月別アーカイブ: 5月 2017

シュンラン

 

鳥海山の某所に咲いていたシュンラン(春蘭)です。ラン科でシンビジュームの仲間です(Cymbdium  goeringii)。草丈は10〜25cm、低山域の落葉樹林の下に生える多年草。つまりある程度陽当たりがよくないとだめなのですが、落葉広葉樹が葉を茂らせる前にいち早くシュンランは花を咲かせるというわけです。もうすこし経つと樹木だけでなく背の高い草の陰になってしまいますから。

個人的には派手な色彩と形状のいわゆる洋蘭はあまり好きではありません。ことに園芸品種として改良された蘭はもらってもぜんぜんうれしくもありません。それにくらべると、このシュンランのような野生種の静かなたたずまいはとても好ましいと感じます。花の色は淡緑黄色なので、気をつけないとその存在に気づかない場合もあります。

シュンランは別名をホクロといいますが、3枚目の写真でわかるように唇弁にある斑点をほくろに見立てたとのこと。う〜ん、これはあまりに即物的ですね。

 

 

 

コーヒーブレーク 106 「家系図」

 

 

花いかだ花筏を圧し沈めつつ

[はないかだ はないかだを おししずめつつ]どうしてみな桜ばかりに注目するのかわからない。とくに今の時期は桜以外にも数えきれないほどたくさんの草木の花が咲くのだから、そういったものにももっと興味関心を持ってもらいたいという思いがある。桜よりも、あるいはすくなくとも桜と同じくらいに何々がいちばん好き、という人がたくさんいても不思議ではないのになあ。/結局のところ多くの人にとっては自然の移り変わりとそれを端的に表す野山の植物の開花はさして興味もないということなのだろう。せいぜい音楽や本や衣料品やテレビドラマなどが流行に乗って、あるいは乗せられて一色に染まっていくように、桜色にすべてが染まっていくだけである。

ラテン語の辞書にはさみし種袋

[らてんごの じしょにはさみし たねぶくろ]生物の学名、すなわち世界共通の命名はラテン語で行われる。二名法といって、属名+種小名という形式で記載されるが、同じものは二つとないので、学名で呼ばれ書かれるかぎりどこの国や地域であってもそれが指し示す生き物は同一のものである。そうでないと学術的な意思疎通や論議は不可能であって、これはそういった必要から生まれた偉大な発明であるといえるであろう。/ラテン語の発音は日本語でローマ字読みをするのとほぼ同じなので、意味の理解はともかくなんとか発音することはできそれをカタカナで表記することができる。これも偶然とはいえ、たいへんありがたいことである。

家系図の永遠に濡れ目借時

[かけいずの えいえんにぬれ めかりどき]家族の血のつながりを一覧にしたものが家系図である。自分の親兄弟が誰で、そのまた親兄弟の親兄弟は誰、というわけだが、仮に兄弟姉妹が各世代で2〜3人ずつだったとしてもわずか数世代を追うだけで膨大な人数になってしまう。とても全部は書ききれない。したがって通常は親の親の親というふうに恣意的に対象を限っていくのだが、それでも数段階昔になれば一般庶民には皆目不明というのがふつうである。記録が残っているとは限らず、その残っている記録も正確であるかどうかはわからないからである。/実際私自身のことでいえば親の親のあたりまではなんとかわかるが、その先は不明で、戸籍でも丹念に調べればもう一段階くらいまではわかるかもしれないが、それより先は不可能であろう。もっとも祖先が誰であれ、そのことが直接いまの自分とはほとんど無関係だと思うので、わざわざ調べる気もないが。

 

オトメエンゴサク

 

4月いっぱいくらいで花期はだいたい過ぎてしまいましたがケシ科キケマン属 のオトメエンゴサク(乙女延胡索)のさまざまな花色です。同じ場所に咲いているのにこれだけ多くのバリエーションがあるのは、園芸花ではない野生の花ではなかなか珍しいのではないでしょうか(Corydalis  fukuharae)。今年4月8日にこのブログで取り上げたオオミスミソウに匹敵する感じです。

オトメエンゴサクは10年前まではエゾエンゴサクと一緒にされていたものですが、花の下の小さい葉に切れ込みがないことなどで、いまは別種とされています。それに尽力された方が女性の研究者(フクハラさん?)だったことからオトメ〜となったということのようです。

山地の湿った場所に生える多年草。葉は互生し、小葉は1〜2回3出複葉だが、葉の形には個体差が大きい。オトメエンゴサクは本州中北部、エゾエンゴサクは北海道に分布。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深窓の令嬢

 

猫の心霊写真、ではありません。わが家の飼い猫のアルはよく窓辺で外を見ていることが多いのですが、この日はちょうど夕方で窓ガラスに夕焼けと近所の建物が写っていました。そのすぐ内側にアルがいたので、合成写真みたいに像がだぶっています。

アルはこうして私が外から撮影してもとくになんとも思わないようですが、昨年死んでしまったトントなどはたちまち部屋の奥に逃げてしまいました。私であることは認識しつつも、私と室内空間とはあくまでワンセットであって、そうでない場で私を見ることにたいへん不安を感じていたようです。猫はそれぞれ性格に大きな差異があり、ひとくくりにして「猫はこうだから」とはとても語れません。

下の写真は外の景色があまり写り込まない角度で撮ったものです。

 

子供たちと山麓でキャンプ

 

連休中の5月3日・4日は私の子供を含む小学生3人といっしょに、鳥海山麓のある場所でキャンプをしました。春と秋の、だいたい毎年恒例の”行事”です。通常のキャンプ場でやれば、水道や電気やトイレ、炊事場などがあって簡単便利ですが、やはり自然体験としてはいまいち面白みに欠けます。

そのためできるだけキャンプ地ではないところでするようにしているのですが、そのぶん焚き火・花火・バーベキューなどは厳禁ですし、ゴミや残飯等はすべて完全に持ち帰るようにして絶対に汚さないようにしないといけません。気持ちとしては「来る前よりもきれいにして帰る」です。鳥海山の標高1000mのところにある無人の山小屋=万助小舎のモットーと同じです。

日中は他にも訪れる人が若干いましたが、夕方以降はまったく自分たちだけしかいません。食事はメニューの設定から買い出し、調理まで基本的には子供たち主体でやります。山岳用のテント2張ですが、これの設営と撤収のしかたも私が教えながら子供たちからやってもらいました。夜は外灯などはいっさいないのでヘッドランプが唯一の頼りですが、半月が出ていたのでまずまずの暗さ。夕食後に下の人家があるところまで肝試しに歩いて往復しました。

就寝は9時半。日中快晴だったので夜間は放射冷却でかなり冷えました。朝は5時半頃に起きて朝食と、昼のおにぎり作り。ふつうはテントを撤収したあと、近辺のハイキングに出かけるのですが、今回は事情があってそれが無理なので、秋田市の大森山動物園に行きました。連休で天気もいいとあって、これまで経験したことのないたいへんな混雑でした。数年前から高校生以下無料であることや(大人は720円)、屋内外に自由に休憩や弁当開きができるところが何箇所もあることも人気の理由かと思います。

 

 

捨て畑の水仙

 

河川敷近くの、もう耕す人もなくうち捨てられた畑。そのヨシに全面おおわれつつあるところにキズイセン(黄水仙)がたくさん咲いていました。最初はおそらく畑を作っていた人が畑の傍らに植えたものだと思いますが、水仙は毒を持っていて見た目よりはずっと丈夫です。それでしだいに増えていって群落をなしたのだと思います。下の写真は場所は別ですが、やはり河川敷に近いところのスイセンで、こちらは八重咲きです。

しかし畑作という人為的介入がなくなったままでは、そのうちヨシやイタドリ等の背の高い植物の波に飲み込まれてしまって消滅してしまうかもしれません。それもまた自然の摂理とはいえ、無常を覚えます。

 

鳥海山と夕焼

 

夕刻もしくは夜にときどき月光川の縁を散歩します。川の向こうには鳥海山が鎮座しており、いつみても美しく荘厳であると感じます。季節や時刻や天気によっても鳥海山や月光川、またその周辺はさまざまな違った表情を見せてくれます。

写真は一昨日の日没直前の午後6時20分頃。

 

 

コーヒーブレーク 105 「ふらくたる」

 

 

春耕や大興安嶺法に魚の骨

[しゅんこうや だいこうあんれいに うおのほね]大興安嶺は中国満州・内モンゴルにある長さ1200kmほどの火山山脈である。最高峰が2036mで、あとは1200〜1300m程度のそれほど高い山脈ではない。とここまで書いてみたが、よく考えてみれば1300mクラスの山々といえば、秋田県から山形県にかけて連なる神室山地と同じくらいの高さがあり、しかも神室山地の長さ30kmほどに対し大興安嶺は1200kmである。神室山地が40個も続いていると思えば、やはりたいした山脈なのだ。/大興安嶺という名前が既視感が強くあるのはやはり日中戦争の記録があるからで、行軍にせよ日本の軍用機による中国大陸内奥の爆撃などのドキュメンタリーを読んでいると、しばしばこの山脈の名前が登場する。

ふらくたるふらくたる蛇穴を出づ

[ふらくたる ふらくたるへび あなをいづ]自然の風物を観察していると、とくに動植物に顕著であるが、ある部分の形がもっと大きな部分や全体の形とよく似た形をしていることに気づくことがある。サイズを変えながらパターンがどこまでも連続していく。このような部分と全体とが自己相似形をなしているような図形をフラクタル(fractal)図形という。フランスの数学者マンデルブロが導入した幾何学の重要な概念である。/フラクタルというアイデアを採用した絵画やアニメーションをじっと見ていると、距離や大きさや物量の感覚がしだいに歪んできて、とても落ち着かない気分になることがある。登山などに必携の1/25000の地形図でもフラクタルとはいえないまでも相似的な形はよくあらわれ、ルートや地形の確認をするために長い時間地図を凝視していると、その仮構の世界にひきずり込まれるような気持ちになることがある。平面のはずがある瞬間、急に立体的に見えてくることも。

轟沈も撃沈もありぬべし笹の舟

[ごうちんも げきちんもありぬべし ささのふね]軍艦が敵から攻撃を受けて被害が生じた場合、その程度によって小破、中破、大破、撃沈、轟沈といろいろ名称があるらしい。逆に攻撃する側の視点からいえば、理由はなんであれ戦闘不能にした場合は、ひっくるめて撃破というのだとか。たしかに外目には、どのくらいの損壊をあたえたかは沈没してしまった以外はよくわからないので、まったく反撃してこないという時点で撃破したということになるのであろう。精神&根性主義と、スーパーリアリズムと。

 

 写真はヤブコウジの実。背丈はせいぜい15〜20cmくらいだが常緑矮性の樹木である。雪が溶けた春先はとくにこの赤い実がとてもよく目立つ。サクラソウ科ヤブコウジ属。)

 

エゾイチゲ

 

エゾイチゲ(蝦夷一華 Anemone  yezoensis )。キンポウゲ科のイチゲの仲間ではもっとも小さいほう。花径は約10mm、3小葉に3枚の葉が輪生。先日、鳥海山某所で30株余りが花を咲かせているのに遭遇し、たいへん驚きました。30個体近ほどの小群落とはいえ、小さい個体では葉を合わせても幅25mmくらいしかないので、よほど気をつけて歩いていないと見落としてしまいそうです。ヒメイチゲに比べ葉の幅がかなり広めなことから別名ヒロハノヒメイチゲ。

これまでは高山帯で森林限界より上、標高1200mくらいから上でしか私は見たことがありません。どうしてこれほど低いところにエゾイチゲが?? ◯◯や△△や□□といい、鳥海山では常識をくつがえすようなところに花が咲いていることがあります。

 その後いろいろ調べていたら、鳥海山の上のほうで以前みたのはヒメイチゲであって、エゾイチゲではなかったような気がしてきました。再度現地で確かめてみたいと思います。→2004年6月に鳥海山の笙ケ岳近くで撮った写真を探してきました。4枚目の写真です。やはりそちらがヒメイチゲ。今回のはエゾイチゲです。