引力ありけりどこもかしこも月の客
[いんりょくありけり どこもかしこも つきのきゃく] 晴れていれば夜に散歩に行くことがしばしばある。コースはいろいろだが、いちばん多いのは月光川本流の川縁で、高水敷の堤防の上や流れのすぐ傍の低水敷の堤防の段差のところを歩く。街灯などはまったくないので真っ暗闇である。もちろん自他ともにであるが万が一、あるいは安全のためにライトは必ず持っていくのだが、基本的にたいそう暗いので星や月や飛行機や人工衛星などがよく見える。/月が出ていれば、それが三日月であれ半月であれしばし眺めることになるが、やはりいちばん目を引かれるのは満月である。雲がまったくない快晴の空に月だけがあかあかと輝いているのもいいし、雲に半ば隠れつつ姿を見せる満月もまた風情があっていい。
大鎌についてゆくなり拝み虫
[おおがまに ついてゆくなり おがみむし] カマキリは苦手である。理由ははっきりしている。ずっと昔、まだ小学校の1年か2年の低学年だった頃に、自宅のすぐそばの小さな用水にカマキリが流れてきて、それをたまたまいっしょを眺めていた兄が「カマキリにはハリガネムシって寄生中がいるんだ。触ると人にももぐりこむんだ」と言う。カマキリをよく見るとたしかに黒い紐みたいなものが尻から出てるような……。/むろんこれはハリガネムシが産卵するためにカマキリを水辺に誘導した結果だし、兄は嘘を言って怖がらせていただけだし、人間や獣には寄生しないということも後年はわかったが、そのときはひどく驚いてうろたえた。叫びたいくらいに心底怖かった。たぶん顔も青ざめていたと思う。それは小さなトラウマになったようで、他の昆虫はほとんどどれも平気だがカマキリだけはいまだにちょっと、触るのはいやだな。
案山子下ろせば内臓の転がり来
[かかしおろせば ないぞうの ころがりく] 案山子を見かけることがあまりなくなった。圃場整備で一枚の田んぼがずいぶん大きくなり、そのぶん案山子を立てるような余地=あぜ道なども極端に少なくなったという理由もあるだろうし、そもそも米価がぐんと下がってしまい何町歩(ヘクタール)も耕作していてもなお米作農家は経営が苦しい。どだい効果もほとんどなさそうな案山子なんぞを立てて遊んでいるような余裕などあるわけがない、というのが実状であり本音だろう。/その希少になった案山子だが、昔ながらの一目で案山子とわかるような案山子ではなく、マネキンに現代のカジュアルな服を着せたような案山子の場合、暗いところで不意に出会うとどきりとする。ほんとうに案山子なんだろうか? ひょっとして人間が案山子の真似をしてるのではないか? ぴくりとも動かず首も心なし垂れてるみたいだがあれは死体なのでは?