成田三樹夫遺稿句集『鯨の目』。1991年に秋田市の無明舎出版から発行されたたいへんしゃれた句集です。写真は左が外箱ですが、本体は布装上製本、一ページに一句という通常はありえないほど豪華な句集です。で、装丁はなんと平野甲賀です。出版やグラフィックデザイン関係の人なら知らない人はいない非常に有名なデザイナーですね。
じつは成田三樹夫は山形県酒田市に生まれ、高校も私の母校でもある県立酒田東高です。3年生のときに文化祭でチェーホフの「煙草の害について」の一人芝居を演じたそうですから、その後の俳優としての人生を予感させます。私は映画にはまったくといっていいほど知識素養がありませんが、名脇役としてたいへんに有名であったようです。しかしながら1990年に55歳という若さで病気で亡くなりました。
成田三樹夫は俳句結社等には属さず、ほぼ単独で句作を行っていたようですが詳しいことはわかりません。句集『鯨の目』に収録された230ほどの句に数回目を通してみましたが、感想を正直に述べるならば「まあまあ」というところです。とくべつうまいとはいえません。結社などで他の俳人から厳しくもまれていないためか、発想はいいのに表現の詰めがかなり甘い句や、どこかで見たような句=類想句も少なくないと思います。有季定型の句もあれば無季の句や自由律の句もあるのですが、とくにどのスタイルが得手という感じではありません。むろんそれは別にかまわないのですが、氏の場合は自分の方向性をうまく追求しきれなかったのかもしれません。55歳で没というのは、一般的にいえば俳人としてはあまりにも早すぎる死ではあります。
タイトルの『鯨の目』は[鯨の目人の目会うて巨星いず]から採られたと思いますが、同じ鯨がモチーフなら[鯨の背のぐいと海切る去年今年]のほうが情景が鮮明に浮かびます。巨体ゆえに遠目には動きがスローモーに見えるさまや、大海原の日付変更線を想像したりもします。「巨星いず」では雰囲気はあるものの結局なにを言いたいのか判然としません。もうひとつ[荒海や王道自在のシロナガス]は王道自在と答えを先回りして出してはだめよと思います。シロナガスクジラは現在地球上で最も大きな動物ですが、王道自在といわないでそのことをいやおうなしに想わせるような言葉がほしいところです。
鯨よりももっと小さな、小鳥や昆虫や犬を、または植物をよんだ句はなかなかいいです。[冬の陽やとっぷりと柴の犬][蟇の背に奔流走る時雨哉][犬と蟇にらみ合う間の大宇宙][小綬鶏をはじいてわらう大地かな][鶯の首まきついて梅ちらず][怒濤音のさきがけとなり水仙花]など。ただ「柴の犬」はやはり「柴犬」でしょうし、奔流も時雨も走るものなので「走る」は不要でしょう。
自然の大景をよんだ句、[天を抜き地を抜いてゆく屋根の線][風吹いて空わっとかをを出し][朱き丸太に梅雨空おちている][五十億年寝返りうつやこぞことし] ですが、風吹いての句がとくにおもしろい。雲が切れて青空が現れたという単純な話ではたぶんないでしょうし。
自然の情景と人との関わりの中での、場面の転換、[白き指舞いあがる方すばる星][やまびと歩きはっと山あきらか][投げられし蛇の目に童たち宙を舞い][鳥たちのとんでいった石の上に腰をおろす][山近々と肺ひろがる][万両や柴の犬を紅一過せり]といろいろありますが、投げられた蛇や通り過ぎる犬への視点が、句の中で突然向きが変わります。あざやかな不意打ち。ただ表現としてはまだ練り切れていないのが残念です。
氏は50代半ば亡くなるわけですが、その前に病気で苦しんだり長く病院暮らしも余儀なくされたようです。そうした境遇のなかででしょうか、[肉までもぬいだ寒さで餅をくい][頭洗うや掌にのりたる頭蓋おかしき][寝返れば背中合わせに痛むひと]などの句は身につまされるものがあります。頭洗うやの句は「おかしき」とまで言わないほうがいいとは思いますが。
以上、ずいぶん辛辣なことも遠慮せずに書いてしまいましたが、氏が俳句を単なる趣味暇つぶしのものとしてではなく、自分の生死の一端をかけて真摯に取り組んだからこその敬愛のしるしとしてご容赦ください。