池田恒雄さんの包丁

 

以前に同様の記事を本ブログに載せたことがありますが、写真の包丁は酒田市の池田太四郎商店の主人であり打刃鍛冶師である池田恒雄さんの文化包丁です。上は工房の台所で使用しているもの。下は自宅で使用している2本のうちの1本です。つまりまったく同じ包丁が3丁あることになります。自宅用のものが2本あるのは切れなくなると工房に持ってきて作業の合間をみて研ぐのですが、いつでもすぐに研げるわけではないので、その間の予備の包丁が必要なためです。

文化包丁というのは菜切包丁と牛刀とを兼ねたような多用途の包丁ということです。文化鍋などと同じような命名ですね。やや厚めにできていて形も双方の中間的な形をしています。わが家では大きな魚を丸ごと一本さばくというようなことはしないので、基本的にはこの文化包丁ひとつでほとんど用は足りています。鋼は白紙1号という刃物用鋼で、砥石で手で研ぐには研ぎやすいものです。わりあいまめに研いでいれば、感覚的な表現でいえば「刃物の重さで切れる」という感じで野菜などがすっぱり切れます。透けるほど薄く切るのも雑作ないことです。

家庭で使用しているもののほうが当然使用頻度は高いので、工房の包丁に比べると刃幅が5mmほど研ぎ減って狭くなっています。大きく刃こぼれでもしないかぎり1年に1mmも減らないので、まだまだ現役です。

ところが、私も最近知ったばかりなのですが、その鍛冶屋さんの池田恒雄さんは昨年亡くなってしまいました。酒田市中町にあったお店が閉まっていたのは知っていたのですが、まさか亡くなっていたとは。在庫もすべて処分してしまったとか(ご子息談)。私は氏の刃物をたいへん気にいっており、文化包丁のほかに小刀と鉈も愛用しているだけに、とても残念です。酒田市はかつては指物師や大工などの職人が多く、したがって刃物鍛冶も多かったのですが、現在はおそらく一軒もないようです。

 

キハダのスポルトの刳物

 

キハダ(黄肌・黄檗)のたいへん変わった杢を蓋に用いた刳物です。縮杢にさらに黒い斑がおおむね年輪に沿うようなかたちで入っています。こうした何々杢ともなんとも呼びようもない変わった杢の材のことをスポルトと呼んでいます。日本語としては「変わり杢」ですが、今は木工関係者・木工マニアの間ではむしろスポルトといったほうが通りがいいでしょう。キハダでこのような杢は非常に珍しく、非常な希少材といえます。

2枚目の写真では実のほうが半分顔をのぞかせていますが、こちらは通常のキハダです。板目と柾目の違いはあるとはいえ、蓋のスポルトとはまったく表情が異なります。こういうところも天然木のおもしろいところですね。

サイズは蓋の直径が210mm、高さ47mm、実の深さ27mmで、ウレタンの艶消塗装です。点対称の円形なので、加工は基本的には木工旋盤(ろくろ)で行いました。ということで蓋付きの刳物でもあり、挽き物ともいいます。

 じつはこの品は次回の個展用に作ったものですが、相手方の事情により5月末に予定していた個展がキャンセルとなってしまいました。したがって当品もふくめ、いま作りかけの数点の刳物については、ご希望の方がありましたら直説販売可能です。詳しくはメールでお問い合わせください。

 


No.550 黄檗変杢丸形蓋付刳物 サイズは直径210mm 、高さ47mm 、実の深さ27mm

 

青猫句会 2017.3.15

 

毎月第三水曜日の午後6時半〜9時に「アングラーズカフェ」で開催している青猫句会です。今回は参加者は相蘇清太郎・今井富世・大江進・大場昭子・齋藤豊司(投句のみ)・佐藤歌音・佐藤や志夫(やは弓+爾)・南悠一の8名。それに見学者のKさんで、合わせて9名の句会となりました。句会の進め方はいつもどおりということで、以下省略。
では其の一から。

4 春泥や豆粒なほどの島四つ
1 春ならむ乳房恋しや逢ひにゆく
1 深爪し血流れをり冬のをはり
0 やはらかきミューズの生れし弥生かな
1 貰われて雛を齧らむ仔犬かな
2 かたまってげんげ花咲く村に入る
4 ヒヤシンス凍土つきぬけ淡きひかり
1 制服のすそを乱して春は来る

最高点は4点で2句あります。1句目は<春泥や豆粒なほどの島四つ>です。春泥はちょうど今頃の季節で、積雪が溶けて道や田畠の近くなどがどろどろになることです。つまり不整地であるために、一面の泥っぽい水たまりながらところどころに島のように地面や石ころなどがのぞいていることがあります。そうした実景ととってもいいし、また四つの島の解釈によってはもっと大きな景、たとえば北方四島であるとか、国生み神話のように泥をかきまわした際の滴が北海道・本州・四国・九州の四島となった話と取ることもできます。俳句はこのように言葉ひとつを多義的にとらえることができるのも愉快なところですね。作者は私です。

もうひとつの最高点の句<ヒヤシンス凍土つきぬけ淡きひかり>は、ヒヤシンスのイメージや雰囲気にぴったりです。もちろん実際に凍土を突き破ることはないでしょうが、凍土を長く寒い冬のことと寓意的にとらえれば、雪が溶けて真っ先に花を咲かせるヒヤシンスは、まだまわりにほとんど緑がないだけに白い花なら白い光が、赤い花なら赤い光が花のまわりにぼうっと浮かんでいるような感じがします。私も取りました。作者は齋藤豊司さん。

次点2点句の<かたまってげんげ花咲く村に入る>ですが、げんげはレンゲソウのことですね。ただ、レンゲソウは田畠に群れをなして一面に咲くのがふつうなので、かたまって咲くではそのまま。もっとも花のようすだけでなく、そのような田園風景を通って自分が村落に入っていくというのは動きがあっていいと思います。作者は大場昭子さん。

あとは1点句ですが、<春ならむ乳房恋しや逢ひにゆく>は取りようによっては物議をかもしそうです。乳房のある相手はだれなのかですが、母親なのか妻なのか、それとも、といったあたりですね。春になって乳房が恋しいという感じはわかります。作者の佐藤や志夫さんによれば、亡くなった奥さんへの想いのようです。なるほど。

<深爪し血流れをり冬のをはり>はやや句意を取りにくいかもしれません。私しか取りませんでしたが、上五・中六を雪解のようなものととらえればいいでしょうね。あれほどいっぱい降り積もった雪も、春になれば溶けて川になって流れて消えていきます。やはり冬の終焉は、同じ季節の変わり目とはいっても1年の区切りという感慨があります。深爪で血ですから、いろいろと厳しい辛いこともあったのかもしれません。作者は南悠一さん。

<貰われて雛を齧らむ仔犬かな>は貰ってきた、あるいは貰われていった子犬が、無邪気になんでもかんでも噛んで遊んでいるようすを詠んでいるのか、なにか鬱屈しているところがあって八つ当たりのようにお雛様を齧ろうとしているのか、どちらともとれます。そのあたりでみなさん選句を迷ったかも。作者相蘇清太郎さんによると、貰ってきた小さな座敷犬で、前者のようです。

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其の二ですが、ここからは見学者のKさんがくわわり選句もしました。

5 臥すひとに力貸してよ蕗の薹
0 思春期のこころ妖しきクロッカス
2 軍港や見下ろす坂の竹の秋
2 春の塵かろき心の庭はじめ
2 菜箸で取り分ける芽ぐみのみどり
1 春風にゆるみし欲の皮一枚
1 この日頃蟲けらのごと穴を出づ
3 割れし薄氷蝶となり飛びゆける

最高点は<臥すひとに力貸してよ蕗の薹>で5点入りました。春先にいっせいにあちこちに芽を出すフキノトウはたしかに元気いっぱいという感じがします。そのエネルギーを病気かなにかで臥せっている人にも分けてほしいなあ。と。「力貸してよ」は文語ではなく口語ととったほうがいいかと思います。そのほうがフキノトウのイメージにも合っているでしょう。私も取りました。作者は相蘇清太郎さんでした。

次点の3点句<割れし薄氷蝶となり飛びゆける>は、薄氷(うすらい)と蝶という春の季語がふたつありますが、薄氷はすでに割れてしまっていますし、それが蝶と化して飛翔するという幻想的な景なので、問題はないと思います。薄氷も春先の蝶もどちらも弱くはかないものであり、せっかく飛び立ってもほどなく消えてしまうのでしょう。シジミチョウの仲間やウスバシロチョウ、コミスジなどはほんとにそんなイメージです。作者は私です。

2点句は三つあります。<軍港や見下ろす坂の竹の秋>はいったん上五の切れ字「や」で切れるので、遠景から次いで中景、近景へと視点がズームしてきます。注目すべきは「竹の秋」で、秋という言葉が入っていても春の季語です。新しい竹が日に日に伸びる時期は、そちらに養分が取られてしまうのか、元の竹がまるで枯れたように黄色みをおびてしまいます。それを竹の秋というわけです。軍港を詠んだ句はもちろん他にありますが、竹の秋との組み合わせはまず他にないのではないでしょうか。竹の秋のようにいつなんどき酒田港だって軍港化してしまうかもしれない、そういう異様さやあやうさといったものを想起します。私も取りました。作者は大場昭子さん。ちなみにこの港は呉だそうです。映画『この世界の片隅に』の舞台となったところですな。

<春の塵かろき心の庭はじめ>は春先の庭仕事の説明になっているだけで、予定調和的。作者は齋藤豊司さん。<菜箸で取り分ける芽ぐみのみどり>は菜箸+芽ぐみ+みどりと、同列の言葉がならびすぎ。みどりを分けるくらいにとどめ、別の言葉を持ってきたいところです。作者は南悠一さん。

1点句の2句ともに川柳的であり平凡(けっして川柳がよくないと言っているわけではありません)。

 

水辺の春

 

彼岸もすぎて、いよいよ春らしくなってきました。写真は某所の水辺の景観ですが、まだ車道には雪が残っていて下から歩いていかなければなりませんでしたが、さすがに積雪も急速に嵩を減らし、あちこちに地面が露出しています。

雪がすっかり溶けたところからいち早く花を咲かせるのはやはりオウレン。それと花ではありませんが矮姓灌木のヤブコウジの赤い実がたいへん目立ちます。他の草が生えてくるとそのかげに隠れてしまうので、いまがいちばんの見頃ですね。それとメダカの群れです。望遠レンズではないのでアップしてもこれが限界ですが、自然状態のメダカの大きな群れが見られるというのは今や極めて稀なことです。

 

 

 

 

 

読書録 1703

 

比較的最近読んだ本、あるいは今読みかけの本です。もちろん全部ではありませんし、個々の批評を書くのはたいへんすぎるので、表紙の写真のみ。まあ個人的な備忘録ということで、ご容赦ください。

しかしもうここ10〜20年くらい、文学関係の本はほとんど読まなくなりましたね(句集や俳句評論はのぞく)。たとえば小説などはいくらおもしろくともしょせんは「ものがたり」でありフィクション。つまるところお釈迦様と孫悟空の関係みたいに、作家の架空・虚構の世界で読者は遊ばされているだけで、作家の世界をこえることはついにない。それがまったく無意味とはむろん言いませんが、私にはそれよりも「事実」に根ざした本のほうがずっと刺激的だし、はるかにおもしろいと感じています。まさに「事実は小説より奇なり」の連続です。

 

神代ナラのキーホルダー完成

 

鳥海山北面の約2500年前の大崩壊(山体崩壊)で埋もれてしまったナラの樹=神代ナラでこしらえたキーホルダーが30個ほど完成しました。個体によりすこし差がありますが、褐色味をおびた濃いグレーです。大きさは16×16×80mmで、ウレタンの半艶塗装仕上(4回塗り)。リングは内径25mm、外形30mmのステンレス製です。

価格は税込で1000円。送料は120円(郵便)。数も材料的にも限りがありますので、ご希望の方はお早めに。

 

 

神代ナラのキーホルダーを塗装中

 

鳥海山の頂上にかけての山体が約2500年前に大崩壊し、その岩雪崩の一部は日本海にまで押し寄せました。わずか10分かそこらで海まで達したらしいので、山腹や山麓の森林もほとんど一瞬にして土砂・岩石に埋没してしまいました。そのため腐る暇もなく土中に存在することになった樹木の遺骸が、近代現代になってから土木工事などの際にたまに地上に顔を表すことがあります。こうした樹木(木材)は「神代木」と一般に呼ばれています。

樹木がもともと材中に持っている成分と、埋没した際の周辺の土壌成分とが化学反応を起こして材料を芯まで染めてしまうことがあります。写真の神代ナラもそのひとつで、ミズナラやコナラが豊富に持っているタンニン分が土壌の鉄分と反応してタンニン鉄となり黒く染まっています。一見すると黒檀のようです。人工的に染めたり着色したりしたものとは異なり、深く落ち着いた雰囲気があります。

ただし2500年ほども地中に埋もれていた材木が急に空気にさらされることで、ほとんどはびっしりと亀裂が入ってしまいます。そんなわけで用材として利用できる神代木はきわめてすくなくまた高価なものとなります。写真のキーホルダーは、酒田市内で長らく指物師をされていた方から20年以上も前に譲ってもらった板からこしらえているものですが、やはり大元の板はひび割れがひどくて、ごく一部がペーパーウェイトの材料になっただけで、大半は捨てざるをえませんでした。しかし厚みが20〜25mm程度はあり、干割れの程度が比較的いいものは取っておいたのですが、いつまでもそのままにしておいてもということで、当工房の定番的小物では最も小型のサイズとなるキーホルダーを作ることにしました。とりあえずは33個です。

2回目の下塗りの塗装を終えたところです。底面にはO2という打刻印をしています。このあと上塗りを2回施して、穴にステンレスのリングを通せば完成です。

 

キハダとブナの刳物

 

キハダ(黄肌・黄檗)とブナのスポルト材を用いて最近こしらえた刳物(くりもの)です。中央の蓋付きの丸い器がキハダで、縮み杢にくわえて不規則な黒い紋様が生じています。大きさは直径21cmです。

他の4点は3月5日の記事で紹介したブナのスポルト材を用いて旋盤で挽いたものですが、乾燥がまだ十分ではないので、加工途中で干割れが出てそれがなくなるまで削ったりしたためサイズが小さくなってしまったり、若干の歪みも生じています。したがっていまのところ「試作」という感じですね。詳しくはまた後日個別にご紹介します。

 

コーヒーブレーク 101 「ヤポーニヤ」

 

 

寒林は光引き入れ夕焼なる

[かんりんは ひかりひきいれ ゆやけなる] 先日『つばき散歩』という本を読んだ。地元在住の植物研究家=土門尚三さんの著書で、2016年11月の刊。ツバキの仲間についてのさまざまなことを記してある。自然の草木に興味関心のある私は楽しく読んだ。当地にはヤブツバキ、ユキツバキ、ユキバタツバキの3種があり、それぞれがうまく棲み分けている。ヤブツバキは常緑の広葉樹で暖地性の高木なので、本来的に寒さには弱い。それが背丈を低くし(1〜2m)、幹や枝を細く柔軟にし、冬期は積雪の下に埋もれることで寒さをやりすごすようになったのがユキツバキである。つまり「雪椿」。ユキバタツバキはヤブツバキとユキツバキとの中間種だ。というようなことは概略は前から知っていたが、あらためて野山に出て仔細にたしかめてみようと思った。

雪山に影ふつふつと鳥獣

[ゆきやまに かげふつふつと とりけもの] 上のツバキの話とは対照的に、当地の自然林は圧倒的に落葉広葉樹が多いので、晩秋の葉を落とした頃はもちろん、冬になってさらに雪が積もるようになると雪面からの反射光も加わって、まぶしいほどの景色となる。新雪が降ってその明くる朝が晴れておりあまり風もなければ(当地では稀であるが)、雪面にたくさんの足跡を見ることができる。タヌキ、キツネ、リス、テン、カモシカ、ウサギなどである。先日はウサギかなにかを狙って舞い降りてきたと思われる鳥の羽根の跡も雪面にくっきりとついていた。獲物をキャッチした痕跡はなかったから、間一髪で獣は逃げ去ったようである。

ヤポーニヤは雲の下へ鳥帰る

[やぽーにやは くものしたへ とりかえる] 白鳥が帰っていく。V字型の編隊を組んで、こーこーと鳴き交わしながら飛んでいく。冬の厳寒期を日本で過ごした白鳥は、繁殖地であるシベリアやオホーツク海沿岸をめざして。いわゆる北帰行である。このあたりだって冬は十分に寒い気がするが、それでもシベリアあたりにくらべればはるかに温暖であるのだろう。すなわち白鳥は日本に避暑ならぬ避寒に来ていたわけである。/鳥の編隊飛行の先頭にいる鳥は、編隊を率いるリーダーかなにかと思われがちだが、それは人間社会の投影にすぎないことが分かっている。よくみれば先頭はときおり他の鳥と入れ替わり、先頭にいた鳥がこんどは後方に入り込んでいく。空気抵抗の関係でやはり先頭がいちばん疲れるらしい。まるで雪こぎのラッセルの交代のようではないか。

 

旧蕨岡道のちょい下見

 

鳥海山・飛島ジオパークのガイド仲間にも参加を呼びかけていますが、3月19日(日)に鳥海山の旧蕨岡道探訪を実施するべく、昨日の午後ほんのすこしだけですが下見をしてきました。いったん山中に入ってしまえば積雪が多いか少ないかの差はあっても、基本的には冬なのでそう大きな違いはありません。むしろ問題はアプローチで、麓のほうのどこまで車が入れるかを事前に確認しておく必要があります。

夏場に車を停めておけるふだんの場所まで入れるかどうかによって、その後の所用時間や必要な体力などが大幅に違ってくるからです。今回は実際行ってみたら、月ノ原の集落のいちばん上の住宅のところまでしか車は入れませんでした。そのためそこに車を置いて、輪樏を履いて嶽ノ腰林道を1.5kmほど歩いたのですが、汗ばむくらいに気温が上がったので腐った雪がずぶずぶでかなり苦労しました。こりゃ、ラッセル要員がいないと厳しい。

駒止の先、林道と牧場との分岐のところから旧蕨岡道(参詣道・登拝道)の山道に入り、すこし行くと弘法水という湧泉があるのですが、そこまでは見届けました。積雪は2mくらい。湧泉とそこからの流水の上の雪面はぽっかりと開いています。雪面にはカモシカやタヌキ、キツネ、ウサギなどのたくさんの足跡がついており、ヤマドリの姿も2度見ました。

雪こぎはたいへんでしたが、天気がよく、道々真っ白な鳥海山と青空と雲がたいへんきれいでした。19日も天気がよければいいのですが(暖かすぎて雪面がぐずぐずにならない程度に←ぜいたくな希望)。