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O様邸リフォーム工事 その12

 

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山形県庄内町でのリフォーム工事は、やっと大工仕事(メインの木工事)が終わり、床のフローリングや戸枠・窓枠・廻縁・幅木などの造作材の塗装が終わったところです。あとは天井と壁にオフホワイトのクロスを貼れば、部屋自体はほぼ完成します。その後、お盆明けくらいから食器戸棚や洗面ボウル・トイレ器具・鏡・照明・換気扇・建具などを取り付けします。

クロスを貼るだけでもかなりまた印象が違ってきますが、部屋のだいたいの感じはおわかりいただけるかなと思います。今回、最終的に表にあらわれる木部はすべて無垢材で、集成材や合板やプラスチックやMDFなどは使っていません。施工はちょっとめんどうですが、やはり無垢の木は抜群にいいですね。

壁面で石膏ボードではなく12mm厚の合板を張ってあるところがいくつかありますが、これは耐力壁としての強度を持たせるためです。この上にクロスを貼って仕上げとなるのですが、そのままでは合板のアクが染み出てくるおそれがあるので、専用のシーラー剤で下処理を行います。

キッチンのワークテーブルもまだ養生用のフィルムを貼ったままですが、床のメープル材に近い色合いの白っぽいもの。キッチンパネルもオフホワイト&艶消の特別なものですが、まだ目地のコーキングはしていません。

 

酒蔵

 

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工事現場へ行く道すがら、稲田の向こうに酒造会社の醸造所や酒蔵など一群の建物が目にとまります。やや傾斜の強い黒い屋根と、窓が整然とうがたれた白い壁。なんど見ても美しいと思います。 奇をてらったり権勢を誇ったりするのではない、酒をつくり保管するという明確な目的にかなうように、精緻な道具のように作られた建物。これは建築物というものの一種の原点であり頂点といっていいでしょう。建築家の趣味の発露であるような「名建築」とは対極にあるものです。

 

銃弾?

 

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建築リフォーム工事と併行して注文家具の戸棚を作っているのですが、材料はアメリカン-ブラック-ウォールナットです。名前のとおり北米産の濃色のクルミの仲間ですが、略してふつうウォールナットとよばれています。その材料を木取していたところ、木端の切断面になにやら光るものが。直径1.5mmほどの鈍い銀色。よく見ると他にもいくつ同様のくぼみがあるし、切断したノコ刃のほうにはとくに刃こぼれなどはないようなので、材質的には鉄ではなく鉛のように思います。つまりこれは散弾銃の弾が樹肌に食い込んだものでしょうね。

材料の表面や白太の部分ではなく、赤味の部分の所に入っていたので、散弾銃の弾を巻き込んだままその後も長く成長したと思われます。大部分は弾は脱落してしまい傷跡だけを残したようですが、その食い込んだ弾のまわりは若干変色しています。

ウォールナットはわりあい人里に近いところに生えているか、用材目的で人為的に植栽されているものなので、猟銃で鳥などを撃った際にその弾が木肌に突き刺さることがたまにあるようです。小さな鉛の粒だからまだいいのですが、まれに太い釘などが残っていることがあり、その場合は製材などのノコ刃が一発でだめになってしまいます。

ウォールナットではありませんが、ずっと昔に国産のオニグルミかクリだったかを丸太で購入し製材に立ち会ったときに、運悪く太い釘を挽いてしまい、すぐに機械を止めて刃を新しいのに交換したことがありました。オペレーターは「これでもう赤字だな〜」とぼやくことしきり。そうでなくとも、どんな樹であっても立ち木にじかに釘などを打ち込むのは厳禁です。

 

コーヒーブレーク 24 「ひりりひりり」

 

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ひりりひりりと空蝉の低き共鳴

蝉の抜け殻はべつに珍しくもないが、よく見るとじつによくできていると感心する。細い触覚や脚先まできれいに脱いでその蝉は飛んでいったのだろう。どこか一カ所でも脱皮に失敗すればおそらく死んでしまうか、スムーズにいかずにもたついておれば夜が明けてめざとく見つけた蟻その他の昆虫や鳥などに食われてしまうにちがいない。また幼虫が木肌や草の茎や板塀などに食い込ませた脚が、羽化の途中で万一にもすっぽ抜けてしまえば 、もちろんアウトである。

黒揚羽夜の断片散らしおり

黒っぽい大型の蝶といえばまずクロアゲハ(黒揚羽)だが、全体的には黒色ながら青や緑の金属光沢のあるカラスアゲハ(鴉揚羽)、ミヤマカラスアゲハ(深山鴉揚羽)もいる。いつだったかハイキングの山中で、若いカップルのハイカーがいて、飛んできた黒い揚羽蝶をみて彼氏が「クロアゲハだな」とのたまうと、彼女「すごい。そんなことがすぐわかるんだぁ」、で彼「まあね」とちょっと得意顔。しかし私は心の中で「それはクロアゲハではなくてミヤマカラスアゲハだよ」と訂正する。/小学生の頃に蝶採集と標本作りに熱中したことがある。子どもの足では実際に採取できたのはせいぜい40〜50種くらいだが、図鑑に載っている日本産蝶の220種あまりはいちおう全部頭にたたきこんだ。その後蝶採集は止めてしまったものの、今でも飛んでいる蝶を見るだけでそれがなんという種類の蝶であるかはだいたいわかる。かように自分が興味関心を持って自発的に学んだことは身体に強くしみつくものだなと思う。

箱庭や完全犯罪のあるらしく

箱庭は庭園のミニチュアまたはジオラマである。大人が一人で抱えることのできる程度の大きさの浅箱などに土・砂を盛り、小さな草木や建物や庭石、または人や動物の人形等を配して夏の景観を作る。現実の名高い名勝・名園を模写する場合もあるようだが、ともあれこういう遊びが大人のまじめな遊びとしてまあ普通に行われ、俳句の季語にもなっていることにおかしみを感じる。旦那衆のものすごく凝ったお金をかけた箱庭もあり、そのできばえを互いに競ったことさえもあったらしく、もうこうなると現代でいえば鉄道模型や艦船模型に血道をあげるマニアみたいですね。/もっともそのミニチュアの対象がほかならぬ庭園であるというのは興味深いことで、海外にもそうした風習はあるのだろうか。そしてまたどうして春・秋・冬の景ではなく夏なのだろうか? 箱庭を眺めて涼しさを感ずる? ん、そうか、夏の暑い日は家屋の戸を開け放しているから、庭先なり縁側なりに置いた箱庭が観賞しやすいし、その周囲に実際の庭があり、さらには遠くに海山の自然景観が借景としてあるという三重の入れ子構造になっているのかもしれない。

 

O様邸リフォーム工事 その11

 

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山形県庄内町のリフォーム工事ですが、8月中には工事を終了させるべくいま内部の追い込みの最中なので、お披露目できるような写真がなかなか撮れません。そこでとりあえずケリのついた外回りのうちで、換気扇ならびに自然換気口の外部フードを紹介します。

今回の工事対象は約12坪ですが、水回りのほとんどすべてなので、換気は重要項目のひとつです、昔の住宅とちがって密閉度が格段に高いので、外気との吸気・排気をじゅうぶんに行わないと匂いや湿気が室内にこもりがちで、建物の寿命にも影響します。トイレとお風呂は24時間排気用の換気扇、洗面脱衣室とキッチンは随時任意の排気用換気扇、それにダイニングルーム&寝室に自然吸気口がふたつです。

室内側のパネルは換気のモーターを一体で組み込んだものと、モーターなしの開閉パネルのみものとがあります。天井付けが2台ありますが、あとの3つは壁付けです。室内側にパネルがあれば当然外側にも相応のものがあるわけですが、外側のほうは単純に壁に穴があいたままでは雨や虫などが侵入してきます。したがってそれらを避けつつ、また見栄えもよいものにしなければなりません。それが換気用のフードです。

換気用のフードは外壁にむきだしで取り付くものなので、けっこう目立ちます。それも一個二個ではなくひとつの壁面にいくつものフードがつけばなおさらです。一番安価で設置も簡単なのがステンレスの半球形または逆U字形のもので、ホームセンターでもすぐに入手できますが、私としてはきらきら光るあれはデザイン的にはバツですね。外壁全体や建物全体とのバランスがよくありません。

そこで自宅の場合もそうだったのですが、角形でステンレスベースに粉体塗装をしたフードを選びました。キッチンのはダクト径150mm用のもの、トイレ・お風呂・洗面脱衣室は径100mmパイプまたはダクト用のもので標準的な奥行のもの、ダイニングルーム&寝室の自然換気用には径100mmパイプ用のの浅型のものです。同じメーカーの同じシリーズの製品なので、サイズは違っても統一感があります(予算的に許せば外壁の色にあわせてさらに特注で塗装屋さんに吹付塗装してもらうこともあります)。

 

右か左か

 

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写真は20年ほど前に当工房で、お客様のご注文により製作したウォールナットの椅子ですが、はたして右脚はどちらでしょう? 向かって左の脚を右脚と答える人が多いと思いますが、当工房では向かって右側の脚を右脚としています。その理由を説明します。

椅子はほとんどの場合脚が4本あり、それに人が腰掛けた場合は自分の体の右側にくるほうを右脚とする、つまり自分と同化して考えるわけですね。また箪笥類(チェスト)や戸棚類(キャビネット)についてはどうでしょうか。それらはほとんど片面使いで裏と表があるわけですが、これもデザインによっては生き物の体を思わせるものがあり向かって左側を右と感ずることもあるでしょう。それ自体はごくふつうの感覚といえます。

しかし右か左かは相対的なものなので、見方によって容易に入れ替わってしまいます。椅子の右脚を作っているつもりでじつは左脚を作っていたなどということになりかねません。とりわけ複数の人間が製作にたずさわっている場合は混乱や事故のもとです。背もたれのある椅子や長椅子では前後は誰にもはっきりしていると思いますが、それとは別に「向かって右が右脚」と決めてしまえば間違い勘違いは避けることができます。戸棚などでも「向かって右側の側板や扉や抽斗が右の〜」と一律に決めます。

椅子の製作では、同時に背もたれのないスツールやベンチを作ることもしばしばあり、通常はそれはシンメトリーの形(線対称または点対称)なのでそもそも右も左もありません。テーブル類の場合も、抽斗を組み込んだりしたデスクなど以外は同様です。ではこれらのケースでは右と左はどうやって決めるのでしょうか? ユーザー的にはどうでもいい話ですが、製作者としては各部材はあくまでも1対1の関係にある、すなわちAの脚はBという幕板と接合するのであってCと入れ替え可能ではありません。なぜなら均一素材の工業製品ではないので、木目や色合いなどに微妙な差があり、また若干とはいえ材料のひずみや収縮があるからです。

したがって右・左・前・後がとくに特定されない家具の場合、当工房では上(または表面)からみて1時の位置にあるものを1番とし、あとは時計回りに2番・3番・4番と決めています。したがって4本脚のテーブルであれば1番の脚は1-2の幕板の1番側と、1-4の幕板の1番側とのみ接合します。この番号は絶対的なものなので、見る向きによって変わるということはありません。もちろん各部材には加工の初期の段階からその番号を記入しておきます。

(※ 先に椅子で「向かって右が右脚」といいましたが、いっそ右とか左はやめて上のように絶対的な番号を振ることにするほうがいいかもしれません。その場合は一般的には左後脚とされている脚が1番で、左前脚が2番〜、ということになるでしょうか。)

以上の話はむろん当工房の場合はこうしているということであって、一般論としてそれが正しいかどうか適切であるかどうかとは関係ありません。木工家のなかにはたまに欧米の木工の「教科書」をなかば絶対視し、それにならうべきとする人がいますが、ばかばかしいことです。それぞれの木工家・木工房でルールを決めればいい話ですね。

 

90度カット定規

 

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刃径165mmの新しい電動丸ノコを導入したことは当ブログの7月17日の記事で紹介しましたが、それ専用のカット定規です。木取などをする際に直角の墨線を引かなくとも、材料の木端の一辺にこれをあてがい丸ノコのベースの左側をこの定規のガイドに沿って切断すれば、ほぼ正確な直角になります。切断面の直角の精度は横切盤やスライド丸ノコで行うのにくらべればすこし劣りますが、それでも長さ1mにつきプラスマイナス0.5mmくらいの精度は出ているので、実用上はまったく問題ありません。

こうした丸ノコ用のカット定規は市販品でもいろいろありますが、自分がふだん使っている丸ノコにあわせてオリジナルで作れば、もちろん使い勝手は抜群です。丸ノコが材料の上を直接スライドすることもないので、塗装品や仕上削りの済んだ材料でも傷をつける心配がありません。

長い間使っているうちに材料の抵抗などによって刃が横ぶれして、ベースの薄板(3mm厚の合板)の右端のラインと丸ノコの刃の左側との間にわずかな隙間が生じてくることがありますが、その場合はガイドの幅を1mm程度切り詰めることで簡単に修正できます。

 

O様邸リフォーム工事 その10

 

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山形県庄内町でのリフォーム工事です。外壁材の窯業系サイディングを張り、外部はほぼ終わり。内部は天井の石膏ボードをだいたい張って、いま床のフローリングの工事中です。

このフローリングは厚さ15mmのメープル(アメリカ産のソフトメープルで、カエデの一種)材で、幅は90mm、長さは1820mmの定尺です。無垢材フローリング一般としては、長さもまちまちの「乱尺タイプ」もあるのですが、施工の手間がかなりかかります。そこで長さ方向は数枚の無垢板をフィンガージョイントであらかじめ接着しているという「ユニタイプ」と呼ばれるものです。無塗装品なので、全部張り終わってから現場塗装をします。

無垢材100%ですから乾燥収縮などによる寸法誤差も1mm以下程度は避けられず、また当然ながら木目や色合いもみなすこしずつ異なります。張ってからも板と板との間が若干空いたりくっついたりをくり返します。無垢材はそこがいいところでもあるのですが、気になる人は気になるでしょうね。合板下地に表面だけごく薄い無垢材を張ったフローリングや、表面に木目を印刷したフィルムを貼ってあるフローリングのような寸法安定性や施工の簡便性、またコスト低減はのぞむべくもありません。

無垢材のフローリングは私の自宅をはじめ、これまでいくつか施工していますが、踏んだ感じはあきらかにちがいます。他の部材のように見た目での差ではなく、床板は毎日直接身体がじかに触れる部分ですから、ここはやはりいちばん重視すべきところにひとつといえるでしょう。

 

シテ7月句会 2014.7.16

 

短詩形同人誌『シテ』の同人を中心とする句会を、今年から隔月(奇数月第3水曜日)で行っていますが、今回はその3回目です。出席者は相蘇清太郎・今井富世・大江進・大場昭子・加藤明子・金井ハル・高瀬靖・西方ジョウ、南悠一・渡部きよ子の合わせて10名。(敬称略)

事前に無記名で2句投句し、清記された2枚の句群から参加者それぞれが当日2句づつ選び、合評が終わってから作者名が明かされるのはいつもの通り。まあいわばぶっつけ本番で、時間的にもすべてを2時間半のなかで行うので、かなり真剣に向かわないといけません。その緊張感も得がたいものです。では第一幕から。頭の数字は得点です。

2  吊り橋に弾みをつける青嵐
1  一族郎党ひきつれ浮いてこい
3  焼き鮎に鼻だけさめる眠り猫
2  若楓風吹き抜けし夕餉かな
1  コロッセオに猫一匹 殺すなネロよ
3  さみしくて水饅頭の餡の色
1  つばめの仔羽づくろいのみ覚えて旅立たず
1  葉のしずく風が拭いて夏至の月
0  ブラジャー剝いで水ナス齧る夏の白
2  朝顔やぐるりと家を絡めとり

得点がいちばん多かったのは3句目と6句目です。はじめの<焼き鮎に〜>は、猫はその語源ともいわれるようにしょっちゅう寝ていますが、鮎を焼いているとそれに反応してか鼻だけぴくぴく動かしているといった図です。わが家にも猫がいるのでよくわかる句ですが、「だけ」は言わずもながですし不要でしょう。五七五の短いなかに「鼻」をとり入れた時点ですでに鼻を特別視しているわけですから。作者は今井富世さん。

次の3点句<さみしくて〜>は私も取りました。俳句では悲しいとかうれしいとか寂しいといった感情を直裁に出すのはよくない、芸がないと一般的にいわれるのですが、この場合は水饅頭のあの半透明の葛を通してみえる餡の微妙な色合いが「さみしい」という感情とうまく呼応しています。たしかにそんな感じで、悲しいとか嬉しいというような感じではないですね。もっとも上五でいちど軽く切れるので、水饅頭の餡の色合いとさみしさとは直接的には関係なしと解釈することもできます。先に別の理由でさみしいことがあって、その気分のところにたまたま水饅頭と出会ったというふうにも。作者は南悠一さん。

2点句は3つありました。1句目<吊り橋に〜>は青嵐に吹かれて吊橋がいつもより大きく揺れている様子です。ただ「弾みをつける」では作為的かつ常套的なので、どんなふうに揺れているのかを客観的に具体的に描写したいところです。作者は大場昭子さん。

4句目<若楓〜>は、人家の玄関先とか庭先などによく植えられているカエデの樹の、まだわかわかしい緑の色と、そこを吹き抜けてゆく風のさわやかで涼しげな感じが目に浮かびます。じつは清記にはじめ「風」の字が抜けていたので、私は吹き抜けていったのが何なのかよくわからず悩みました。風とわかってみれば納得ですが、逆に優等生すぎてすこしもの足りない気も。作者は渡部きよ子さん。

次の10句目<朝顔や〜>は、通常好日的に表現されることの多いアサガオが、まるで蔦や葎類のようなちょっとおどろおどろしたふうに詠まれているのがおもしろいです。家のまわりをぐるりというくらいですから、半ば空家と化した住宅なのかもしれません。アサガオもそれくらい放置されるとイメージが変わるでしょうね。この句は私も取りましたが、欲をいえば下五の「絡めとる」をその語句を使わないでその感じをじわじわと出せればなおいいかなとも思いました。作者は西方ジョウさんですが、仕事の都合で出句のみの参加となりました。

1点句は四つ。<一族郎党〜>は私の句ですが、「浮いてこい」のフレーズそのものが夏の季語であり浮人形のことであるという予備知識がないと理解がむずかしいと思いますね。浮人形はお風呂などで遊ぶ玩具ですが、もちろんここでは大人が水底に沈んだ戦死者や入水者の悲哀や無念または呪詛を思い浮かべているところです。

<コロッセオに〜>はよく読むと下のほうと韻を踏んでいます。ありていに言えば語呂合わせにすぎないので、こういった句を今的で新しいとする見方には私は同意しません。コロッセオは古代の円形闘技場で、ネロはもちろん皇帝ネロで暴虐のかぎりを尽くしたことで知られています。作者は相蘇清太郎さん。

<つばめの仔〜>は中句で「のみ」とすでに詠んでいるので、最後の「旅立たず」は不要でしょう。作者は高瀬靖さん。<葉のしずく〜>は夏至の月が照る前に一雨でもきたのでしょうか。風がそれを乾かしているところでしょうが、それを「拭いて」とするのはどうかなあ。先の1句目の「弾みをつける」と同様に擬人的であり作為的すぎませんか。作者は加藤明子さん。

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さてここまでで約1時間20分くらい経過しました。ひと休憩をはさんでから第二幕です。

4  今日一日合点ゆきたる合歓の花
2  幼いのだ尾を捨てられぬ青蛙
1  糠の中きゅうりなす指かくれんぼ
2  梅雨晴れの蝶高くたかく人逝けり
1  天の川どうか今宵は浅くなれ
2  息をつめ綿毛飛び越す小さき足
3  青嵐あの日の嘘が濡れてをり
1  キャベツにも小さな目玉の蝶止まりたり
2  蝉の穴極暑の棒の曲がり入る
0  校庭に水撒く部員の汗ひかる

最高点は1句目で4点<今日一日〜>の句です。読みは「きょうひとひ がてんゆきたる ねむのはな」ですが、その調べ自体がや懐古調でもあり、合歓の花のあの雰囲気とはよく響き合っているようです。いやがおうにも芭蕉の<象潟や雨が西施にねぶの花>を思い出すからかもしれませんが。作者は渡部きよ子さん。

次点3点句の<青嵐〜>は私には時勢が分かりにくかったです。夏の嵐がおそっているのは現在のことでしょうから、昔日の嘘を思い起こしてそれが濡れているということでしょうか? 嘘が濡れるということの意味はなんでしょう。青嵐とその嘘とになにか関連があるのかもしれませんが、よくわからないですね。よくわからないけれども妙に惹かれる句というのはあるわけで、この句もそうかも、です。作者は南悠一さん。

2点句は4句あります。2句目の<幼いのだ〜>は四肢が生えてもしばらくは尾が残っている蛙のようすですが、ここではむろん寓話的な表現です。「尻が青い」「尻尾をつけたまま」は未熟な者に対する皮肉の言葉ですが、この句では自分に向けての自虐的フレーズですかね。「幼くて」ではなく「幼いのだ」と強く言い切ったところに味わいがあります。作者は西方ジョウさん。

4句目<梅雨晴れの〜>は私も取りました。死者の魂が天空にのぼっていくことを蝶の姿に仮託しており、美しい追悼句です。「梅雨晴れ」という言葉も「高くたかく」というリフレーンも効いています。作者は高瀬靖さん。

6句目<息をつめ〜>は、タンポポかなにかの綿帽子を子どもが、その綿毛を壊さないように慎重に飛び越そうとしている図です。この句では「小さき足」が肝でしょうから、説明的に下五にそれをもってくるよりも上五に据えてまずそこに焦点をあてたほうがいいと私は思います。作者は加藤明子さん。

9句目の<蝉の穴〜>は私の句です。蝉は長い年月を地中ですごしたのち、土を穿って地表に出てくるわけですが、羽化を控えた日の夜に無事に地表に出られるようにあらかじめ穴を掘り終えているのではないでしょうか。蝉の羽化するころはとても暑い季節ですから、その蝉の穴にすらも熱気が侵入します。空気は陽気のいいときにはその存在をほとんど気にかけることもありませんが、極暑や極寒のおりはまるで固体のようなたしかな存在感を覚えます。高浜虚子に<去年今年貫く棒のごときもの>という有名な句がありますが、それも同様の感覚でしょうね。

1点句のうちの8句目<キャベツにも〜>は私が取ったのですが、キャベツと小さな蝶の取り合わせが新鮮です。私はこの蝶をジャノメチョウ(蛇の目蝶)もしくは翅裏に黒点のあるシジミチョウと受けとりました。モンシロチョウなどでは相方がアブラナ科のキャベツではあまりにも当たり前すぎるでしょうから。ただ「も」はなくてもいいかなと感じます。作者は相蘇清太郎さん。

・・・・・

さて、シテ7月句会はこれで終了しましたが、「おおむね当季の季語を入れる」という以外はいっさい制約のない投句をもとにした句会ですから、毎回どんな句がとびだすか非常に楽しみです。反面、選句はとても悩みます。よくできた優等生的な句をむろん評価しないわけではありませんが、個人的にはむしろ未完成でもいわゆる「問題句」をできるだけピックアップしようと考えています。視点や表現にオリジナリティがあるかどうかが大事で、他者にも問題提起となり刺激となるような句がのぞましいと思っています。

ただいわゆる形式的あるいは題材的な新規さはとくに私は求めてはいません。形やモチーフが従前の句にはない特異ものであっても、それだけで新しい句や詩になるわけではありません。インターネットなどで散見できる比較的年齢の若い方の「新しい句」のどこが新しいのか、私にはぜんぜん理解できないことのほうが多いです。現代用語辞典ではありませんが、ごく新入りの現代用語を用いてはいても、その切り口はあいかわらず陳腐で常套的で、なにやら珍奇な表現も必然性をすこしも感じません。

しかしながら世界は変転変貌し、100年前はおろか10年前には存在しなかったモノや現象や知見がいま身のまわりにも世界にもあふれかえっています。今を生きる人間の一人としては、それらのせっかくの「新しい」ことどもにも目を向けていかないと「もったいない」とは考えています。古来からの花鳥風月や伝統的風習文化を詠むだけが俳句ではないのもまたたしかです。

 

夏椿が咲いた

 

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今年もわが家の庭のナツツバキが開花しました。昨年の6月に植木市で買って玄関近くに植えたのですが、まだ裸地同然の状態で、暑さ寒さ、風と日射にもろにさらされて非常に厳しい環境です。そのためでしょう、背丈はあまりのびていませんし開花も昨年より20日ほど遅く、また花の数も半分くらいです。

同時期に庭に植えたブルーベリーは枝の一部が枯れて背丈が小さくなり花も咲きませんでした。草本のラベンダーはうまく根付いたようで昨年の倍くらいに大きくなりましたが、期待していた白花のホタルブクロのほうはまったく影も形もありません。完全に枯れてしまったようです。

今年も妻がいろいろな草花と野菜をすこし庭に植えていますが、私としては建物の外観とイメージに合わせて白い花が咲く草木を中心に庭を構成したいと考えています。しかし本格的に取り組むだけの時間もお金も園芸の知識もありません。しかしとりあえず先日、白花のムクゲを鉢植えで買ってきたので、敷地の入り口のあたりにでも植えようかと思っています。