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ジオガイド養成講座 7

 

鳥海山・飛島ジオパーク構想のジオガイド養成講座の7回目です。前回の岩手県久慈市での「東北ジオパークフォーラム」への参加は希望者のみの参加だったので、事務局側のカウントとは以後ひとつずつずれてしまいますが、今回はにかほ市象潟構造改善センターで午前午後とも講座が開かれました。秋田大学の成田憲二氏による「鳥海山の生態系について」です。

じつは今回は午前は座学で、午後からは鳥海山北東面の中島台・獅子ヶ鼻湿原のフィールドワークの予定だったのですが、雨天のため中止となってしまいました。しかし受講者はほとんどみなフル装備で来ているので、よほどの荒天でなければ決行するべきだったと私は思います。すこし雨が降ったくらいで活動を取りやめるようでは、そもそもジオパークのガイドなどできないでしょう。木道がすべってあぶないといった不安を感じる人や、万一まともな雨具・足ごしらえなどを用意していない人は辞退すればいいだけの話です。

さて講座はたいへん興味深くおもしろかったです。鳥海山ならびに飛島がいろいろな非常にユニークな存在であることを、植生を中心に世界的(地球的)観点から解き明かしていただきました。以下、いくつかトピック的に挙げていきますが、

日本の植生の特徴としては、南北に長く温帯から亜熱帯で一部は亜寒帯も含み、周北極要素があること。大小の島が四方に連なる島嶼(とうしょ)の要にあたることから、氷河期の百数十mにわたる海面低下時に大陸や東南アジアなどからその陸橋を伝ってさまざまな生物が移動してきた。

気候は変化し、氷河期と間氷期とでは植生も大きく変化する→2万年前の氷河期には北海道はツンドラであり、その周辺はタイガ。ブナは南方の西日本のほうに退避した。→1万2千年前の氷河期が終わる頃には針広混交林に。→6000年前はやや温暖な時期で(現在より平均気温で1〜2℃高かったらしい)海進となり照葉樹林が拡大。→3000年前はだいたい現在と同じ植生に。なお氷河期の平均的な周期は11万年くらい。

垂直方向にも植生は大きく変わり、高いところは寒くなり(標高が154m上がると気温は1℃低下)、北方系の植物が増える、あるいはそこにだけ残存する。鳥海山の場合は他の高山でみられる針葉樹林帯を欠くが、それは大量の積雪によるものだろう。ただし稲倉岳北面の一画にコメツガ林がある。

植生は主に気温と降水量によって変わり、東北地方は大まかにみれば冷温帯のブナ林帯。さらに鳥海山は日本海に近く2000mをこえる山であること、大量の降水と雪と強風があること、比較的新しい火山であるため低地から高山までを含む複雑な地形をもつ。これらのことにより多様な生態系と景観がある。

平均気温で1℃低くなるには水平距離では1700kmも北上しなければならない。鳥海山の例でいえばそれは北緯50度のサハリンあたりであり、したがって鳥海山に登るということは温帯から寒帯のスカンジナビアやアラスカやアイスランド、旧樺太などに旅をするようなものである。(←これはちょっと驚き。なるほど視点をすこし変えるだけで俄然おもしろくなる。)

鳥海山の上部で非常に強い風が吹き荒れる「風衝地」では、縞状の独特の地形とそれに適応した植生がみられる。冬には地表温度がマイナス20℃にもなるが、夏では陽が照るとたちまち40℃を越えるという過酷な環境にハクサンイチゲやヒナウスユキソウやチョウカイフスマなどが生えている。(←成田氏はこの場所を扇子森と説明していたが、まちがいとまではいえないが正しくは御田ヶ原ですね。)

鳥海山の植生をまとめると、平地からおおむね1200mまではブナ林が広がるが、その多くは伐採されてしまった(平地でも社叢林などにごく一部が残存)。亜高山帯は針葉樹をほぼ欠き、ダケカンバやミヤマナラなどが多い。高山帯には多雪と強風のため風衝地と雪田が複雑に分布する。多雪は低標高でも雪渓や雪田を形成し、また地形により湿原も多い。溶岩流端では豊富な地上流や服流水による滝なども多い。1972年の古いデータだが、鳥海山には苔や地衣類をのぞいて約430種の植物(ブナ帯に237種、亜高山帯に149種、高山帯に123種)がある。

象潟の九十九島(2500年前の鳥海山北面の山体崩壊による流山群)も島ごとに植生の差がある。飛島は暖流の対馬海流の影響で比較的暖かく、寒地系の植物と暖地系の植物が同居する。いくつかは暖地性植物の北限と寒地性植物の南限であり、照葉樹林の北限地にも近い。

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シテ句会 2015.9.9

 

恒例のシテ句会です。『シテ』は現代詩や俳句・短歌などの短詩形文学の作品発表と批評を目的とする同人誌ですが、句会も並行して行っています。原則として奇数月の第三水曜日午後6時半から、酒田駅近くの「アングラーズ・カフェ」での開催ですが、今回は都合により1週間早く、9月9日に行いました。

句会のメンバーはシテの同人と重なる人(有志)と、それとは別に外部から句会のみに参加される人とになりますが、今回は相蘇清太郎・伊藤志郎・今井富世・大江進・大場昭子・齋藤豊司・南悠一の7名でした。事前に2句を無記名で投句し、当日は清記された2枚の句群(第一幕・第二幕)からおのおのが2句ずつ取ります。その句を取った弁、取らなかった弁を一通り述べたあと初めて作者名が明かされます。これは他の句会でも一般的なスタイルですが、先入観を排し、忌憚のない意見を出してもらうための工夫です。

以下の記述は句会の主宰をつとめる私=大江進からみての講評です。辛口もありますがご容赦を。また異論・反論も大歓迎です。では第一幕から。

1  秋潮の頃のさびしさ日本海
4  廃屋にひかりの束や立葵
1  子ら水掛け碑お水をください
2  樹々は千手観音夕日に映えて
2  川泥鰌月を見上げる波紋かな
2  あやまちはくりかえしません心太
2  黄昏が記憶を盗む暮れぬ秋

最高点4点句は<廃屋に〜>です。私も取りましたが、かなりうらぶれた無人家で、屋根とか壁にもあちこち穴が開いているのかもしれません。そこから漏れてくる夏の日差しがスポットライトのように見えています。立葵(タチアオイ)は初夏から夏にかけての花ですが、背丈は2mくらいまでになる丈夫な植物。ただ野生状態の自然植生としての立葵はみつかっておらず、いずれも人家の庭などに人が植えた花であり、そのことがよけい廃屋のわびしさをさそうようです。廃屋の暗さや不気味さなどはよく俳句に詠まれますが、反転はあるにしても廃屋の明るさを詠んだ句はほかには思い当たりません。作者は南悠一さん。

次点2点句が後方に4つ並びました。4句目の、<樹々は千手観音〜>はこれも私も取りました。大きなケヤキなどの樹が夕陽にシルエットとなって浮かんでいるさまを初めは連想したのですが、下五が「夕日に映えて」ですから、見る向きが逆ですかね。夕陽に照らされている夏季の大木だとすると、むしろ葉がこんもりと繁っていて枝振りはよくみえないので、千手観音の比喩はすこし無理があるような気もしてきました。しかし景としてはいいと思うので、間延びした感のある下五を再考したいところです。作者は相蘇清太郎さん。

次の<川泥鰌〜>は音をそろえるのに無理やり泥鰌に川を点けたようで、私はかなり疑問です。カワドジョウという魚はいませんし、下五に波紋とあるので川はさらに余計な感があります。また「見上げる」は「見上げし」とすれば、泥鰌の姿が見えなくなっても水面にはなお波紋が広がっているようすが想われ、時間経過とともに景にもふくらみが出るのではないでしょうか。作者は今井富世さんです。

次の、<あやまちは〜>は私の句です。「あやまちはくりかえしません」はもちろん原爆死没者慰霊碑の碑文「過ちは繰り返しませぬから」からきています。また三橋敏雄に有名な句「あやまちはくりかへします秋の暮」があり、それに対する反歌でもあります。そのへんの背景をふまえないとこの句の理解はむずかしいかも、です。下五があのにょろにょろとした心太(ところてん)ですから、「あやまちは二度とくりかえさないぞ」などといっても、調子のいい、単なる口からでまかせの言葉なんじゃないのかという皮肉・風刺でもあります。「心太式に〜」という常套句もありますしね。

最後の2点句は<黄昏が〜>ですが、一読二読してもよくわかりませんでした。黄昏が記憶を盗むとははたしてどういう意味でしょうか? しかも下五が「秋の暮」や「暮れの秋」ではないので、よけいに混乱してしまいます。それに中の「むnu」と下の「ぬmu」と続くので語調もよくありません。作者は伊藤志郎さん。

1点句がふたつ。<秋潮の〜>は「頃」は不要でしょうし「さびしさ」は秋潮とやはり付き過ぎ。で最後が日本海では演歌になってしまいます。作者は大場昭子さん。<子ら水掛け〜>はぎくしゃくした表現で、どこで切れてどの言葉がどれにかかるのかも判然としません。「水掛け」+「お水を」では馬から落馬した」の類いになってしまいます。作者は今井富世さん。

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ここまでで約1時間。参加者が少ないと得点の多少にかかわらず全部の句に言及できるよさはありますが、問題句や下手な句も容赦なく批評にさらされるので、作者にとっては厳しいといえば厳しいですね。小休止のあと第二幕です。

0  冷酒に世寒添い寝のひとり宿
2  鬼灯や鬼に摘まれず土に臥し
4  大花野夜には星座もくわわりぬ
2  ましら酒ことりことりと夜の更くる
2  泣き虫の鳴いている夏の切り岸
2  かさかさと虫を追う猫十三夜
2  山羊の眼のごと美術館のガラス窓

最高点4点句は3句目<大花野〜>です。夏の季語「花畑」に対して秋の季語「花野」ですが、さらに「大花野」ですから見通しのよい広大な土地にたくさんの花が咲き乱れているようすが目に浮かびます。やがて夜になると澄み渡った秋の空のために星の姿もよく見えます。星月夜のような明るさに、地の花も点々と浮かび上がって見えているかもしれません。天と地との饗宴ですね。ただしとてもよくわかる景観だけに類句はあるでしょうね。作者は私です。

次点2点句は、第一幕と同じように多く5句にもおよびました。つまり点がずいぶんとばらけたわけです。初めの<鬼灯や〜>は鬼灯(ホオズキ)の実が結局だれにも摘まれることもなく(片付けられることもなく?)落下してしまったということですが、「鬼灯」「鬼に」と並ぶのはやや窮屈かつ付き過ぎ。また鬼が点した灯のようだという意味での鬼灯なのでしょうから、技巧的すぎるのではとする批評もありました。作者は伊藤志郎さん。

4句目<ましら酒〜>は猿酒の意で、野猿が樹のうろなどに貯めておいた木の実がいつの間にか醗酵して酒と化したという俗信にちなんだもの。「ことりことりと」いうオノマトペは醗酵するときの音か、あるいは木の実などが落ちる音がかすかに響いているのでしょうか。いずれにしてもこの中七のオノマトペはたいへんよく効いています。作者は大場昭子さん。

次の2点句は<泣き虫の〜>ですが、中七が「鳴いている」とあるので、冒頭で泣いているのが子供なのか虫や鳥なのか、それとも両方なのかいまいち判読できませんが、下五の「夏の切り岸」はいいですね。「な」音で3連続韻をふんでもいます。中七を「ないている」として、読者に「泣いている」「鳴いている「啼いている」「哭いている」と自由に感じてもらうという手もありそうです。作者は南悠一さん。この句と前の句は私も取りました。

次の2点句<かさかさと〜>はわが家の室内飼いの猫がフローリングの床を歩くときにたてるかすかな足音(後ろ脚の爪が床に当たる音)を想ったのですが、戸外でもそろそろ枯葉などが落ちておりかさかさと音がしますね。十五夜ではなく十三夜であるところがいいです。作者は今井富世さん。

最後の2点句<山羊の眼のごと〜>は、ヤギの瞳は暗いところでは横長になります。ネコの瞳が縦に細くなるのとは対照的ですが、そのことをぱっと想いうかべることができないとこの句はわかりにくいでしょうね。美術館の窓は作品の日焼けを防ぐために小さめなことが多いのですが、この句の場合は横長の細い小さな窓だったのでしょうか。しかし、それでもまだ何かが足りない気がします。美術館を除けて別の言葉を入れたらどうでしょうかね。作者は相蘇清太郎さん。

1句目の<冷酒に〜>は「世寒」(夜寒?)「添い寝」「ひとり宿」ですから、これではまったく演歌です。作者は齋藤豊司さん。

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さて今回も最後に作句の参考になりそうな句を、私が三句事前に選んでおいて皆さんに観賞していてだきました。テーマは「ただごとのような」です。

三つ食へば葉三辺や桜餅    高浜虚子
草餅に鶯餅の粉がつく     岸本尚毅
海鼠切りもとの形に寄せてある 小原啄葉

虚子の句は、わざわざそんな些末なことを俳句にすること自体がふつうではないのですが、なぜか妙に惹かれるものがあります。それはきっと食べたものが桜餅であり、残されたものがあの塩漬けされたオオシマザクラの葉だからこそ。クマリンのいい香りがただよってきそうです。なお桜餅の葉を食べるor食べないを、嗜好の差ではなくマナーの問題として大真面目に論じている人もいるようですが、ばかばかしいかぎりです。

岸本直毅は名の通った中堅俳人です。が、伝統派ながらなかなかのくせもので、草餅対鶯餅をエサに、微妙な人間心理を詠んでいるかのようです。「そんなに寄ってこないでよ。服が汚れるじゃない」「いいだろ、そんなこと気にすんなよ」といったやりとりが聞こえてきそうですね。

小原啄葉の海鼠の句は、じつは作句をはじめた十数年前に出あって以来、いまもって私の感銘句の筆頭のひとつです。なんでもなく詠んでいるようで、じつはよく読むと非情や残酷・虚無をこれ以上にはないくらいに的確に表現していると感じます。

三句とも、ただごとと言えばそのとおりただごとにすぎないのですが、素材と表現とを吟味することで読み手に対して、大きなもの深いものを見させる強さを内包している句ともいえます。そのことは試しに上の句に、桜餅や草餅・鶯餅・海鼠ではない何か別の食べ物をあてがってみれば明らかでしょう。

 

ミニチュアの羊

 

昨日に続いて山形県米沢市の陶福=庄司智浩さんの作品。クラフト展で食器等のかたわらに並んでいたミニチュアの陶製人形です。大きさは2.5cmほどしかないのですが、指先でちょいとつまんで作ったような磁器の羊に、白や濃淡の褐色の糸を巻いています。抜群のアイディア! じつに愛らしくまたオリジナリティがありますね。

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陶福 庄司智浩さんの飯椀

 

先の土日(9/5・6)に遊佐町の西浜特設会場=鳥海温泉「遊楽里」前の広場で、「第8回クラフト・フェスタ鳥海」が開催されていました。私は出展はしていませんが、今回は青森県から広島県あたりまで、陶芸や金工・木工・ガラス・皮革・染色や布など、いろいろな分野のクラフト作家&工房が約120ほど並んで展示即売をしていました。

参加出展の詳しい規定はわかりませんが、「クラフト展」の場合はふつうプロ・セミプロ・アマチュアを問わずということで、品質や価格設定などもまちまちなことが多いようです。ただいわゆるメーカーによる量産品ではなく、個人やごく小規模の工房による「手作り」の品がメインなので、眺めるだけでも楽しさはあり思わぬ発見があることもあります。

私の場合は木工はともかくとしても、陶芸や金工やガラスなどにはたいへん気にいったものがありました。下の写真はとくにいいなと思い購入した飯椀です。山形県米沢市で陶福という窯をかまえる庄司智浩さんの作品。磁器をベースに艶消しの白釉をかけたもので、シンプルながら手仕事の味もさりげなく上品に出ているきれいな器です。直径12〜13cm。

庄司さんは1976年南陽市生まれ。東北芸術工科大学美術科陶芸コースを卒業。展示会やクラフト展などへの出店を中心に活動されているとのことです。椀や皿、片口、湯呑、小鉢などの普段使いの食器が中心ですが、木と合わせた小物や玩具などもすこし並んでいました。そちらもなかなかいい感じです。

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タモのテーブル完成

 

酒田市のSH&Iさんからご注文いただいたタモのテーブルが完成がしました。大きさは幅1500mm奥行800mm高さ690mmで、これまで使われていた中国製の1800×900×720mmのテーブルと入れ替えです。ダイニングキッチンがやや狭いので、動線を考慮してやや小さめのテーブル(4人がけとしてはごく標準的なサイズ)としました。

甲板の高さが690mmと、当工房のテーブルとしてはいくぶん高いのですが(通常は650mm以下)、椅子は従来のものをそのまま継続使用するため、それに合わせた高さとしました。甲板は同じ丸太から連続して取った共木(ともぎ)の板の2枚矧ぎですから、木目はよく似ています。4本の脚と幕板は大入+小根付き通しホゾ+くさび打ちで締結しているのはいつものとおりです。

ホゾの頭は脚の表面から1mm出して仕上げていますが、まったくフラットにするよりも強度があり、乾燥等による部材の収縮にも対応、見た目にもかっこうのアクセントになっています。飾りのための飾りではなく、構造そのものが飾りも兼ねているというわけです。

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コーヒーブレーク59 「峠」

 

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消防車救急車たたずめる花野かな

俳句ではなぜか花野は秋の季語。それに対しお花畑や花畠は夏の季語とされている。前者は花が一面に咲き乱れているとはいえ、広い野原なのでむこうに青空や雲も見えており、さわやかさと同時にどことなく寂しさも感じられる。後者は基本的に花そのものの群開しか語ってないので、きらびやかではあるがちょっと暑苦しくうっとおしくもある。それに「お花畑」はふつうは登山で遭遇する高山の花がたくさん咲いているようすを指すことが多く、登山が夏の季語→だからお花畑・花畠も夏の季語、ということかもしれない。/しかし寒冷地や雪国においては、春こそは花野にふさわしいという気がする。樹々はまだ葉を展開しておらず、明るい山野にイチリンソウやニリンソウ、カタクリやオウレンやスミレが急速にいっせいに花を開いているさまは、まさしく花野そのものである。こういった点からみても、伝統的な俳句の季節感はやはり北国ではないもっと暖かい地方をベースにしていることがわかる。

山よりも高き峠や秋澄めり

峠はその字が示すように、道が山を越えていく際の上りと下りとの分岐点である。登山などの場合とはちがって、生活的社会的な道や道路はできるだけ楽に安全に山を越えて行きたいわけだから、尾根のもっとも低いところを選んで行くのが普通だ。つまり鞍部(コル)が峠となっていることが圧倒的に多い。したがってそれほど高い山でない場合は峠も依然として樹林帯のなかにあり、眺望はあまり得られないこともしばしばである。ところが標高のある山や寒地の場合だと上るにつれて樹木の丈も低くなり、峠に達したとたんに前面が大きく開けて劇的な展望を得ることがある。目指す町や村が眼下にはっきりと見えることもあるだろう。車ならいざしらず、徒歩での行脚であればこれで体もすこし楽になるという思いと、その開けた景色と、目標が指呼にあるということはどれほどの安堵をもたらすだろうか。/ところで一般人がバイクその他の車両で通行できる、世界一標高の高い峠は、インドはカシミールのマーシミク峠で、なんと5582m。2位のセモ峠が5565m、3位のカラコルム峠が5540mというのだが、こりゃいきなり行ったらまちがいなく高山病でアウトですなあ。

星みればひとりぼっちのひとであり

人間のような高等生物が惑星に誕生する確率はとほうもなく低く、サイコロの同じ目が1万回続けて出るくらいの確率だという説がある。学者によって数値の差はあるが、いずれにしてもほとんどありえない、奇蹟としかいいようがないくらいの出来事であることはまちがいないようである。それなのに……。

 

全体組み立て前のテーブル

 

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酒田市のSHさんからご注文いただいた食卓用のテーブルです。脚部と甲板が完成し、このあと塗装を施したあと駒止方式で全体の組立を行います。4本の脚は長手の幕板と妻手幕板と根太とで接合され、それだけでしっかり自立するかたちになっていますが、脚の頭のほうにはごく短い=この例では9mmのホゾを作ってあり、それが甲板裏のホゾ穴に入ることになります(甲板長手方向はクリアランスは0、妻手方向は甲板の収縮にそなえてクリアランス1.5mm×2です)。

幕板は脚に大入+通しホゾ+クサビ打ちで接合されていますが、長手と妻手のホゾが脚内部で上下に交差することと、椅子に座ってテーブルに向かった際に幕板の下端が腿がぶつからないように幕板の幅はあまり大きくできません。甲板の厚みも合わせて11cm以下です。したがってそれぞれの幕板は脚に対していわば「一点接合」にならざるをえず、そのままでは強度的に若干心配があります。

椅子のように、あるいは市販の通常のテーブルのように幕板同士を隅木で締結する方法もありますが、表からは直接は見えないとはいえ見栄えがよくありません。そこで当工房では原則として脚の上部をすこし甲板に食い込ませることによって擬似的な「二点接合」になるようにしています。完成してからではこの仕組みはまったく見えなくなるので、あえていま披露したしだいです。

 

青い目をしたトントさん

 

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たたんだ布団の上でくつろぐトント。青い目をした、いわゆる洋猫のミックスです。体重約5kg、年齢12歳のメス猫。生まれた年に迷い猫だったのを保護して以来のわが家のだいじな猫です。

たいそう慎重な性格で、家族以外にはまず人前に姿をあらわすことがありません。臆病でもあり、先日深夜に雷がごろごろ響いたときは、寝ていた私の体のすきまに必至になって頭をつっこんできました。体は大きめのほうですが、たいへんおだやかでやさしい猫ですね。喉をならしながらいつも私の膝の上や布団でいっしょにいることが多いです。

 

ジオガイド養成講座 6

 

鳥海山・飛島ジオガイド養成講座の6回目ですが、8月28・29日に岩手県久慈市で開催された「第4回東北ジオパークフォーラム」に参加しました。受講生11名+事務局2名の総勢13名で、ワゴン車2台に分乗して行きました。久慈市は岩手県のほぼ北東端に位置するので、高速道を使ってもなお遠いですね。集合場所の由利本庄市市役所からさらに6時間かかりました。

久慈グランドホテルにて午後から基調講演と分科会です。講演は東大の地震学者であり日本ジオパーク委員会副委員長でもある中田節也氏による「東北のジオパークに求められるもの」です。ジオパーク認定の要件や、5年毎の見直しのチェック項目、さらにはいわゆるレッドカードが出て認定取り消しもあるなど、日本ならびに世界の事例も具体的にあげてのお話でした。当然ながらなかなか厳しいです。

その後の分科会は「首長セッション」「実務者セッション」「ガイドセッション」の三つがあったのですが、私たち受講生はガイドセッションのほうです。ここではまず九州の霧島でジオパーク等のガイドを長くされている古園俊男氏の「楽しいガイド活動とは」という題目での、実際にガイドをする際の留意点や工夫などを詳しく解説していただきました。

しかし画像の文字が黄色で、背景の写真の明るい部分とかぶってよく見えないことや、お客と接する場合の、笑顔で・あいさつがだいじ・ストーリー性のある話・専門用語は使わない、といったポイントは、なるほどとは思うもののそれは最大公約数的なことであって、実際のガイドでは当然ですがかなり個別的な柔軟性が必要とされるんだけどと思いました。作り笑いとか駄洒落とかは私はいらないですね。そういうのは嫌う人も多いです。

夜は2時間ほど交流会です。東北の各地ですでにジオパークの認定を受けて活動中のところや、鳥海山&飛島のようにいま認定をめざして動いているところなどいろいろあったのですが、いずれも現場の人たちですので、いろいろと参考になることがありました。もっとも地域によってかなりの温度差があることも感じます。

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翌日はエクスカーション。耳慣れない言葉ですが、「体験型の説明会」ということのようです。つまり講師やガイドから一方的に説明を受けるだけでなく、参加者も交えた相互通行=活発な質問・意見交換・現地での体験などによって、自然や文化への理解を深めていこうというもの(従来のフィールドワークとどう違うのか、私にはよくわかりません)。ルートは3つあったのですが、Aルートは大型バスが入れないということで急遽取りやめとなり(!)、Bルート、Cルートのみとなりました。私はBルートを選択し、内間木鍾乳洞と琥珀博物館に向かいました。

バスは久慈渓谷に沿った曲がりくねった細い道を上っていきますが、久慈層という白亜紀前期の地層の石灰岩による急斜面が両側に迫ってきます。河床にときどき白いブロック様に見えるのは大理石とのこと。40分ほどで内間木(うちまぎ)洞に着きました。

この鍾乳洞は普段はクローズドになっていますが、研究者や特別な催事の際は市の教育委員会の許可を受ければ入洞できるそうです。ただし今回は時間がないので、総延長約6km(国内5位)のうちの入口付近30mだけの体験です。写真の1枚目はその入口ですが、鳥居の先にある岩盤にぽっかりと口を開けた洞窟がおそろしげですね。内部は年間を通じて気温っx度なので、ひんやりとしています。2・3枚目は千畳敷と呼ばれるあたりの天井と壁面ですが、石灰岩が溶けてつららや瘤のような形を作っていることがよくわかります。数千万年から1億年くらいの長い時間をかけて生成された洞窟なので、人間的な時間ではその変化が実感できませんが。コウモリのねぐらにもなっているそうで、何頭か飛んでいる姿を見ることができました。

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次は久慈琥珀博物館です。久慈といえば琥珀というくらいに有名で、国内最大の琥珀の産地であり、今も年間300kgほど産出しているそうです。この博物館は琥珀専門の博物館としては世界的にも唯一のもので、琥珀の成因や国内外の琥珀の産地とそれぞれの特徴、琥珀を使ったさまざまな器具・調度品・装飾品・彫刻・絵画、遺跡からの出土品などがたくさん展示されています。

久慈の琥珀は8500万年前の地層から産出します。他の産地に比べもっとも年代が古いもので、その品質の高さから大昔から国内各地に交易品として出回っていました。黒曜石などと同様ですね。また、恐竜は約6500万年前に滅びたのですが、恐竜が旺盛に生きていた時代の樹木の樹脂成分が化石したものが琥珀で、その地層から白亜紀の恐竜の化石(日本では初めて)も出ているとのことです。

売店もありましたが、琥珀も貴石・宝石のひとつなので、サイズが大きく傷がなく見栄えもするものはやはり数十万もします。そんなものはとうてい手が出ませんが、小さなルース(磨いただけでまだ宝飾品としては未加工のもの)をひとつだけお土産に購入しました。

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女鹿の波打際の湧泉

 

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山形県の北西端にある女鹿(めが)集落の湧水というと、「舟」と呼ばれる多段式の水槽の、神泉ノ水(かみこのみず)ばかりが有名ですが、じつはそこから100mばかりはなれた海の波打際にもたいへん興味深い湧水(湧泉)があります。

女鹿漁港の一画ですが、海岸の崖面の裾から大量の湧水が流れ出しており、小川となって海に注いでいます。写真で左上が日本海。もちろんしょっぱい海の水です。それに対し右側の5m角ほどの静かな水面が湧水で、なんと9.6℃という非常に冷たい淡水です。だいぶ前の計測値ですが、神泉ノ水の源泉の温度が11.2℃なので、それより標高の低い(約30mに対し0m)波打際の湧泉のほうが1.6℃も低い。これは明らかにふたつの湧泉は地層を異にするということを物語っており、波打際の湧泉のほうがより標高の高い地点を主な涵養域としているということです。

現在は女鹿集落には広域の上水道が敷設されていて、写真の湧泉は生け簀のカキを置いておいたり、いろいろなものの洗いものに利用されているだけのようですが、かつては集落の貴重な生活用水水源としてこの湧水をポンプで住宅地まで揚げていました。

水が湧いているのは地上だけではなく、そのまま連続的に海の中にも湧泉が数多くあります。釜磯・滝ノ浦・女鹿、県境を越えた長磯・沓掛海岸の一帯まで、海の底から大量の水がわいていて、総合地球環境学研究所の谷口真人教授によれば世界屈指の海底湧水(数値的におそらく世界一)であることはまちがいないようです。