月別アーカイブ: 6月 2016

大きな敷板など

 

家具というわけでもなく小物でもなく。お客様のご注文で、玄関の下駄箱の上全面に置いて使う敷板(26/408/930mm)と、客間の飾り戸棚の中に入れる補助の棚段(550/255/230mm)です。右奥の小さいのは大きな敷板の残りで作ったコースター2個(12/120/150)。仕上げはウレタン艶消し塗装4回塗りです。敷板は玄関先の飾り台として、その上に四季おりおりの花や陶器といったものを飾られるとのこと。濃茶のさっぱりした木目ですので飾った物も映えると思います。

敷板とコースターはお客様から支給の神代スギですが、実際加工を始めてみたら予想以上に痛んでいる部分が多く、結局半分も使えませんでした。中杢の幅広の一枚板のように見えますが、実際には材料を長さ方向で二分し、いいとこ取りで接合しています。埋もれ木独特の渋い色合いがすてきですね。

まあ注文されれば、だいたいどんなものでも作りますが、今回のような簡単なものであってもやはり「本職がこしらえた」といえるような一定レベル以上の加工と仕上がりである必要はあるので、それなりの値段になってしまいます。そこを理解していただけるお客様に感謝です。

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庭の花 2

 

わが家の庭の花、第2弾です。四季先のバラとラベンダーはずいぶん大きくなりました。今年はじめて花をつけたヤマボウシですが、咲き始めは薄緑だったのがその後ちゃんと真っ白い花になりました。よおく見ると4つ咲いています。

写真以外では他にワスレナグサ、サギゴケ、ムラサキサギゴケ、トキワハゼ、ドクダミ(十薬)です。

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四季咲きのバラ「アイスバーグ」

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コモンラベンダー(シソ科)

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カスミソウ(ナデシコ科)

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ヤマボウシ(ミズキ科)

 

丸池の畔の裸地化

 

鳥海山麓の南西面、遊佐町吹浦地区の箕輪集落にほど近い牛渡川と丸池ですが、どうも一昨年か昨年あたりから急激に来訪者が増え、弊害も起きているようです。いくつかあるのですが、最大の問題は丸池の畔の裸地化がすすんでいることです。

下の5枚の写真はそのようすですが(撮影は6/5の夕方)、孵化場に近いほうから池の半周くらいまで全面的に裸になってしまっています。草木が生えていないとすこし強い雨が降るたびに土砂が池の中に流入してしまい、池が汚れてしまいます。

以前はせいぜい2カ所くらいに、軽い踏み跡があるくらいだったのですが、これだけどこもかしこもむき出しになってしまうともう歯止めがきかなくなってしまいます。実際「わあきれい!」と言いながら池畔に踏み込んで水面に触ってみる人が多くおり、その行為は肝心のきれいな池を結局汚してしまうことになるのですが、そのことに気づいている人は少ないようです。

もちろんこの裸地化の問題はきのうきょう私は気づいたわけではなく、町や観光協会などにも報告し早急な対策をお願いしているのですが、ぜんぜん動く気配がありません。鳥海山・飛島は昨年からジオパークの認定を受けるべく活動しているのですが(審査結果は今秋に判明予定)、そのなかでも非常に重要なジオポイントである丸池がこのような危機的状況ではどうしようもないと思います。へたするとこの裸地化とそれに対する無策が理由で審査が通らないかもしれません。

じつは似たような先例として、鳥海山の秋田県側に獅子ヶ鼻湿原があって、木道や駐車場やトイレなどの大がかりな整備にともなって近年急激に来訪者が増えました。そのために湿原の最上流部の「出壷」という湧水地が荒れてしまったことがあります。木道から外れて湧水に手を触れる人や撮影するために水面ぎりぎりまで近寄ってしまう人が絶えないからです。そのため何年か前から出壷のまわりに緑色のロープを張り巡らして、一目で立ち入り禁止とわかるようにしています。

景観上でいえばロープや立て札とかのよけいな人工物がない自然のままのほうがいいのは言うまでもありません。しかし景観と自然環境の保護・保全の両立が困難な場合、どちらを優先するべきかといえば、当然後者のほうでしょう。

丸池の場合も獅子ヶ鼻湿原と同様に早急に手を打つべきです。具体的には何をどのようにすればいちばんいいのかの詳細な検討は必要ですが。

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桐の落花

 

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当工房の入口近くには胸高径で60cm以上もある大きなキリ(桐)が1本植えられています。毎年たくさんの花を咲かせるのですが、花期がすぎると道路や道ばたの草むらなどにたくさんの花が落ちてきます。

長さは6cmほどもあり、厚手で全体に細かい毛が生えたまるでフェルトでできているような花です。色合いは淡い紫で、ラベンダー色といったところでしょうか。咲いている花はもちろん美しいですが、地面に散った花もまたたいへん美しいと私は思います。

それは4年ばかり北洋を回遊したあと、自分が生まれた川にもどってきて産卵・放精し無事役目を終えたサケの、傷つき変色した屍に対面した際に感ずる美しさと同質のものです。

 

コーヒーブレーク 80 「宇宙の人」

 

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ぶらんこに巨人が立ちて慟哭す

[ぶらんこに きょじんがたちて どうこくす] 小学生の頃、ぶらんこを思いっきり大きくこいで先に行ったところで手を離して着地、その飛距離を競うなんてことをやっていた。もちろん危険ではあるのだが、大怪我をするようなどじな者はいなかったし、教師も「あぶないから止めろ!」と言うこともなかった。またすぐ近くに月光川本流があり、しょっちゅう魚採りをしていたのだが、まだダムもなかったのでところどころに背が立たないくらいの深い淵もあったのだが、やはり教師も親も「あぶないからやめろ!」ということはなかった。/「河童の川流れ」といって、何年かに一度は川で遊んでいて溺れて死んでしまう子供もいたのだが、それで学校や河川局の管理責任を問うなどという馬鹿な大人もいなかったと思う。悲しくはあるが絶好の子供の楽しみを奪うのはいけない、禁止ばかりでは何が危ないかという判断も身につかない、という常識的な思考はあっただろう。/しかしそれも小学生の頃だけの話で、その後は急速に前もっての危険回避=責任回避ということで、川や山や海など自然のなかでの遊びがどんどん禁止されてしまう。大人が、子供自身にとってなにが幸いなのかを第一に考えるよりも、事故などがあった際に自分に非難や問責がおよぶことをまずなによりも心配するようになってしまった。

抜かれたる腸の記憶やこいのぼり

[ぬかれたる わたのきおくや こいのぼり] 鯉が滝をのぼっている姿がよく絵に描かれるが、鯉にはそれほど強力な遊泳力はないので、滝はおろか2m程度の小さな堰堤でも自力で越えることは不可能である。その点、渓流魚のイワナやカワマス(サクラマス)などは水量さえ多ければ何メートルもの落差のある激流をぐいぐいのぼっていく。/山中でもっとも高いところに生息している魚はやはりイワナだ。秋口に湧水の調査などで沢を遡行していると、森林限界にほど近いところの、もはや沢ともいえない小さな流れに背びれを水面から出してイワナが泳いでいることがあってびっくりする。むろん言うまでもないが落差の大きな垂直の滝は、いくらイワナであってものぼれないので、それより上流にイワナがいる場合は、釣り人が釣った魚をそこに持って行って離したからである。生息環境が良ければ魚はそこで生きながらえ繁殖するだろう。釣り人にとっては自然の中のマイ釣り堀のようなものではある。/私自身は釣りはまったくしないので、釣り人のイワナ放流の話は又聞きですけどね。

宇宙の人二三来たりて青き踏む

[うちゅうのひと にさんきたりて あおきふむ] この宇宙にヒト=ホモサピエンス-ホモサピエンスと同様の生物は、すなわち宇宙人は結局地球にしかいないというべきではある。なんとなれば確率的に地球と似たような惑星が宇宙にはじつはたくさんあるはずだといっても、そしてそこの一部には高等生物が存在するとしても、われわれと相互に往来したり交信できる可能性が実施ゼロであれば、、それはお互いに相手が存在しないことと同じだからである。光速でさえ何万年もかかるところにいる他の宇宙人と、いったいどうやって遭遇できるというのか?/春先に萌え出た草原に、柔らかな陽光を浴びながら裸足になってくり出すのはじつに楽しい。人間のみならず犬や猫などもそのように感じているようではある。他の宇宙人はかの星でそうした快楽を味わっているだろうか。