月別アーカイブ: 9月 2015

ジオガイド養成講座 8

 

9月23日は鳥海山・飛島ジオパーク構想の「ジオガイド養成講座」の第8回目(希望参加の久慈市行を除くと第7回目)でした。場所は遊佐町生涯学習センターで、リードクライム株式会社の井東敬子氏による「ガイドの安全管理基礎編」「伝え方の基礎知識」という講義です。

井東敬子氏は長年、いわゆるネイチャースクール&ガイド的な仕事をされてきた方で、現場での豊富な経験にもとづく具体的な講話およびワークショップがたいへん面白かったです。ガイドは最終的にはその人の性格や資質に大きく左右されるので、細部では当然ながら井東氏とは異なるやり方をされる方も少なくないと思いますが、それでも参考になり刺激となる部分がいろいろありました。ジオガイドの場合でも基本・大筋はシステマチックに構築していかないといけないなという思いを強くしました。

下の写真は4〜5人ずつに分かれたテーブルで行われた最初のワークですが、事前説明などはいっさいなしに、この絵だけをみてどこが危険かを話し合うものです。細かくみれば10カ所ほど問題箇所を指摘できそうです。こういうわりあい単純なことですら人によって注視するところが違いました。

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松ぼっくり

 

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子供が拾ってきた松ぼっくり。調べてみたらドイツトウヒの実のようです。樹はクリスマスツリーにもよく使われています。長さ12.5cmですが、最大で20cmにもなるとか。

大きさ的にも立派ですが、均整が取れた形で細部の造形にも微妙な雰囲気があってたいへん美しいと感じます。棚板の上において横からマクロで撮影したのですが、こうして眺めているとなにか動物のようにも見えてきます。

 

コーヒーブレーク 60 「あやまちは」

 

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あやまちはくりかえしません心太

広島の原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という言葉がきざんである。この碑文に対して「広島は原爆の被害者なのに、過ちをくり返さないというのはおかしい」という頓珍漢な批判も過去にはあったそうな。言うまでもなく広島だ長崎だ日本国だというような狭い話ではなく、人類全体が二度と同じような過ちを起こさないという意味である。/心太(ところてん)はテングサやオゴノリといいた紅藻類をゆでで溶かし、その寒天質を冷ましてかためた食品で、天突きという器具に入れて押し出して太めの糸状にしたものを酢醤油などで食するのがふつう。ところでなぜ漢字で心太と書くのかだが、ずっと昔は当該食品を「こころぶと」と呼んでいたようで、それに心太という字をあてたためにいつしか「こころふと」→「ところふと」→「ところてん」となったとか(異説もある)。そういった経緯があるとはいえ、字面と実体との大きな落差がとてもおもしろいと思う。しかしだ、はじめての人は心太をところてんとはぜったいに読めませんよね〜。

蒼穹の剥落はげしき小鳥来る

なぜか俳句では小鳥は秋の季語ということになっている。秋に大陸などから飛来する小鳥や、留鳥の小鳥類が山地から平地に降りてくるなど、他の季節にくらべその存在がとても目立つからということらしい。さらに、秋に渡来する小鳥のなかでもアトリやジョウビタキやマヒワといった、彩りの美しい鳥たちは総称して「色鳥」とも呼ばれる。/私はバードウォッチングの趣味はとくにないが、山形県唯一の島である飛島は野鳥の宝庫といわれている。渡り鳥の中継地として重要な役割を有しており、約300種もの鳥が観察できるそうだ。シーズン中は大型の望遠鏡やカメラをたずさえたおおぜいのウォッチャーでたいへんにぎわうらしい。

大花野夜には星座もくわわりぬ

高い山への登行につきものといっていいお花畑(畠)は夏の季語。それに対して花野は秋の季語とされる。たしかに高山地帯では8月の中旬頃には早くも秋の気配が濃厚で、咲く花もとたんに少なくなる。鳥海山の場合は早い年だと9月末頃には初冠雪があるくらいだから、山上で秋に大花野という光景はまずありえない。やはり花野はもっと低いところの丘や平地で、キク科の植物を中心にたくさんの花が地を埋め尽くすようにして咲いている光景にこそふさわしい言葉だろう。/私もある池の周囲でみた白花のゴマナや淡青紫色のノコンギクの大群落、それから湿原での点々とではあるものの白いウメバチソウがたくさん咲いている光景が忘れられない。

 

カラフルな鉛筆

 

工房で家具等の製作時に用いる鉛筆が在庫がわずかになってきたので、新しく購入した鉛筆です。部材を加工する際の墨付は基本はシャープペンシルですが、メモを取ったりラフスケッチを描いたりするときは普通の六角軸の鉛筆を使います。

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写真の鉛筆は三菱鉛筆のuni Palett(ユニ パレット)ですが、軸のカラーリングが3色のパステルカラーになっています。まあメーカーとしては小学生向けながら比較的高品質な鉛筆を、という狙いがあるのでしょう。税抜定価で600円ですから、一本50円です。

しかしこの色合いは雑然とした作業場で使うにはたいへん便利で、木片や削り屑やいろいろな道具がまわりにたくさんあっても見分けがつきやすく、紛失のおそれも少なくなります。通常のシックな濃緑や小豆色、黒色などの鉛筆ではいざ必要なときに探すのに一苦労することがありますからね。ただし基本子供向けといっても品質は中級以上のものでないとだめで、100円ショップで売っているような折れたりかすれたり軸が削りにくい材質の木であるなどというのでは話になりません。その点、このuni Palett は書き味もいいし軸もナイフで楽に削れるので、たいへんいいです。

 

檜の薄板

 

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神奈川県のある方からご注文いただいた檜(ヒノキ)の薄板です。サイズは厚さ1.0mm、幅26mm、長さ150mmとごく小さなものですが、精度と平滑度はしっかりしています。

なにに使われるかは内緒ですが、ヒノキ材でこれくらい薄い板は市販ではまずないでしょうね。日曜工作の材料としてホームセンターあたりで小さいサイズの角材や板材・丸棒などはあるようですが、当然ながらご自分の目的とする樹種&サイズにぴったり一致するものというのはなかなかありませんので、今回のようなご注文とあいなったわけです。

ただ少量の薄板であっても、作るときはまず26mm厚さ、幅5〜6cm、長さ500mmくらいの板を正確にこしらえ、それを薄切り専用の丸ノコの刃で慎重にカットします。これは手で確実に保持できるだけの大きさと剛性がないと非常に危険であることと、加工精度が出ないからです。

そうした下拵えと機械や道具のセッティングに手間がかかるので、あとは数量がすこしくらい多くても少なくてもほとんど手間は変わりません。つまり少量であればあるほど1枚あたりの単価はぐんと高くなります。今回ももし100枚のオーダーであれば単価は2割くらいまで下がると思います。今回はそこらへんの事情をすんなり理解・ご承諾いただいたのでよかったのですが、いつもそうだというわけではなく、ものすごく驚かれて(「たった1個なのにどうしてそんなに高いの!」)不発に終わることも珍しくありません。

 

子供たちとキャンプ&登山

 

シルバーウィークとも称されるこの連休中の二日間、うちの子供とその友だちも連れてキャンプ&登山に出かけました(9/20~21)。キャンプは鳥海高原家族旅行村で、テント場に山岳用のテントを設営しました。食事はすべて子供たち中心の自炊です。

30張近くある他のお客はたいていがオートキャンプ的なかっこうで(ただし電気設備やシャワーなどはありません)、背の高い大きなテント+タープ+バーベキューという組み合わせがほとんどです。はっきりいって私はそういったキャンプにはまったく興味がありません。わざわざ自然の中で寝泊まりするのに自宅や街場でのそれと同じようなことをしてもちっとも面白くありません。

翌日はテント等を撤収してから、鳥海山の湯ノ台口コースを、滝ノ小屋〜河原宿まで登ってきました。ここも連休とあってたいへん人出が多く、第一駐車場は満杯のため徒歩で15分ほど離れた第二駐車場に車を停めました。気になったのは、第一駐車場で他の登山者の迷惑もかえりみずぎちぎちに駐車している人がいることです。車がUターンできるように、トイレや案内板・登山道入口付近には車を停めないで空きスペースを作っておくのが常識だったはずですが、かまわずそれらの真ん前に車を置いている阿呆どもがいます。

山中も人は多かったですが、晴天ながら雲がときどき視界を閉ざす天気で、風もすこしあったので涼しく、快適な山行をすることができました。多くの人が早朝に出発して頂上を目指したようですが、こちらは登山らしい登山は初めてという子供もいるので、のんびり&ゆっくりで、河原宿の雪渓まで行ってそこでぞんぶんに遊んで帰ってきました。

高い山のほうは完璧に秋の気候で、涼しいというより寒いくらいの天気。そのため花も少ないです。それでも標高1100〜1700mほどの間でウメバチソウ・ゴマナ・ヤマハハコ・ネジバナ・ミヤマアキノキリンソウ・イタドリ・エゾオヤマリンドウ・ミヤマリンドウ・シロバナトウウチソウ・シラネニンジン・エゾウサギギクなどが咲いていました。

下の写真は印象的だった風景のいくつかです。

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家族旅行村のキャンプ地で。夜はきれいに晴れて月や星がよく見えた。夕食後、恒例の肝試しのナイトウォークを1時間近くおこなった。

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旅行村敷地内の山野草園で。手前がエゾリンドウ、後ろがツリフネソウ。

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滝ノ小屋から河原宿の間の八丁坂にて。ここはあまりにも風が強く吹くので、草木の丈がとても低く、腰〜膝高以下。樹木は風下側に真横にしか枝を延ばせないほど。それでも夏は一帯がみごとなお花畑になる。

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河原宿。エゾオヤマリンドウが盛んに咲いている。紅葉しているのはシロバナトウウチソウの葉。霧が幻想的。

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心字雪渓。今年は比較的まだ雪が残っているほうか。

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心字雪渓の下端近くの草原。イワイチョウの葉が輝くような黄色に染まっている。このあたりはミヤマリンドウやシラネニンジンも多い。樹木は紅葉。

 

黒柿の蓋物(くり物)

 

ゆえあって詳細情報はまだ載せられませんが、いまこんなものができています。黒柿の蓋物(くり物)です。

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ジオガイド養成講座 7

 

鳥海山・飛島ジオパーク構想のジオガイド養成講座の7回目です。前回の岩手県久慈市での「東北ジオパークフォーラム」への参加は希望者のみの参加だったので、事務局側のカウントとは以後ひとつずつずれてしまいますが、今回はにかほ市象潟構造改善センターで午前午後とも講座が開かれました。秋田大学の成田憲二氏による「鳥海山の生態系について」です。

じつは今回は午前は座学で、午後からは鳥海山北東面の中島台・獅子ヶ鼻湿原のフィールドワークの予定だったのですが、雨天のため中止となってしまいました。しかし受講者はほとんどみなフル装備で来ているので、よほどの荒天でなければ決行するべきだったと私は思います。すこし雨が降ったくらいで活動を取りやめるようでは、そもそもジオパークのガイドなどできないでしょう。木道がすべってあぶないといった不安を感じる人や、万一まともな雨具・足ごしらえなどを用意していない人は辞退すればいいだけの話です。

さて講座はたいへん興味深くおもしろかったです。鳥海山ならびに飛島がいろいろな非常にユニークな存在であることを、植生を中心に世界的(地球的)観点から解き明かしていただきました。以下、いくつかトピック的に挙げていきますが、

日本の植生の特徴としては、南北に長く温帯から亜熱帯で一部は亜寒帯も含み、周北極要素があること。大小の島が四方に連なる島嶼(とうしょ)の要にあたることから、氷河期の百数十mにわたる海面低下時に大陸や東南アジアなどからその陸橋を伝ってさまざまな生物が移動してきた。

気候は変化し、氷河期と間氷期とでは植生も大きく変化する→2万年前の氷河期には北海道はツンドラであり、その周辺はタイガ。ブナは南方の西日本のほうに退避した。→1万2千年前の氷河期が終わる頃には針広混交林に。→6000年前はやや温暖な時期で(現在より平均気温で1〜2℃高かったらしい)海進となり照葉樹林が拡大。→3000年前はだいたい現在と同じ植生に。なお氷河期の平均的な周期は11万年くらい。

垂直方向にも植生は大きく変わり、高いところは寒くなり(標高が154m上がると気温は1℃低下)、北方系の植物が増える、あるいはそこにだけ残存する。鳥海山の場合は他の高山でみられる針葉樹林帯を欠くが、それは大量の積雪によるものだろう。ただし稲倉岳北面の一画にコメツガ林がある。

植生は主に気温と降水量によって変わり、東北地方は大まかにみれば冷温帯のブナ林帯。さらに鳥海山は日本海に近く2000mをこえる山であること、大量の降水と雪と強風があること、比較的新しい火山であるため低地から高山までを含む複雑な地形をもつ。これらのことにより多様な生態系と景観がある。

平均気温で1℃低くなるには水平距離では1700kmも北上しなければならない。鳥海山の例でいえばそれは北緯50度のサハリンあたりであり、したがって鳥海山に登るということは温帯から寒帯のスカンジナビアやアラスカやアイスランド、旧樺太などに旅をするようなものである。(←これはちょっと驚き。なるほど視点をすこし変えるだけで俄然おもしろくなる。)

鳥海山の上部で非常に強い風が吹き荒れる「風衝地」では、縞状の独特の地形とそれに適応した植生がみられる。冬には地表温度がマイナス20℃にもなるが、夏では陽が照るとたちまち40℃を越えるという過酷な環境にハクサンイチゲやヒナウスユキソウやチョウカイフスマなどが生えている。(←成田氏はこの場所を扇子森と説明していたが、まちがいとまではいえないが正しくは御田ヶ原ですね。)

鳥海山の植生をまとめると、平地からおおむね1200mまではブナ林が広がるが、その多くは伐採されてしまった(平地でも社叢林などにごく一部が残存)。亜高山帯は針葉樹をほぼ欠き、ダケカンバやミヤマナラなどが多い。高山帯には多雪と強風のため風衝地と雪田が複雑に分布する。多雪は低標高でも雪渓や雪田を形成し、また地形により湿原も多い。溶岩流端では豊富な地上流や服流水による滝なども多い。1972年の古いデータだが、鳥海山には苔や地衣類をのぞいて約430種の植物(ブナ帯に237種、亜高山帯に149種、高山帯に123種)がある。

象潟の九十九島(2500年前の鳥海山北面の山体崩壊による流山群)も島ごとに植生の差がある。飛島は暖流の対馬海流の影響で比較的暖かく、寒地系の植物と暖地系の植物が同居する。いくつかは暖地性植物の北限と寒地性植物の南限であり、照葉樹林の北限地にも近い。

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シテ句会 2015.9.9

 

恒例のシテ句会です。『シテ』は現代詩や俳句・短歌などの短詩形文学の作品発表と批評を目的とする同人誌ですが、句会も並行して行っています。原則として奇数月の第三水曜日午後6時半から、酒田駅近くの「アングラーズ・カフェ」での開催ですが、今回は都合により1週間早く、9月9日に行いました。

句会のメンバーはシテの同人と重なる人(有志)と、それとは別に外部から句会のみに参加される人とになりますが、今回は相蘇清太郎・伊藤志郎・今井富世・大江進・大場昭子・齋藤豊司・南悠一の7名でした。事前に2句を無記名で投句し、当日は清記された2枚の句群(第一幕・第二幕)からおのおのが2句ずつ取ります。その句を取った弁、取らなかった弁を一通り述べたあと初めて作者名が明かされます。これは他の句会でも一般的なスタイルですが、先入観を排し、忌憚のない意見を出してもらうための工夫です。

以下の記述は句会の主宰をつとめる私=大江進からみての講評です。辛口もありますがご容赦を。また異論・反論も大歓迎です。では第一幕から。

1  秋潮の頃のさびしさ日本海
4  廃屋にひかりの束や立葵
1  子ら水掛け碑お水をください
2  樹々は千手観音夕日に映えて
2  川泥鰌月を見上げる波紋かな
2  あやまちはくりかえしません心太
2  黄昏が記憶を盗む暮れぬ秋

最高点4点句は<廃屋に〜>です。私も取りましたが、かなりうらぶれた無人家で、屋根とか壁にもあちこち穴が開いているのかもしれません。そこから漏れてくる夏の日差しがスポットライトのように見えています。立葵(タチアオイ)は初夏から夏にかけての花ですが、背丈は2mくらいまでになる丈夫な植物。ただ野生状態の自然植生としての立葵はみつかっておらず、いずれも人家の庭などに人が植えた花であり、そのことがよけい廃屋のわびしさをさそうようです。廃屋の暗さや不気味さなどはよく俳句に詠まれますが、反転はあるにしても廃屋の明るさを詠んだ句はほかには思い当たりません。作者は南悠一さん。

次点2点句が後方に4つ並びました。4句目の、<樹々は千手観音〜>はこれも私も取りました。大きなケヤキなどの樹が夕陽にシルエットとなって浮かんでいるさまを初めは連想したのですが、下五が「夕日に映えて」ですから、見る向きが逆ですかね。夕陽に照らされている夏季の大木だとすると、むしろ葉がこんもりと繁っていて枝振りはよくみえないので、千手観音の比喩はすこし無理があるような気もしてきました。しかし景としてはいいと思うので、間延びした感のある下五を再考したいところです。作者は相蘇清太郎さん。

次の<川泥鰌〜>は音をそろえるのに無理やり泥鰌に川を点けたようで、私はかなり疑問です。カワドジョウという魚はいませんし、下五に波紋とあるので川はさらに余計な感があります。また「見上げる」は「見上げし」とすれば、泥鰌の姿が見えなくなっても水面にはなお波紋が広がっているようすが想われ、時間経過とともに景にもふくらみが出るのではないでしょうか。作者は今井富世さんです。

次の、<あやまちは〜>は私の句です。「あやまちはくりかえしません」はもちろん原爆死没者慰霊碑の碑文「過ちは繰り返しませぬから」からきています。また三橋敏雄に有名な句「あやまちはくりかへします秋の暮」があり、それに対する反歌でもあります。そのへんの背景をふまえないとこの句の理解はむずかしいかも、です。下五があのにょろにょろとした心太(ところてん)ですから、「あやまちは二度とくりかえさないぞ」などといっても、調子のいい、単なる口からでまかせの言葉なんじゃないのかという皮肉・風刺でもあります。「心太式に〜」という常套句もありますしね。

最後の2点句は<黄昏が〜>ですが、一読二読してもよくわかりませんでした。黄昏が記憶を盗むとははたしてどういう意味でしょうか? しかも下五が「秋の暮」や「暮れの秋」ではないので、よけいに混乱してしまいます。それに中の「むnu」と下の「ぬmu」と続くので語調もよくありません。作者は伊藤志郎さん。

1点句がふたつ。<秋潮の〜>は「頃」は不要でしょうし「さびしさ」は秋潮とやはり付き過ぎ。で最後が日本海では演歌になってしまいます。作者は大場昭子さん。<子ら水掛け〜>はぎくしゃくした表現で、どこで切れてどの言葉がどれにかかるのかも判然としません。「水掛け」+「お水を」では馬から落馬した」の類いになってしまいます。作者は今井富世さん。

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ここまでで約1時間。参加者が少ないと得点の多少にかかわらず全部の句に言及できるよさはありますが、問題句や下手な句も容赦なく批評にさらされるので、作者にとっては厳しいといえば厳しいですね。小休止のあと第二幕です。

0  冷酒に世寒添い寝のひとり宿
2  鬼灯や鬼に摘まれず土に臥し
4  大花野夜には星座もくわわりぬ
2  ましら酒ことりことりと夜の更くる
2  泣き虫の鳴いている夏の切り岸
2  かさかさと虫を追う猫十三夜
2  山羊の眼のごと美術館のガラス窓

最高点4点句は3句目<大花野〜>です。夏の季語「花畑」に対して秋の季語「花野」ですが、さらに「大花野」ですから見通しのよい広大な土地にたくさんの花が咲き乱れているようすが目に浮かびます。やがて夜になると澄み渡った秋の空のために星の姿もよく見えます。星月夜のような明るさに、地の花も点々と浮かび上がって見えているかもしれません。天と地との饗宴ですね。ただしとてもよくわかる景観だけに類句はあるでしょうね。作者は私です。

次点2点句は、第一幕と同じように多く5句にもおよびました。つまり点がずいぶんとばらけたわけです。初めの<鬼灯や〜>は鬼灯(ホオズキ)の実が結局だれにも摘まれることもなく(片付けられることもなく?)落下してしまったということですが、「鬼灯」「鬼に」と並ぶのはやや窮屈かつ付き過ぎ。また鬼が点した灯のようだという意味での鬼灯なのでしょうから、技巧的すぎるのではとする批評もありました。作者は伊藤志郎さん。

4句目<ましら酒〜>は猿酒の意で、野猿が樹のうろなどに貯めておいた木の実がいつの間にか醗酵して酒と化したという俗信にちなんだもの。「ことりことりと」いうオノマトペは醗酵するときの音か、あるいは木の実などが落ちる音がかすかに響いているのでしょうか。いずれにしてもこの中七のオノマトペはたいへんよく効いています。作者は大場昭子さん。

次の2点句は<泣き虫の〜>ですが、中七が「鳴いている」とあるので、冒頭で泣いているのが子供なのか虫や鳥なのか、それとも両方なのかいまいち判読できませんが、下五の「夏の切り岸」はいいですね。「な」音で3連続韻をふんでもいます。中七を「ないている」として、読者に「泣いている」「鳴いている「啼いている」「哭いている」と自由に感じてもらうという手もありそうです。作者は南悠一さん。この句と前の句は私も取りました。

次の2点句<かさかさと〜>はわが家の室内飼いの猫がフローリングの床を歩くときにたてるかすかな足音(後ろ脚の爪が床に当たる音)を想ったのですが、戸外でもそろそろ枯葉などが落ちておりかさかさと音がしますね。十五夜ではなく十三夜であるところがいいです。作者は今井富世さん。

最後の2点句<山羊の眼のごと〜>は、ヤギの瞳は暗いところでは横長になります。ネコの瞳が縦に細くなるのとは対照的ですが、そのことをぱっと想いうかべることができないとこの句はわかりにくいでしょうね。美術館の窓は作品の日焼けを防ぐために小さめなことが多いのですが、この句の場合は横長の細い小さな窓だったのでしょうか。しかし、それでもまだ何かが足りない気がします。美術館を除けて別の言葉を入れたらどうでしょうかね。作者は相蘇清太郎さん。

1句目の<冷酒に〜>は「世寒」(夜寒?)「添い寝」「ひとり宿」ですから、これではまったく演歌です。作者は齋藤豊司さん。

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さて今回も最後に作句の参考になりそうな句を、私が三句事前に選んでおいて皆さんに観賞していてだきました。テーマは「ただごとのような」です。

三つ食へば葉三辺や桜餅    高浜虚子
草餅に鶯餅の粉がつく     岸本尚毅
海鼠切りもとの形に寄せてある 小原啄葉

虚子の句は、わざわざそんな些末なことを俳句にすること自体がふつうではないのですが、なぜか妙に惹かれるものがあります。それはきっと食べたものが桜餅であり、残されたものがあの塩漬けされたオオシマザクラの葉だからこそ。クマリンのいい香りがただよってきそうです。なお桜餅の葉を食べるor食べないを、嗜好の差ではなくマナーの問題として大真面目に論じている人もいるようですが、ばかばかしいかぎりです。

岸本直毅は名の通った中堅俳人です。が、伝統派ながらなかなかのくせもので、草餅対鶯餅をエサに、微妙な人間心理を詠んでいるかのようです。「そんなに寄ってこないでよ。服が汚れるじゃない」「いいだろ、そんなこと気にすんなよ」といったやりとりが聞こえてきそうですね。

小原啄葉の海鼠の句は、じつは作句をはじめた十数年前に出あって以来、いまもって私の感銘句の筆頭のひとつです。なんでもなく詠んでいるようで、じつはよく読むと非情や残酷・虚無をこれ以上にはないくらいに的確に表現していると感じます。

三句とも、ただごとと言えばそのとおりただごとにすぎないのですが、素材と表現とを吟味することで読み手に対して、大きなもの深いものを見させる強さを内包している句ともいえます。そのことは試しに上の句に、桜餅や草餅・鶯餅・海鼠ではない何か別の食べ物をあてがってみれば明らかでしょう。

 

ミニチュアの羊

 

昨日に続いて山形県米沢市の陶福=庄司智浩さんの作品。クラフト展で食器等のかたわらに並んでいたミニチュアの陶製人形です。大きさは2.5cmほどしかないのですが、指先でちょいとつまんで作ったような磁器の羊に、白や濃淡の褐色の糸を巻いています。抜群のアイディア! じつに愛らしくまたオリジナリティがありますね。

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