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スプルス無地柾目長尺板

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工房のパネルソーに立てかけた、スプルスの無地板です。建具・建築造作材用に厚さ38mm、幅220mmですが、長さは4mあるので、2700mmまでカットできるシンクスのパネルソーが小さく見えます。

4月20日の記事でやはりスプルスを紹介しましたが、そちらは幅400mm前後の無地柾目板という超弩級の材料。今回のは幅こそ220mmですが、長さがあるので建具の縦框を長さ方向に2本とることもできそうです。それに白太と芯近くをあらかじめ除去しているので、幅もほぼそのまま有効に使用できます。こうして写真でぱっと見ると、うそくさいくらいに白くきれいで、突板かなにかみたいです。

手持ちのスプルスでちょうど頃合いのものがなかったので、いつも取引のある地元の建材屋さん経由で急ぎ7枚(約0.23m^3)購入したものですが、値段のほうはちょっと口にできないくらい高価でした。ははは。

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グランドセイコー

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だいぶ前ですが、新聞広告として載っていた腕時計です。セイコー(SEIKO)の「グランドセイコー」というメカニカル式の手巻きのオーソドックスな時計ですが、驚くのはその値段。外装の材質の違いによって差があり、18Kホワイトゴールドのは1680000円、18Kイエローゴールドと18Kピンクゴールドが1575000円、いちばん安いのはステンレスかチタンでしょうか、それでも472500円もします(税込希望小売価格)。10万円台じゃなく100万円台ですよ。数量も限定で、それぞれ70、70、70、700個。

世界的にはもっと高い、1000万円を超えるような腕時計も存在しますが、こういった機械式高級腕時計の製造原価っていったいどれくらいなんでしょうか。工業製品だから製造数が少なければ単価は俄然はねあがるのが道理ですが、それにしてもなんの変哲もない腕時計一つが100万円以上もするのは、冷静に考えるとすこし異常な気がします。もちろん精度や仕上げの程度や耐久性は数万円くらいの腕時計にくらべればそれなりに優れているのでしょうが、それほど極端な差があるとは思えません。この時計はデザイン的にははっきりいってなんの面白みも個性もありません。

言うまでもなくこういった類いの小物は趣味道楽の範疇なので、何にいくらお金をかけようが人それぞれで全くかまわないのですが、性能的にもデザイン的にもとくにどうということのない陳腐な腕時計を、ただそのブランドおよび値段だけで自慢するような人は私はちょっと敬遠したいです。おそらく一事が万事でしょうから。

 

ピダハン

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たいへんに刺激的な本です。言語人類学の権威であるダニエル-L-エヴェレット著『ピダハン 「言語本能」超える文化と世界観』みすず書房刊・屋代道子訳・2012年・3400円。

ピダハンはブラジルの奥地に暮らす少数民族で、その人数400〜500人にすぎません。そこで使われているピダハン語という固有の言語は非常に特異なもので、チョムスキー以来の言語学の基本概念=パラダイムを根底からくつがえすようなものです。ピダハン語は彼らの文化・生活と分ちがたく結びついており、外部から何百年もの間ほとんど影響を受けることなく連綿と続いてきたといいます。

ピダハンの文化が西欧の文化などと比してどれくらいユニークかというと、以下はほんの一例になりますが、まず神という概念がありません。当然ほぼどんな民族にもある創世神話などは存在しません。おとぎ話すらありません。あの世という思考がないので、自分たちの死に対しても、もちろん嘆き悲しみこそすれ、どろどろといつまでも引きずるようなことはなく、私たちからみると非情とも感じるほどドライです。葬式もなければ墓地もなく、ほとんど「衛生的処理」のように手短に集落の近くに穴を掘って遺体を埋めるだけ。

右/左という相対的な概念もなく、空間と位置関係は自分たちの生存に欠かせない川(アマゾンの支流の支流の支流であるマイシ川)を基軸とする絶対的座標で把握されます。これなどはよく登山をする私にはたいへんよくうなずけるものです。地形図とコンパスを元に、今自分はこの地図のなかの(空間のなかの)どのあたりにいるかを常に把握していないとたちまち道に迷ってしまいます。自分から見ての、ある山なり川なりが右に見えるとか左に見えるとか言ってもそれだけでは意味がないわけです。もっとも彼らには地図やコンパスもなく、自分の頭と感覚だけで広範囲(数キロ〜数十キロ)における日々の狩猟採取を行っているわけですから、空間把握の能力ははるかに優れていることになります。

また数の抽象的概念にも乏しく、言葉的には「ひとつ」「ふたつ」「いっぱい」くらい。しかしほぼ完全な自給自足生活でしかも貯蔵もせず、したがって他者と商的な取引をする必要がないのであればそれでじゅうぶん用は足りるということのようです。時間的にも昼と夜の区別はあまりなく、狩猟採取も必要に応じて夜間でも出かけるし、猛獣などからの襲撃を避ける意味もありまとまった睡眠をとることもない。色を表す言葉もごく少ないが、それは色覚に乏しいということではもちろんなく、動植物や空や川や大地など現物そのもので詳細に具現的に把握しているので、赤とか青とかいう抽象的概念は不要。

ピダハンの社会(村)には首長はいないし、血縁関係の認識もごくあっさりしたもので、従兄弟という語彙もない。年長者だから大人だからという一種の権威意識もなく、幼児以外は基本的に子供も大人と同じ扱いである。上下関係や権威がほとんどなくて規律が保たれるのかと心配されようが、互いの存在を危うくするような行為に対しては村八分にする、または精霊の声を聞くことで規律が保たれる。

「こんにちは」や「さようなら」、「ありがとう」や「すみません」といった交感的語彙はなく、それらは言葉ではなく行動で示されるそうですから、丁重かつ頻繁なあいさつが苦手な私などは気楽そうですが、でもそういう形式を整えることよりも行動で感謝や謝罪を示すべきというほうが、かえって荷が重いかもしれませんね。

ピダハンの人々にとっては世界は「目にみえる範囲」だけであり、自分自身か自分がよく知る者が「直接に」体験したことしか信じない。未来も遠い過去もなく基本的に「今」しかありません。自分が体験しえないことは存在しないということだからです。しかしながら、われわれの世界観とは異なり睡眠時の夢や森でしばしば出会う精霊はピダハンには「現実」として存在します。なぜなら自分が「実際に」それを「見た」からです。

この本の著者は、ピダハンの地に赴いたそもそもの動機は福音派のキリスト教の伝道のためだったのですが(聖書を翻訳する。それには現地の言葉を習熟しなければ)、キリストの話をすると「会ったことも見たこともない者をおまえは信ずるのか」と一笑に付されてしまいます。結局数十年後には著者は信仰を捨て、無神論者となってしまいます。

読めば読むほど、日本を含む大半の国の言語や文化とは大違いなことに驚くばかりです。自明のことと思っていたことがことごとくひっくり返される思いがします。著者の研究論文は(本書は一般向けの書)チョムスキー以来のいわば現代言語学の主流に巨大な論争を巻き起こしたようですが、著者は人類に本能的に内在する普遍言語などは存在せず、言語はその自然環境や文化のありようと不可分に密接に結び付いている。すなわち環境・文化が違えば言語も異なると主張します。

残念なことに、エヴェレットが再度ピダハンの村を訪れ、研究調査を深めようとしたところ、彼の言説に批判的な言語学者から「人種差別的な研究をしている」との通報がブラジル当局になされたためにできなくなった。また最近では村に電気が引かれ学校が開かれ数の概念も教えられているが、村人は喜んでいるとかの話もあるようですが、その真偽は定かではありません。まあ一般論的にいうならば同業者の嫉妬ほどこわいものはない、という感じもしますね。

 

ナツツバキとホタルブクロ

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半月ほど前に庭に植えたナツツバキですが、今さかんに花を咲かせています。最初の開花は撮り損なってしまったので、これが初披露。ナツツバキはツバキ科の樹木ながら、冬期間は葉を落とします(Stewartia  pseudo-camelia)。別名シャラノキ、娑羅の木。ナツツバキ属。

植物図鑑には山地林内に生える落葉高木とありますが、植えたものはもしかしたら庭木に向けた矮性の園芸種かもしれません。それに分布も福島・新潟以西となっているので、どうりで見たいなと思っていながら自然状態では遭遇することがなかったわけです。色は白くても確かに形はツバキですね。純白の花弁ですが縁が細かく波打っています。フリンジです。

下の写真はホタルブクロ(キキョウ科ホタルブクロ属。Campanula  punctata)ですが、植えた時点ですでにたくさん花を開いていたので、もう最後のほうの花です。下向きにぶらさがって咲く花を、提灯の古名である火垂(ほたる)とみなしたという説と、つかまえたホタルを子供たちがこの花の中に入れて遊んだからという説とがあります。通常は漢字では蛍袋と表記します。花の大きさは長さ5cmほどもあって、草姿のわりには大きめでよく目立ちます。多年草なので、うまくいけば来年以降も花を開いてくれるでしょう。

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床と天井

今月12日から工事をしている酒田市内某宅のトイレ改装工事ですが、一昨日の段階で床のフローリングと、天井のプラスターボードの張り込みを終了しました。あとは私自身が実際に手がける工事担当部分としては棚板等の役物の取り付けと壁のボード張り、ドアの製作です。

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改装後のトイレは内寸約1.7m×1.4m、高さ2.4mの大きさになります。個人宅のトイレとしてはけっこう広めですね。写真はメープルの無垢板のフローリングを張った状態ですが、手前の青いテープのところにドアを設け、ここを境に手前は既存の肥松、トイレ内は新しいメープルです。

さいわいなことに両者のフローリングの実(さね。雄雌の噛み合わせ)が同じ寸法だったので、敷居や見切縁なしに接続することができました。ただし新たに張ったフローリングは標準的な施工手順どおりに下地に防湿シート+12mm下地合板を張ったので、既存の床とはそのままでは12mmほどの段差ができてしまいます。それを解消するのに根太を一部削ったり、補強の根太・大引を加えたりしたので、その点はめんどうでした。また念のために施したシロアリ消毒の匂いが、窓のないトイレなのでしばらく消えず、これには参りました。間一日工事は休んだのですが。

天井は厚さ9.5mmのプラスターボード張りで、ごく一般的なもの。ただし下地の骨組みは300mmくらいのやや細かいピッチにしています。通常の455mm(1尺5寸)に対してそれだけでもかなり強度が違ってきます。左下の四角い穴は換気扇の穴です。改装前のそれは便器の真上に付いていたのですが、機器やダクトがそろそろ寿命に近づいてきたことと、取り付け後のメンテナンスなどを考慮して、新しい換気扇を隅のほうに付けることにしました。照明は便器の前よりと手洗器の上の2カ所です。

 

小さなカマキリ

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工房の作業場で洗い物をしていたら、窓ガラスに小さな虫が貼り付いていました。よく見るとカマキリです。体長5mmくらいのまだ小さな幼虫ですが、撮影した写真を拡大してみると前脚はしっかり鎌の形をしています。カマキリは生きたものしか食べないのですが、こんな小さなカマキリはいったい何を捕食しているのでしょうか? (作業場ですので木屑・木粉まみれで、すみません)

 

栗の学習机

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他の仕事とのかねあいで予定より遅れてしまいましたが、東京都の方からご注文いただいたクリ(栗)柾目板のデスクができました。小学生のお子さんが使われる「学習机」ですが、市販のようなよけいな飾りや仕掛けはいっさいありません。サイズは幅1100mm、奥行600mm、高さ700mmで、ストレートの4本脚です。

内側深さ34mm(外形高さ43mm)の浅い抽斗が幕板に組み込んでありますが、甲板の上端から幕板下端までの距離はせいぜい100〜110mmしか取れないので、その間に抽斗を組み込もうとするとごく浅い抽斗しかできません。幕板に穴をあけて抽斗全体を入れ込むのではなく、例えば甲板の下にレールでつり下げる方式にすればもう少し深い抽斗にすることができますが、私としてはそれは見た目に美しくないと感じます。また、甲板がもっと厚ければともかく、脚と脚とを幕板で締結しないと全体の強度が著しく低下します。

このように幕板に抽斗を組み込むのは、それがない場合に比べると製作の手間は正味2日ぶんほど増えてしまいます。それでも筆記具や原稿や書類などを入れておくにはなにかと重宝することはまちがいありません。取っ手が外観上のアクセントにもなりますし。なお抽斗の側板・向板・底板はスプルス柾目板です。合板等はいっさい使っていません。

デスクライトは用途に応じて別に購入すればいいでしょうし、学習机や事務机として相当量の収納が必要なら、市販のキャビネットが多種多様たくさんあるので、それと組み合わせればいいと思います。スペースに余裕があれば甲板と同じ高さのキャビネット、スペースがとれない場合は幕板下に収まるサイズでスリムタイプのキャビネットにするといいでしょうね。

「学習机」としてはじめからあまりに特殊化してしまうとそれにしか使えないものになってしまいますが、このようにごくシンプルな作りであれば遠い将来にわたってどのようにも活用することができます。高さはお客様のご希望かつJIS標準でもある70cmにしていますが、四角いストレートな脚なのでいずれ必要に応じて切り詰めることもさほど難しくありません。

二ノ滝渓谷

鳥海山南西面を流れる西ノコマイ(西ノコメ)の一ノ滝・二ノ滝・三ノ滝あたりまで子どもといっしょにハイキングに行ってきました。雪解けと中・高山帯の降雨のせいか水量が多く、たいへん見ごたえがあります。

この渓谷は以前の地形図には「南ノコマイ」と記されていましたが、江戸時代の地図には「西ノコマイ」と書いてあります。現在月光川ダムのある地域は三の俣(みつのまた)と呼ばれていますが、これは月光川本流がここで3本の川に分かれることから名付けられたもの。すなわち、3河川の合流点から上流側を見た場合に、西よりにある川が西ノコマイで、南よりにあるのが南ノコマイ、その2川の中間にあるのが中ノコマイです。国土地理院の地形図にはときどきあることなのですが、政府の測量官が地元の人間に地名を聞き取る際に誤記したもののようです。ちなみにコマイまたはコメは先住民族であるアイヌ語に由来するものだとか。

さてその西ノコマイですが、北庄内三名瀑のひとつと目される二ノ滝というたいへん有名な滝があることから、一般には「二ノ滝渓谷」という名前がもっとも広く知れ渡っています。しかし左岸・東側の月山森(1650mm)の西斜面から流入する小沢をいくつも集めているためか、おおよそ二ノ滝より上流は月山沢と称されることがふつうです。とくに登山者にはそちらのほうがぴんとくるようで、西ノコマイとか言われてもいったいなんのことやら、かもしれません。ひとつの河川が下流から中流・上流となるにつれて本流筋でさえ名前が変わり、また同じ沢の同じ範囲が人によって呼び名が変わるというのは興味深いことです。

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二ノ滝駐車場から鳥居をくぐって5分も歩くと一ノ滝です。一之滝神社のすぐ先に滝を展望する下りの長い鉄製階段があり、そこから滝を斜め横から眺めることができます。ものすごい水量と轟音です。滝の水しぶきで階段もびしょぬれ。下部の赤い地層の上に硬い岩盤(溶岩流)が重なっていることがよく分かります。下のほうが柔らかいので滝壺の回りが浸食されており、最近も滝のやや下流の右岸が一部崩落しました。一ノ滝の落ち口右側にも真新しい剥落の跡がありますね。

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一ノ滝の滝壺ですが、落水で一面泡立っていて、底がぜんぜん見えません。手前の草は岸辺ではなく崖の途中に突き出た巨岩の上に生えているものです。

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遊歩道の一ノ滝から二ノ滝に至るまでの1キロあまりの道程途中からもずっと西ノコマイ=月山沢の清冽な流れを眺めることができます。一ノ滝・二ノ滝ほどではありませんが、小規模の滝や淵は数えきれないくらいたくさんあります。巨岩が主なので写真では小さな渓流のようにも感じますが、けっしてそんなことはなく、落ちたらまずまちがいなく流されて溺れてしまうような激流です。

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一ノ滝から15分も歩くと二ノ滝です。セメントブロック作りの小さな二之滝神社をまわるといきなりその姿が現れますが、いやあ、驚くばかりの迫力です。ここからは左岸にわたる鉄製の頑丈な橋があるのですが、滝からはまだけっこう距離があるにもかかわらずしぶきがたくさん。画面の上のほうが白っぽいのはその水煙です。ここでお弁当を食べたのですが、すぐそばに座った子どもの声も滝の音にかき消されてしまいよく聞こえません。

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橋をわたって左岸の急斜面を登ります。まだ遊歩道の続きの感じに近いので、しっかり石段が刻まれています。その斜面の途中で真横から見た二ノ滝です。高さ25mくらいの直瀑のはずですが、水勢があるので60度くらいの角度で水が落ちていますね。

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急坂を登り切ると登山道は二手に分かれていて、直進してやや下ると滝の真上の展望台に出ます。そこからの二ノ滝の落ち口です。ずっと昔に足を滑らせて墜落死した人がいましたが、今は擬木の柵が設置されています。

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このあとは先の分岐にもどって左に月山沢を見下ろしながらゆるゆると登行しますが、10分ほどでふたたび右岸に渉る橋=狭霧橋(さぎりばし)との分岐に出ます。上の写真はこの橋の上から上流側を撮ったものですが、両岸が切り立ったゴルジュ状の滝がいくつも見えます。しかしあまりにも段差が多い渓流のせいか、中小規模の滝にはいちいちは名前が付いていません。

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右岸をさらに登行します。10分ほどで「←水場10分」という標識もある、三ノ滝展望台に出ます。ただし展望台とあるものの樹木に視界をさえぎられてほとんど滝は見えません。滝は斜瀑ながら長さ100m近くはありそうなので、ちょっとこのままではもったいないです。高山帯ではないので、滝の姿が見える程度の最低限の枝打ちは許されてもよいかなと思いますが。

三ノ滝までいちおう見物したので、さっきの標識にもあった水場の苔沢徒渉点まで行ってみました。幅2mくらいの渓流ですが、湧水起源と思われる冷たく澄んだ流れです。

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今回は草木の花はずいぶん少なくなって、よく目に付いたのはフタリシズカ(センリョウ科)、ニガナ(キク科)、ヤマツツジ(ツツジ科)くらいでした。写真はフタリシズカです。

 

圧力IH炊飯ジャー

工房での昼食は原則として自炊で、基本メニューはご飯+味噌汁+漬物各種であることは、これまで当ブログで何度か触れました。その中でも最も重要なご飯は、1年半ほど前から鳥海山麓齋藤農場(齋藤武代表)の特別栽培米のササニシキを炊いています。

それまではご飯よりもプレーンなスパゲッティを作ることが多く、ご飯を炊く場合でもごく普通の市販米をヒーター式の電気釜で炊いていました。工房で一人で食べるのだからと、7000円くらいの安い炊飯ジャーを使っていたわけです。しかし齋藤さんの米を食べてみると明らかにそれまでの米よりおいしい。これではせっかくのこの米がもったいないのではないか。そう思い直してほどなく買い求めたのが写真の圧力式IH炊飯ジャーです。象印のNP−NC10というモデルです(1.0リットル、5.5合炊き)。

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さっそくササニシキを炊いてみると、これが感動的においしかったのですね。きちんと栽培された米を、きちんと炊くとご飯てこんなにうまかったのかとしみじみと思いました。2枚目の写真にあるように蓋は頑丈な二重の蓋になっており(写真では中ぶたを上ぶたから取り外して置いています)、なべ(かま)と密着して100℃よりもやや高い温度で炊くことによって米の旨味を効率的に引き出すようです。圧力調整弁とか安全弁とか、いろいろ並んだメカニカルなパーツも心をくすぐるものがあります。

メニューはものすごく多彩で、白米から炊き込みご飯・すしめし・おこわ・おかゆ・玄米・雑穀米・おこげなどがあり、また同じ白米でも温度と圧力のかけかたを微細にコントロールすることで「しゃっきり」から「もちもち」まで5段階、さらに「熟成炊き」と反対の「白米急速」と、計7段階の炊き方を選ぶことができます。私はあまり粘り気がなくやや硬めのご飯が好きなので、ササニシキを「しゃっきり」で炊いています。スイッチを入れるとすぐに高温加熱するわけではなく、まずゆっくり給水するしかけのようで、その後もよくいわれる「はじめちょろちょろ中ぱっぱ、赤子泣くとも蓋とるな」式の炊飯を内蔵コンピュータ=AIがうまくやってくれます。

たいていは一人分の炊飯なので米の量は1〜1.5合程度、上記の設定で1時間ちょうどで炊きあがります。ふつうの常識的な「前もってうるかしておいてから」炊飯するよりも、研いですぐに炊飯器のスイッチを入れ、炊けたらすぐに食べるというのがいちばんおいしく感じられます。もっとも保温して数時間たったご飯でもこの炊飯ジャーなら文句はありませんが。

炊飯するときの水は胴腹ノ滝の湧水です。ミネラル分が少ない硬度9〜10の超軟水です。米を研ぐのは地下水を源とする公共水道の水ですが、ざっと4回研いで、最後はその米をざるにあけて極力水を切ったあとに、炊飯器のなべに米と胴腹ノ滝の水を等量入れています。

この炊飯器はすでに製造中止(在庫品の販売はまだあるようですが)で、後継機種にとってかわられていますが、自宅用には後者で同格のモデルであるNP−BA10をすこし前から使っています。いずれも税込希望小売価格は57500円ですが、インターネットでさがせばそれの半額近い値段で購入できると思います。象印にも圧力式IH炊飯ジャーでもっと値段の高い11〜13万ほどもするモデルもあるのですが、実際に使っている人の評価ではそれほどの大きな差はないという声が多いようですし、私およびわが家としては今使っているモデルで十分です。またガス式の炊飯器や土鍋がおいしいという声をきくことがしばしばありますが、木工作業中にそんな悠長な、かつ危ないことはしていられないので、やはり電気釜のほうが私は断然いいです。

 

庭木

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新しいわが家には車庫・駐車スペース・通路などをのぞいて、実質面積8坪(左)と10坪(右)の庭があります。2月に引っ越しして以来まったく手を入れていない状態でしたが、先日やっと庭木を植えました。

まず延び放題になっていたスギナなどの「雑草」を刈払機でざっと除去したのですが、左側の庭のほうには白花のトキワハゼ(ゴマノハグサ科)がところどころに生えていたので、それは極力残して草取りをしました。そのあと植木市で買い求めたナツツバキ(ツバキ科)、ヤマボウシ(ミズキ科)、ブルーベリー(ツツジ科)、白花のホタルブクロ(キキョウ科)、ラベンダー(シソ科)などです。基本的には白い花がメインで、青系統がサブ。最近移入された外来種(名前も覚えられない種が多い!)ではなく、元々このあたりの地域に生えていた種であること、その種もあまり園芸的に品種改良されたものではなく原種もしくはそれに近いもの、といった条件(原則であってかなり緩いものですが)を課しました。

比較的新しい他の家の庭を拝見すると、丈夫で安くてということでしょうか、原色の派手な草木が主流のようですが、私はあまり好きではありません。きらびやかな園芸花をみたあとで、自然の野山でそこに自然に生えている自然状態の花を見るとほっとします。