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シテ9月句会 2014.9.17

 

奇数月の第三水曜日に開いているシテ句会の9月ぶんです。『シテ』は短詩形文学の発表と批評を目的とする同人誌で、年3回発行が目標ですがこれまで4号を発刊。メンバーは酒田市を中心に9名ですが、その中の活動の一環として句会もときどき行っています。今回の出席者は相蘇清太郎・阿蘇豊・今井富世・大江進・大場昭子・高瀬靖・南悠一・渡部きよ子の8名(敬称略)。

事前に無記名で2句投句し、清記された2枚の句群から参加者それぞれが当日2句ずつ選び、容赦のない自由な合評が終わってから作者名が明かされるのはいつもの通り。2時間半にわたる「バトル」です。では第一幕から。

2  秋夕焼飴煮る匂ひの港町
1  秋の陽はさびしさびしと傾きぬ
2  ひとり居に色なき風のレクイエム
0  詩はよせや巷に涙胸に雨
5  イナイ人ハ手ヲアゲテ八月十五日
0  恋ころぎ(虫に車)今宵逢瀬は茄子の陰
2  いわし雲被災地の泥深く重く
3  昼顔や道理に合わぬ雨がやみ

最高点は5番目の<イナイ人ハ〜>ですが、戦争で亡くなった人の無念さや悲哀がよく出ている、カタカナ表記が時代を感じさせよく効いている、という評価がある一方で、いかにも反戦というようで付き過ぎという意見も。こういった句はほかにはないのではないかという声もありましたが、まあ若干技巧的なにおいはあるかもしれません。ただひらがなではふざけすぎと取られかねないでしょうね。作者は私(大江進)です。

次点は3点句の8番目<昼顔や〜>です。「道理に合わぬ」をどう解釈するかですが、先の広島県などの集中豪雨とその甚大な被害をさしているそうです。昼顔は合っていて(朝顔ではだめです)、惨憺たる現場にぼうっと立ち尽くす被災者のようすがみえるようです。ただ理屈っぽい感じはあるので、道理に合わないという部分をもっと他の言葉で具体的に表せるといいと思います。作者は南悠一さん。

2点句は3句ありました。1番目の<秋夕焼〜>ですが、秋の夕焼け+飴を煮る匂い+港町で、材料がそろいすぎのきらいがあります。実景がそうだったということかもしれませんが、もっと焦点をしぼったほうがいいでしょうね。作者は大場昭子さん。3句目<ひとり居の〜>も上の句と同様に材料が盛りだくさんにすぎます。上・中・座と3つとも同じような感触の言葉が並んでいるので、逆におたがいに相殺してしまっています。作者は渡部きよ子さん。7句目の<いわし雲〜>は思いはよくわかるのですが、泥ですから「深く重く」とまで言ってしまっては常識的・常套的。言わずもがなという気がします。作者は高瀬靖さん。

2句目の<秋の陽は〜>は当たりまえすぎる情景ながらも駄目押しで「さびしさびしと傾きぬ」とまで言ったことで逆にすくわれた感があります。私はあえて採りました。作者は阿蘇豊さん。4句目<詩はよせや〜>は私にはまったくなんのことだかわかりませんでしたが、ベルレーヌの有名な詩をもじったものだそうです。そういえば「街に雨が降る、胸に涙が流るる」みたいな詩がありましたね。「詩はよせや」ということなので、そういう韻を多用し叙情にはしるのは止めろという意味のようですが、詩の素養がないと理解不能ですね。作者は相蘇清太郎さん。6句目<恋ころぎ〜>は他のいくつかの句とならんで材材が目一杯。事実がたとえそうだったとしても句にするときはもっと整理したいです。作者は今井富世さん。

ここまでで1時間20分ほど経過。今回は8名の参加とやや人数が少ないぶん、合評に熱が入りました。みなさん遠慮せずに「これはよくない。こうしたほうがいいのでは」と言い合いをするので、句会をたんなる趣味やお稽古事的にとらえている人には厳しいかもしれません。ほめられればたしかに誰しもうれしいのはたしかですが、忌憚のない批判こそは栄養、ありがたいことだと思います。

・・・・・・・

さて第二幕です。

2  白桔梗ゆれてためいき匂い立つ
3  銀漢の死にたる星もひきつれし
0  山肌を一切攫ひて秋立ちぬ
5  ものいはぬ女なりけり秋の水
1  枝豆の匂い立つ夕べかな
1  十薬の花の白きに怯えたり
1  はまなすの終日風に抱かれをり
3  落蝉に西風一つ眩しけり

最高点は4句目の<ものいはぬ〜>の5点。どうして女がだまりこんでいるのかなにやらわけがありそうですが、下五が秋の水とあるのであまり深刻な場面にならないですみました。秋の水ですから澄んだきれいな水で、女性の心もいまは落ち着いて冷静な感じにはなっているのでしょう。作者は高瀬靖さん。

3点句は2句あります。2番の<銀漢の〜>ですが、これは現代ならではの句。銀漢は銀河・天の川のことです。星にも生死があり、いま見えている星は何万年もはるか昔に発した光がいま地球に届いているだけであって、もしかしたらいまは消滅しているかもしれません。太陽系にいちばん近い恒星ですら4.3光年離れているそうですから。天文学の初歩的知識が広く共有されるような時代だからこそ、星空をみてそのような感慨がわくのであって、芭蕉の時代などにはけっして詠まれることのなかった句です。下五が「ひきつれし」なのでやはり上五は銀河や天の川ではなく銀漢でしょう。作者は私。

次の8番目の句<落蝉に〜>は光ではなく風がまぶしいというのがとてもいいですね。夏も終わりに近づき、風も北西からの風が多くなってきます。あるいは夕方になって、それまでの陸風が海風(日本海なので西風です)にかわるあたりでしょうか。佳句です。ただ表記としては<〜西風ひとつ眩しかり>としたほうがいいと思います。作者は今井富世さん。

次点2点句は1番目の<白桔梗〜>句ですが、ためいき+匂い立つ、とちょっと付き過ぎですしくどすぎます。どちらか削ってもっとさっぱりすっきりさせたほうが白桔梗の感じには合っているでしょうね。このままでは演歌みたいです。作者は阿蘇豊さん。

1点句は3句。最初の<枝豆の〜>は、たまたま1番目の句と同じ「匂い立つ」という言葉が使われていますが、通常それは良い香りがほのかにしかしたしかに漂ってくる場合に使われる表現だと思いますので、この句では適切ではないと思います。作者=相蘇清太郎さんによれば収穫する前の枝豆の匂いのことだそうですからなおさらですね。次の<十薬の〜>はドクダミのあの白い花のようすを詠んでいるのですが、個人的にはとても清楚なきれいな花(実際には総苞片)と思っているので、「怯えたり」はぴんときませんでした。ドクダミは名前が損しているのでしょうが、あまりいいイメージを持たれないことが多いのが残念です。作者は南悠一さん。

最後の<はまなす〜>はじつは漢字で書かれていたのですが、私のワープロソフトでは出てきません。すみません。ハマナスは海岸べりの乾いた土地に生えているバラ科の落葉低木で、花は野生のバラ科のなかでは大き目で紅色でとてもきれいですが、枝には鋭い刺がびっしり生えています。下五の「抱かれおり」がその点ですこしそぐわない気がします。過酷な土地に繁茂する強靭な植物ですから。作者は渡部きよ子さん。

3番目の句<山肌を〜>はやはり広島県などの先日の大水害を詠んだのだそうですが上句の山肌を一切攫うでは、読者には伝わりにくいでしょうしそれと立秋との結びつきがよくわかりません。甚大な災害があったにもかかわらず季節は関係なくめぐり、はやくも秋めいてきたよという一種の非情性を詠みたいのであれば、もっと表現を練らないといけないと思います。作者は大場昭子さん。

・・・・・・・

シテ句会は新しい体制になってこれで4回目ですが、句歴の長い私などの若干名をのぞくと他の方はほとんど初心者に近いといっていいと思います。詩はみなさんずっと長く書いてきているのですが、俳句となるとだいぶ勝手が違うようで、みなさん苦労されているようすです。とはいえさすがに詩作されてきているので慣れるのもはやいように感じます。つい自分の思いをいっぱい詰め込みすぎになりがちですけどね。

俳句は極度に短いということがくせ者でありまた魅力でもあります。発想の起点がなんであれ全部は五七五に詰め込めないので、どの言葉に光をあてどの言葉は捨てるのかというきびしい「引き算」が求められます。取捨選択し凝縮する。そのことが逆に詩的世界広げるという魔法のようなしかけです。

 

ぶらんこの座板交換

 

ぶらんこの板がたいそう痛んでしまい、もう使いものにならず危険でもあるので新しいものに交換してほしいとの注文です。妻の実家の集落にある小さな公園ですが、村社神社の境内とおぼしきところの空き地にぶらんこが2基、さびしそうに並んでいました。奥のほうのT字型のぶらんこ支柱は珍しいですね。

骨組みも鎖もかなり古くてすっかり錆びついてしまっています。しょっちゅうこすれる箇所は鉄も摩耗して細くなっていますが、とりあえずは依頼のあった座板を新調しました。材料はベイヒバで、もともとヒノキなどより耐久性はある材木ですが、手持ちの120mm角をふたつに割って、47×108×530&580mmにし、縁はすべてR6の丸面。もとの座板は鎖間の幅が狭いほうは400mmしかなく、それでは大人はちょっときつすぎるので440mmに広げ、逆に520mmあった広いほうは490mmに狭くしました。

完全無節になるようにいいとこどりの木取ですが、さらに無色透明の含浸性の外部木部塗料をたっぷり2回塗ったのでしばらくは保つでしょう。

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黄金田

 

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いま庄内平野は稲刈りがはじまっています。見渡すかぎり黄金色に輝く稔り田で、とりわけ天気がよく陽光が強い日中などは平野全体がまるで金箔を張ったようにまぶしいまでに光り輝いています。 単純にきれいだなあと感じないではありませんが、これはきわめて人工的な光景で、凹凸のほとんどない平坦な地面といい、そこにほぼ単一の植物が生えていることといい、「自然な」景観にはほど遠いものです。そのためだと思いますが、私はきれいだなと感ずる気持ちと違和感とのせめぎあいをいつも覚えます。

現在では前ほどにははやらないようですが、例えば北海道の前田真三氏の「風景写真」などは、全部がそうだというわけではありませんが、一面に植えられた穀物や花の写真を「ネイチャーフォト」と称するのは、明らかに違うだろうと思います。大型の重機や農業機械、大量の農薬や化学肥料などが投入されることではじめて出現可能な人為的・人工的な風景ですね。ある意味では都会以上に都会的な作られた風景といえます。すくなくとも私はそういった写真をみて「自然」を感ずることはまったくありません。

あ、いちおうお断りしておきますが、私はそういった田園風景や農耕地やそれらの写真といったものを否定しているわけではありません。ただ本来の自然とは違うことや、その違いというものにもっと繊細・敏感でありたいと考えているということです。

 

コーヒーブレーク 28 「イナイ人ハ」

 

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夕焼けや万年後には蛞蝓之國

通称「俳句甲子園」と呼ばれている全国高校生俳句選手権の昨年の最優秀句は広島県立広島高校・青本柚紀さんの<夕焼けや千年後には鳥の国>である。いい句だとは思うが、「最優秀賞」というのはどうなんだろうね?という気がする。文学の世界では高校生ともなれば大人扱いにしてしかるべきだろうから、もっとすごい句はなかったのかとつい考えてしまう。/さて人類は千年後にははたして存在しているだろうかというとまあ微妙なところか。近代以降のわずか200年程度でどれだけ世界が(地球が)変貌したかを思うと、千年先というのは予想もつかない感じではある。ただ上の青本さんの<千年後は〜>の句では鳥類が繁栄しているように詠まれているが、それはないだろう。農薬や放射能の汚染でももっとも影響を受けやすい生物のひとつはまちがいなく鳥類のように思われるので、人類にとってかわる生き物はもっとべつなものではなかろうか。まして一万年後ならね。/上記の私の句は言うまでも青本さんにささげるオマージュです。ついでに言うと俳句にかぎらず「高校生らしい作品」「高校生らしくない作品」云々という批評は私は大嫌いだ。それは高校生をばかにしているだけです。

イナイ人ハ手ヲアゲテ八月十五日

小学生から高校生くらいまでを対象に、私は野山へガイド役としてくり出すことがときどきある。私自身は言わないが、子どもたちの班長や気をゆるした引率の教諭などが「はい、いない人は手をあげてください」などといって点呼をとることがある。むろんそれ自体はたんなる冗談であり、全員がそろっていることが点呼をとるまでもなくわかっているからこその言葉なので、べつに目くじらを立てるようなことではない。/しかし彼らといくらも年のちがわない若い人が先の大戦ではおおぜい兵隊として召集されて、その多くが死んだ。あるいは爆弾や栄養失調や疎開先での抑圧等により小さな子どもたちがたくさん死んだのだ。

るりたてはきべりたてはと翔びきたる

ルリタテハ、キベリタテハともわりあい珍しい蝶で、しかも非常に美しい蝶である。それぞれ漢字では瑠璃立羽・黄縁立羽と書くが、前者の翅は濃紺の地に外縁近くに空色の太目の帯が前後に入り、後者は小豆色の地に外縁の黄色の太い帯とそのすぐ内側の青い斑紋。他に似た色彩模様の蝶はなく、かなり離れた位置で遭遇してもそれとすぐわかる。/日本産の蝶は220種余りしかなく、さらに東北地方くらいに地域を限定すれば実際に遭遇可能な種はずっと少なくなる。またそれぞれに翅に特徴的な色合いや模様を持っているので、顕花植物と同様に種の区別がしやすい。したがってその気があれば、小学生くらいでも蝶を見分けるのはそう難しいことではない。

 

写真はヤマボウシの果実。初夏に白い大きな花を咲かせるミズキ科の樹木で、実は赤く熟すと甘みがあっておいしい。

超仕上鉋盤の刃のケース

 

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当工房には丸仲鉄工所製の古い超仕上鉋盤があります。約30年前に工房を開設しその後1年ほど経って、出入りの木工機械屋さんが「中古の出物があったから」と言って持ってきたものです。運搬設置費込みで12万くらいしたと思いますが、最大250mm幅まで機械で仕上げ削りができるのは非常に魅力的でした。(刃のセット角度90度の場合。)

通常の自動鉋盤または手押鉋盤は円柱状の鉋胴に2枚または3枚の刃を仕込んだもので、その鉋胴がモーターの力で高速回転することで材料をすこしずつ削っていきます。したがっていくら切れのいい刃であっても多少なりとも波状の削り肌になるわけで、そのままでは仕上面には使えません。

それに対し超仕上鉋盤は、定盤に固定された刃に対して材料をベルトで送って削るので、原理的には手鉋で材料を削るのと同じです。むしろ刃の幅が手鉋よりずっと広いので刃の段差が刻まれることもないし、一定の圧力と速さで材料を削るので非常にきれいに削ることができます。逆目もたちにくいです。ただし削ろうとする材料自体が基本的に平面・通直でないとうまく削れませんし、当然刃の幅より広いものは削れません。その点は多少の反りやねじれ、幅広の板であっても臨機応変に削ることの可能な手鉋とは違います。

手順としてはまず自動鉋盤で一定の厚さと平面を出した材料を、ロールの跡などの凹みや傷を水を引いて膨らませ、乾いたらそれを一枚ずつ超仕上鉋盤にかけます。比較的幅がせまく、また数が多い場合は、手鉋で削るのとは比べものにならないほど短時間かつ少ない労力で材料を仕上げることができます。

この超仕上鉋盤用の刃はつごう3枚もっているのですが、専門の研磨店に出すときは最初に買ったときに入っていたボール紙のパッケージに入れて渡します。ところが後から追加で購入した刃でも十数年経つので、いいかげんそのパッケージがぼろぼろになってきました。このままではせっかく研いだ刃が傷つくおそれも大きいし、見た目にもちょっと恥ずかしい。

そこで専用の入れものを自作しました。材料はベイヒバで、8×60×232mmの大きさの刃を、一枚ずつ個別に余裕をもって収納できる大きさにしました。蓋は箸入れのようなスライド式です。写真の下が外観で、上が蓋をとって中に刃を入れたところです(研ぎ上がったものを実際に中に入れるときは紙に包んでから入れます)。

数年来の課題がひとつ解決しました。これで安心して研磨依頼と保管をすることができます。

 

O様邸リフォーム工事 その15

 

山形県庄内町のリフォーム工事は先月8月28日に「完成引渡」を行い、翌々日くらいからOさんご家族が生活されています。しかし木工事の遅れと、ガラスがかなり特殊なものであったために、5枚ある内部木製建具は後回しになっていました。

完成引渡の時点ではガラスのかわりにベニヤ板をはめこみ、それを使っていただいたのですが、9月になって入荷してきたガラスから順次、本来の建付と納品を行いました。これでやっとほんとうの完成ですが、その5枚の木製建具についてすこしくわしくご紹介します。デザインと製作は私(オーツー:大江進)です。

トイレと洗面脱衣室の戸

きわめてプライベートかつ他者の視線を避けたいトイレや洗面脱衣室といった部屋の戸は、基本的にクローズドにするのがふつうです。せいぜい使用中かどうかがわかる程度の型板ガラスやステンドグラスに似たものをはめた小窓を上方に設けるくらい。出入口だけでなく外窓もそれに応じて小さめにすることが多く、結果として暗くなり密閉感の強い空間になってしまいます。昔のトイレ(便所)などであればにおいの問題などもあり、また戸の面材の種類がきわめて限られていましたのでやむをえない理由もあるのですが、水洗の便器となり24時間運転の換気扇が着くようになっても、昔からのイメージはなかなか変えることがむずかしいようです。

しかしトイレも洗面脱衣室やお風呂もほとんど毎日使いますし、快適な生活をするのに欠かせないものです。ここで過ごす時間は実際計算してみるとかなり長いものになると思います。したがって必要にせまられてやむなく使う空間ではなく、そこにいること自体が一種の快感であり心が休まるような空間であればどんないいいでしょう。新築であれば間取りの段階からいろいろそれに向けて工夫することができますが、リフォームの場合は建物の構造から改変し間取りを変更することは強度的・コスト的にたいへん難しく、選択肢が限られてしまいます。

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そうした中で効果的なのはやはり窓や戸です。従来の固定観念にとらわれずに一から考えてみれば、要するに他の空間ときっちりと仕切ることと、視線をさえぎることができればそれでいいわけですね。ということでガラスです。もちろん透明なガラスではなく、照明や外光を必要なぶんだけ透過または遮断できる乳白色のガラスを採用しました。5mm厚の透明なガラスの片面(室内側)にセラミック塗料を焼き付けした特殊なものです。光線の遮蔽度は何段階かあるのですが、今回のトイレと洗面脱衣室に用いたのは約半分をさえぎることができるものです。また焼き付け塗装をすることで強化ガラスとなり、ふつうのガラスより丈夫で万一の破損の場合も破片が鋭利にならないので重大事故を避けることができます。

いいことづくめのようですが、はっきり言って面積あたりの単価は通常のガラスの数倍しますし、ガラスメーカーの特定の工場でしか作れないので納期がそうとうかかります。今回はお盆休みが間に入ったこともあって、注文してから入荷するまでちょうど1ヶ月かかってしまいました(通常でも3週間だそうですし、下記の強化型板ガラスの場合でも2週間)。

写真1枚目は トイレのドア。袖壁なしのフルオープンのドアです。2枚目は洗面脱衣室の引き戸で戸袋収納式です。ドアのほうの把手はオリジナルで作製したアメリカン-ブラック-ウォールナット製のもの。引き戸の引手はステンレス製のシンプルな市販品です。

せっかくのガラスですのでそれを最大限活かすように木枠は周囲の4辺のみで、中桟などはいっさいありませんし、枠の寸法も強度的に安心できる範囲内でできるだけ細めにしています。面取りも複雑な飾り面をほどこしたようなものではない、ごくあっさりしたものです。

リビング&ダイニングと廊下との戸

今回のリフォーム工事の対象外のリビングから、トイレや2階への階段などに行くときの引き戸ですが、以前の後付けの蛇腹式のドアを一本引きの全面ガラスの引き戸に変更しました。廊下側に引き込めるので戸袋はなしです。写真はリビング側から写しています。もう一枚は新しくなったキッチン&ダイニングルームから、やはりトイレや2階に行くときの引き戸で、同じく四方枠+全面ガラスですがこちらは食卓わきの壁面を有効に使いたいこともあって戸袋収納式です。

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この2枚の引き戸のガラスは先のトイレならびに洗面脱衣室のガラスとは異なり、いくらか視線をさえぎる程度の型板ガラスです。人の姿はぼんやりながらもはっきりわかります。今もっとも多く使われている型板ガラスは霜がおりたような不規則な細かい凹凸のある「カスミ」ですが、それではあまりにもありきたりなので、細かい斜めのチェック模様の凹凸がある強化型板ガラスにしました。カスミに比べモダンでおしゃれな感じがします。通常の型板ガラスに対し強度は3〜5倍くらいあり、万一割れた場合でも粒状の破片となります。

勝手口のドア

全部で5枚作った内部木製建具のうち、4枚は全面ガラスですが、1枚だけは上半分がリビングやダイニングと同じ斜めチェックの強化ガラスで、下半分は3枚の柾目板を使った鏡板仕上げです。全体の幅が740mmほどあるドアの鏡板に無垢の板をはめこむと温度湿度の影響で伸び縮みしたさいに割れてしまうおそれがあります。そこでここでは板を3分割とし、間に雇いざねを介することで伸び縮みに対応できるようにしています。

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ドアの向こうは電気温水ボイラー(エコキュート)を置いた1畳の土間で、写真とは別のアルミサッシのドアをさらにあけて裏庭に出ることができるのですが、あくまでも通用口なので全面ガラスではかえってそぐわないでしょう。ただ日中は室内にできるだけ光はほしいので上はガラスにしました。把手はトイレと同じくアメリカン-ブラック-ウォールナットでこしらえたオリジナル品です。ウォールナットは素のままで赤味をおびた濃い茶色なのでアクセントにもなると思います。ドアの左下に付いている黒っぽいものはマグネット式のドアキャッチャーです。

戸のロックなど

さて以上で5枚の建具を説明しましたが、じつは今回最後まで悩んだのがトイレと洗面脱衣室のロックです。使用しているときに不意に開けられることがないように戸をロックしたいのですが、同時に万が一にも中で人が倒れてしまったときには外からそのロックを簡単に外せるようにもしないといけません。単なるロックだけであれば市販の金具などがいろいろありますし、ドアハンドルなどと最初からセットになったものもふつうにあります。しかし今回は既成のドアハンドル等を使わないことにしたのと、部屋全体のデザインとの相性のこともあり、たいへん苦労しました。

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結局、メインは木製で、あとは市販のボルトやナットやマグネットを利用してオリジナルでひとつずつ作製しました。1枚目はトイレのドアロックですが、回転軸のボルトはドア枠を貫通して外まで抜けています。なべ頭のボルトの頭のほうが室外に出ているので、非常時にはプラス2のドライバーでそのボルトの頭を半回転すればロックを解除することができます。問題はただボルトを通して内外で締め付けたのではロックするときも解除するときも硬くて回せなくなるので、先にロックのレバー側の木にナットを埋め込んでおかなければならないことです(写真ではそれは裏にかくれているので見えません)。

またドアを閉めて外に出たときに反動で勝手にロックがかかってしまっても困ります。それを解決するのがマグネットの埋め込みです。ロックを外して丸棒のハンドルを上に上げると磁力のキャッチが効くしかけです。これなら不意にレバーが倒れてロックがかかることはありません。ちなみに写真にはコンセントカバーも写っていますが、プラスチック製ではなくアルミ合金製のすこしヘアラインがかかったものです。今回はすべてのコンセントカバー類をこの手のものに統一しました。

2枚目の写真は洗面脱衣室のロックです。これはさらに難問で引き戸が戸袋に収まる式なので、ロックは戸と戸袋との隙間(幅6mmほど)にうまく入る必要があります。最初に作ったものは厚みがありすぎて駄目。次に作ったのが写真のもので、木製ながら強度が出るように本黒檀(まぐろ)でレバーを作りました。受ける側は箱状にしたウォールナットの下部にステンレスのピンを埋め込んだものの全体を、戸枠を掘り込んで取り付けています。不意にロックがかからないようにするのにはやはりマグネットを利用しています。

3枚目の写真は戸袋式の引き戸に取り付けた埋込式のレバーです。本来は床板などの開口に使うもののようですが、ダイカスト製でかなり頑丈なうえに下部のボタンを推すとレバーが30度ほど持ち上がる方式や、見た目の美しさが気に入って援用しました。これがないと戸袋に収納した戸を外に出すことができなくなります。もしこの把手を出したままうっかり戸を閉めたとしても戸枠をひどく痛める心配はありません。

さて戸袋式の引き戸にした場合、開口部より幅の広い戸を納めることになるわけですが、どうやって最初に戸をそこに入れるか、です。大きくは二通りあり、戸を入れてから戸袋の枠のほうに別の枠を足す。もうひとつは開口部より狭い戸を作り、それを戸袋に入れてから戸のほうに框を付け足す、です。一長一短があるのですが、今回は後者の方法としました。

 

O様邸の水回りを中心とするリフォーム工事のレポートはこれにていちおう終了とします。読者の方でリフォームや新築工事をお考えの方で、もしこの件にご関心がございましたら、さらに詳しいご説明または現地のご案内をします(もちろんO様のご了解が必要ですが)。メールにてご連絡ください

 

独楽回しの舞台

 

この前、自宅に子どもたちが数人集まり、床のフローリングの上で独楽を回していました。独楽といってもベイブレードという今風のやつですが、尖った先端で床が傷だらけ。まだ築1年半の新しい家なのに……。

「ここでやっては駄目!」とは言ったものの、ただ叱るだけではかわいそうなので(ほかに適当な場所もないし)、仕事の合間に専用の舞台を作りました。市販のプラスチックのベイブレード用の舞台はスタジアムという名前で呼んでいるようですが、自作のは5.5mm厚の合板の四方に22×22mmの角材を回した、80×80cmの正方形です。自家用なので塗装もなしで簡略な作りですが、比較的軽くかつそう容易には壊れにくいようにはしないといけないので、この程度のものでも2時間くらいかかりました。

実際これで私も独楽を回してみると、他の独楽とぶつかりあってケンカさせるにはもうすこし舞台が狭いほうがいいようです。中しきりを設けて可変式にすればいいかもしれません。

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秋の高瀬峡の花

 

昨日地元の高校のフィールドワークの下見をかねて、鳥海山の高瀬峡を歩いてきました。湧泉からの水を麓の集落までひいているその人工の水路を水源地近くまで遡り、それから高瀬峡遊歩道をいちばん奥の大滝まで行きました。他に出会ったのは10人くらいで、薄曇りのおだやかな山行でしたが、いつものようにたくさんの花と会うことができました。

私自身の備忘録の意味もふくめて50音順に記すと、イヌコウジュ、ウツボグサ、オクモミジハグマ、オトコエシ、カラマツソウ、キツリフネ、キンミズヒキ、クロバナヒキオコシ、コナスビ、ゴマナ、サラシナショウマ、シシウド、ジャコウソウ、シラヤマギク、ダイモンジソウタマブキ、タムラソウ、ツリフネソウ、デワノタツナミソウテンニンソウトキホコリ、ノコンギク、ヒヨドリバナ、ホツツジ、ミヤマアキノキリンソウ、ミヤマトウバナ、モミジガサ、ヤマハギ、ヤマハッカ、といったところで29種ほど(青色のものは下に写真も掲載)。間違いがあるかもしれませんが、その場合はご指摘ねがえればさいわいです。

この中で私としては初めて実物と遭遇したのがクロバナヒキオコシです。ほぼ真っ黒にちかいシソ科の小さな花ですが、よく見るとたいへん魅力的な花です。休憩でなにげなく座った岩の2mほど先になんだか見なれない姿の植物が目に入ったので、近寄って調べてみるとクロバナヒキオコシでした。念願の花に会えてとてもうれしいです。

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オクモミジハグマ(キク科)

 

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クロバナヒキオコシ(シソ科)

 

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ジャコウソウ(シソ科)

 

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ダイモンジソウ(ユキノシタ科)

 

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タマブキ(キク科)

 

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デワノタツナミソウ(シソ科)

 

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テンニンソウ(シソ科)

 

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トキホコリ(イラクサ科)

 

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ホツツジ(ツツジ科) 上は赤味の強い花の群開、下はほぼ純白の花

 

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モミジガサ(キク科)

 

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ヤマハッカ(シソ科)

 

明治参拾六年

 

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ある方から、古い家屋を解体した際の木材等がいらないかというお声がかかり、先日伺ってきました。材木のほうはケヤキを中心とした造作材ですが、ほかに欄間やふすま、組立式の飾り棚、機織機がありました。 バンの荷室いっぱいに積み込んで工房に持ち帰り、あらためて清掃点検整理をしたところ、かなり痛んでいるものもあり再利用できるものは限られようですが、おひな様か祭事のときの一時的な組立式飾り棚とおぼしきものがあり、そのひとつに写真のような墨書がありました(氏名はわざとぼかしています)。なんと明治36年3月です。西暦でいうと1904年ですから今から110年前。

古いほうの家屋自体はすでになく、土蔵の中にいろいろ入れてあったのですが、1世紀以上も前の木製の什器がそのまま残っていたことに驚きとちょっとした興奮を覚えました。素材はスギで一部はおそらくヒノキのようですが、無垢の木だからこそ今まで残っていたわけで、これが鉄板や樹脂などであればとうに朽ちてしまっていたと思います。

またこうした古い木製品をみるにつけ思うのは、当時は樹木の伐採から製材・加工・仕上までほとんどすべて手作業によるもので、現在に比べ相対的にたいへん高価で貴重なものだったにちがいありません。細密な調度品などは一般庶民には無縁なものだったと思います。だからこそ、いつ誰がどこであつらえたかといった覚え書きを品物にもいちいち墨書したのでしょう。墨は基本は炭素ですから劣化して消えてしまうこともまずありませんし。

この組立式棚板がすんなりとまた使えるようなものかどうかは細部を点検し実際に組み立ててみないとなんとも言えませんが、無事できるようであればまた報告したいと思います。

 

コーヒーブレーク 27「住宅展示場」

 

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日めくりの厚み増したる残余のもの

一日一枚ずつ一年ぶんとじられた昔ながらの暦は、今でも根強い人気があるようだ。1枚びりっと破りとって「さあ今日も新しい一日が始まるぞ」という思い、あるいは「ああ一日が無事終わったな」という思いがいやがおうにもわくところが一種の快感なのかもしれない。子どもが保育園に通っていたときも、その送り迎えはだいたい私の役割だったから、7時半頃に保育室まで行くとまず日めくりの暦の昨日までのぶんを切り取るのを子どもも楽しみにしていた。ときどき同じ時間に来たほかの子どもがいると、連休あけなどは「じゃあ1枚ずつね」といいながら破っていたなあ。1枚だけのときはじゃんけん。

水の惑星猫にもふたつありにけり

上の写真は9年前のもので、ミャースケがまだ元気でトントといっしょにくっついて寝ていたときのもの。撮影の物音かなにかをききつけて頭を同時にもたげた瞬間である。手前のミャースケは淡黄色の目(虹彩、アイリス)だが、後ろのトントは水色の目をしている。光のかげんによってはさらにおどろくほど青く見えるときがある。虹彩の色合いだけでそう言い切れるのかどうかわからないが、トントはいわゆる洋猫の血が濃いらしく、動物病院のカルテでも「雑種」ではなく「ミックス」と記載されていた。/目が青いので首輪もそれに合わせて水色の首輪を付けたところとても似合っていてよかったのだが、いつのまにか紛失してしまったのが残念。ちなみにミャースケのほうは首輪はいっさいうけつけない猫であった。見かけどおりというべきか、歴代の猫でいちばん野性味の強い猫だった(16歳半で永眠)。

大きすぎる小鳥のいて住宅展示場 

たまに「敵状視察」もかねて近在の住宅展示場に行くことがある。最近の住宅建設業の動向を知るとか、新しい建材や機器、注文されて家具を製作することになったお客様の住宅が◯◯ハウスということで、そのマッチングを探るためといった理由である。しかし総じていえば住宅展示場はあまり居心地のいいところではない。住宅メーカー各社のモデルハウスであり、それぞれのメーカーの標準的あるいは代表的な施工例を実物展示していることになっているのだが、実際にはいろいろ脚色&演出がしてあるのが通例である。標準外のオプションがてんこ盛りになっているケースも珍しくない。/本来であれば実際にそのメーカーに建ててもらうことになった場合の完成引渡時のレベルの「素の建築本体」を見せてもらえばいいのだが、それでは一般の人はそこで生活した際のイメージを思い浮かべることはまず無理だろう。そこでメーカーのコーディネート担当者かだれかが家具やら調理器具や食器、電化製品、カーペットやクッション、絵や写真や彫刻や大型の本などを飾り付けるわけである。しかしなんだかそれがとてもウソくさい。ときにウサンクサイとすら感じることもある。