月別アーカイブ: 8月 2011

夕焼を見ながら

 

午後6時前をめどに工房から帰宅するのですが、だいたい西側方向に車を走らせるので、ちょうど今の時期は夕焼けと対面することが多いです。写真は昨日の夕方のものですが、今日も似たような感じの夕焼けでした。

徒歩と違って、きれいな夕焼けなどに遭遇しても車の運転中はすぐには撮影することができません。とくに幹線道を走行中は路上駐車は危険ですし、電柱や建物などがあって適当な撮影地点が見つからないこともしばしばです。そうこうしているうちにも太陽や月などはどんどん位置が変わるし、雲は形が変わります。ようやく車を停め撮影ができるような場所に着いたときには太陽が沈んでしまっているなどということもしょっちゅうあります。

自然はまったく同一であることはなく、大なり小なりなにかが異なっています。その意味ではよく通る道での夕焼けも「一期一会」と思いながら写真を撮っています。

オオバギボウシの群落

 

わき水がしみ出しているような十数メートル四方の林地内湿地全体にオオバギボウシ(大葉擬宝珠 ユリ科ギボウシ属 Hosta  montana)が咲いていました。花期は長く1か月近く咲いていましたが、それもそろそろ終わりのようです。写真は半月ばかり前のものです。

こんもりした大きな根生葉と、高さ1mほどにもなる花茎に横向きに多数咲く淡紫色の花はとても引き立ちます(白い花もあります)。とりわけ写真のようにあたり一面に咲いているようすは、じつにすてきですね。

ギボウシの仲間は世界で約40種、日本には20種ほどあるそうですが、園芸品種も非常に多いです。花も魅力的ですが、花が咲いていない時期の、葉だけの姿もなかなか風情があります。そういえば工房の敷地の一画にも、自生のものか植えたものか分かりませんが、このオオバギボウシが咲いていました。

枯れ枝

 

たぶんミヤマハンノキ(カバノキ科ハンノキ属 Alnus  maximowiczii)の枯れた枝です。鳥海山の標高約1300mくらいの山道に落ちていました。長さ25cmくらいですが、すっかり風化して銀色になっています。腐れはあまりないので、すこし前まで立ち枯れした状態だったのかもしれません。

年輪らしきものを数えてみると、この大きさで百年はゆうに超しているように見えます。年輪幅は0.3〜0.5mm程度。半年以上雪に閉ざされてしまう場所ですし、猛烈な風が吹く稜線上ですから、なかなか成長しないのでしょうね。この枝を拾った場所のまわりの樹もみな曲がりくねっていました。

この枯れ枝は自分の机のそばに置いていますが、手に取って眺めているだけでもなにか厳粛な気持ちになります。

 

ツイッター

昨年の春からツイッター(Twitter)というSNS(ソーシャル ネットワーク サービス)に参加しています。すでに参入されている方には説明するまでもありませんが、投稿字数が140字以内という制限のある、オープンな掲示板のようなものです。

最初に自分専用のアカウント(ツイッター上の固有名)を取得して、なんでもいいですが投稿します。私のアカウントはooesusum で、そのアイコンが上のものです。ツイッター上の「プロフィール」に木工房オーツーのアドレスを明記し、そのブログから簡単に私の氏名や連絡先、顔写真を見ることができるので、実質的に顔写真をアイコンにしているのと変わりはありません。ただ顔写真→アイコンでは陳腐で面白くないので、ほかにあまり例のないようなタイプのシンボルマークをアイコンとしたものです。

アイコンは自由にどんなものでも設定できるのですが、まぎらわしいのは俳優とかミュージシャンとかモデルとか、他人の顔写真をアイコンにしている人がいることで、よほど有名な人の流用ならともかく、それはさすがにいかんのじゃないでしょうか。また最初にツイッターに登録する場合は自分のメールアドレスなどを届け出る必要があります。公開されるわけではありませんが、なりすましや犯罪的行為にツイッターが利用されるのを防ぐ意味でしょうね。

自分専用のホームページのような画面が表示されますが、ツイッターではこれをタイムラインと呼んでいます。自分自身の投稿=ツイートと、自分があらかじめ選んだ(フォローした)他ユーザーの投稿だけが表示されます。閲覧したいなと思う他のユーザーのアカウントを検索窓に入力するか、自分がすでにフォローした人がフォローしている人をたどる形で、順々とフォローを増やすことができます。反対に自分の投稿を他者に見てもらうには、その他者が自分をフォローしていなくてはなりません。自分をフォローしている他ユーザーのことをフォロワーといいますが、したがってフォローを増やすのは簡単でもフォロワーを増やすのはそう簡単ではありません。興味をもってもらえるような投稿をしなければ誰もフォローしてくれませんから。

私の場合は現在フォロー数は約230でフォロワー数が約270です。べつに多ければいいということはまったくなくて、とくに自分がフォローしている数が多すぎるとざっと目を通すだけでも一苦労することになりかねません。

他者の投稿に対しては公開または非公開でほぼ自由にコメントをつけたりダイレクトでメッセージを送ることができますが、あまりへんな人や団体や企業に接触したくない場合は、それをあらかじめ切断・拒否することもできます。

ツイッターが他のSNSと異なるのは、なんといっても投稿が140字以内と短いことです。この制限があることで、通常の前置きや時候あいさつなどといった儀礼的形式的抜きに「本文」を書くことができます。もちろん挨拶などを書き込んで悪いわけではありませんが、そういうものは省略してもかまわないというのがツイッター利用者の暗黙のルールとなっていると考えていいと思います。私も儀礼的なことは大嫌いなので、これはいいですね。

投稿内容はなんでもいいし、ツイッターというインターネット上の道具をどう使おうと基本的に自由ですが、実際のところ宣伝臭がすぎるものや、いま起きただのカレーを食っただの暑いだの寒いだの、他人にはどうでもいいことばかり書いていると、どんどんフォロワーが減ってしまうようです。もちろんデマや誹謗中傷がだめなのは言うまでもありません。若干の制限があるとはいえ原則一般公開のサービスなので、過度にプライベートすぎる話を書き込むこともNGです。

私はできるだけ自分のフォロワーが多少なりとも興味関心をもってもらえそうなことを書くようにしていますが、内容によっては140字ではどうしても書ききれない場合もあります。したがってそのときはいったん原稿を作成して、140字内に収まるように分割してから連続投稿するようにしています。タイムライン上の投稿がなんらかの理由で消えたりしても全投稿の原稿が手元に残っていますから、備忘録やブログその他の下書がわりにも使えるという目論みです。

よく「140字でいったいなにが書けるんだ」と否定的に言う人がいます。たしかによほど言葉を練らないとたちまち字数オーバーしてしまうし、何を言いたいのか皆目分からない文章になりかねません。しかし140字ベースではちゃんとものが言えないという人は、たとえ1400字になったとしても同じことでしょう。その意味ではツイッターは簡潔に効果的に有意の文章を書く絶好の鍛錬場かもしれませんね。

トワイニング

ジャンナッツ(Janat)の紅茶があらかた無くなったので、今度はトワイニング(TWININGS)の紅茶を通販で購入しました。ビンテージ ダージリン、レディ グレイ、プリンス オブ ウェールズ、アール グレイ、アイリッシュ ブレックファストの5種類です。

トワイニングは紅茶の銘柄としてはたいへん有名ですし、非常に多くのグレードと種類があります。今回のリーフティーはそのなかでは中の下クラスといったところでしょうか、クオリティ(QUALITY)というシリーズのものです。いずれも100g入りですが値段は平均850円。1杯3gとして26円くらいですかね。100gで5000円とか10000円以上の紅茶も珍しくはありませんが、まあ私は遠慮しときます。

真夏の猛暑の間は、さすがに紅茶の出番はずいぶん少なくなっていましたが、秋の涼風が吹いてくるとまた温かい紅茶が恋しくなります。

それにしても葉っぱの紅茶(リーフティー)はなかなか根付きませんね。コーヒーのほうは一般的にもインスタントではなく、豆を挽いてドリップなどでいれることがぜんぜん珍しくなくなりましたし、どんな小さなスーパーマーケットでもコーヒー豆は何種類も売られています。それにひきかえ紅茶はいまだにインスタントのティーバッグが主流で、店頭に並んだリーフティーもいつの間にかほとんど姿を消してしまっています。大都市ではもちろん違うと思いますが、地方だと日東やトワイニングのいちばん安いものがかろうじて数種類並んでいる程度。コーヒーに比べてもとくべつ高いわけでもなくいれる手間がかかるわけでもないのに、残念です。

ヒキガエル

渓流に行くといま、よくヒキガエルに出会います。写真の上と下とではずいぶん色合いが異なりますが、いずれもニホンヒキガエルの亜種でアズマヒキガエル(Bufo  japonicus  formosus)です。体長は12〜15cmくらいありました。なかなかいい面構えですね。

 

手箒

 

20年以上も前になると思いますが、仙台のデパートで小物だけの個展を行ったことがあります。画廊ではなく、インテリア小物の売り場の一画で、700×1600mmくらいのテーブルを2台持ち込んで、その上に当工房の定番的な木製小物を中心に並べて展示即売しました。めったに仙台に行くことはないので、展示の合間に近くの商店街をぶらついているときに目にして買ったのが、写真の手箒(てぼうき)です。

座敷箒などと同様に材質は箒草です。それを木綿の色糸でたばね、持ちやすいように元のほうを45度くらい曲げてあります。全長は33cmですが、上質の細かい箒草を使用しているのでいたって丈夫です。毛先は若干ちびていますし、手元の色糸は弱ってきたので凧糸をきつく巻いて糊で固めていますが、まだまだ使えそうです。箒一つが何十年も保ったのでは売る方はたいへんでしょうが、しかしそれが物の本来の姿ですね。

工房ではむろんAC100V電源の集塵機と充電式の小型掃除機も使っていますが、手箒にはまた違った良さと使いやすさがあるので、両者を使い分けています。手箒には機能的な面だけでなく、手仕事のぬくもりといった感覚的・心情的にくすぐるものがあると思います。

オニヤンマ

 

鳥海山の森林限界は1100mくらいですが、それより高い1200m付近の稜線上で見かけたオニヤンマです。珍しく2匹、至近距離で同じ枝に止まっていました。

オニヤンマは日本最大のトンボで、全長は9〜11cmほどにもなります(Anotogaster  sieboldii)。種名はシーボルトにちなんだものですね。オニヤンマはオニヤンマ属で、ヤンマ属ではないことに注意する必要があります。オニヤンマはわき水が流れ込むようなきれいな小川や小さな池などに産卵し、5年ほどかかって成虫になるようです。

当工房の周辺にもオニヤンマはとても多く、ときおり工房内に飛んできて換気扇に衝突するのが痛ましいです。暑い時期は戸窓を全開したいのですが、アブや蚊やこのオニヤンマが侵入してくるのでそれができないのがちょっとした悩みの種になっています。また、きらきら光るものには何でも反応するらしく、走行中の車のフロントガラスに突進してくるのも困りものです。

成虫になってから1〜2か月の間にガ・アブ・ハエ・ハチ・トンボなどをとらえて食べます。鳥海山の上部でみかけたオニヤンマも、もっと標高の低いところで羽化したのちに、これらの餌を求めて上に上がってきたのでしょう。図体の大きなオニヤンマが猛スピードで一直線に飛んでいって、他の小昆虫を空中捕獲するさまは見応えがあります。

 

亀の子束子

「亀の子束子」はれっきとした登録商標で、一般名詞としてはパーム束子(たわし)。ヤシの実の繊維を束ねた多目的なブラシですが、馬蹄形のこの形に針金で成形して使いやすくしたのは、明治40年亀の子束子西尾商店の発明だそうです。以来100年余り経ちますが、すっかりパーム束子の代名詞になっていますね。

ホームセンターなどに行くと、この亀の子束子をまねた商品はいろいろあり、値段も本家本元の半分以下だったりしますが、私は敬意を表して亀の子束子にしました。どだい数百円程度のものですし、何年も使えるのだから安いものです。パッケージも非常に好感がもてます。商品とパッケージがぴったり合っていますね。

小さいものは台所で使っていますが、これの大きいほうの亀の子束子は俗に「馬ブラシ」といって、工房では材木の砂落としに長年使用しています。製材された木材には輸送中や保管中にどうしても土砂やちり・ほこりが付着してしまいますが、そのまま加工すると刃物をいためてしまいます。そのため加工前に必ず束子でごしごしこすることにしています。

月光川増水

 

すでにピークは過ぎていますが、月光川中流域の増水のようすです。数日前までは水が少なすぎて流れの一部が分断しそうなほどだったのですが、15日の夜からの断続的な雨でみるみる増水してしまいました。河川敷内の低い方の堤防ぎりぎりくらいの水位なので、まだ余裕がありますが、それでもすごい勢いで奔る濁流を見ると、身体がすくみます。

私の工房は、鳥海山から庄内平野に向けて流れ出す二つの川のもうひとつ=日向川の最大支流である荒瀬川のすぐそばにありますが、こちらはもっと激しい増水で、橋桁が水に接するほどの出水でした。堤防の上端まで余すところ2mくらいしかなく、警戒水位を越えたようです。一部通行止めがあり、防災無線の放送も流れました。二河川ともいまのところ目立った被害はきこえてきませんが(鶴岡市や旧平田町などでは土砂崩れ等あり)、大雨・洪水警報は依然発令中で、降雨は明日午前中くらい続きそうなので予断を許しません。

ところでこうした大雨やそれによる洪水、また地震や台風や旱魃などの自然災害が起きるたびに、それを「自然が牙をむいた」云々と表現する人が少なくありません。しかし私はそうした言葉を見聞きするたびに強い違和感を覚えます。自然はいつだって自然であって、たとえ3月11日のあの巨大地震や大津波であってもそれは自然本来の姿であり、異常でもなんでもありません。

同じ自然でありながら、人間にとってはときに「恵み」や「安楽」であり、ときに「災厄」や「恐怖」となるということであって、徹底的にそれは人間の側の問題です。自然は突然豹変して牙をむいたりすることも、裏切ったりすることもけっしてありません。もちろん小規模の洪水ひとつでもたいへんな苦難ですが、自然がわるいわけではなく、人間にはそれを回避する知恵や技術がないというだけの話です。「牙をむく自然」というような感覚と姿勢でいるかぎり、自然にたいする理解がすすむことはないでしょうし、さらなる苦難が訪れるのを避けることもできないと思います。