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ふすまの引手

 

先月、明治中頃に建てられた住宅を解体した際に出たケヤキ等の木材や、建具・什器類を整理がてら一部をもらいうけました。痛んでいる材料や古い建具などは再利用は困難ということで結局廃棄処分せざるを得ませんでしたが、ふすまの引手はまだ使えそうなので慎重に取り外しました。材質は真鍮または銅製で、底は梨地仕上その他は黒漆を塗っているようです。

下の写真がそれですが、左は桜(あるいは梅?)、右が竹でしょう。大きさは径30〜40mmくらいですが、すくなくとも明治中頃かそれ以前に作られたものかと思います。つまり100年以上経っていることになります。ふすまは本格的な作りのもので、枠材はヒノキで鎌ホゾで組んであり、中は障子のように細い木桟の格子に和紙の反故紙を何重にも下張りしてありました。表面は厚手の和紙に金泥や金箔を用いて松などを意匠的に簡潔に描いたもの。ただその紙は染みや破れがあって再利用は不可です。

引手についてあらためて調べてみると、金属製で手作り的なものだと一個数万円くらいはふつうで、なんと10万円を超えるものまであるようで驚きました。今回の引手が、よく時代劇に登場するいわゆる飾り職人がこつこつと手作業で作ったものかどうかは定かではありませんが、裏側などの細部をみるとすくなくとも機械で大量に量産したものではなさそうです。

まったく和風のものなので、当工房の基本的なスタイルとはマッチしませんが、なんとか何かに活用してみようと考えています。

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ヒバカリ

 

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工房の掃除をして帰ろうとしたら、コンクリートの上を長さ30cmくらいの小さなヘビが這っていました。すぐにほうきでちりとりがわりの「み」に追い込んで捕獲し、撮影しました。背景がオレンジ色なのは「み」がその色のプラスチックできているからですが、とっさの判断ながらつるつるすべってヘビも簡単には脱出できないのが幸いでした。

全体が緑味をおびた茶褐色で、模様らしい模様はありません。太さはいちばん太いところでも1cmあるかどうかくらい。なんという種類のヘビなのかすぐには分かりませんでしたが、少なくともマムシやヤマカガシという毒蛇ではないことはたしかなので、じっくりと10枚ほど写真を撮らせてもらいました。ヘビのほうは危険を察知しておびえているのかとぐろを巻いたまま、ほとんど動きません。指先でちょっと触ってみましたが冷たくさらっとした感じです。撮影が終わったので戸外の草むらに放してやりました。

自宅にもどってさっそく調べてみると、どうやらヒバカリ(日計・日量)というヘビのようです。ユウダ科ヒバカリ属で、日本に産する主なヘビ8種類のうちの一種(島嶼も含む全体では36種)。それほど珍しい種ではありませんが、地味な色合いや薄明薄暮型の活動のため目立ちません。私も明瞭に認識したのは今回がはじめてです。毒はなく全長40〜65cmほどと比較的小型のヘビです。上の写真でもわかりますが口吻から頸部にかけて白色または淡黄色の斑紋があり、これが識別のポイントでしょうか。

 

コーヒーブレーク 29 「領土」

 

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天の川さびしき人類住めるなり

惑星に生命が発生する可能性はものすごく低いという。学者にもよるが、サイコロを1万回投げて同じ目が1万回続けて出るくらいの確率だとか。つまりそれはほとんど確率ゼロといっていい話で、現在地球にこれほど多種多様な生き物が栄えていることは奇蹟そのものといっていいだろう。しかも9割以上の生物がいちどに短期間に絶滅するような激甚な天変地異を幾度もかいくぐってきてのことだからなおさらである。/ごくわずかな確率であるにしても宇宙に文化と意識を持つような高度生命体が存在することは否定はできないが、距離的に地球からあまりにも遠く離れていて行き来に何万光年・何億光年もかかるのであれば、それは実際的には存在しないことと同義である。

人類の並び立てたる風車

私が住む地域にも風力発電用の大きな風車がいくつもある。現在主流の定格出力1.5〜2.5メガワット/時の風車の場合、羽の回転直径は70〜80m、タワーを含む全体の高さは100〜130mというから、おそろしいくらいの巨体である。遠くから眺めているぶんにはその大きさをなかなか実感できないが、もっとずっと小規模の風車でさえその足元近くまで寄ると驚くばかりの大きさと高さに圧倒される。さほど風が強くないときでもその「うなり声」にはすこしく恐怖感をおぼえるほどだ。

二百余の領土ありけり秋の暮

前にも触れたが、現在日本が承認している国は195カ国。しかし「国際的に他の多くの国からは承認されていない国」や、海外領土・自治地域などを含めると計249カ国とも。これはISO 3166の定義による「カントリーコード」の数でもある。 かつての列強による植民地などはあらかた独立したし、先般のスコットランド独立をめざす騒ぎ(国民投票を実施)にみられるように、まず安定的にみえる国家でさえも分裂の可能性は常にある。/国の数はこの先さらに増えていくのか、それとも日本における自治体の合併のようにいつかUターンして減っていくのだろうか。個人的には「自分たちのことは自分たちで決める」精神で細かく分離独立しながらも、たがいにその存在を認め自由に行き来できるのがいいなと思うが。

(※ 写真はスギの倒木の根株にびっしりと生えたスギヒラタケという茸。本来は食用菌だが薬との副作用で死亡する事例があったことから、今はほとんど見向きされなくなった。虚子に<爛々と昼の星見え茸生え>という句がある。)

仕口いろいろ

 

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アメリカン-ブラック-ウォールナットで戸棚を製作しているのですが、その一部の仮組をしているところです。木と木の部材を接合する際、縦と縦の同方向に接続する場合を「継手(つぎて)」、縦と横の異方向に接続する場合を「仕口(しくち)」と言いますが、上の写真では右側の脚に左の地板・中板が接合する仕口を示しています。

接合は接着剤や金物やダボではなく部材自体にホゾやホゾ穴、ミゾや段欠(だんがき)などといった凹凸をこしらえて、それをはめ込むしくみです。上の例ではホゾ+小根ホゾ+大入+段欠という仕口を採用しています。金物等で組み立てるのに比べはるかに手間がかかりますが、経年変化を含む強度と耐久性はいちばん高く、見た目にもきれいです。そのためもあってか木工家のことを以前は「指物師(さしものし)」と呼びました。指と指を組むようにして木材を精緻に加工して家具などを作ります。

 

ミニリフター

 

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先の庄内町でのリフォーム工事でたいそう重宝したミニリフター。ナカヤのNK−55です。右側の長いレバーを足先で踏むと左のL形の幅広の爪が上がる仕掛けで(写真では建具用に幅広の爪と傷防止に木片を付けています)、たとえばひとりで壁に大きめの一枚もののパネル類を張ったり、重いドアを取り付けたりする際の位置調整に用いると、楽に安全確実に施行することができます。

下げるときは中央の小さいレバーを足先で踏むのですが、上下動(4〜55mm)とも踏みかたで微動〜全動をかげんすることができます。耐荷重は590N(60kgf)で、3×8サイズの石膏ボードでも楽々リフトでき、しかも上げたままで左右に15mmまで振ることができるので、壁や張り終わった他のボードとの突き合わせも簡単。 油圧とか電動ではなくメカニカルな摩擦だけのシンプルな機構なので故障するおそれも少なく、全長も30cm弱、重さ1.7kgと、リフターとしては小型軽量といえます。

「建材施行用」とうたっていますが、冒頭で述べたように建具の仮付・本付にも最適で、すこし治具を工夫すれば家具の製作にもいろいろ使えると思います。税抜定価12000円ですが、仕事で使うならすぐに元がとれますね。

 

籠の猫

 

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わが家の猫トントが、自分からキャリーバッグの中に入って寝ていました。このバッグは動物病院などに連れていくときに用いるナイロン製の丈夫な専用のバッグですが、飼い主の私たちがこれにトントを入れて運ぼうとすると猛烈にいやがります。すばやくジッパーをしめロックをかけないと、わずかの隙間に頭を押し込んでこじあけ逃げられてしまいます。そしてロフトなどの「隠れ家」に閉じこもってしまい数時間出てきません。

ところが、下にすこしだけ写っているキャリーボックスの場合でも同じなのですが、自分から中に入るぶんにはぜんぜん抵抗がないらしいのがなんとも不思議です。むしろ今は生後4ヶ月半の新参猫のアルからあまりじゃまされないで寝ることができるので、このバッグやボックスの中のほうが居心地がいいのかもしれません。

このままひょいとバッグごと持っていかれたらおしまいなのにね〜。

 

アルビフロラ その4

 

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6月半ばにわが家にもらわれてきた捨猫だったアル(正式名はアルビフロラ。albiflora ラテン語で白い花の意)もいつの間にか3ヶ月半が過ぎました。推定生後4ヶ月余りですが、驚くばかりの成長で、現在の体長は約35cm、体重は2.0kgです。最初は16cm&200gだったので、体重にしてなんと10倍にもなったことになります(ちなみにトントは50cm、4.9kg)。

とにかく活発で運動神経は歴代の猫でもぴか一。1mくらいは楽々ジャンプしています。それはまあいいのですが、先住のトントはおおいに迷惑顔。下の写真で左上にちょっと写っているのがトントの尻尾ですが、それを アルがじぃ〜と狙っています。また私たちにもじゃれながらすぐ噛み付くのも困ります。トントとちがって噛む加減がうまくできないので、ほんとうに痛いです。

わが家には子どもの同級生が土日などに5〜10人くらい遊びにくることがしばしばあるのですが、トントはすばやく安全地帯に隠れて出てこないのに対し、アルのほうはまったく気にすることなく、子どもらのまさしくいい玩具になっています。同じ猫でもこれほど性格が違うのもおもしろいことです。

シテ9月句会 2014.9.17

 

奇数月の第三水曜日に開いているシテ句会の9月ぶんです。『シテ』は短詩形文学の発表と批評を目的とする同人誌で、年3回発行が目標ですがこれまで4号を発刊。メンバーは酒田市を中心に9名ですが、その中の活動の一環として句会もときどき行っています。今回の出席者は相蘇清太郎・阿蘇豊・今井富世・大江進・大場昭子・高瀬靖・南悠一・渡部きよ子の8名(敬称略)。

事前に無記名で2句投句し、清記された2枚の句群から参加者それぞれが当日2句ずつ選び、容赦のない自由な合評が終わってから作者名が明かされるのはいつもの通り。2時間半にわたる「バトル」です。では第一幕から。

2  秋夕焼飴煮る匂ひの港町
1  秋の陽はさびしさびしと傾きぬ
2  ひとり居に色なき風のレクイエム
0  詩はよせや巷に涙胸に雨
5  イナイ人ハ手ヲアゲテ八月十五日
0  恋ころぎ(虫に車)今宵逢瀬は茄子の陰
2  いわし雲被災地の泥深く重く
3  昼顔や道理に合わぬ雨がやみ

最高点は5番目の<イナイ人ハ〜>ですが、戦争で亡くなった人の無念さや悲哀がよく出ている、カタカナ表記が時代を感じさせよく効いている、という評価がある一方で、いかにも反戦というようで付き過ぎという意見も。こういった句はほかにはないのではないかという声もありましたが、まあ若干技巧的なにおいはあるかもしれません。ただひらがなではふざけすぎと取られかねないでしょうね。作者は私(大江進)です。

次点は3点句の8番目<昼顔や〜>です。「道理に合わぬ」をどう解釈するかですが、先の広島県などの集中豪雨とその甚大な被害をさしているそうです。昼顔は合っていて(朝顔ではだめです)、惨憺たる現場にぼうっと立ち尽くす被災者のようすがみえるようです。ただ理屈っぽい感じはあるので、道理に合わないという部分をもっと他の言葉で具体的に表せるといいと思います。作者は南悠一さん。

2点句は3句ありました。1番目の<秋夕焼〜>ですが、秋の夕焼け+飴を煮る匂い+港町で、材料がそろいすぎのきらいがあります。実景がそうだったということかもしれませんが、もっと焦点をしぼったほうがいいでしょうね。作者は大場昭子さん。3句目<ひとり居の〜>も上の句と同様に材料が盛りだくさんにすぎます。上・中・座と3つとも同じような感触の言葉が並んでいるので、逆におたがいに相殺してしまっています。作者は渡部きよ子さん。7句目の<いわし雲〜>は思いはよくわかるのですが、泥ですから「深く重く」とまで言ってしまっては常識的・常套的。言わずもがなという気がします。作者は高瀬靖さん。

2句目の<秋の陽は〜>は当たりまえすぎる情景ながらも駄目押しで「さびしさびしと傾きぬ」とまで言ったことで逆にすくわれた感があります。私はあえて採りました。作者は阿蘇豊さん。4句目<詩はよせや〜>は私にはまったくなんのことだかわかりませんでしたが、ベルレーヌの有名な詩をもじったものだそうです。そういえば「街に雨が降る、胸に涙が流るる」みたいな詩がありましたね。「詩はよせや」ということなので、そういう韻を多用し叙情にはしるのは止めろという意味のようですが、詩の素養がないと理解不能ですね。作者は相蘇清太郎さん。6句目<恋ころぎ〜>は他のいくつかの句とならんで材材が目一杯。事実がたとえそうだったとしても句にするときはもっと整理したいです。作者は今井富世さん。

ここまでで1時間20分ほど経過。今回は8名の参加とやや人数が少ないぶん、合評に熱が入りました。みなさん遠慮せずに「これはよくない。こうしたほうがいいのでは」と言い合いをするので、句会をたんなる趣味やお稽古事的にとらえている人には厳しいかもしれません。ほめられればたしかに誰しもうれしいのはたしかですが、忌憚のない批判こそは栄養、ありがたいことだと思います。

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さて第二幕です。

2  白桔梗ゆれてためいき匂い立つ
3  銀漢の死にたる星もひきつれし
0  山肌を一切攫ひて秋立ちぬ
5  ものいはぬ女なりけり秋の水
1  枝豆の匂い立つ夕べかな
1  十薬の花の白きに怯えたり
1  はまなすの終日風に抱かれをり
3  落蝉に西風一つ眩しけり

最高点は4句目の<ものいはぬ〜>の5点。どうして女がだまりこんでいるのかなにやらわけがありそうですが、下五が秋の水とあるのであまり深刻な場面にならないですみました。秋の水ですから澄んだきれいな水で、女性の心もいまは落ち着いて冷静な感じにはなっているのでしょう。作者は高瀬靖さん。

3点句は2句あります。2番の<銀漢の〜>ですが、これは現代ならではの句。銀漢は銀河・天の川のことです。星にも生死があり、いま見えている星は何万年もはるか昔に発した光がいま地球に届いているだけであって、もしかしたらいまは消滅しているかもしれません。太陽系にいちばん近い恒星ですら4.3光年離れているそうですから。天文学の初歩的知識が広く共有されるような時代だからこそ、星空をみてそのような感慨がわくのであって、芭蕉の時代などにはけっして詠まれることのなかった句です。下五が「ひきつれし」なのでやはり上五は銀河や天の川ではなく銀漢でしょう。作者は私。

次の8番目の句<落蝉に〜>は光ではなく風がまぶしいというのがとてもいいですね。夏も終わりに近づき、風も北西からの風が多くなってきます。あるいは夕方になって、それまでの陸風が海風(日本海なので西風です)にかわるあたりでしょうか。佳句です。ただ表記としては<〜西風ひとつ眩しかり>としたほうがいいと思います。作者は今井富世さん。

次点2点句は1番目の<白桔梗〜>句ですが、ためいき+匂い立つ、とちょっと付き過ぎですしくどすぎます。どちらか削ってもっとさっぱりすっきりさせたほうが白桔梗の感じには合っているでしょうね。このままでは演歌みたいです。作者は阿蘇豊さん。

1点句は3句。最初の<枝豆の〜>は、たまたま1番目の句と同じ「匂い立つ」という言葉が使われていますが、通常それは良い香りがほのかにしかしたしかに漂ってくる場合に使われる表現だと思いますので、この句では適切ではないと思います。作者=相蘇清太郎さんによれば収穫する前の枝豆の匂いのことだそうですからなおさらですね。次の<十薬の〜>はドクダミのあの白い花のようすを詠んでいるのですが、個人的にはとても清楚なきれいな花(実際には総苞片)と思っているので、「怯えたり」はぴんときませんでした。ドクダミは名前が損しているのでしょうが、あまりいいイメージを持たれないことが多いのが残念です。作者は南悠一さん。

最後の<はまなす〜>はじつは漢字で書かれていたのですが、私のワープロソフトでは出てきません。すみません。ハマナスは海岸べりの乾いた土地に生えているバラ科の落葉低木で、花は野生のバラ科のなかでは大き目で紅色でとてもきれいですが、枝には鋭い刺がびっしり生えています。下五の「抱かれおり」がその点ですこしそぐわない気がします。過酷な土地に繁茂する強靭な植物ですから。作者は渡部きよ子さん。

3番目の句<山肌を〜>はやはり広島県などの先日の大水害を詠んだのだそうですが上句の山肌を一切攫うでは、読者には伝わりにくいでしょうしそれと立秋との結びつきがよくわかりません。甚大な災害があったにもかかわらず季節は関係なくめぐり、はやくも秋めいてきたよという一種の非情性を詠みたいのであれば、もっと表現を練らないといけないと思います。作者は大場昭子さん。

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シテ句会は新しい体制になってこれで4回目ですが、句歴の長い私などの若干名をのぞくと他の方はほとんど初心者に近いといっていいと思います。詩はみなさんずっと長く書いてきているのですが、俳句となるとだいぶ勝手が違うようで、みなさん苦労されているようすです。とはいえさすがに詩作されてきているので慣れるのもはやいように感じます。つい自分の思いをいっぱい詰め込みすぎになりがちですけどね。

俳句は極度に短いということがくせ者でありまた魅力でもあります。発想の起点がなんであれ全部は五七五に詰め込めないので、どの言葉に光をあてどの言葉は捨てるのかというきびしい「引き算」が求められます。取捨選択し凝縮する。そのことが逆に詩的世界広げるという魔法のようなしかけです。

 

ぶらんこの座板交換

 

ぶらんこの板がたいそう痛んでしまい、もう使いものにならず危険でもあるので新しいものに交換してほしいとの注文です。妻の実家の集落にある小さな公園ですが、村社神社の境内とおぼしきところの空き地にぶらんこが2基、さびしそうに並んでいました。奥のほうのT字型のぶらんこ支柱は珍しいですね。

骨組みも鎖もかなり古くてすっかり錆びついてしまっています。しょっちゅうこすれる箇所は鉄も摩耗して細くなっていますが、とりあえずは依頼のあった座板を新調しました。材料はベイヒバで、もともとヒノキなどより耐久性はある材木ですが、手持ちの120mm角をふたつに割って、47×108×530&580mmにし、縁はすべてR6の丸面。もとの座板は鎖間の幅が狭いほうは400mmしかなく、それでは大人はちょっときつすぎるので440mmに広げ、逆に520mmあった広いほうは490mmに狭くしました。

完全無節になるようにいいとこどりの木取ですが、さらに無色透明の含浸性の外部木部塗料をたっぷり2回塗ったのでしばらくは保つでしょう。

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黄金田

 

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いま庄内平野は稲刈りがはじまっています。見渡すかぎり黄金色に輝く稔り田で、とりわけ天気がよく陽光が強い日中などは平野全体がまるで金箔を張ったようにまぶしいまでに光り輝いています。 単純にきれいだなあと感じないではありませんが、これはきわめて人工的な光景で、凹凸のほとんどない平坦な地面といい、そこにほぼ単一の植物が生えていることといい、「自然な」景観にはほど遠いものです。そのためだと思いますが、私はきれいだなと感ずる気持ちと違和感とのせめぎあいをいつも覚えます。

現在では前ほどにははやらないようですが、例えば北海道の前田真三氏の「風景写真」などは、全部がそうだというわけではありませんが、一面に植えられた穀物や花の写真を「ネイチャーフォト」と称するのは、明らかに違うだろうと思います。大型の重機や農業機械、大量の農薬や化学肥料などが投入されることではじめて出現可能な人為的・人工的な風景ですね。ある意味では都会以上に都会的な作られた風景といえます。すくなくとも私はそういった写真をみて「自然」を感ずることはまったくありません。

あ、いちおうお断りしておきますが、私はそういった田園風景や農耕地やそれらの写真といったものを否定しているわけではありません。ただ本来の自然とは違うことや、その違いというものにもっと繊細・敏感でありたいと考えているということです。