日別アーカイブ: 2016年7月27日

コーヒーブレーク 84 「擬木」

 

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これでもかこれでもかと滝落ちぬ

[これでもか これでもかと たきおちぬ] 滝は俳句の世界では夏の季語ということになっている。言うまでもなく滝は年中流れていることが多いのだが、それは荒々と白く落下する滝に涼感を感じ爽快な気分になるのは、やはり暑熱の夏だからこそではあるのだろう。もちろん個人的には春の新緑の頃も、秋の紅葉の頃も、晩秋の寂寥の頃、冬の雪の白さと競うような景も、滝はそれぞれに味わいがあって甲乙付けがたく、どれも好ましいと思っている。/早春の雪解けや、他の季節でも長雨が続くと、河川はたちまち増水し、滝は様相を一変する。ふだんは垂直に落ちている水が、川の流れのあまりの強い勢いのせいで滝口からジャンプするように水が斜めに落ちて滝壺をとびこえることがある。また落水とその両側の露出した岩壁の対象を美しいと感じていたのに、水量が急激に増えて谷の幅まるごと白い布のごとくに滝となって落ちる様には畏敬の念を覚える。

万緑のところどころの擬木かな

[ばんりょくの ところどころの ぎぼくかな] うっとおしいくらいの草木の繁茂である。ただでさえ暑いのに闇をかかえるほど密になり背丈を増した叢(くさむら)は、まことに自然そのものの本来的な姿ではあるものの、ややうろたえるものがある。「万緑」はもともとは王安石の「万緑叢中紅一点」からきているのだが、中村草田男が俳句に用いてから有名になり夏の季語として定着したという。/さて擬木である。コンクリートまたはプラスチック製品で、公園や山中の遊歩道の柵などに用いられことが多い。樹木の細めの幹や枝を模したもので、たいていは焦茶色に着色されており表面は樹皮にみたててでこぼこしている。木製の杭などにくらべ腐りにくく強度もあることや、金属製の柵などとは異なりすくなくとも遠目にはあまり目立たない点も利点である。むろん近くで見ればニセモノであることはすぐわかるのでちょっと残念な気持ちにはなるが、まあやむをえないな。

天蚕の目玉を閉じて漂えり

[てんさんの めだまをとじて ただよえり] テンサン(天蚕)は通常ヤママユガ(山繭蛾)のことで、天然の蚕の代表的なもの。コナラやカシワ、シラカシなどの葉を食べて育つが、糸は普通の絹とくらべ軽く柔らかい。それは糸の中に含まれる空気の割合が多いためであり保温性が高い。糸はさわやかな緑色で、希少性があり当然値段も高い(約100倍とも)。ヤママユガも絹糸を採る目的の場合は、当たり前ではあるが人手で幼虫の世話をするのだが、たいへん繊細でやっかいな虫であるそうな。/普通の絹でさえ私は手が出ないので、天蚕など一生身にまとうことはないだろうな。

 

(※ 写真は鳥海山の二ノ滝渓谷で、二ノ滝と三ノ滝の間にある狭霧橋からの景。)