月別アーカイブ: 9月 2011

高校生と河原宿の雪渓へ

9月27日に地元の遊佐高校の生徒25名、教師3名とともに鳥海山の標高1600mくらいまで登ってきました。南側斜面の滝ノ小屋〜河原宿〜心字雪渓というコースで、標高1100mの車道終点から標高差約500mの登行です。

「鳥海山の湧水」という科目で2000年から行っているフィールドワークの一環で、私が非常勤講師を務めています。これまでは麓や低山域の湧泉・湧水を観察していたのですが、その湧水の大元のひとつである膨大な積雪の痕跡である雪渓(小氷河)をいちど見てみようということになったものです。距離はたいしたことはないものの、道のようすや標高からいえばこれは明らかに登山というべきものなので、天気や生徒たちの行動を心配していたのですが、全員無事登って下ることができました。天気もよく、月山や葉山、丁山地や神室連峰など、遠くの山並みもきれいに見え、みな満足したようです。

河原宿の先の雪渓は、「心」の字の2画目にあたる大雪渓も今年はかなり後退して小さくなっていました。ほぼ毎年この時期、9月末から10月はじめにこの場所を訪れていますが、この十数年の間では今回が雪渓の規模がいちばん小さいように思います。おそらくこれも地球温暖化の影響のあらわれではないかと考えています。

 

ウエツキブナハムシ

2008年9月に、当工房の旧ホームページの「全然自然」167頁に記した「ブナの葉枯」は、ウエツキブナハムシ(Chujoa  uetsukii)というハムシ科の甲虫によるブナの食害についてでした。体長6mm程度の黄褐色の昆虫ですが、ときおり大発生してブナの葉を広範囲に食い尽くすために、遠くから見ると山林全体が時期外れにはやばやと紅葉したように見えます。ちなみにウエツキというのは人名で、葉の上につく虫という意味ではありません。

成長した葉の表面だけを食べることと、急速に大量発生することで鳥やカビなどの天敵も増え数年で収束するといわれています。鳥海山では大量の発生を2008年に確認しましたが、その後2009年も2010年も同様に食害が続き、このままではいくら葉だけとはいえ長期間食害にあったら樹木本体も弱ってしまうのでないか、枯れてしまうのではないかたいへん心配していました。

しかし今年はだいじょうぶなようです。8月のお盆休みにたまたま鳥海山中で出会った知人も「幼虫に白いカビみたいなのがいっぱい付いていた」と話されていたこともそれを裏付けています。調べてみるとこれはボーベリア・バシアーナという糸状菌。自然林はそれが健全な自然林であるかぎりどこかでバランスをとるわけですね。

その季節でもないのに標高500〜1000mあたりのブナ林帯が赤く染まっている鳥海山をずっと心苦しく眺めていました。断定まではできませんが、おそらくはもう安心していいでしょう。よかった、よかった。

 

 

ミャースケ

昨日の早朝、ミャースケが死んでしまいました。わが家の3匹の猫のうちいちばんの古株で、生後2ヶ月くらいでもらって17歳半くらいになるキジ猫です。キジ猫というのは鳥のキジの羽模様のように、全身が黄褐色と黒との縞状になっている猫のことです。

前の日までふつうにご飯も食べ、足下にまとわりついてはなき、膝にのったりしていて、とくに具合がわるいところもなかったのですが、朝家族が起きてみると居間の片隅に横になり息絶えていました。まだ身体はあたたかい状態でした。

猫も性格はさまざまで、ミャースケはたいへん気の強い猫です。歳をとり往時にくらべるとずいぶん身体も小さく細くなってしまったのですが、自分より身体の大きい他の2匹に対してよくうなっていました。猫パンチも得意です。その反面とても甘えん坊で、私が昼寝をすればお腹にのってくるし、机で読み書きをしていればすかさず膝に乗る、夜は私の右肩に両手をのせていっしょに布団で寝るなどしていました。

ずっと家の中で飼っていたので、交通事故にあったり伝染病にかかることもなく、健康に暮らしていたと思います。それが突然、ぽっくり逝ってしまいました。たぶん老衰死だと思います。今思えば以前にくらべるとまん丸くなって横になっている時間が多くなってきていたようにも思います。17歳半というと人間なら90歳くらいでしょうか。大往生かな。

写真は3年前のもの。最近のでちゃんと顔が写っている写真がありませんでした。この頃はまだそれほど細くなってませんね。

 

再木取り

家具の部材を加工中に傷が出てきました。外見では木口にぽつんと小さな染み程度に見えたのですが、テーパーをつけようと一端を6mmほど削ったら、中から「入り皮」でしょうか、看過できないくらいの傷があらわになってしまいました。それほど深くまでは入っていないように思いますし、強度的には問題ないレベルですが、しかし目立つ場所に表に使う部材なので、これはもう使えませんね。お客さんには乾燥不足か外圧によるひび割れにしか見えませんから。

この部材は2本一組で使うものなので、急遽新たな材料から1本木取りして荒削りをしたところ、今度は大丈夫だった1本との色味や木目の具合がアンバランスです。結局2本とも新調することになってしまいました。

ある程度加工がすすんでいた部材でしたから、この段になってやり直しするのは材料も手間も大きな痛手ですが、まあいたしかたありません。いくら気をつけていても途中から欠陥があらわれてくることがたまにある、というのが自然素材の宿命です。

 

釜磯

大縮尺の地図でみると一目瞭然ですが、山形県と秋田県の県境あたりの海岸線が海に大きく張り出していますが、これは鳥海山からの溶岩流などが海まで押し寄せて海を埋めたためです。また山体そのものも沖合の海底まで地中深く伸びています。写真は山形県遊佐町の吹浦地区で釜磯という場所のものですが、数百mにわたる海岸線一帯から湧水が出て、海に流れています。

釜磯は文字通りにかつては巨大な釜のような地形の磯浜だったのですが、北側に広大な埋め立て地ができたために潮の流れが変わって砂が堆積するようになってしまいました。そのためその砂の層を突き破るようにしてあちこちから湧水が噴出しています。その量は膨大なもので、何本もの小川を形成して海に注いでいます。

地元の人間にとっては昔から見慣れた光景で、さほど特別なものとは思っていなかったのですが、外部から訪れた水門学・地学の専門家などはこのようすに驚嘆します。湧水は地上だけではありません。京都市にある総合地球環境学研究所の教授谷口真人さんが実測調査したところ、釜磯や女鹿湾・三崎公園北側の長磯などの鳥海山海底湧水は世界一の海底地下水湧出量であることが実証されています。世界中の海底湧水を調査研究してこられた方が専用機器(湧出量計)を海底に設置しての結果ですから、まちがいはありません。単なる地元びいきやお国自慢をこえて、鳥海山はさまざまな面でほんとうに特別な存在といえます。

今日は昼から子どもも連れてこの釜磯でたっぷり遊んできました。湧出口に脚を突っ込んだり、大岩の上にあがっておやつを食べたりしました。海水にくらべ異常に冷たい、澄んだ湧水は、ただ眺めているだけでも心が洗われるようです。今日はおおむね晴天で祝日でもあったのですが、他にはほとんど人がいなかったのは幸いというべきか残念というべきか。灯台元暗しです。

雨が上がって

台風が過ぎ去り、今日はだいたい晴れときどき曇りの天気でしたが、夕刻またひとしきり激しい雨が降りました。その後、帰宅途中で眺めた西の空です。きれぎれの雨雲と、黄色から淡紅色の夕映え。ところどころにはまだ青空ものぞいています。色彩ゆたかでドラマチックな夕焼けでした。

 

刃物にはなぜか惹かれるものがあります。実際になにか切ったり削ったりする具体的な目的があって入手することも当然ありますが、数本に1本くらいは刃物そのものの魅力に負けてつい財布の紐をゆるめてしまうことも。写真の鉈もそのひとつです。刃付け以外には磨きや化粧などいっさいほどこしていないところがいいです。実用本意ということですね。

酒田市の打刃物製造販売の池田太四郎商店謹製の鉈で、以前に工房用に包丁を購入した際に、店の片隅に置いてあったものを衝動買いしたものです。質実剛健ということばがぴったりの、荒々しい魅力にあふれています。刃長195mm、全長400mm、重さは690g、刃の峰の厚さは8mmもあって、ものすごく頑丈そうです。裏は材木に食われないように大きく空いてあります。裏にお店の刻印に並んで3という数字が打ってありますが、刃幅が59mmなので3寸鉈という意味でしょうかね。値段は忘れてしまいましたが、1万はしなかったと思います。いわゆる「手作り」刃物で、この価格はけっして高くありません。

ずっと前から市販の量産品の鉈も持っており、いつもはそれを使っているので、この新しい鉈はまだ未使用です。使うにはまず専用の鉈ケースも作らないといけません。むきだしでは危ないし、刃が欠けたりしたら困ります。

勾配切削用ベッド

 

椅子とかテーブルの脚など、角度が付いた部材がよくあります。木取〜下拵えでまず元から末まで同じ寸法の正確な角柱を作ってから、それに墨付をして一定量を切ったり削ったりしてテーパーを付けていくのがふつうですが、写真はそれを専用治具+自動鉋盤で一気にやってしまう工夫です。

鉋盤の定盤にのっている木材の下方のクリーム色のものが治具で、仮に「勾配削り用ベッド」と呼んでいます。勾配(こうばい)というのは、例えば「100m水平移動すると10m上がるような傾斜のことを0.1勾配」というように表現します。角度で何度と表してもわるいわけではないのですが、紙の上で作図するだけならともかく、現場で12度だとか27.5度だとかを迅速かつ正確に墨付し加工するのは非常に困難です。巨大な分度器が必要ですし、分度器の目盛にたよってのマーキングは誤差が出やすいからです。

その点勾配で0.255とか図面に表示してあれば、1mの水平線の一端から25.5cm垂直に立ち上げたところの点と、水平線のもう片方の端とを結べば「勾配0.255」の傾斜線が簡単に引けます。角度表示に比べ作業性は抜群にいいわけですね。

今回の治具もその勾配表示〜加工にならったもので、全長1mほどのヒバの台が0.015の勾配でできています。治具の上に載っているのは家具のパーツで、治具といっしょに自動鉋盤に入れてやるとパーツの上面が0.015の勾配に削れます。もちろん切削量が多い場合は、一度に2mmくらいずつの削りを数回繰り返して最終的に所定の寸法に仕上げます。また、パーツがぶれないように両端を駒で規制しています。

パーツ一本ごとに線をひき、それをのこぎりで切り、鉋できれいに削ってという通常の加工手順に比べ、きわめて早く正確に加工できます。この方法では基本的に機械自体の精度がそのままパーツの精度に伝播することになりますが、実際のところ10本加工すれば10本すべてが0.0001以下の勾配誤差でぴったりそろったパーツになります。

ただし最初の勾配治具をいかに正確につくるかが問題です。そればかりは多くは手作業によるのですが、一度作ってしまえばあとはこれをひな型にしてコピーは簡単にいくらでも作れます。もちろん家具のパーツに必要な勾配は一様ではありませんので、0.01〜0.05くらいまでよく使う勾配のベッドを10種類ほど作ってあります。

 

釣舟草

 

いま山野でとても目立つのがこのツリフネソウ(釣舟草 Impatiens  textori)です。ツリフネソウ科ツリフネソウ属の1年草。日当りのいい湿ったところに群生していることが多いです。草丈は50〜80cmくらい。

じつに変わった形の花で、細い花柄の先にぶら下がるようにして長さ3〜4cmほどの花が咲きますが、なぜこれを釣舟草と呼ぶのかと思い、あらためて植物図鑑をひもといてみたところ、「つるして使う釣舟という花器にたとえたもの」と説明してあるものがありました。「花を舟に、花柄を釣り糸にみたてた」と説明する図鑑もありましたが、これははちょっと苦しいです。花色は紅紫色から淡紅色がふつうですが、たまに白色のものもあります。

2枚目の写真をみるとよく分かりますが、花の後ろ(左側)のほうがくるんとしていますね。この部分を距(きょ)といいますが、これが渦巻き状になっているのが特徴です。ツリフネソウの近似種にキツリフネ(Impatiens  noli-tangere)がありますが、こちらは距は下に向いているだけで、巻いていません。→3枚目の写真

 

9/15の胴腹ノ滝

 

9月15日朝の胴腹ノ滝です。9月3日の写真と比べると、少しづつですが確実に水量が減っています。3日以降も何度か雨は降っていますが、雨量はたいしたことはありませんでした。洪水の心配をしなければならないほどの大雨でなければ、胴腹ノ滝の湧水量にすぐには影響しないようです。15日の滝の湧水温は右・左ともに9.0度です。気温は20.8℃でした。

ほぼ毎回鳥居の前の表流水(胴腹ノ滝とは別水源で、元は湧泉)と周囲の気温も計っています。いつもは滝の前の祠のところの気温より1〜2℃程度こちらのほうが高いのですが、今回は逆に0.2℃鳥居の前の気温のほうが低かったです。胴腹ノ滝にしても鳥居前の表流水にしても、湧水としては水量が多く凹地になっているために、車を降りて流れが見えてくるととたんに冷気を感じます。とくに真夏のうだるような暑さのときは、ほんとう癒される思いがしますね。

なお、写真はありませんが、9月8日の胴腹ノ滝は右が8.9℃、左が9.0℃、9月11日の胴腹ノ滝は右・左とも9.0℃でした。