳の愛猫トントを私の膝の上で看取ったばかりで、なんだか身につまされます。自分も最期はそういったかたちで死ぬことができればいいなと思いました。作者は相蘇清太郎さんですが、亡くなったのはお母様とのこと。

次の2点句<羽黒蜻蛉コロッケ揚げる夕餉窓>のハグロトンボは里の小川などで水面近くをひらひらとゆっくり蝶のように飛ぶ黒いトンボですが、私の家のすぐ近くを流れる川にもたくさんいます。その川にそって人家も建ち並んでいますが、そうした家の台所の窓から川が見えているのでしょう。揚げているのがコロッケであることもトンボが羽黒蜻蛉であることも、たいへんのどかな景でいいですね。私も取りました。ただ座五は「夕餉窓」は「夕餉かな」くらいにしたほうが音調はいいと思いますし、「窓」はいわずもがなでしょう。作者は齋藤豊司さん。

3つ目の2点句は<秋潮に引き込まれるや臨港線>は、本線から分かれた貨物列車専用の支線かなにかの鉄道でしょう。それが港まで続いているわけですが、場所によっては線路の向こうに海が見えており、まるで海が線路を引き込んでいるような案配という景でしょうか。空気が澄んでいて遠くまでよく見通せる秋だからということはいえるでしょうが、冬の荒海とかだとまた違った情感が醸し出せそうですね。作者は南悠一さん。

1点句は2句ありますが、<出る杭を打つのはたれぞ秋刀魚焼く><いましばし命まぶしむ秋の蝶>は、前者は常套的かつ陳腐なフレーズがぜんぜん効いていないし、後者は季語の「秋の蝶」の解説そのままになってしまっています。「命まぶしむ」という表現はいいですが。

点の入っていない句にも言及します。<秋宵に「春怨秋思」紐を解く>は春怨秋思がまずほとんどの読者にはわからないでしょう。誰もがよく知る言葉以外は使ってはいけないなどとは決して言いませんし思いませんが、この場合はその書の題名が活きているかどうかですね。<野良猫もシチューを食べる夜寒かな>は取り合わせはユニークでおもしろいのですが、「野良猫も」は「野良猫の」でしょう。「も」は注意を要する助詞です。<神風の逝きたる浜の桜貝>はまずもってこの句会のルールである「おおむね当季の季語を入れる」をふまえていません。桜貝は春の季語です。また神風は特攻隊などを意味するのだと思いますが、散った命が桜貝というのではあまりに感傷的すぎるでしょう。

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今回の出席者は9名で、投句は10句ですが、これを2時間半の句会で過不足なく批評しあうのはかなり難しいです。選句もたいへんですが、簡潔明瞭な評を行うのもたいへん。みんなの協力と主宰(私)と司会進行役(南悠一さん)の的確な采配が必要です。
では其の二です。

0 鳥群るる大樹の塒秋深し
2 願いごとはなし月面に流れ星
5 百の実の落つる音消す秋の水
1 群青に吸はれしこころ秋桜
1 名を呼んで揺れるコスモスただ一本
2 路傍なる案山子一つ目小僧かな
1 空蝉を弔うごとく風の鳴く
3 ぐみの実を濡らし光輪の滴る
0 母逝きて秋風吹くや渡り川
3 微睡みに宇宙遊泳し菊枕

最高点は3句目<百の実の落つる音消す秋の水>で5点入りました。けれども「秋の水」という季語は本来は澄んだ静謐な水ということなので、木の実がたくさん落ちる音が水音で消えるというのは無理があるように最初は感じました。しかし芭蕉の句のように、蝉がたくさん鳴いているからこそ山中の静かさがいっそう引き立つというような反転があると思えば、木の実の落下の音さえも吸い取ってしまうほどの静かな水面である、とも受け取ることができます。だとするとこれは佳句ですね。作者はあべ小萩さん。其の一に続いての最高点句で、合わせて11点獲得です。さすがです。

次点3点句はふたつです。<ぐみの実を濡らし光輪の滴る>(※ぐみは漢字ですが私のワープロソフトでは変換できませんでした。)は私も取りましたが、いつも散歩に行く月光川の川縁に生えているグミの実をイメージしたので、川の流水のきらめきが実に反射した様子を「光輪」と受け取りました。作者は南悠一さんですが、ご本人は砂丘地に生えているグミを詠んだようです。この句の場合の「滴る」は動詞として用いており先にグミの実が出てくるので、夏の季語とはみなさないでしょう。

次の、<微睡みに宇宙遊泳し菊枕>の「菊枕」は秋の季語で、乾かした菊の花を詰め物にした枕のことで、手元の歳時記によれば「菊枕は邪気を払い、頭痛を治し、かすみ目に効果があるといわれる」とあります。いまどき実際にそういう枕を使う人はいないかもしれませんが、「宇宙遊泳」と取り合わせることでおかしみが出ました。作者は齋藤豊司さん。其の一での羽黒蜻蛉の句もそうですが、従来の句とはちがって地に足がついてきた感じがします。

2点句はやはりふたつです。<願いごとはなし月面に流れ星>は、ほとんど真空に近い月面では星屑も尾を引くことはないので、実際的に願い事を唱えるのは不可能。しかしまあそういった客観的な話ではなく、きわめてリアルにこの現実のみしか信じていない、あの世とか神様などというものはいっさい志向しないのだという強い人生観があらわれているかもしれません。作者は私です。

次の2点句<路傍なる案山子一つ目小僧かな>は、いまや稀な存在となってしまった田んぼの案山子を詠んでいます。昼日中はともかく、夜真っ暗なときに車のライトなどに突然浮かび上がる案山子、しかも伝統的な蓑をまとったへのへのもへじの案山子ではないマネキンに現代の衣装を着せて、などとなるとどっきりします。一つ目小僧とすることで衝撃がやわらいでしまいましたが、いっそ磔刑かもとしたほうがいまの世情にはあってるかも。作者は佐藤や志夫さん。

1点句<群青に吸はれしこころ秋桜>は澄んだ秋の空を背景に咲くたくさんのコスモスでしょうが、景そのままでちょっともの足りないですね。次の<名を呼んで揺れるコスモスただ一本>もコスモスが出てきますが、こちらは視点は個性的でいいと思います。ただ「名を呼んで」ではなく「名を呼べば」でしょうし、「ただ」とまでいわなくともいいですね。<空蝉を弔うごとく風の鳴く>は空蝉自体が鳴くとしたらいいのでは? それに空蝉は夏の季語です。

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