釜磯の板状節理

 

鳥海山の西端が日本海に没するところにある釜磯は、浜辺の砂から吹き上がるように出ているたくさんの湧水が有名ですが、じつはこの海岸にはポットホール(甌穴)があり、さらに見事な板状節理もあります。この節理はまだ一般にはあまり知られていませんが、おすすめのポイントです。

湧水があちらこちらからぼこぼこ湧いている砂浜を、南側の十六羅漢方向に砂浜が尽きるところまで5分くらい歩いていくと、下の写真のようなじつにすばらしい垂直の板状節理に出会うことができます。旧7号線より下の崖の高さは15mくらいかと思います。

この岸壁は10万年前くらいに鳥海山の大平(標高1000m)あたりから流れてきた吹浦溶岩(ふくらようがん)の先端部分のひとつですが(全体では50mくらいの厚さ)、その流れの構造がきっちりと岩に記録されているという感じです。溶岩が冷えて固まる際の収縮→亀裂でできた表面の部分は、長年の日本海の荒波で削られ崩れてしまい、溶岩内部で比較的ゆっくりと冷えて固まった部分に発達した板状節理が顔を表したのではないかと思うのですが、どうでしょうか?

 

 

 

 

アルミのスノーシュー

 

アルミのスノーシューです。日本の旧来の輪っか状の樏(かんじき)に対し、こういった長細いスリッパ状の樏は従来は「西洋樏」と呼ばれていましたが、最近は英語のスノーシューのほうが通りがいいようです。

輪樏にくらべ面積が大きいので、雪面を踏んだ時はとうぜんですが沈み込みがその分少なくなります。サイズは幅19cm、長さ65cmです。ただ半面どうしても重くなってしまうことと、平坦地や緩斜面は快適でも、急な斜面の登行や斜めトラバースなどは苦手です。靴の底が地形に対していつも平行になるだけなので、足首への負担も大きいし、靴先や踵で雪面に任意のステップをこしらえることができないので、およそ30度を越えるような斜面では不安がつのります。とくに急な下りは怖いです。輪樏であればクラスト(凍結)した雪面でないかぎり45度くらいの急な斜面でも問題なく上り下りできるのとは大違い。

このスノーシューにもすこし急な斜面の登行用にヒールリフターなるものが補助的についてはいますが、しょせんは「ないよりはまし」程度のもの。また実際長距離を歩いてみて感じたのは履いた靴をスノーシューに固定するための2本のバンドがラチェット式なのも一見簡単便利なようで、枝や氷の固まりなどがバックルに触れてしまうと簡単にバンドがゆるんだり、最悪の場合はずれてしまうことです。多少めんどうでも旧来のバンド締めのほうが安心です。

なんだか否定的なコメントばかりしているようですが、このアマチュア&ビギナー向けの安価な(1万弱)スノーシューではなく、登山用具専門メーカーの3〜5万くらいする製品であればまた違うのかもしれません。しかしそんな高価なものを試しに買うなどという余裕はとうていありません。ということでやはり輪樏を主体として、 スノーシューはあくまでも補助的に使うことにしました(※ もったいないのでバンドのバックルに自分で手を入れて不用意に外れることはないようにはしました)。

 

縞黒檀ひとそろい

 

すこし前に仕入れた縞黒檀の角材10本。写真のように積んだ状態で幅50cm×奥行20cm×高さ12cmくらいのボリュームですが、これでなんと5万円近く。1立方メートル当たりの単価でいうと400〜500万円くらいの計算になるので、通常の家具材と比べると1桁は上ということになります。

縞黒檀はご覧のように黒い縞々がはっきりしている黒檀の一種ですが、縞がほとんどわからず全体が黒一色のように見える(とくに塗装した場合)本来の黒檀=本黒檀・真黒が非常に少なくなったので、いまでは黒檀というと縞黒檀のことを指すようになってしまいました。

今回仕入れた縞黒檀は、中部地方の方からのご注文によりある品物の部品を50個作ることになり、手持ちの縞黒檀だけでは不足なため急遽仕入れたものです。向こうの地域でも作れる木工家や木工房はとうぜんあると思うのですが、納期や価格的に合わなかったのかもしれません。当工房のことはインターネットの検索で探し当てられたようです。

 

2月下旬の釜磯風景

 

2月下旬のある日の釜磯の景観です。前夜にすこし雪が降り、部分的にですが雪をかぶった磯岩と、荒れ気味の海。晴れ間もいくらか見えており、比較的暖かいおだやかな日でしたが、ほかに訪れる人もなく静かです。冬は冬で、他の季節にはない美しい光景があるのに、どうして足を運ぶ人が少ないんでしょうね。もったいない話です。

 

 

 

 

 

 

 

ブナのスポルト材

 

昨年の春に、庄内町のSさんからいただいたブナの丸太ですが、それをチェーンソーを使って二つに割り、鉋盤で削って太鼓状にしたものです。木口からの大きな干割れ部分はカットしたので全体的に短くなりましたが、長さ50〜100cmくらいの半割材が10本。厚みは60〜100mmです。含水率を計る木材用の水分計で計ってみるとまだ30〜50%という高い値を示しています。

ごらんのように本来は新材であれば淡黄褐色一色のものが、丸太で長く室内においていたせいか黒い筋や白っぽいところなど不規則で複雑な色合いと模様になっています。こういった材を欧米ではスポルトと呼んでいます。スポーツと語源は同じで「変わりもの」「特異なもの」といった意味があります。玉杢や縮みなどとはまた違った味わいがありますが、要するにこのままずっと放置しておけば腐ってしまうので、そうならないうちに乾燥させて木工の材料として活用しようという類いのものです。

変わった模様が半ば偶然生じていて、しかしながら加工に耐えないほど木地がぐずぐずになっているわけではないという絶妙なタイミングが必要で、使いこなすには難しい材料といえます。わびだのさびだのの情趣を強調する日本ではさほど好まれないスポルトが、逆に欧米のとくにターニング(旋盤加工の木工)界隈では非常に人気があるとというのもおもしろいところです。

写真の1枚目はいちばん長さがある材料の内面ですが、黒い筋がはっきり出ています。2、3枚目の写真は他の半割材も含めた、スポルト部分のアップ。

 

 

 

2月の牛渡川と丸池様

 

2月のとある日の牛渡川と丸池様です。前の日にすこし雪が降ったのですが、あくる日はときおり晴れ間ものぞき気温も上がってきました。とはいえ午前9時半頃に撮った写真なので、湧水がほぼ100%である牛渡川の水温よりはずっと気温が低いためか、水面のすぐ上には霧が立ちこめていました。

箕輪の鮭孵化場がまだ稼働しており、水門のゲートで水位を上げているので、ふだんより水深はあります。9月頃に一度刈られたバイカモ(梅花藻)もまた延びてきています。水門より下の孵化場付近にはサケの稚魚がたくさん群れていました。鳥から食べられないように川に網を張っています(写真はいずれも水門より上流側のもの)。

3枚目の写真には、水中には冷水性のバイカモが、岸辺の斜面には暖地性のタブノキやヤブツバキが生えているのがわかります。豊富な湧水が流れていることで、両者が同じ場所に共存しているというわけです。4枚目の写真はキツネの足跡です。なんとも愛らしいです。

その後の4枚は丸池様ですが、うっすらと雪が積もった景色もまたいいですね。水位がふだんより何十センチか上がっているのと雪とで岸辺の荒廃が隠れてしまっていますが、早く裸地化対策の”結界”の杭とロープを設置していただきたいものです。3月に入って暖かくなってくるととたんに来訪者が増えてきますので。

 

 

 

 

 

 

 

 

コーヒーブレーク 100 「回れ右」

 

 

水鳥の流るるときの回れ右

[みずどりの ながるるときの まわれみぎ] 川縁の散歩によく行くのだが、冬になるとマガモなどの水鳥がたくさんおり、流れに身を任せて遊んでいるように見えることがある。餌を採るとか敵から遠ざかるといった特別な理由があるようではなく、川の水から流されるのと泳いでもとの地点にもどったりを飽かずにくりかえしている。やはりただ遊んでいるのだとしか思えない行動である。/鳥はかつての恐竜の直系の子孫であるという説が現在は主流だ。他の系統は6500万年前にみな滅びてしまったが、鳥の一属だけは危難をくぐり抜けて現在まで生き延びているのだと。そういえばある種の鳥は顔をみると爬虫類的であり恐竜そのもの(見たことはないが)のように思えるな。

大寒や血ぶくれの人体であり

[だいかんや ちぶくれの じんたいであり] とても寒い日だからこそ血の暖かさを強く感じることがある。懐手をするのもそうだし、冷たくなった手を頬にあてるのもそうだ。飼い猫を抱くときもくにゃりとした体の柔らかさとともに、毛の奥の皮膚の暖かさがすこぶる心地よい。/人体の血液の量は体重のおよそ13分の1だとか。つまり8%ということで、体重70kgならば5.6kgくらいの血液があることになる。一升瓶にして3本分である。そしてその約3分の1を失うと命を失う危険があるとか。一升瓶1本をぶちまけたらえらい量であるなあ。

うつしよのせりあがりゆく牡丹雪

[うつしよの せりあがりゆく ぼたんゆき] 冬に花を咲かせる牡丹には「冬牡丹」と「寒牡丹」があるのだということを最近になってはじめて知った。冬牡丹は温室や薬剤などを駆使しての促成栽培で、人工的に開花させるもの。したがって一度かぎりの開花で、あとは枯れるだけ。それに対して寒牡丹はもともと二季咲きの牡丹の春の蕾を切り取り、秋の蕾の時期には葉を摘んで花期を遅らせ、雪覆いなどをして冬に咲かせるのだという。結局どちらも人間の嗜好で本来の節理を変えているわけで、私はそうまでして無理に冬に牡丹の花を見たくはないな。春の花が春になって咲くことこそが美しく尊いのに。

 

ハリオのコーヒーサーバーセット

 

工房や自宅でコーヒーを一日数杯飲んでいますが、基本は既存の挽かれた粉をペーパードリップでいれています。これまではもっとも一般的と思われる三つ穴のドリッパーを用いていたのですが、ハリオ(HARIO)のV60という一つ穴タイプがいい、美味しいという話が聞こえてきました。なんでもネル布を用いたドリップに近い味が出るらしい。

それでインターネットで閲覧していたのですが、もしやと思って近くのホームセンターをのぞいてみたらなんとハリオの製品をいろいろ売ってました。灯台元暗しです。さっそく下のような「V60コーヒーサーバー02セット」を購入して、いつもの胴腹ノ滝の湧水でコーヒーをいれてみました。おお、たしかにひと味違います! 水も粉末も同じなのに、ドリッパーを変えるだけで味が違うというのは驚きです。

ドリッパーは耐熱120℃のポリプロピレン製で、色がコーヒーブラウンというのもしゃれています。他に無色透明や赤い色のもの、ガラス製のドリッパーも別売であるようです。V60というのはドリッパーの内壁の角度が60度ということでしょうかね。ペーパーは専用のものですが、円錐形になるためコーヒー粉の層が厚くなり、成分をよりうまく抽出するとのこと。大きめの穴が中央に一つだけなので、お湯を細くすこしずつ注ぐ必要があるのですが、それも効いているように思います。

 

青猫句会 2017.2.15

 

恒例の青猫句会、二月は15日に行われました。場所は酒田駅または本間美術館に近い「アングラーズカフェ」を借切で、午後6時半〜9時です。今回の参加者=投句者は、相蘇清太郎・今井富世・大江進・大場昭子・齋藤豊司・佐藤歌音・佐藤や志夫(やは弓+爾)・南悠一の8名です。

夜の句会のためこの時期はいつも雪の心配があるのですが、今年はとくに問題なく参集できました。投句はいつものように事前に2句を無記名で1週間前までに送っておきます。本番では清記された2枚の句群からおのおの2句ずつ選句します。投句の制約は「おおむね当季の季語を入れる」という以外にはいっさいありません。もちろん五七五という定型や旧かなでなくともかまいません。青猫句会では其の一と其の二の二部にわけて選句と披講・講評・意見交換などを行います。
では其の一から。

3 春星の瞬きそれはいもうと
1 箱橇にたらふく詰みて阿婆来たる
1 きさらぎは寄る辺なき夜と対話す
2 吊し雛煎餅が混じる草加の地
0 箱橇や雪の降る町なつかしき
2 障子戸にまばゆき光戸惑いて
2 大寒や血ぶくれの人体であり
5 白豆腐少女のように笑ひけり

最高得点は最後の<白豆腐少女のように笑ひけり>です。豆腐だけでは季語にならないのはとりあえず置いておくとしてですが、絹豆腐のような白く艶やかな豆腐が少女のようだという比喩や、料理の前に皿にでも置かれた豆腐がかすかに揺れているようすを、少女が笑っているようだとしたのは大変よくわかります。イメージは鮮明です。私も取りました。ただし予定調和的といえなくもありません。作者は今井富世さん。

次点3点句は<春星の瞬きそれはいもうと>ですが、春星には「しゅんせい」とルビが付されています。そのことによって音調はとてもよくなりました。格調がありますね。ただ下七で「それはいもうと」としてしまうと、作者が先回りして答えを出してしまったきらいがあります。作者の佐藤歌音さんによると、ご自分が5歳のときに3歳で病死された妹さんを詠んだとのことですが、そういう実際の事情を知るとなるほどとは思うのですが、そこまで読みを限定しないほうがいいかな。

2点句は3句ありました。最初の<吊し雛煎餅が混じる草加の地>は一読して草加煎餅のことであるとわかります。いま全国的に吊し雛がはやっているようですが、その土地ごとに吊るすものが異なるのでしょう。しかしまさか本物の煎餅が吊るされているとは予想できませんでした。まあ、挨拶句としてユーモアを交えた句はありでしょう。作者は相蘇清太郎さん。

次の2点句<障子戸にまばゆき光戸惑いて>は私も取りました。障子は冬の季語ですが、まだまだ寒いながらも障子を透過する光はすこしずつ春めいてきた感じがします。そしてその陽光はすんなりと室内に入ってくるのではなく、いったん障子紙のところでたちどまり戸惑いながらおずおずと入ってくるのだという感覚がじつにいいですね。暗い部屋から障子を眺めると、障子自体がほのかに発光しそこで光が浮いているような感じがしますからね。作者は齋藤豊司さん。

3つ目の2点句は<大寒や血ぶくれの人体であり>は中五の「血ぶくれ」が問題。造語ですが、とても寒いときだからこそ体を巡る血潮の熱さをよけいに強く感じるということで、もちろん冬の季語でもある「着膨れ」にひっかけているわけです。作者は私です。

箱橇(はこぞり)の句がたまたま2句ありますが、作者の弁によればどちらも実景ではあるようです。ただその事実を知る由もない読者には、単に昔の郷愁としか受け止めてもらえないと思います。どうせ句を作るなら「いまの句」を作りたいものだと私は考えます。むろん郷愁・追憶の句を否定するものではありませんが。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

其の二です。

0 雪紋のガラス戸張り付き息吹きて
3 大寒や猫でも抱いて眠ろうか
3 豆打ちてここにも鬼の独りをり
3 冬三日月四つ足の目の二二が四
3 春泥に真水の真青まじり入る
3 母と語るひとときありて魚は氷に
0 春立ちて豆まきの豆食したる
1 雪解や骸ひとつの出でにけり

珍しく最高点の3点句が5句も並びました。最初の<大寒や猫でも抱いて眠ろうか>ですが、いっしょに布団で寝たり抱かれるのをいやがる猫もたまにいるとはいえ(私の家のアルがそれです)、一般的にいえば「猫を抱いて」ではあまりにも当たり前なのではないでしょうか。わかりすぎる句であり共感を呼ぶのは確かですが、抱く対象をもっと他のもの、意外性のあるようなものにしたいところです。作者は大場昭子さん。

3点句の2句目<豆打ちてここにも鬼の独りをり>は節分のときの家庭行事としての豆まきを詠んでいます。「福は内、鬼は外」と唱えながら豆を打つものの、鬼は外だけでなく自分の中にも存在するわけで、それが「ここにも鬼の独りをり」となるのはよくわかります。私もいちおうは取りました。しかしことさらに「独り」とすると過剰に意味を付与してしまうのではないか。ふつうに「一人」「ひとり」としたほうがむしろ膨らみが出ると思います。作者は今井富世さん。

3つ目の3点句<冬三日月四つ足の目の二二が四>は、これは三四二二四と数字をならべて遊んでいます。しかしながら細い月が出ているだけの暗くて寒い冬の夜だからこそタヌキやキツネやアナグマなどの獣の目がひかり輝くという景は美しいと思います。作者は私です。

4つ目の3点句<春泥に真水の真青まじり入る>は、泥ながらもよく見ればその上を流れる水は必ずしもいつも濁っているわけではなく、ときに意外なほど澄んでいることがあります。そのようすを詠んでいるのですが、作者(=南悠一さん)はその水に青空が映っていたことも詠み込みたかったようです。しかしやはりそれは読者にはうまく伝わらないでしょうし、真水の真青=まみずのまさおという韻をふんだ音調がむしろくどく感じられるかもしれません。「真水の青の」ではいかがでしょうか。

最後の3点句<母と語るひとときありて魚は氷に>は「魚は氷に(うおはひに)」が春の季語であることを知らないといけません。実際、氷の字をみて冬と誤読した人がいます。春になってきて氷もゆるみ、それまでは水底でじっとしていた魚も動きが活発になり、勢い余って氷の上に上がってしまうこともあるか、という早春の景を意味する季語です。使い方の難しい季語ですが。したがって「母と語る」はおのずと亡くなった母上のことであろうととるのが自然でしょう。佳句です。作者は佐藤歌音さん。

 

ウォールナットの器

 

 

アメリカン-ブラック-ウォールナットの器です。次の個展に向けて製作した一点物ですが、皿でも椀でもなく鉢やボウルともいいがたい形状です。材料をみながら旋盤での削り具合をみながら即興で決めていったもので、大きさは径183mm高さ51mmです、縁の厚さは2mmで、実用的な器としてはこれくらいが限界でしょう。逆に中央部に向けてはあまり削り込まず、ウォールナットの重厚感・持ち重り感を活かしています。一部に皺状の杢もあり、かっこうのアクセントになっていると思います。

旋盤加工の面白いところは、加工したぶんだけ直線的に確実に完成に近づいていくことで、最後に組み立ててみないとわからない指物などとの大きな違いがそこにあります。もっとも一度削ってしまったものは元に戻せないので、一発勝負の連続ともいえます。緊張はしますがこういう作業は楽しいです。