英国出身のミュージシャンであり映画俳優でもあったデヴィッド-ボウイが、日本時間1月11日15時半に肝臓ガンにより死去。1947年生まれということは69歳というまだまだ若い年齢での永眠ということですね。
私は20代前半、東京のアパートで暮らしていた頃の1977年に発売されたボウイのアルバム『LOW』にいたく感激し、けっして誇張ではなくレコードがすりきれるほどに毎日毎日聴いていました(写真は後年に買い直したCD)。このアルバムはいわゆる「ベルリン三部作」の最初のもので、これまで耳にしたことのないようなエレクトロニックなサウンドです。斬新ではあるものの観念だけが先走った実験音楽風ではなく、耳に力強く響いてきましたし、歌詞はアルバムに添えられた解説中のテキストでようやくなんとか大筋を理解できる程度ではあったものの、なかなか感慨深いものがありました。
私はそれまでとりたてて意識して音楽を傾聴することはありませんでしたが(両親が音楽や美術にほとんど関心がなかったせいもあるでしょう)、この『LOW』だけは違いました。それでそのアルバムのサウンドを担当したブライアン-イーノにも当然のごとく興味をひかれ、アルバムを購入して聴いてみると、これまたびっくり。いわゆるアンビエント-シリーズの『ミュージック- フォー-フィルムズ』『ミュージック-フォー-エアポーツ』や、『アナザー-グリーン-ワールド』等々はいまも愛聴盤です。
またボウイやイーノと関係するトーキングヘッズやDNA、ジョイ-ディビジョンといった英米の若手ミュージシャンにも魅かれました。ボウイやイーノが押す連中ならまずまちがいないと。もちろんキング-クリムゾンやピンク-フロイド、レッド-ツェッペリンなどもお気に入りでしたが。
音楽きちがいというほどには時間もお金もそれにつぎ込むことはできなかったし、自分で歌ったり楽器を演奏したりはまったくできないのですが、意識だけはその時代での先端的な音楽を自発的に聴いていこうという思いだけはそれなりにずっと保ち続けてきたと思います。結果的にジャンルでいえばロックであり現代音楽であり、国でいえばほとんどが英国米国と欧州の一部。だから、むろん例外が若干あるとはいえジャズやクラシックやポップスなどはぜんぜん興味をもてなかったし、日本のロックも「なんだこれイギリスのあの◯◯、△△のコピーじゃないか」という印象しかもてませんでした。ビートルズもローリング-ストーンズも私にはいまいちでしたね。