月別アーカイブ: 5月 2014

3〜5月の胴腹ノ滝

 

仕事の都合や天気の関係で回数は少なくなってしまいましたが、3月以降も胴腹ノ滝の湧水等の調査と水汲みに行ってます。3月は10日・22日の2回、4月は7日・19日の2回、5月は2日・15日・27日の3回です。

以下にそれぞれの日の計測温度をあげてみます。単位は℃です。このブログのソフトでは数字の羅列は難しいようなので、手書きであらわしたものを写真に撮って掲載しました。

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いかがでしょうか。滝の湧水の温度は5月末頃になっても0.2℃くらいしか高くなっていないのに、すぐ近くの表流水はみごとなくらいに温度がきれいに上昇しています。気温のほうは日によって変動はあるものの、基本的にはとうぜんかもしれませんがあがってきています。

ただ、以前にも指摘しましたが、「湧水は冷たい」という一般的なイメージはじつはあくまでも相対的な話であって、湧水よりも気温のほうが高い場合は湧水が冷たく感じられるということであるにすぎません。逆に湧水よりも気温が低い場合は湧水は暖かく感じられるわけです。上の一覧の数字でいうと、4月19日以降、5月になるすこし前あたりにそのターニングポイントがあったと推測できます。そのため、流水の多くが雨水でありかつ地形の関係で湧水の影響をあまり受けない鳥居の前の空気に比べ、胴腹ノ滝の直近の空気は豊富な湧水によって暖められたり冷やされたりします。そうしたことも数字の変化に如実に現れていますね。ただし風がある場合は空気の層が乱れるので、単純な相関関係ではありません。

胴腹ノ滝の湧水の量的変化については、私が観測したかぎりでは3月10日の水量はその前に観測した2月28日より多く、その後もずっと一貫して水量は増えてきています。2月28日より以前では2月19日と2月8日ですが、写真で比較すると19日がいちばん少なく見えます。まだ厳寒期で、低山域でもまだ雪解けにははやい時期ということで、納得するものがあります。

下の写真は5月27日の午前9時頃のものですが、かなりの湧水量であることは一目で明らかですね。手前の赤い花はヤマツツジです。

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コーヒーブレーク 17 「桜花」

 

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桜花のロケット噴射や花埃

桜の季節は終わった、わけではない。園芸品種のソメイヨシノこそみな散ってしまったが、自然の野山に生きる山桜(オオヤマザクラなど)は少し標高のある所ではいまでも咲いている。同じ地域に生えていても遺伝子が異なり個体差があるので、花期はかなり長い。/さて桜花である。こちらは樹木のそれではなくかつての日本軍の特攻兵器で「桜花」と名付けられた飛行体だ。爆撃機の胴体につり下げられ、敵艦を発見すると切り離され、兵士が操縦する羽の生えた爆弾として飛んでいく。特攻兵器ゆえに帰還することは想定されておらず航続距離はわずか数十km、着陸するための車輪もなければ、敵機と交戦する機関銃ひとつも持っていない。敗戦までに700機余が生産されるも実際に特攻に使われたのは10回の出撃で55名(戦死)であった。悲惨なのは敵艦を見つけるまで桜花を運ぶ役目の一式陸攻は速度が遅く鈍重で、レーダーによって捕捉された機体は米軍の戦闘機によってほとんど撃ち落とされてしまい、搭乗員の死者は365名におよぶという。それだけの犠牲をはらいながらも戦果はどうであったかというと駆逐艦一隻の撃沈があるのみ。連合国側からは桜花はBAKA BOMBと呼ばれたのもむべなるかなである。/次の特攻兵器「回天」も同様であるが、出撃したが最後、相手に打撃を与えようが与えまいが兵士は死ぬことが決定づけられており、しかも戦果はほとんどないことが当初から判明しながらも軍上層部の命令によりヤケクソのようにしてずっと投入され続けた。非道というほかはない。

港湾に花びらただよい回天百

太平洋戦争で用いられた特攻用艦船が「回天」である。こちらも桜花におとらずむちゃくちゃ。大型魚雷に人間が乗り込める空間や仕掛をかろうじてこしらえて「人間魚雷」とし、特攻兵器として用いたもの。しかし母艦である大型潜水艦の甲板に取り付けられて、運良く敵艦を発見し母艦から発進できたとしても回天の操縦性はいちじるしく低く、発進時点での敵艦との距離や方角をたよりとした当て推量、しかも一方通行・一回かぎりの出撃しかできなかったため、戦果はほとんどなかったといわれる。一説には成功率は2%程度にすぎず、特攻の本来の目的としていた空母や戦艦への打撃は皆無であり、かろうじて給油艦と護衛駆逐艦など3隻の撃沈にとどまる。/無惨なのは兵器としてのできの悪さ以上に、帰還するだけの燃料もなく、内側からハッチを開けることはできず脱出装置もむろんなかったために、一度出撃すれば搭乗員は必ず死んでしまうのである。まさに「必死」の兵器であったわけだ。回天の戦死者は搭乗員や整備員など合わせて145名。

犬死にとは犬に失礼であろう浮いてこい

わざわざことわるまでもないだろうが、飛行体であれ魚雷であれ特攻兵器に乗り込んで戦死してしまった兵士や、現場の責任者としてその出撃命令を出さざるを得なかった中下級将校を蔑むつもりは毛頭ない。しかし軍最上層部の安易な思いつきで作られた低級な兵器であること、ろくでもない戦略と作戦で多くの若者が死地に追いやられたこと、しかも戦果はほとんどあげられず、そもそも多くは敵艦に近づくことすらできないうちに撃ち落とされまたは沈められたことを思えば、客観的にはそれはやはり無駄死であったといわざるをえないと思う。無駄死または犬死を強要されたことこそを私たちは怒るべきだ。/「浮いて来い」または「浮人形」は夏の季語で、子どもがお風呂などで遊ぶおもちゃのこと。水よりもわずかに比重を軽くした動物や乗り物などの玩具を水面に浮かべ、ちょんと押してやると下に沈んでいくのだが、浮力がわずかにあるのでゆっくりとまた水面に浮かび上がってくる。沈めては浮かせ、沈めては浮かせをくり返して遊ぶ。

ふとんねこ

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5月ももう終わりますが、晴れた日の日中以外はまだけっこう寒いですね。さすがに床暖房をはじめ暖房機器こそ使っていませんが、朝晩などは日によっては厚手の上着などを着ています。猫のトントもやはりまだ寒いらしく、かなりの時間、私の羽毛の掛け布団の間にもぐりこんでいます。

4つにたたんだ布団のちょうど真ん中あたりにうまくきれいに収まり、頭の先だけちょこっとのぞかせているのですが、名前を呼ぶとにゃあ〜と答えるかわいいトントです。

 

デジタルセンサー DS-120

当ブログの5月22〜23日で紹介した建築の解体材ですが、表からは見えない部分に釘などの金物をかんでいる可能性があるので、製材する前にそれをあらかじめ発見できるように高精度のセンサーを購入しました。ムラテックKDS社製のデジタルセンサー DS−120です。

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造作家具等の取り付けに必要なので、いちおう壁裏の間柱などを探る簡単なセンサーは持っているのですが、あまり精度がよくなくて役に立たないことが多かったので、これを機会に一般市販品で建築用のセンサーとしては最上級クラスのものを導入することにしたものです。

さっそく工房の作業場でテストしてみるとかなりいい感じです。写真はコンパネを貼った床の根太を探っているところですが、LEDのランプが緑→黄→赤と変わり、液晶画面に検出強度と中心点が表示されました。ほかにも、頭が見えている小さな釘ですが古材に食い込んだ釘にも明瞭に反応しました(蛍光灯下ではセンサーのLEDがカメラにはよく写らないので、露出を1段ほど落としています)。

取扱説明書に記されたスペックでいうと、探知可能深さは木製の間柱などは壁面から38mm、電線は50mm、銅・アルミ・ステンレスなどの非帯磁金属は80mm、鉄・ニッケルなどの帯磁金属は120mmとなっており、自動校正機能も持っています。マーキングしやすいようにLEDのランプに囲まれた部分は裏面まで貫通した径14mmの穴になっていますし、全体が防塵防滴構造(IP54)です。大きさは200×86×32mmで重さは260g、9Vのアルカリ電池で連続5時間使用可。5分で自動的に電源オフ、使用温度範囲は−10〜+45℃、保管温度範囲は−20〜+70℃、といったところです。

定価値段では14000円ほどするのですが、このセンサーがあれば他の工事でもこれまでよりはずっと楽に確実な作業ができそうです。

 

コーヒーブレーク 16「地下世界」

 

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われはわれはと海へ雪解かな

ここ山形県庄内地方のように、大雪の降る広大な山岳・山地を抱える地は、雪解けが激しい。冬の間水を落としていた河川がにわかに増水し、無雪期の豪雨や台風のときの洪水に近い様相を呈することも珍しくない。とりわけ気温の上昇よりも降雨の影響が顕著で、その雨水が直に河川に流入するだけでなく相対的には暖かい雨水が急速に積雪を溶かし、その溶けた水もいっしょになって河川に混じることによる増水である。青緑白色のごうごうと流れる川は、しかし春の到来を強く実感させるので、私は好きだな。

啓蟄の光に満ちて地下世界

じつはこの句は上記の句とともに、5月14日のシテ句会に投句したもの。自分としては、春が訪れてそれまで地中にひそんでいた虫篇の生き物=昆虫や爬虫類や両生類などがぞくぞくと地上に姿をあらわしてきている様子を表現したかったのである。地面のあちこちに穴が開いて、春の光が差し込んで地中もにわかに明るくなったと。したがってこの光は地上の光ではなく、地中に貫入した光のことなのであった。それでなくては句としてはおもしろくない。まさに「啓蟄が光に満ちているのは当たり前」だからである。/しかし「啓蟄の」の「の」は「光」にかかるのか、それとも「地下世界」まで全体に一息にかかるのかは、これだと判然としない。「啓蟄や」にすれば切れははっきりするが、調べがよくないと感じる。「啓蟄よ」「啓蟄は」とする手もあるが、ちょっと作為が鼻につく。ううむ、俳句は難しい。

フライングかしら虫出しの一度きり

「虫出し」って、お腹の寄生虫を薬でやっつけることかなと思うとさにあらず。「春雷」の別名で、啓蟄の頃にひとつ二つと鳴る雷が、地中の虫が地表に出てくるのをうながすとのことから名付けられた言葉。むろんそれは想像の産物でしかないだろうが、「蛙の目借時(かわずのめかりどき)」などと同様にユーモアのある俳句独特のおもしろい言葉だ。ただし俳句をやってる人には普通の言葉であっても、そうではない人にとってはちんぷんかんぷんなので要注意である。ついでに書くと、ちんぷんかんぷんを漢字で表記すると「陳分斡分」あるいは「珍紛漢紛」「珍糞漢糞」「陳奮斡奮」といろいろあって、これまたちんぷんかんぷんですなあ。

 

古材の洗浄

 

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昨日記事にあげたお客様の古材ですが、天気がいいのを見計らって洗浄しました。リールホースのヘッドをストレートにしてくぼみやひび割れ等の中を、それからシャワーにして全体を濡らしつつデッキブラシでごしごしこすります。長年のすすとほこり、それから解体時の土壁でしょうかこびりついた泥もきれいに落としました。こうしておかないと折れた釘などの異物もみつけにくいですし、製材するときに鋸刃も痛んでしまいます。

1枚目の写真は汚れを落としてみるとクリなような気がしますが、表面がかなり荒れているので、乾いてからちょっと鉋で削ってみないとはっきりはわかりません。幅45cmくらい長さ2mほどの板です。2枚目の写真は6本の角材と2枚の板をすべて洗い終えて乾かしているところです。

この古材を当初はお客様自身が、トラックをレンタルして当工房まで運ばれる予定でいたのですが、あいにく適当なトラックがないということで運送屋さんに依頼となりました。たまたまその伝票も材木に貼ってあったのですが、自分で運ぶよりはるかに安上がりですね。大きな運送会社のターミナル間は大型トラックで、小口の集配はそれぞれ地元の中小の運送屋さんの普通トラックで行っているようですが、なんだか気の毒になるくらいの金額です。ずっと以前は材木の遠距離輸送を頼むとびっくりするくらい高くて、そのためある程度まとまった量であれば自分で運搬したほうが安上がりだったのですが、いまはすっかり逆転してしまいました。

ご注文の家具も完成したものを以前は自分で箱トラックをレンタルしてお客様のところに届けていましたが、通常の大きさで1点2点なら、梱包を含めて一括で運送屋さんに頼んだほうがずっと早くて安いです。本来ならあいさつと「営業」をかねて製作者が伺ったほうがいいのかもしれませんが、半日程度で行き来ができる距離以内でなければ採算的にきびしいのが現実です。

 

古材の梁など

 

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東京のお客様から、古材を再利用して家具を作りたいとのご注文がありました。亡くなられたお父上が若い頃住まわれていた宮城県内の実家を解体した際に出た梁や柱などから、なんとか使えそうなものを選んで、当工房につい先日運送屋さんから届けてもらいました。上の写真がそれです。角材が5本、板が2枚で。材質は角材の1本がケヤキで、あとはたぶんスギです。大きさは最大のもので22×32×173cmで、しかもホゾ穴やひびわれなどもけっこう入っています。

きれいに洗ってから試しに挽き割ってみないと断言はできませんが、単純に客観的に経済的価値だけで評価するなら、率直に申し上げていくらにもならないと思います。またこれから板や小角を取って家具を製作するとしても、折れた釘等の異物をかんでしまう心配もありますし、もろもろの手間を考えるなら新しい材料で作るよりもかえって高くつくおそれが充分あります。

しかしものの価値は、言うまでもありませんが経済価値や市場の商品価値だけで決まるわけではありませんし、それが他の価値より優先するわけでもありません。いくら古くても傷や汚れがついていても、それは人が長年愛着をもって使われてきた証です。ましてそれが身内ならば、思い出のよすがとなるような家具としてもう一度なんとか活かせないだろうかと、お客様は考えられたわけですね。

私としてもさまざまな不安がないといえばうそになりますが、まあこれまでの知識と技術を総動員して、うまく仕立てるしかありません。

 

ショルダーバッグ

これまで10数年使ってきたショルダーバッグがいいかげんやつれてきたので、新しいのに替えました。写真上が古いバッグで、山用品で有名なモンベルのもの。ナイロン製で軽くできており、値段も3000円ほどとお買い得だったのですが、内側のコーティングがはげジッパーが閉まらなくなりました。底の角のところも小さな穴が明いています。うっかりすると中身がこぼれそう。「モンベル」のタグもすり切れて、ほとんど判読不能です。どこへ行くにもまずこれひとつを駆使してきたので充分もとは取ったという感じがします。メーカーや小売店にとってはこんな安価なものを10数年も使われたのでは、商売あがったりかもしれません。

で、写真下がこんど新調したショルダーバッグ。マンハッタンパッセージの#2260[シティ トレイル]という製品です。外形寸法で縦33cm横27cm奥行13.5cm、素材は外側が撥水加工を施した210D高密度リップストップナイロン、内側がレンガ色のナイロンタフタ、中間はポリウレタンフォームなどでクッション性を持たせた3層構造です。重量は600g、内容量は約9リットル。全体に登山用のザックのようなしっかりした作りです。

中をみると、まずメインのポケットはA4サイズの書類やクリアファイル等が楽に収納できます。これは私の場合は必須条件で、いちいち書類や本などを別に手に持って歩かなければならないような小型のショルダーバッグでは話になりません。逆にこれ以上大きいと普段使いのバッグとしては使いづらいので、これがぴったりサイズといえます。メインルームはシンプルな1室ですが、携帯電話・筆記具・財布・名刺入・ペットボトル・ミニタオルなどを入れる小さなポケットがいくつかありますし、背面にはオープンの広口の懐、フラップの裏にはクリアポケットも付いています。

マンハッタンパッセージはビジネス&カジュアルバッグの専門メーカーで、さまざまなタイプとサイズの製品があります。今回のショルダーバッグでもこれよりやや小さなものや半分以下の小さなものもあり、用途によってはそれぞれ魅力的ですが、まずは今回のショルダーバッグを10年くらいは使い倒すことにしましょうかね。

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シテ5月句会 2014.05.14

 

短詩形同人誌『シテ』の、句会としては新体制となってから2回目の句会です。奇数月の第3水曜日の開催が原則ですが、今回は酒田祭りと重なることから第2水曜日の14日に変更しました(次回は7月16日です)。今回の出席者はシテ同人では相蘇清太郎・阿蘇豊・今井富世・江口暢子・大江進・早川孝子・南悠一の7人。その他では大場昭子・加藤明子・村上千香・渡部きよ子の4人で、合わせて11名。ただし村上千香は投句のみの参加なので、当日参集したのは10人です(敬称略)。

事前に2句ずつ投句しておき、無記名でそれをランダムに紙2枚に清記し、みなで合評してから作者名を明かすのはいつも通りですが、第一幕と第二幕に分けて行いました。所用時間は2時間半です。では第一幕から、句と得点(一人各2句選びます)です。

0  座禅草風が供えし桜一輪
3  山桜束に抱えて男来る
4  桜咲く今年に今年のことば湧く
0  春の海防潮堤の高きかな
2  夜桜や護国神社の玉砂利と
1  きめ酒に口一文字遅桜
3  われはわれはと海へ雪解かな
1  春雷のいま鳴りやみてひかり坂
0  悩む春ま白き鳥の長い首
1  琴柱爪のつめたし黄水仙
3  花吹雪オオイヌノフグリを跨ぎけり

最高点は3句目の<桜咲く〜>です。私自身は他の草花とくらべて桜に特別な思いはありませんが、世間的には、また俳句的には「花=桜」というように、年ごとにひとしおの感慨をいだく人が多いのでしょう。その意味ではとてもよくわかる句です。ただ芭蕉に<さまざまの事おもひ出す桜かな>という句があるので、それを想起してしまいました。また「今年に今年の」と重ねられると雰囲気的には春というよりは新年の気分が漂ってしまうので、その点は損してしまうかもしれません。作者は阿蘇豊さん。

次点3点句は3句ありました。2句目の<山桜〜>ですが、おそらくは自然の山桜だからこそ下七の「男来る」とうまく響き合うと思います。園芸的に植栽されたソメイヨシノ等ではだめでしょう。山桜は葉が出るのといっしょに開花しますし、色合いも薄く控えめな感じがします。男もちょっと無骨な感じかな。作者は村上千香さん。/私もこの句は取りましたが、いささか気になるのは中七「束に抱えて」です。束にするほどたくさん枝を切ってしまったのか、それはいかんよねと思いました。勝手なことを書いてしまいますが、私なら「一枝(いっし)たずさえ」とか「大枝かかえて」「落枝(らくし)束ねて」にしたいです。後者は雪折した枝を片付けている桜守の気分で。

次の3点句<われはわれはと〜>はじつは私の句です。いま最上川とか赤川・日向川・月光川などは山の雪解け水を集めて水量が非常に多く、青白く濁っています。それらの水はほどなく日本海に注ぐわけですが、その雄大な景が目に浮かび、また春到来のうきうきした喜びも感じるという意見がありました。五七五ではなく七三五の破調ですが、それも息急くように流れ下る水のようすをうまく表すことができたでしょうか。

次の3点句は11句目の<花吹雪〜>です。これは私も取ったのですが、桜吹雪と足元のオオイヌノフグリとの取り合わせが絶妙です。大量の落花がオオイヌノフグリの咲いているところを超えていったと解釈する人もいましたが、私はそれもあるけれども、むしろ青い美しいオオイヌノフグリの群落を踏みつぶさないように丁寧に跨いでいった男(とはかぎりませんが)の様子を思い浮かべました。心根がやさしいですよね。作者は相蘇清太郎さん。

2点句の5句目<夜桜や〜>は護国神社+玉砂利で、材料がそろいすぎ。玉砂利だけでそこが特別な場所であることはわかるので、中七を工夫したいです。作者は渡部きよ子さん。8句目の<春雷の〜>は下五の「ひかり坂」がひっかかります。雷光は音よりも先に来るし、固有名詞のように最後に造語の地名を付けるのもどうですかね。作者は南悠一さん。10句目の<琴柱〜>は「ことじ」と読むのだそうですが、これは私は知らなくて、どこで切れるのかわかりませんでした。水仙花(通常は白)ではなく黄水仙としたのはいいと思います。作者は大場昭子さんです。

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さて小休止のあとは第二幕です。

0  枝垂桜水面揺らして黄昏るる
0  春の窓香箱組んで思案猫
4  啓蟄の光に満ちて地下世界
2  夏立ちて一升かわす決まり酒
1  首折れて雉鳩ぬくし春遅く
1  旅人の一期一会に花散りて
2  小夜更けて散り敷く花や靴の道
1  温雨にうれしうれしと山葵咲く
1  この花のなまえはええーと、かえる殿
2  燕仮設の窓辺をひらりと
6  カルピスを飲みほしている夏は来ぬ

最高点は6点が入った最後の句<カルピスの〜>です。夏だ、カルピスだ、というわけでたいへんよくわかる句です。ただあまりにも明快・直球で、広告のコピーのようだという意見も。かといってカルピスにかわるなにか適切な飲み物がありますかね。さて考えてみましょう。作者は南悠一さん。

次点4点句は3句目<啓蟄の〜>です。春になって地面の下で多くの生き物が動き出している明るい感じがよく伝わるという声が多数。この句は私の句ですが、あらためてそう言われて自分で読み返してみると、逆にちょっとわかりにくかったかなと思いました。私のねらいとしては「啓蟄の」でいったん切れて、地下の世界が実際に物理的にも無数の穴が開いて外光が差し込んで光にあふれている様子を言いたかったのです。ところが「啓蟄が光に満ちているのは当たり前では」という批評があったことから、ああこれはまずいなと。ではどうするかですが、上五で切れることを明確にするには「啓蟄や」でしょうかね。でも語調はこの句にはマッチしませんね。

2点句は3句ありました。4句目の<夏立ちて〜>は、まあそうですねえとだけ感じるのは、私が酒をほとんどたしなむことがないからでしょうか。作者は加藤明子さん。次は7句目<小夜更けて〜>は落花に覆われた地面がはやくも人の往来で踏みしめられてしまい道ができてしまっている状態ですが、下五「靴の道」がどうも座りがわるいですね。作者は相蘇清太郎さん。

次の10句目<燕〜>は「燕」のすぐ後に「仮設の」と続くので、「つばくらめ」としたほうが上五の切れがはっきりして読みやすいかもしれません。この仮設は3.11後の震災の仮設住宅とのことですが、いまだに復興のままならぬ地にも変わらず燕が訪れることにさまざまな感慨が浮かんだようです。ただ下句が「ひらりと」は私としてはゆるすぎると思うので、「過ぎゆけり」くらいにしたほうが非情さや無常感がはっきりしていいかなと思いました。作者は江口暢子さん。

私は選句2句のうちのひとつに5句目の<首折れて〜>を取りました。判然としないところがありつつも妙に魅かれるものがあったからです。「首折れて」をそのようなかっこうで地面の虫等をついばんでるのかとも受け取ったのですが、ほんとうは大きなガラス窓に衝突して死んでしまった「バードストライク」の鳥のことだそうです。死骸がまだ温かったわけですね。題材はユニークなのですが、句としてはいろいろと推敲の余地があります。作者は村上千香さん。

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俳句に対する指向は人それぞれでしょうし、どれが良いとか悪い、正しい正しくないということはないと考えます。一種の教養とかおけいこごととして一定の作法を身につければ充分とする考えもあれば、いやどうせやるなら文学としての高みを目指してとことん邁進するのだとする考えもあるでしょう。私自身は明確に後者です。したがって今回のような句会も、鍛錬の場であると私は受け止めています。

俳句は基本五七五と極端に短い詩形であるために、作者の意図や思惑や狙いを過不足なく表現することは非常に難しいです。一方、読者は表現された最終形の五七五だけを手がかりにして読み解くしかないので、そこに作者の思いと大きな齟齬をきたすことがしばしばあります。しかしそれは俳句の欠点なのではなく、俳句の豊穣です。いったん作者の手を離れた句は、作者の句であると同時に読者の句ともなります。いわば作者の拘束・呪縛、あるいは保護から解き放たれてその句は自由にはばたき、あるいは赤裸にさらされてしまいます。

読者はそのとき、作者の思いもよらなかった姿をその句に見いだすかもしれません。しかし作者が自分の思いとだいぶん、あるいはまったく異なった姿や顔となって返ってきた句を、いやそれは自分の句じゃないと頑に拒否してしまうなら恩寵は霧散してしまうでしょう。句の作者があくまでも自分の世界にこだわるのであれば(聞く耳をもたない、ともいいます)他者に自句を開示する必要はなく、まして句会に参加することは無意味です。時間の無駄ですし、ストレスの元にしかなりませんから。

俳句にはわが子をつきはなす勇気と潔さが必要です。俳句ならではの恩寵を得るためにも。

 

駒止用駒製作の治具

 

座卓や机やテーブルなどにおいて、脚部と甲板(一般には天板と呼ばれることが多いのですが正しくは甲板=こうはん、こうばん)を接合する方法はいろいろあります。吸付桟・ホゾ組・寄蟻・釘止・木ネジ止・駒止などですが、当工房では駒止(こまどめ)とする比率がわりあい高いです。表からは接合箇所が見えませんし、確実に強固に甲板と脚部を締結することができるからです。

駒は本来は小さな角状木片のことをいうのですが、これを介して甲板と脚部を接合する場合、いまでは木片ではなくL形の専用金具を用いることのほうが普通になっています。無垢の木材は繊維方向の縦と横とで収縮程度が大きく異なるため、それに対応した2種類の駒止金具を使いわけます。ただ私が知るかぎりでは市販の既製品では鉄製が多く、安価ですがサビの心配があります。

しかし当工房で駒止を行う場合は、そうした市販の金具ではなく自家製の木製の駒を使います。長さ8cmほどの角材ですが、片方の木口側にホゾを作ってあり、これを脚部の幕板のホゾ穴に差し込みます。駒と甲板とはステンレスの木ネジで2カ所ずつ止めるのですが、金属面が見えないように後から埋木します。写真上の右側にあるものがその駒です。加工の手間と取り付けの手間を考えると、市販の駒に比べてずっとコストは高くなりますが、見た目と耐久性は上がるでしょう。

写真上の左に写っている赤いレバーが付いている工具(トグルクランプ)と台は、その駒のホゾを加工するための治具です。ホゾ取りは昇降盤に付随するホゾ取りの丸ノコで行うのですが、長さ8cmしかない駒を直に手に持ってそれをするのはきわめて危険。したがって安全に確実に正確に駒のホゾ取りを行うための自家製の治具です。下の写真がこの治具を使って駒のホゾ取りをしているところです。

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