煉獄の針山ならん摩天楼
[れんごくの はりやまならん まてんろう] 鷹羽狩行は「摩天楼より新緑がパセリほど」と詠んだ。ニューヨークのセントラルパークの早春の樹々を超高層ビルから見下ろした景らしいが、樹高数十メートルはある堂々たる樹であっても、数百メートルもの上から眺め下ろしたら、たしかにパセリほどにしか見えないかもしれない。鳥海山でも鳥海高原ラインの通称「のぞき」から約200m下の鶴間池を見下ろすと、ブナの原生林がなるほどパセリのかたまりのように見えることがあり、そのたびに鷹羽狩行の上の句を思い出す。/横道にそれるが、鷹羽狩行の本名はたしか髙橋行雄といい、1930年生まれで山形県出身である。まあ本名のままではあまりにも平凡で(失礼)、同姓同名の人も少なくないだろうから、ずいぶんとかっこうをつけた俳号であるものの、そのことで注目をひき名前を覚えてもらうのに一役かっているのはたしか。狙いは当たったといえるであろう。
地下室に空気満ち満ちて夏至
[ちかしつに くうきみちみちて げし] 近現代ならいざしらず、地下室といえばろくな照明もなく、まず暗い。とにかく暗い。陽が射すこともなく、湿っぽい感じがする。基本的に地下の水位が高いところだと防水対策が非常にたいへんなので、地下室を作るのは難しい。日本では鉄筋コンクリート造の頑丈なビルでもないかぎり地下に空間を作るのは避けたほうがいい。壁や床からの浸水がないとしても、地上に水があふれたらたちまち地下室は水没してしまう。/夏至とか冬至などの天文的に特別な日だけ、外光の直射光が地下の深いところに届くようにあらかじめ計算して作った構築物というものは、世界のあちこちにある。現代のようになぜその日その時だけ陽が射すのかの理由はわからなくとも、事実としてそういった現象があることは遥か昔から認識されていただろう。科学的なメカニズムがわからないぶん、世界は今よりもずっと不思議と魅惑に満ち満ちていたであろう。
螢放てばたちどころに暗渠
[ほたるはなてば たちどころに あんきょ] ホタルの姿を今年はまだほんの少ししか見ていない。街中の用水路にもホタルはいることはいるのだが、あっちに一匹、こっちに一匹と簡単に数えることができる程度の数でしかない。かつてのような無数ともいえるホタルの乱舞はとうてい望むべくもないし、まして一本の樹に大量のホタルが群がってやがて明滅がシンクロするという「クリスマスツリー」など夢のまた夢である。/そのわずかのホタルの光もついに消えてしまうと、あたりの闇はいっそう深くなる。