日めくりの厚み増したる残余のもの
一日一枚ずつ一年ぶんとじられた昔ながらの暦は、今でも根強い人気があるようだ。1枚びりっと破りとって「さあ今日も新しい一日が始まるぞ」という思い、あるいは「ああ一日が無事終わったな」という思いがいやがおうにもわくところが一種の快感なのかもしれない。子どもが保育園に通っていたときも、その送り迎えはだいたい私の役割だったから、7時半頃に保育室まで行くとまず日めくりの暦の昨日までのぶんを切り取るのを子どもも楽しみにしていた。ときどき同じ時間に来たほかの子どもがいると、連休あけなどは「じゃあ1枚ずつね」といいながら破っていたなあ。1枚だけのときはじゃんけん。
水の惑星猫にもふたつありにけり
上の写真は9年前のもので、ミャースケがまだ元気でトントといっしょにくっついて寝ていたときのもの。撮影の物音かなにかをききつけて頭を同時にもたげた瞬間である。手前のミャースケは淡黄色の目(虹彩、アイリス)だが、後ろのトントは水色の目をしている。光のかげんによってはさらにおどろくほど青く見えるときがある。虹彩の色合いだけでそう言い切れるのかどうかわからないが、トントはいわゆる洋猫の血が濃いらしく、動物病院のカルテでも「雑種」ではなく「ミックス」と記載されていた。/目が青いので首輪もそれに合わせて水色の首輪を付けたところとても似合っていてよかったのだが、いつのまにか紛失してしまったのが残念。ちなみにミャースケのほうは首輪はいっさいうけつけない猫であった。見かけどおりというべきか、歴代の猫でいちばん野性味の強い猫だった(16歳半で永眠)。
大きすぎる小鳥のいて住宅展示場
たまに「敵状視察」もかねて近在の住宅展示場に行くことがある。最近の住宅建設業の動向を知るとか、新しい建材や機器、注文されて家具を製作することになったお客様の住宅が◯◯ハウスということで、そのマッチングを探るためといった理由である。しかし総じていえば住宅展示場はあまり居心地のいいところではない。住宅メーカー各社のモデルハウスであり、それぞれのメーカーの標準的あるいは代表的な施工例を実物展示していることになっているのだが、実際にはいろいろ脚色&演出がしてあるのが通例である。標準外のオプションがてんこ盛りになっているケースも珍しくない。/本来であれば実際にそのメーカーに建ててもらうことになった場合の完成引渡時のレベルの「素の建築本体」を見せてもらえばいいのだが、それでは一般の人はそこで生活した際のイメージを思い浮かべることはまず無理だろう。そこでメーカーのコーディネート担当者かだれかが家具やら調理器具や食器、電化製品、カーペットやクッション、絵や写真や彫刻や大型の本などを飾り付けるわけである。しかしなんだかそれがとてもウソくさい。ときにウサンクサイとすら感じることもある。