日別アーカイブ: 2017年3月23日

青猫句会 2017.3.15

 

毎月第三水曜日の午後6時半〜9時に「アングラーズカフェ」で開催している青猫句会です。今回は参加者は相蘇清太郎・今井富世・大江進・大場昭子・齋藤豊司(投句のみ)・佐藤歌音・佐藤や志夫(やは弓+爾)・南悠一の8名。それに見学者のKさんで、合わせて9名の句会となりました。句会の進め方はいつもどおりということで、以下省略。
では其の一から。

4 春泥や豆粒なほどの島四つ
1 春ならむ乳房恋しや逢ひにゆく
1 深爪し血流れをり冬のをはり
0 やはらかきミューズの生れし弥生かな
1 貰われて雛を齧らむ仔犬かな
2 かたまってげんげ花咲く村に入る
4 ヒヤシンス凍土つきぬけ淡きひかり
1 制服のすそを乱して春は来る

最高点は4点で2句あります。1句目は<春泥や豆粒なほどの島四つ>です。春泥はちょうど今頃の季節で、積雪が溶けて道や田畠の近くなどがどろどろになることです。つまり不整地であるために、一面の泥っぽい水たまりながらところどころに島のように地面や石ころなどがのぞいていることがあります。そうした実景ととってもいいし、また四つの島の解釈によってはもっと大きな景、たとえば北方四島であるとか、国生み神話のように泥をかきまわした際の滴が北海道・本州・四国・九州の四島となった話と取ることもできます。俳句はこのように言葉ひとつを多義的にとらえることができるのも愉快なところですね。作者は私です。

もうひとつの最高点の句<ヒヤシンス凍土つきぬけ淡きひかり>は、ヒヤシンスのイメージや雰囲気にぴったりです。もちろん実際に凍土を突き破ることはないでしょうが、凍土を長く寒い冬のことと寓意的にとらえれば、雪が溶けて真っ先に花を咲かせるヒヤシンスは、まだまわりにほとんど緑がないだけに白い花なら白い光が、赤い花なら赤い光が花のまわりにぼうっと浮かんでいるような感じがします。私も取りました。作者は齋藤豊司さん。

次点2点句の<かたまってげんげ花咲く村に入る>ですが、げんげはレンゲソウのことですね。ただ、レンゲソウは田畠に群れをなして一面に咲くのがふつうなので、かたまって咲くではそのまま。もっとも花のようすだけでなく、そのような田園風景を通って自分が村落に入っていくというのは動きがあっていいと思います。作者は大場昭子さん。

あとは1点句ですが、<春ならむ乳房恋しや逢ひにゆく>は取りようによっては物議をかもしそうです。乳房のある相手はだれなのかですが、母親なのか妻なのか、それとも、といったあたりですね。春になって乳房が恋しいという感じはわかります。作者の佐藤や志夫さんによれば、亡くなった奥さんへの想いのようです。なるほど。

<深爪し血流れをり冬のをはり>はやや句意を取りにくいかもしれません。私しか取りませんでしたが、上五・中六を雪解のようなものととらえればいいでしょうね。あれほどいっぱい降り積もった雪も、春になれば溶けて川になって流れて消えていきます。やはり冬の終焉は、同じ季節の変わり目とはいっても1年の区切りという感慨があります。深爪で血ですから、いろいろと厳しい辛いこともあったのかもしれません。作者は南悠一さん。

<貰われて雛を齧らむ仔犬かな>は貰ってきた、あるいは貰われていった子犬が、無邪気になんでもかんでも噛んで遊んでいるようすを詠んでいるのか、なにか鬱屈しているところがあって八つ当たりのようにお雛様を齧ろうとしているのか、どちらともとれます。そのあたりでみなさん選句を迷ったかも。作者相蘇清太郎さんによると、貰ってきた小さな座敷犬で、前者のようです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

其の二ですが、ここからは見学者のKさんがくわわり選句もしました。

5 臥すひとに力貸してよ蕗の薹
0 思春期のこころ妖しきクロッカス
2 軍港や見下ろす坂の竹の秋
2 春の塵かろき心の庭はじめ
2 菜箸で取り分ける芽ぐみのみどり
1 春風にゆるみし欲の皮一枚
1 この日頃蟲けらのごと穴を出づ
3 割れし薄氷蝶となり飛びゆける

最高点は<臥すひとに力貸してよ蕗の薹>で5点入りました。春先にいっせいにあちこちに芽を出すフキノトウはたしかに元気いっぱいという感じがします。そのエネルギーを病気かなにかで臥せっている人にも分けてほしいなあ。と。「力貸してよ」は文語ではなく口語ととったほうがいいかと思います。そのほうがフキノトウのイメージにも合っているでしょう。私も取りました。作者は相蘇清太郎さんでした。

次点の3点句<割れし薄氷蝶となり飛びゆける>は、薄氷(うすらい)と蝶という春の季語がふたつありますが、薄氷はすでに割れてしまっていますし、それが蝶と化して飛翔するという幻想的な景なので、問題はないと思います。薄氷も春先の蝶もどちらも弱くはかないものであり、せっかく飛び立ってもほどなく消えてしまうのでしょう。シジミチョウの仲間やウスバシロチョウ、コミスジなどはほんとにそんなイメージです。作者は私です。

2点句は三つあります。<軍港や見下ろす坂の竹の秋>はいったん上五の切れ字「や」で切れるので、遠景から次いで中景、近景へと視点がズームしてきます。注目すべきは「竹の秋」で、秋という言葉が入っていても春の季語です。新しい竹が日に日に伸びる時期は、そちらに養分が取られてしまうのか、元の竹がまるで枯れたように黄色みをおびてしまいます。それを竹の秋というわけです。軍港を詠んだ句はもちろん他にありますが、竹の秋との組み合わせはまず他にないのではないでしょうか。竹の秋のようにいつなんどき酒田港だって軍港化してしまうかもしれない、そういう異様さやあやうさといったものを想起します。私も取りました。作者は大場昭子さん。ちなみにこの港は呉だそうです。映画『この世界の片隅に』の舞台となったところですな。

<春の塵かろき心の庭はじめ>は春先の庭仕事の説明になっているだけで、予定調和的。作者は齋藤豊司さん。<菜箸で取り分ける芽ぐみのみどり>は菜箸+芽ぐみ+みどりと、同列の言葉がならびすぎ。みどりを分けるくらいにとどめ、別の言葉を持ってきたいところです。作者は南悠一さん。

1点句の2句ともに川柳的であり平凡(けっして川柳がよくないと言っているわけではありません)。