コーヒーブレーク 60 「あやまちは」

 

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あやまちはくりかえしません心太

広島の原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という言葉がきざんである。この碑文に対して「広島は原爆の被害者なのに、過ちをくり返さないというのはおかしい」という頓珍漢な批判も過去にはあったそうな。言うまでもなく広島だ長崎だ日本国だというような狭い話ではなく、人類全体が二度と同じような過ちを起こさないという意味である。/心太(ところてん)はテングサやオゴノリといいた紅藻類をゆでで溶かし、その寒天質を冷ましてかためた食品で、天突きという器具に入れて押し出して太めの糸状にしたものを酢醤油などで食するのがふつう。ところでなぜ漢字で心太と書くのかだが、ずっと昔は当該食品を「こころぶと」と呼んでいたようで、それに心太という字をあてたためにいつしか「こころふと」→「ところふと」→「ところてん」となったとか(異説もある)。そういった経緯があるとはいえ、字面と実体との大きな落差がとてもおもしろいと思う。しかしだ、はじめての人は心太をところてんとはぜったいに読めませんよね〜。

蒼穹の剥落はげしき小鳥来る

なぜか俳句では小鳥は秋の季語ということになっている。秋に大陸などから飛来する小鳥や、留鳥の小鳥類が山地から平地に降りてくるなど、他の季節にくらべその存在がとても目立つからということらしい。さらに、秋に渡来する小鳥のなかでもアトリやジョウビタキやマヒワといった、彩りの美しい鳥たちは総称して「色鳥」とも呼ばれる。/私はバードウォッチングの趣味はとくにないが、山形県唯一の島である飛島は野鳥の宝庫といわれている。渡り鳥の中継地として重要な役割を有しており、約300種もの鳥が観察できるそうだ。シーズン中は大型の望遠鏡やカメラをたずさえたおおぜいのウォッチャーでたいへんにぎわうらしい。

大花野夜には星座もくわわりぬ

高い山への登行につきものといっていいお花畑(畠)は夏の季語。それに対して花野は秋の季語とされる。たしかに高山地帯では8月の中旬頃には早くも秋の気配が濃厚で、咲く花もとたんに少なくなる。鳥海山の場合は早い年だと9月末頃には初冠雪があるくらいだから、山上で秋に大花野という光景はまずありえない。やはり花野はもっと低いところの丘や平地で、キク科の植物を中心にたくさんの花が地を埋め尽くすようにして咲いている光景にこそふさわしい言葉だろう。/私もある池の周囲でみた白花のゴマナや淡青紫色のノコンギクの大群落、それから湿原での点々とではあるものの白いウメバチソウがたくさん咲いている光景が忘れられない。

 

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