若水のとりどりのかたちに汲まれおり
[わかみずの とりどりのかたちに くまれおり] いまも健在であるが、実家には自噴の井戸があったので、元旦の朝は井戸蓋に小さな鏡餅をそなえるとともに井戸水を薬缶や鍋に汲んで家の中に持って行くのも子供たちの務めであった。すでにその井戸には電気のポンプがしつらえてあったので、台所で蛇口をひねれば水は出てくるのだが、正月だけはやはり手で井戸水を汲むのが習わしである。
軽トラの運転手付きの礼者かな
[けいとらの うんてんしゅつきの れいじゃかな] 一人で仕事をするようになってから当工房では軽トラを手放してしまったが、悪路の走破性と荷物搭載の汎用性・柔軟性はたいしたものである。ぬかるんだ泥道だろうが、砂浜だろうが、数十センチの雪だろうがどこでも走っていく。4輪駆動にすればジムニー顔負けである。荷物の搭載はいちおう350kgまでとなっているが、実際にはその2〜3倍くらいまで大丈夫なようにできているし、平らでオープンな荷台なので、多少は荷台からはみ出たものも載せて運ぶことができる。/運転室はさすがにちょっと狭いので長距離運転は疲れるが、近在を走り回るにはとても利便性が高く、経済的な余裕があっても定年退職してからはもっぱら軽トラを自家用・自分用の車にしている人は珍しくない。
あふりかのけやきでつくられ獅子頭
[あふりかの けやきでつくられ ししがしら] 材木市場における通称のアフリカケヤキとは、ジャケツイバラ科アフゼリア属のアパ、ドウシエ、リングワ、パチロバ、チャンフータなどの樹種をいう。ケヤキに似た褐色〜黄褐色の固く丈夫な材で、直径1m以上の巨木になることから、枯渇しつつあるケヤキの代替材として使われている木である。とりわけ寺社仏閣の柱などは今やこれらのアフリカ産の巨木なくしては建てることが不可能であるといわれる。/むろんアフリカならばそういった巨木がたくさん生えているのかというと当然そんなことはない。単に需要と供給との関係であり、莫大な輸送費をかけてもケヤキよりは安上がりという意味でしかない。しかし他の国の貴重な大木・巨木を消費してまで寺社仏閣をどうしても建てねばならないのだろうか? それは自然を崇敬すべしという教義に反するのではないのかね。