月別アーカイブ: 1月 2016

荒瀬川雪景色

 

当工房のすぐ裏手を流れている、日向川のいちばん大きな支流である荒瀬川の雪景色です。1月14日から降った雪は翌15日も断続的に降り続き、今年初の本格的な積雪となりました。深さは30cmくらいです。暖冬で12月以来これまでほとんど積もることはなかったのですが、今回は除雪車も多数出動し道路は渋滞しています。ところどころアイスバーンになっているので、運転にはじゅうぶんな注意が必要です。

さて降った雪ですが、風がほとんどなかったのと気温的にはマイナス2度程度とそれほど低くはなかったので、やや湿った雪が樹木や建物や車の屋根などにそっくり乗っかったままになりました。雪国とはいえ、このような景色は珍しいです。午後4時頃の撮影なので、すでに夕闇が迫ってきています。

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デヴィッド-ボウイ死す

 

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英国出身のミュージシャンであり映画俳優でもあったデヴィッド-ボウイが、日本時間1月11日15時半に肝臓ガンにより死去。1947年生まれということは69歳というまだまだ若い年齢での永眠ということですね。

私は20代前半、東京のアパートで暮らしていた頃の1977年に発売されたボウイのアルバム『LOW』にいたく感激し、けっして誇張ではなくレコードがすりきれるほどに毎日毎日聴いていました(写真は後年に買い直したCD)。このアルバムはいわゆる「ベルリン三部作」の最初のもので、これまで耳にしたことのないようなエレクトロニックなサウンドです。斬新ではあるものの観念だけが先走った実験音楽風ではなく、耳に力強く響いてきましたし、歌詞はアルバムに添えられた解説中のテキストでようやくなんとか大筋を理解できる程度ではあったものの、なかなか感慨深いものがありました。

私はそれまでとりたてて意識して音楽を傾聴することはありませんでしたが(両親が音楽や美術にほとんど関心がなかったせいもあるでしょう)、この『LOW』だけは違いました。それでそのアルバムのサウンドを担当したブライアン-イーノにも当然のごとく興味をひかれ、アルバムを購入して聴いてみると、これまたびっくり。いわゆるアンビエント-シリーズの『ミュージック- フォー-フィルムズ』『ミュージック-フォー-エアポーツ』や、『アナザー-グリーン-ワールド』等々はいまも愛聴盤です。

またボウイやイーノと関係するトーキングヘッズやDNA、ジョイ-ディビジョンといった英米の若手ミュージシャンにも魅かれました。ボウイやイーノが押す連中ならまずまちがいないと。もちろんキング-クリムゾンやピンク-フロイド、レッド-ツェッペリンなどもお気に入りでしたが。

音楽きちがいというほどには時間もお金もそれにつぎ込むことはできなかったし、自分で歌ったり楽器を演奏したりはまったくできないのですが、意識だけはその時代での先端的な音楽を自発的に聴いていこうという思いだけはそれなりにずっと保ち続けてきたと思います。結果的にジャンルでいえばロックであり現代音楽であり、国でいえばほとんどが英国米国と欧州の一部。だから、むろん例外が若干あるとはいえジャズやクラシックやポップスなどはぜんぜん興味をもてなかったし、日本のロックも「なんだこれイギリスのあの◯◯、△△のコピーじゃないか」という印象しかもてませんでした。ビートルズもローリング-ストーンズも私にはいまいちでしたね。

 

コーヒーブレーク 68 「ちりぢりに」

 

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除雪車の戻りし未明四日かな

今冬は雪がすくない。いくらか降雪をみるものの、目立った積雪は昨年は1回きりである。年があけてからはまだ積雪らしい積雪はない。除雪車による主要道の除雪基準は積雪がおおむね15cm以上の場合ときいたことがある。しかし「だいじょうぶだろう」という甘い予測のもとに出動せずに結果的に交通が途絶してしまってはたいへんなので、この時期は天気予報(降雪予測)に神経をぴりぴりとがらせることになる。出動は大雪のときは午前2時くらいとおっしゃっていたから、街灯などの比較的多い街中以外は完全に真っ暗闇のなかでの作業であり、時間との競争でもあって、たいへんな仕事だ。いまは仕事も生活もいなかほど車がなくてはにっちもさっちもいかないので、午前5時すぎくらいには最低限1車線ぶんは確保しなければならない。

電気にてはたらく臼なれど臼飾

わが家では昔も今も餅つきはせず、もっぱらよそからもらうか買うかである。身内の餅つきに手伝いにいくことはあるが、その場合でもいまは電動機械による餅つきだから、厳密にいえば「餅こね」であって「餅つき」ではない。なんとなれば蒸した餅米を大きなプロペラで機械がこね回すからであり、杵または杵のような太い棒状のものでどすんどすんと突くわけではないからだ。/突いた餅のほうがこねてつくった餅よりおいしいとはよく言われることがあり、先日も耳にしたばかりであるが、真偽のほどはわからない。が、一般論としていえば餅に仕上げる方法が基本的に異なるにもかかわらず、同じ餅米を同じように蒸したのではそれは味に違いが出るのは当然と思うので、餅こねなら餅こねにあった餅米の品種や蒸し方を追求すればいいし、こね方を改良すればいいだけの話なような。実際に家庭用の餅つき機を使用されている方のコメントをみると、大半は「つきたての餅は市販の餅よりずっと美味しい」である。

鏡開けばこけつまろびつちりぢりに

「鏡開」の鏡は鏡餅のことで、ミラーではない。正月に歳神に供えた鏡餅を下げて皆で分け合って食べることをいう。餅を細分する際に刃物で「切る」ことをさけて槌などで割ることや、割るという言葉を忌み嫌って「開く」とする、といったようなもっともらしいウンチクが語られることがあるが、まあほとんどこじつけ&駄洒落レベルの話ですね。私としてはそういうのはどうでもいい。/もっとも今は十中八九かそれ以上にパックされた鏡餅が用いられているようである。大きめの鏡餅を自分でこしらえるのはたいへんだし、むき出しではネズミにかじられたり黴が生えたりするしね。

 

栓縮杢被蓋くり物 、3点完成

 

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セン(栓)という国産の広葉樹の大木に杢の生じた材料で、角形の被蓋のくり物を3点こしらえました。単純な縮杢ではなく、とくに蓋の上面はキルテッド(布状のしわ杢)といったほうが適切なような杢で、それがうねった年輪とからまりあうようにしてじつに複雑幽玄な表情を見せています。

箱物というとほとんどの場合薄手の板を組み合わせて作った指物(さしもの)ですが、この3点は厚手の板を蓋も実も両方とも深く掘り込んで箱状にしたものです。もちろん手間も材料も指物よりはるかに要しますし、技術的な難度も高いのですが、それだけの当てはあり見ごたえもあると思います。

大きさは長さ×奥行×高さで左から、No.501が153×153×55mm、No.502が182×132×55mm、No.503が157×111×56mmです。実のほうの深さは32〜33mmあり、この手の箱物としてはわりあいあるほうなので容器としての実用性も高いでしょう。塗装は無着色の二液型ポリウレタン塗料を7〜8回ほど刷毛で施し半艶(5分消し)仕上げとしています。写真は撮影の関係ですこしぎらついた印象がありますが、実際にはもうすこししっとりと落ち着いた感じです。全体が艶ありでは品がなくなるので、内側は同塗料の全消し(艶無し)仕上げです。

下にそれぞれの品を多方面から眺めたようすの写真をあげますが、見る方向や角度によってぜんぜん違った器のように見えます。これは、紋様が単なる表面的なものではなく、材料内部の構造的な複雑さに起因しているからです。無着色の透明塗装ですからミクロ的な表面の凹凸がいろいろ作用していることと、木は数十ミクロンくらいまで薄くするといくぶんか光が透過して見えるのですが、外光は器の表面だけでなく材の内部まで入ってから反射してくる光もあります。その反射光は材料の構造・組成によってどの向きにどの程度の強さで反射するか規制されるために、見る向きによって自分の目に入って来る光が微妙に異なります。いわば偏光レンズを通してものを眺めるようなものです。

杢を用いた製品のおもしろさは、同じ品物でありながら万華鏡にも似た多彩な表情を見せてくれるところにもありますね。箱ですからなにかを入れておく道具としてももちろん使えるのですが、杢の表情自体を楽しむというおもしろさもあると思います。実のほうも同一原木からの木取ですが、こちらは杢の入っていない素直な柾目の部分でこしらえているので、まったく異なる印象であることにも注目していただければと思います。

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No.501 栓縮杢方形被蓋くり物 サイズ153×153×高さ55mm、実の深さ32mm 売切れ

 

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No.502 栓縮杢角形被蓋くり物 サイズ182×132×高さ55mm、実の深さ32mm

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No.503 栓縮杢角形被蓋くり物 サイズ157×111×高さ56mm、実の深さ33mm

 

上の3点は一枚の板から連続的に木取りしてこしらえたものですが、最初のNo.501はすでに売却済となりました。下塗りの段階でお見せしたところ強くご購入を希望されたことや、大のお得意様であることもあって早々と売約となりました。本来は今年10月に行う予定の個展のために作った「一品もの」なので、先にみな売れてしまっては困るのですが、No.502と503も「仮予約」というかたちでのご注文は受け付けます。ただし、展示予定の画廊との契約や、他の出展品とのかねあいもあるので、正式な小売価格は展示の直前にならないと決まりませんし、お渡しするのは展示終了後となります。それでよろしければメールにて個別にお問い合わせください。製作原価にもとづく最低価格やおおよその予定小売価格等をお知らせいたします。

 

セダム類の拡大写真

 

冬になって建物内に取り込んだ多肉植物ですが、その中のベンケイソウ科セダム属の植物の拡大写真を撮りました。葉一枚の大きさがドラゴンブラッドは8〜10mmくらいででやや大きめですが、他は3〜5mm程度しかなく葉数も多いので、なにやらもちゃもちゃと雑草が生えているというような印象しかもたれないかもしれません。しかし至近距離でよく観察し、さらにマクロ撮影してみるとじつに愛らしい姿形をしていることがよくわかります。

ただし私のコンパクトデジタルカメラでは、あまりに小さく、かつ奥行きがあるものだと焦点をきちんととらえることができず、鮮明な写真は撮れないのがかなしいところです。

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リトルミッシー

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ブレビフォリウム

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ホソバオウゴンマンネングサ(細葉黄金万年草)

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ドラゴンズブラッド

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オウゴンマルバマンネングサ(黄金丸葉万年草)

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コーラルカーペット

 

つなぐ鉛筆けずり TSUNAGO

 

ツイッターでその機器の存在を知り、ツイッターでコメントをかわすこともある方の母上が開発にかかわっていることから、速攻で注文しました。鉛筆けずりの一種ですが、短くなった鉛筆をつないで最後まで使い切ることができるように加工する専用の鉛筆削器 TSUNAGO です。メーカーは鉛筆けずり用の刃物専業の中島重久堂で、小さな携帯用は完品で生産販売を行うか、もしくは他の文具メーカーに刃物のみ供給しているようです。

工房で使っている鉛筆で短くなってしまったものを、さっそくこの機器で加工してみました。

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上の写真で左側の筒型の黒いものが「つなぐ鉛筆削り TSUNAGO 」で、上面に3つの孔があいています。いま見えているのは1番目の穴です。 1)まず凹のほうの加工をします。一方の鉛筆のお尻のほうに、接合するための穴をあけるのですが、手で鉛筆自体を握って右回しにぐりぐりやるのでけっこう握力が必要ですし、あまり短い鉛筆だと握り代が少なくてやりにくいのと、尖った芯先が手にあたって痛い場合があります。芯の削れた粉が潤滑材のような働きをしてしまうせいか、わりあい強く押しながら回さないと必要な深さの穴があきません。

2)もう一方の鉛筆の先のほうに凸のほうの加工をします。1とは別の穴に差し込んでやはり右回りに回して削っていくのですが、こちらは通常の鉛筆削りとほぼ似た感じで、わりあい楽に削ることができます。ただし下の写真のような細目の寸胴部分がきちんできるまでと加工しないと、1の凹にうまくはまりません。

3)2の削りだけでは削りくずなどで切削面が荒れてしまうので、3つ目の穴に差し込んできれいに肌を整えます(とくに寸胴の部分)。

4)両方の加工ができたら木屑・芯屑などをきれいに除去してから、試しに接合してみます。ゆっくり回しながら押し込んでいくのですが、もし密着しない場合は、削り代が足りないので、再度1〜3をくりかえします。

5)うまく仮組みができるようであれば、接合部に木工用ボンド(通称白ボンドという酢酸ビニルエマルション系の水性接着剤)をぬって固定します。はみ出たボンドは拭き取り、内部まで完全に乾くまで放置します(夏場で半日、冬場は一昼夜)。一度きれいにつながってしまえば、あとは通常の鉛筆削りやナイフが使用できます。

実際に5本くらいの鉛筆をつないでみた感想ですが、「簡単しごく」「誰でもできる」とは残念ながらいいがたいです。握力も必要だし、慣れも要求されます。何本かは駄目元で練習しないといけないかもしれません。というわけで小学生以下の子供や握力の弱い女性やぶきっちょすぎる人はちょっと厳しいかなと思います。加工可能な鉛筆は、径7〜8mmの六角または丸鉛筆で、お尻に消しゴムや樹脂の丸みなどがついていないオール木製軸の黒鉛筆や固めの色鉛筆のみ加工できます。芯の太さも3mm以下です。

このTSUNAGOはいまたいへん人気があり、生産が追いつかない状態にあるようです。また品薄を反映してか小売価格にもだいぶ差があります。よほどひんぱんに鉛筆を使う人でないと、結局のところ「元はとれない」可能性もありそうですが、これまでなら捨てていたような鉛筆や、ホルダーなどを併用して無理に使っていた鉛筆が、つなぎ合わせることによって新しい鉛筆同様に使えるのはちょっとした感激ではあります。

 

佐藤四郎句集『鳶』

 

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酒田市出身の小説家・俳人である佐藤四郎(1911~1941)の句集『鳶』である。明治末に生まれ、大正、そして戦争の始まる直前の昭和16年7月までという、わずか31歳の短い生涯だった。父佐藤良次は上田秋成を世に出し、兄の三郎はジャーナリスト、弟の七郎は本間美術館学芸員という、いわば文化人一家のなかの一人である。国学院大学の卒論は父の遺志を継いだ「上田秋成の文学」であったという。

しかし腎臓病をわずらい酒田市に帰郷。地元の若手の詩人等からなる文芸雑誌『骨の木』に加わり、俳句や随筆・小説・評論などを発表している。『骨の木』は郷土史家・随想・川柳作家でもあった佐藤三郎、グラフィックデザイナー・詩人・俳人であった佐藤十弥が中心となって戦争前夜から戦中にかけて(昭和10〜18年)酒田で発行された雑誌で、30号で終巻となっている。

句集『鳶』は昭和14年(1939)に発刊されたもので、100句が収録されている。和綴じ100部限定というぜいたくな作り。『骨の木』に「蕪村の浪漫精神」という評論を載せているのだが、彼の句にはたしかに蕪村の空気が流れているように思う。それから期せずして、当ブログの8月25日に載せた村上鞆彦の句(句集『遅日の岸』)にもよく似た感じがする。

形式としては伝統的な俳句スタイルを終始ふまえつつ時代的現代的な素材にも意識はおよんでおり、写実を基調としながらも、静謐な描写のかげに虚無や悲哀・諦念をにじませている。「神は細部に宿る」なる箴言を想起するような、自然現象のじつに微細であえかな部分にも目をこらす一方で、空や海などの大きな景もよく出てくる。格調が高く完成度はなかなかのもの。この句集が句歴10年程度の成果であることを思うと、句友であった佐藤十弥らの「夭折した希有の才能」という評価もおおいにうなずけるものがある。

以下にかかげた20句は、シテの会のメンバーであり先輩である相蘇清太郎氏がようやく探し出した句集『鳶』を拝借し、私が書き写したもの。このような質の高い句集に、しかも地元でめぐりあえてたいへんうれしい。

ゆきげ川雪よりおそく雲も流れ
つくし野のつきれば川のあふれをり
手巾につくしをおけば粉のみどり
病む人の雛飾らせてねむりけり
鳩時計とまりてながき春の晝
菜の花の三里を汽車が截つてゐる
潮退けば海盤車一つに濱ひろし
くづれしや闇の牡丹の香みだる
掌の闇に螢息づく光かな
蚊帳ぬちと見しを螢火流れさり
ゆくかたは海と見えしを大揚羽
夏眞晝ひとなき街を白き蝶
闇を截る玻璃戸に貼りて蛾は白し
蠍座の尾に帆船の睡りけり
小春日や虻酔ふてゐる菊の蕊
凍港となる夜オリオン眞青なる
涯昏き枯野を鷲の狙ひ翔ぶ
冬木立星座を懸けて野に隣る
鳶ゆれぬ吹雪とどかぬ街の蒼天
星闇や谿々雪崩れ響みたり

 

追記:佐藤四郎のこの句集は80年近く前のものでありながら、まったく古くささを感じることはなく、現代の句集といわれても同意してしまいそうである。ひきかえ最新の句集である村上鞆彦の句が、80年前の佐藤の句とさして変わらないというのはかなり問題なのではないかという思いを私は強めている。)

 

ペーパーウェイトの再塗装

 

ペーパーウェイトDの塗装の補修をしました。前回7月末頃に発売したものも含め10本ほど再塗装です。展示会などに製品を出すと、皆さんからみな注意深く扱っていただけるとは限りませんので、どうしても細かな擦り傷や当て傷などがついてしまいます。爪や指輪やブレスレットや時計なども要注意です。ペーパーウェイトDは鏡面塗装しているので、よけいその傷が目立ちます。

もちろん通常はそれほど酷い傷ではありませんし、ほとんどは実際にお客様からお買い上げいただいた場合でも数日でそうなってしまう程度の小さな傷ですが、製作者としては、あるいは販売する側としてはとても気になります。

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一部だけの塗り直しだと新旧で色艶に差が出てかえってよくない場合があるので、大丈夫なところも含めて前の塗装をほとんど全部落としてしまいます。それからあらためてサンディングして木地を整えます。たいていは180番のサンディングペーパーから始めて、これが全面にかかったら一度水引き(雑巾で材面を湿らせます)。サンディングの研粒等による圧迫傷をもどすためです。

それが乾いたら次は240番→320番と、だんだん細かいペーパーで研磨していきます。ただ、細かければ細かいほどいいかというとそうではありません。600番とか1000番とかで研いでしまうと木地が滑らかすぎて塗料がうまく乗りません。塗料が木地にしっかりと馴染むためには適度な粗面・凹凸が必要で、それを「足を付ける」といいます。塗料がしがみつく足場がないとという意味です。

写真は320番の研磨をだいたい終えたペーパーウェイトとサンディングペーパーを巻き付けた「当てゴム」です。この当てゴムは六つ切り用で、A4サイズほどのシートペーパー1枚を3つに切って使用します。ペーパーは巻く位置をずらすと2回は使えるので3×2=6で六つ切りというわけです。ほんとうは320番で研磨すべきところを間違って180番で研磨してしてしまうと元のの木阿弥となってしまうので、当てゴムにもペーパーのほうにも粒度の番数をかならず記入しておきます。

サンディングはアマチュアでも簡単にできる容易な作業と思われがちですが、とんでもありません。きれいにかつ効率よくサンディングするには相当な経験と工夫が必要です。

 

猫の前脚

 

以前、ツイッターで飼い猫の前脚だけの写真を集めたものがアップされていたことがあったので、私も真似してみました。といってもモデルはわが家のトントとアルビフロラという老若2匹の雌猫だけですが、まあごらんください(4枚目は後脚もいっしょに写っています)。

するどい爪は折り畳まれ、丸いもふっとした毛ですっかりおおわれた姿がとても愛らしいです。

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コーヒーブレーク 67 「ブリーチ」

 

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涙ぬぐい姿ととのえ初日の出

2016年となりました。とりあえずですが皆様新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。/私は初詣などにはとくに興味関心もないので、大晦日だから元旦だからといって特別なことは何もないが、それでも来し方行く末を思案することはある。ほんとうに酷い世の中になってきたなという感じがする。日本はすでに政治的のみならず経済的にも科学技術的にも三流国に転げ落ちてしまったのではなかろうか。いや以前の隆盛もたんなるメッキであったかもしれないが。

初晴のブリーチする鯨の胸びれ

クジラを実際にこの目で見たことはじつは一度もない。イルカを水族館で眺めたことがある程度だが、あれですらかなりのボリュームと存在感を覚えるので、20〜30mもある大きなクジラを目にしたら圧倒されるであろうことは容易に想像できる。/クジラは現存する動物では最大級の哺乳類で、その中でもシロナガスクジラは体長25m、体重はなんと100〜120トンにもなるという。比較的小さいセミクジラでも体長17m体重50〜60トンというから、それくらいの巨体が水面から半身を大きく飛び出させてジャンプする光景は壮観だろう。ちなみにそのブリーチの跡には古い表皮や寄生虫などが剥がれ落ちて、それを求めてカモメなどが群れ集まってくるという。

ハムスターのお家をのぞき嫁が君

秋田市の大森山動物園にときおり出かける。「動物ふれあいタイム」だかのサービスもあり、ウサギやニワトリやハムスターなどに直接触ることができる場合もある。大勢の人間に取り囲まれて、動物にとっては迷惑この上ないような気もするが、むこうも案外慣れていて、鳴いたり暴れたりすることはない。たしか2年前だと思うが、蛇を生まれて初めて手に持ったことがある。こうした催しもの用に(?)動物園で飼育している大きなアオダイショウで、1m半はある蛇を両手にささげ持ってみたり首にかけてもらったりした。夏だったが変温動物のアオダイショウはすこしひんやりとして乾いた滑らかな感触だった。/ただしこういう体験ができるのも動物園の、人になれた蛇だからであって、野生状態の蛇はたとえ毒のない蛇であっても不用意に手を出すと噛まれることがあるので止めたほうがいいとのことである。/句中の「嫁が君」は正月三が日にネズミを呼ぶときの忌み名であり、正月の季語。地方によって嫁御や嫁御前・嫁女などとも呼ばれる。それくらいかつては生活周辺にネズミが出没していたという証拠でもあるが、当然ながらネズミには雄もいるはずなのになぜか忌み名はみな女の名前ですね。

 

(※ 写真は昨年12月上旬の鳥海山。正面の大きな山は俗に「西鳥海」と呼ばれる笙ケ岳=1635m。その右奥の白いドームは鍋森で、この陰に鳥海湖がある。)