月別アーカイブ: 2月 2011

カエデ杢板 その1

写真の材料は幅340~420mm、長さは2.2mのイタヤカエデの杢板ですが、厚みが85~100mmあるので、板というよりは盤。裏と表、全面に縮みが入っていますが、一部分(写真上部)に鳥眼杢みたいな変わった紋様もあります。とくに柾目に挽くとそれがよく現れます。北米産のバーズアイメープルは丸い小さな斑紋がもっとたくさん散在していますが、日本のカエデ類でそれと同じくらいの杢の材料はありますかね?

カエデは硬く緻密な材料で好きな木ですが、薄板にすると狂いが出やすいとも感じています。したがって指物などの細かな細工にはあまり向いていないかもしれません。塊のままに旋盤でひいたり手で彫ったりがいいでしょうか。

このブログでは手持ちのちょっと変わった材料をときどき紹介していますが、そういう銘木というか杢の入った材料がいつも「最高」ということではありません。ごく普通の素直な木目の材料もいいものです。要するに適材適所なわけで、座卓とか戸棚とかのサイズの大きな家具に全面玉杢などというのは、私は「うへぇ〜」という感じで好きではありません。そういう使い方はせっかくの貴重な材料なのに逆にもったいないと思ってしまいます。反対に手に載るくらいの小さなサイズの品物には、とびきり目の詰んだ細かい杢の材料が似合うでしょうね。

猫のぬいぐるみ

子どもの誕生日の贈りものに、前からほしがっていた猫のぬいぐるみを買いました。インターネットで検索したなかからいちばんオーソドックスなぬいぐるみらしいぬいぐるみ、作りがしっかりしていそうなものを選び、通販で取り寄せました。

子ども向けに若干のデフォルメはされていますが、猫らしい特徴はよく出ていると思います。アニメのキャラクターグッズのようなぬ珍奇・奇妙なぬいぐるは絶対いやなので、それなりに慎重にまたいくらかは悩みつつ選んだのですが、箱が届いて開けてみてほっとしました。体長24cmと、実際の猫でいうと生後半年弱くらいの大きさです。

わが家にはほんものの猫が3匹いるのですが、生き物ですからそうそういつも人間の思うままにはなりません。あまりちょっかいを出すとかまれたりひっかかれたりすることもあります。外へ連れてでかけることももちろんできません。その点、ぬいぐるみなら思うぞんぶん相手ができます。

「これ誕生日プレゼント」といって渡したら、声も出ないくらいにびっくり。涙を浮かべて喜んでくれました。

ショベルとスコップ

先日(2/3)、金象印のスコップについて書きましたが、じつをいうと製造元の浅香工業ではスコップという言葉とショベルとを使い分けています。紹介したスコップはそれではショベルに分類されています。

おおまかにいえば柄に対して比較的大きな刃がついていて、細かなものや柔らかくかさばるものを一度にたくさんすくうことを主眼とするものをスコップ、比較的小さめの刃がついていて刃を地面に突き刺して穴を掘ったり、硬く重いものをすくうことに適したものがショベルということのようです。

一方、JIS規格では足をかける部分があるものがショベル、ないものがスコップとなっています。浅香工業のも基本的にはこの分類に準じているように思います。ショベルまたはシャベルは英語のshovel、スコップはオランダ語のschopからきた言葉ですが、日本での両者の言葉の使い分けには必ずしも規則性はなく混在しているようですね。ちなみに漢字では円匙(えんぴ)といい、昔私も高校の山岳部に所属していた頃はその名称をよく使っていました。

2月に入って気温がすこし上がり積雪もだいぶゆるんできましたが、ショベルを一本買い足しました。もちろん雪かきだけでなくいろいろな場面でショベルやスコップは必需品ですから。写真のものがそれで、やはり金象印の「カクスコ」です。2/3のブログに載せたものと、色は違いますが基本的に同じモデルです。ホームセンターでは他メーカーの、値段が半分近いものもありましたが、見るからに金象さんはできが違います。ほれぼれとするかっこよさ。「10年間品質保証」というステッカーもあっぱれです。

里山

里山が近年、たいへん脚光をあびています。多様な自然環境がありさまざまな生物が生息している楽園といったイメージですが、私はそれにはすこし疑問をいだいています。

まず人手が入る前のその地域の自然がどういうものでありどのような生物が生息していたのかのデータがありません。みななんとなく「何々だったんじゃなかろうか」と安易な憶測でものを言っているだけだし、またその多くは現在の里山にくらべ単調で生物種も少ないという負のイメージに最初からおおわれています。単純貧相な自然環境が人手が入ることによってこれだけ豊かになった。だから人手を投入し続けなければ荒廃してしまうというのです。

しかしもともと自然は永劫不変ではありません。地震や噴火、台風や豪雨や旱魃、洪水や山崩れなど、程度の差はあれいつも変化し続けています。それこそ人間の営みなどあっという間に微塵に帰してしまうほどのはげしい変化も珍しくありません。したがってそうした自然の変移や天変地異のつどにそれまでのそれなりに「安定」していた環境は変わり生態系が変わります。ある種の生物は激減または絶滅してしまうかもしれませんが、かわりにそれまではその地域にいなかった生物が他から進出してくることもあるでしょう。人にとってはまったく災厄でしかない大地の急激な変貌も、生物にしてみればリセットの絶好の機会といえます。

自然環境の変化が、たとえば大陸の移動(プレートテクトニクス)や氷河期の到来といった巨大な変化であれば、もともとはひとつの種であった生物が長い年月の間に別の種へと進化・分化するきっかけともなるでしょう。地球上にどれくらいの生物種がいるのか定かではありませんが、少なめにみても数百万種、多目にみる学者では1億種を超えるだろうといいます。地球全体としてみればそれくらい多種多様な生物がいる、きわめて豊かな星といえます。

しかしもしその観測エリアをある地域の10km四方とか1km四方とかに限定するなら、動植物や昆虫などの種類は単位当たりの面積でくらべれば、もしかしたら里山などよりも少ないかもしれません。何千年、何万年と顕著な自然の変化が起こらず人為的介入がほとんどないままずっと広葉樹林であるとか、河川の氾濫原であるとか、大草原であるとかといった場合、その自然環境に最も適した種が優占しそうでない種は衰弱し撤退するであろうことは充分考えられます。しかしそのことをもってその地域が単純で貧相な生態系であるといっていいでしょうか。

一方、里山の場合は何百年何千年にわたって基本的な姿が変わらないままであることはまずないでしょう。人間の都合で畑になり水田になり採草地になり、薪炭林になり木材用林になり、道路になり家屋が立ち並び、果ては都市化することもあると思います。河川も自然河川だけでなく人工の用・排水路が縦横にめぐらされ溜池も築かれるでしょう(そしてすべての文明がそうであったようにいずれ都市や集落は衰退し人間のほとんどいない状態にまたもどります)。

それほど規模の大きくない集落とその周辺の里山だけを観察すれば、樹木の生い茂ったところや草地のところ、湿った土地や乾いた土地、陽のよくあたるところと日陰がちなところ、傾斜地と平坦地、踏圧にさらされるところとそうでないところなど、たしかに自然環境はさまざまです。しかも数年から数十年程度でめまぐるしく変化します。したがって生物もそのさまざまな自然環境と人為的撹乱に応じてさまざまな種が生息することになります。1種あたりの個体数は少ないかわりにやたらに種類だけは多いというケースもあるかもしれません。しかしそのことをもってすぐさま「豊かな自然」ととらえていいでしょうか。それはあまりにも単純で皮相的な自然観ではありませんか。

豊かな自然、多様な生物相といってもどのような時間で、またどのような空間で考えるかによって違います。人間的なごく短い時間と「里」といったごく狭い空間でとらえて、豊かな自然と生態系であるとしてもそれはその限りにおいてです。結局人間が見て美しいと感じ、農耕や生活に利用しやすい自然が「よい自然」とみなされているだけであり、人間の目にはあまり美しいとは思われず、人間の営為には都合がわるい自然が「よくない自然」「荒れ地」とみなされているだけの話です。

もちろん現実にある各地の里山を否定するものではありません。しかし過剰な思い入れ、幻想はなくすべきでしょう。まして「人間が不断に手をかけ続けなければ自然は壊れてしまう」などというのは、はっきりいって思い上がりです。だいじょうぶ、この日本列島に人間が住み始める前からたくさんの動植物は生きていましたし、人間が消え去っても彼らはきっとしたたかに生き残っていくと思います。

サンディングペーパーの怪

写真は3M(スリーエム)社製のサンディングペーパー「トライエムアイト」100枚入りの容器ですが、どちらも粒度240番と同じものです。左は以前のパッケージで、右は現行のパッケージですが、デザインが違うだけでなくじつは中身も違っているということが最近分かりました。

昨年だったか、手持ちの240番がなくなってしまったので、いつもの塗料販売店に行って購入したのが左の緑色のパッケージのものです。工房に帰って中のサンディングペーパーを取り出してみると、どうも今までのものとようすが違っています。木粉などが目詰まりしにくいように研磨粒をさざ波状に塗布しているのですが(オープンコートといいます)、そのむら具合がかなり少なくなって、ちょっと見た目には均一にコートされた(クローズドコート)ペーパーのように思ってしまうほどです。ベースの紙も厚く硬くなっています。

実際使ってみるとどうも具合がいまひとつぱっとしない。紙がごわごわしているのでアテゴムにセットしにくいし、研磨はできているようなのですがやや目詰まり感がある。ペーパーの摩耗の度合いもすこし分かりづらい……。しかしわざわざ性能を落とすなどということは考えられませんので「まあそんなものか」と半ばあきらめ気分で使っていました。

しかしこれはひょっとして同じメーカーの同じ粒度のペーパーであっても、タイプの違いがあるのかもしれない。というのは粒度の表示が「240A」と並んで「426U」とも書いてあるからです。それで前に取り寄せてもらった塗料の代金の支払いがてらお店に行って、あらためて「空とぎの240番をください」と言って出てきたのが写真の右の品です。

さっそく中を開いてみたところ、以前に使用していたものとほぼ同じペーパーが入っていました。コートの塗布の感じも同じようだし、ベースの紙も薄く柔らかく感じます。これで一安心と思いしばらく眺めていたら、店のエライさんが「じつは使いにくいということでクレームがたくさんあって今のに変わったです」と言うではありませんか。「えっ、そうなの」と驚きました。なんだ、変だなと思っていたのはう私だけでなかったんだ。

工房に戻ってから、緑色のパッケージに入っているペーパーと、買ってきたばかりの現行のパッケージのものと並べて写真にとってみました。右側が現在のものです。明らかに違いますよね。

空研ぎのサンディングペーパーという、もう完全に「成熟商品」といっていい工業製品で、しかもメーカーは天下の3Mです。それにこんなとんでもないチョンボがあったのです。

金象印スコップ

連日の雪かきであらためてその真価を認識したのが写真のスコップです。いわゆるカクスコで全長970mm、先幅255mm、肩幅230mm、頭部(刃)長さ300mm、重量は2.0kg。金象印というブランドで浅香工業の製品ですが、もう15年くらい使っています。塗装はあちこちはげていますし刃先もいくらかちびていますが、どこもガタはきていません。当時、金物店の店主が「金象印がいちばん。でも丈夫すぎて次が売れないのが困る」と苦笑いしていたのを思い出します。値段は3000円くらいだったと思います。

スコップはまず真っ先に消耗するのが柄の木製部分で、刃や握りなどの金属と接するところが痛んでくることが多いです。木は言うまでもなく水湿には弱いので、むき出しになっている部分はともかく金属で包まれた部分は湿気や汚れがいつまでも抜けないために腐ってきたりします。その点、写真のスコップは全体がスチールで一体的にできている(溶接されている)ので、そうした心配はありません。

刃は焼き入れと焼き戻しの熱処理がされた鉄で、硬い氷をがしがし突いてもびくともしません。柄は単なる円形ではなく手が滑りにくいようにバルジ加工でパイプの一部膨らませており、8本の筋が刻んであります。スチールだからさびは多少とも出ますが、使わないときにはできるだけ乾燥状態にして保管しておけば表面がすこしさびるだけです。ぼろぼろにもろくなってしまうことはありません。

メーカーの浅香工業は1893年に日本で初めてスコップ・ショベルの国産に成功した会社だそうで、この分野ではトップメーカーといっていいようです。一見したところ単純な道具のようでいて、じつはかなり製造技術・ノウハウが必要な道具なのでしょう。ブランドネームの金象印もへたな外国語などより今となってはかえって格好がいいですね。力持ちの象さん、という好ましいイメージがあります。

浅香工業のHPをのぞいてみると、スコップ・ショベルだけでも68種類もの製品が並んでいました。通常のケンスコやカクスコのほかに幅の狭いものや穴があいたもの、柄がステンレスでできたもの、柄と刃が折り畳めるものなど、興味深いものがたくさん。ちょっと余裕が出たら何か注文してみたいと思います。それかまたの大雪にそなえてカクスコの予備品を確保しておいたほうがいいでしょうかね。

すべて45度

180/60/48mmの小さな指物の箱ですが、すべての接合部が45度の角度でできています。蓋をかぶせた状態では天地前後左右どこからみても材料の厚さが見えない、角は一本の線となっています。

これはご注文のジュエリーケースですが、最初にメールで仕様図面をいただいたときは、少々面食らいました。できあがってみれば、一見どうってことのない小箱のようですが、実と蓋を完全に合わせそれを真鍮の角棒を差し込んでロックするという、じつは非常に手の込んだ難しい仕事です。材料もチークで素木仕上げ、しかも面取りはいっさい無しでとおっしゃる。

下の写真は右から蓋・実・4mm角真鍮込栓ですが、接合部がみな45度でできているのがお分かりでしょうか。込栓は実の二重底の間を通過して蓋を貫通してロックするという仕組みです。精密にといってもそこは蓋物。誤差がもしゼロなら、開け閉めが不可能になってしまいます。そこで実際には0.1mm程度の間隙と、1度くらいの傾斜をつけ「はじめはゆるく、最後はぴったり」と収まるようにしています。

面取りはほんとうにゼロにしてしまうと加工中にも完成してからも、とくに45度がむきだしの部分はぽろっと欠けてしまうので、0.3~0.5mmくらいの丸面を施しました。