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板材の平と木端の削り

 

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写真は戸棚の背板の二次下拵えをしているところですが、一度手押鉋盤と自動鉋盤とでほぼ両面を平らにしているので、ぱっと見た目にはどちらの面が凹んでいるのか分かりません。手押鉋盤で平に削る場合は基本的に原理的に、また安全面からいっても必ず凹み面を下にして削ります。機械の定盤にアーチになるように置いて削れば安定的に削れるわけです。

面の凹凸をみわけるのに、側面の木端を目で見通してみるという方法もありますが、木端自体がまっすぐ直線が出ていないとそれは難しいです。そこで最も簡単確実なのは、手押鉋盤の定盤の上に材料を置いて端のほうを手で軽く左右に動かしてみることです。定盤に接しているほうが凹んでいるときは抵抗が大きく回転しにくいですし、動くときも手で触れた側のみが動く感じです。アーチ状であればとうぜんですね。しかし反対に定盤に接した面が凸になっている場合は、手で触れると簡単に回ってしまいます。一カ所だけで定盤に接しているので、そこが回転軸になるわけです。

もちろん材料の種類や素性にもよりますが、写真のマツの板の例では、長さ40cmほどの長さで、反り具合(凹み)は0.05mm程度でした。0.05mmの歪みを目で見るのは難しいと思いますが、上記の方法であれば誰でも簡単迅速にできます。手押鉋盤の定盤の長さは前後合わせて1.9mほどあるので、切削量のゲージを0にすれば、長さ2mくらいの材料までこの方法で凹凸を確認することが可能です。

言うまでもありませんが、手押鉋盤の刃が回転した状態でこれを行ってはいけません。きわめて危険です。機械が停止した状態で材料の凹凸を順次確認し、削るべきその面にクーピーで◯にKの印を記しておきます。それからまとめて切削すれば効率的でもあります。

 

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次の写真は、手押鉋盤+自動鉋盤で両面を平らにし一定の厚みに決めた板の、こんどは木端の直角&通りを出しているところです。左手で手押鉋盤の縦の定盤に材料を押し付けながら、右手で材料を前方に押して木端を削るのですが、ただでさえ薄く短い不安定な材料を、むき出しの刃の上を手をそえて通過させるのは怖いです。手が滑ったら大怪我が必至です。

そこで当工房では接触防止安全カバー(中央の大きな緑のアルミ板)の開き具合を、材料の厚さよりほんのわずかだけ開いて、それより大きくは不意に開かないように強力な磁石(左側のあずき色のサイコロ状のもの)でおさえています。こうしておけば万一手がすべっても回転する刃に指をつっこまないですみます。

手押鉋盤は家具製作などの木工には必要不可欠な機械ですが、回転する刃がほぼむき出しになっているので、油断すると非常に危険な機械でもあります。さいわい当工房では指を落とすほどの怪我をした人はいませんが、用心に用心を重ねることがたいせつです。欧米の木工機械では上の理屈と似た専用の安全カバーが用いられているようですが、輸入して日本で使うとなると20万くらい(だったかな?)するようです。しかし工夫ひとつで数千円の出費で同等の対策をほどこすことができますね。

 

サイネリアとベルフラワーと

 

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先日は室内に置いている鉢植えの花としてアザレア(西洋ツツジ)を紹介しましたが、シクラメンがそろそろ終わりになってきたこともあり、少し前にキク科のサイネリア(シネラリア)と、キキョウ科のベルフラワーを追加しました。

上の写真の左がツツジ科のアザレアで、右はピンクの縁取りのある白花のサイネリア、下の写真は淡紫色のベルフラワーです。みな満開状態ですね。いずれも日中は浴室の窓際に置いていますが、ほとんど白一色の無地の室内なのとペアガラスのうちの1枚に磨りガラスを使った窓なので、光が柔らかく拡散してとてもきれいです。いくらか幻想的な雰囲気も。

ベルフラワーはオトメギキョウ(乙女桔梗)ともいい、東ヨーロッパ原産の多年草です。花径は20〜25mmくらいですが、草姿にくらべると花は大きく次々に咲いていくので見ごたえはあります。寒さにも強いらしいので、うまく管理すれば庭植えにもいいかもしれません。

わが家は黒い瓦屋根の白い外壁の平屋なので、庭の植栽もできるだけ白い花が咲く草木を植えたいと考えているのですが、予算や手間ひまの都合もあってなかなか進展しません。丸山健二だったと思いますが、庭の植栽のすべてが白花という話です。安曇野の350坪の庭に植え手入れしている樹木や草本がみな白い花が咲くものだけ。庭園というのは結局は人工的な擬似的な自然なので、どうせならそれくらい徹底したほうがおもしろそうです。

 

センのキーホルダー

 

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センの縮杢(ちぢみもく)のキーホルダーです。家具のお得意様から、ある音楽イベントのメンバーに渡す記念品として依頼があったもので、ご予算や納期などの関係からこちらで提案して作らせていただきました。年輪の木目とほぼ直交するように縞模様の縮みが表れているのがよくわかります。縮みは英語ではカーリーとかタイガーと呼ばれています。

ご注文の分にはその音楽グループの名前とコンサートの日付をバーニングペンで入れていますが、上の写真のキーホルダーは木取の際に余分が取れたため、一般販売用に別に仕上げしました。サイズは16×16×80mm。木部はポリウレタンの艶消し塗装を4回施していますので、汚れにくくなっています。リングは直径30mmのステンレス製でキーホルダー専用品です。

当ブログのトップページにある「オンライン販売」のコーナーにも載せていますが、価格は税込みで1個900円です。送料は個数にかかわらず一回一律300円です。在庫は現在7個あります。

 

鳥海山の種撒爺さんと3羽の鴉

 

鳥海山の雪形について問い合わせがあったのですが、ツイッターには写真投稿がうまくできなかったので、こちらの記事に情報をアップしました。上の写真は今年4月8日のもの、下のイラストは2012年4月にアップしたブログ記事中で「種撒爺さんと3羽の鴉」の雪形について載せた説明のためのイラストです。今年は暖冬だったせいか、同雪形が表れるのが半月ほど早いようです。

雪形で有名な山は全国にたくさんありますが、この鳥海山の雪形のように「権兵衛が種撒きゃ、鴉がつつく〜」という唄のとおりの物語性をもった雪形はたいへん珍しいと思います。その特異性を地元の人からもほとんど認識されていないのが残念です。

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下駄箱

 

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私の子どももお世話になっている学童保育所に納品した下駄箱です。もっとも今では下駄をはく人は稀でしょうから、実際は靴箱というべきでしょうか。ここの学童保育所は一般住宅の建物なこともあり玄関が狭くていろいろと支障があるということで、間取りをすこし広げました。下駄箱はその拡張した空間にぴったり収まるように作っています。

サイズは基本1間幅の1688mm、奥行350mm、高さは本体が930mmで、その上に厚さ35mm幅380mmのタモの無地の一枚板が載る形になります。タモ板のほうは先に大工さんに渡して建築工事のひとつとして壁に固定してもらいました。

下駄箱本体は米国産のパシフィック-コースト-メープル(PCメープル。通称ソフトメープルの代表的な樹種)の無垢板で、ほぼ無地のものでこしらえています。靴を載せる棚板は全部で30枚あるのですが、50mmピッチで金属製のダボ穴を埋め込んでいるので、スニーカーやサンダル、長靴やブーツといった靴の大きさに合わせて間の高さを自由に変えることができます。幅は子どもの靴だとだいじょうぶですが、成人男子の靴ではちょっと窮屈。しかしこれくらいに詰めないとみんなの分が入りません。

雨や雪の日などはどうしても下駄箱も濡れたり汚れてしまいますが、セラミックパウダー含有の二液型ポリウレタン塗装を4回施しているので、棚板をはずして軽く水洗いすることも可能です。

空間と予算がじゅうぶんにあれば、既製品のもっと個別的余裕のあるサイズの下駄箱を置くこともできると思いますが、それが無理な以上は特注でこのような下駄箱をあつらえるしかありません。さいわい今回の下駄箱は子どもたちや指導員の方にも好評のようです。

 

コーヒーブレーク 46 「百獣の王」

 

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初蝶に光をあたえ空あたえ

平地ではすっかり雪も消え、晴れさえすればかなり暖かい日が多くなってきた。室内でももう少しすれば暖房をしないでも朝晩を過ごせるようになるだろう。野の花もいろいろ咲き始めるが、やがて蝶がとび交うようになる。たとえばモンシロチョウやモンキチョウなどであるが、すこし山あいに行けばギフチョウやヤマキチョウ、スジグロシロチョウ、ウスバシロチョウなどにも出会えることがある。/日本には約270種ほどの蝶が生息しているという説もあるが(亜種や迷蝶も含む?)、俳句ではモンシロチョウ等の小型の蝶は春の季語とされ、アゲハ類の大型の蝶は夏の蝶とされている。それ以外の季節、秋と冬は「秋の蝶」「冬の蝶」と十把一絡げという具合で、かなりいいかげんである。

春夕べ百獣の王が叱られている

年に2回くらいは家族で動物園に出かけている。比較的近くて大きな動物園というと秋田市の大森山動物園ということになるのだが、それでも車で正味2時間はかかるので、お弁当も持参しての一日仕事ではある。ゆるやかな起伏のある園内をずっと歩いて回るので、真夏はちょっときびしく、春や秋のおだやかな陽気の頃がいい。大森山動物園は高校生以下はなんと無料という大判振る舞いを昨年から実施しているし(大人は720円)、午後1:30〜2:15の「なかよしタイム」ではウサギやヒヨコやモルモットなどにさわることができる。昨秋は比内地鶏の生後1週間のヒヨコを手に受けて、妻も大喜び。特別イベントの「動物ふれあいフェスティバル」のときには、私も生まれてはじめて蛇(アオダイショウ)を手に持った。おすすめ。

種袋全開の花ばかりなり

植物の種、とりわけ花卉類の種子の場合は、市販の種袋には花が完全に開き切った状態の様子がカラー印刷できらびやかに描かれてあることがふつうである。とうぜんといえばそれはとうぜんではあるのだが、全開ということは盛りの頂点であって、あとは衰退するばかり。一抹の淋しさを漂わせてもいる。しかし花は花芽の段階から蕾へ、そしてそれがしだいに膨らんで大きくなり形も色も変えていく過程もたいへん興味深い。一例をあげるならばシクラメンという非常にありふれた花でさえ、雨傘のように硬く巻かれてある花びらが徐々にほぐれてゆくさまは、私は開き切った花以上にたいへん美しいと思う。

 

バーニングペン

 

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電気式の小さな焼きごてで、木材や皮革などに文字や記号、模様やイラストなどを書き込むための道具です。お客様から記念品のキーホルダーの製作を依頼されたのですが、グループ名の漢字を書き込む適当な方法がみつからず、費用や見栄や耐久性など、いろいろ考えた末にバーニングペン(電熱ペン)を使うことにしました。ただ当工房ではこれまで使った経験がなく、そのための道具も手元にはなかったので、導入費用の一部をお客様にもご負担していただくことで了解を得ました。ありがたいことです。

購入したペンは白光(HAKKO)の「マイペン アルファ FD210-01」という製品です。普通の100V交流電源にコードを差し込んで使いますが(出力は13V)、ペン先の温度は室温〜550℃まで無段階でダイヤルで調整できます。このセットには2種類のペン先と専用のペンスタンド、ペン先交換用のゴムパッドが含まれています。ペン先は取り扱い説明書には16種類載っており、ウッドバーニングだけでなくカービングアート用や彫金用のペン先などさまざまなものがあるようです。

写真左でペンスタンドに差し込んでいるペン先は先端が約1mmの、ボールペンの先のような形のものですが、試しに本体のスイッチを入れ木材の切れ端に文字やイラストを書いてみました。温度設定とペンを動かす速度によって焦げ茶色から黒色まで自由に簡単に表現できます。要するに木を焦がしたり炭化させているわけで、インクやシールなどのように退色したりはがれてしまうことはないので、これは今回のキーホルダー以外にもいろいろ活用できそうです。

写真だけを見るとプラスチック製の玩具みたいな外観ですが、実物は本体の重さ0.8kgとけっこう重くがっしりとした作りです。ペンスタンドの方は鋳物のようです。それらに同じ色の艶消しのオレンジの塗装を施しているのですが、安っぽい感じではありません。

 

ノミノフスマ

 

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工房の入口のところに白い小さな花がたくさん咲いています。ざっと300くらい。ときどき靴で踏まれたりもすることもある場所なので、草丈は5cmもなく、地面にほとんどはいつくばっているような感じです。花の直径も7mm程度で、しゃがんでよく見ないと花や葉の形などもよくわからないほど。

これはノミノフスマ(蚤の衾)といって、ナデシコ科のハコベの仲間です。ハコベよりは若干花が大きいのと、葉が全体的に丸みをおびた長楕円形で、ハコベの卵形の葉のように先細りの葉ではありません。和名は長さ1〜2cmの小さな葉を蚤の夜具(衾)にたとえたものです。まあ全体的にそういったかわいらしい雰囲気はありますね。花弁は5枚ですが、深くふたつに切れ込んでいるので、ぱっと見ると10枚のように見えます。

工房の敷地内には他に白花と青い花のキクザキイチゲや、ヤブツバキの北方型ともいうべきユキツバキが咲いています。今冬は雪が少なかったので、春の花が咲くのが例年よりはやいようです。

 

大型の糸巻

 

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身内から頼まれて作った、大型の糸巻きです。畑仕事の際に、苗を植えたり種を撒いたりするときの位置決めに細縄を張るのですが、左は何十年も使って痛んできていたもので、おそらく材料はマツ。右が今回新しく作ったもので、材料はヒノキです。ホゾ組みして込み栓も打ってあるので長持ちすると思います。大きさは横280mm、縦325mm、厚さは28&30mmです。

他にも納期のせまった仕事があったのですが、日頃なにかとお世話になっている方からの注文とあっては超特急でやらざるを得ません。ただ本職としてはやる以上はそれなりのものを作らないと、といつも考えます。

 

シテ句会 2015.3.19

 

すこし遅くなりましたが、3月19日に行われたシテ句会です。奇数月の第三水曜日に開催する決まりになっているのですが、今回は幹事・司会役の仕事の都合で木曜日となりました。『シテ』は短詩形文学の作品発表と批評を目的とする同人誌ですが、6号を先頃発行しています。メンバーは酒田市在住を中心に現在9名です。俳句も短詩形のひとつということで、外部にも開いたかたちで句会を行っています。今回の参加者は相蘇清太郎・阿蘇豊・伊藤志郎・今井富世・大江進・大場昭子・加藤明子・金井ハル・高瀬靖・南悠一の10名でした(敬称略)。

『シテ』6号にも小論として書いたことですが、句会の進め方はごく一般的なものです。事前に無記名で2句投句、清記された2枚の句群から参加者が当日その場で2句ずつ選句し、合評が終わってから作者名を明かします。先入観を排し、できるだけ忌憚のない、また遠慮会釈のない批評をうながすためのよくできた仕組みだと思います。

以下はいちおうこの句会で主宰をつとめる私=大江進からみての講評です。もちろん文学ではこれが唯一の正解というのはなく、各自好きなように思うように詠んだり解釈すればいいのですが、異論・反論がありましたらぜひコメントをください。では第一幕から。各句の頭の数字は得点です。

5 黒猫のごおと息せり星月夜
4 春めくやのんびりお茶も冷めていく
1 あおやぎや犬のまなこの柔らかき
0 川底にシャケのむくろ身白く在り
2 春疾風子鼠転ぶ朝かな
2 電柱の影をたどりてばんけ摘む
0 春夕べ百獣の王が叱られている
1 そよ風によろめき摘むやふきのとう
2 言いそびれて熱っぽい二月チョコを買う
3 雪しろの染めかえたるか波の青

最高得点は1句目の<黒猫の〜>です。星月夜は本来的には秋の季語とされているものですが、月夜かと思うほどの満天の星のもと、黒猫がなぜかごおと大きな息をしています。星月夜はただ美しいだけでなく一抹の不気味さや冷酷さといったものも感じさせますが、それが尋常ならざる猫のようすとうまく響きあっているようです。私も取りました。作者の相蘇清太郎さんによれば、これは飼っていた黒猫の最期の吐息とのこと。それをきくとますます訴求するものがあります。力が尽きて、肺にたまっていた空気が一気に抜けていったんでしょうね。

次点の4点句は2句目<春めくや〜>ですが、きびしい冬もようやく終わりがみえてきて、のどかな気持ちになってきたなあというのはよく分かるのですが、それだけという気もします。陽光がふりそそぎ、木の芽もふくらんできて、そんな景色をのんびり眺めているうちにお茶もぬるくなっていったのでしょうが、あまりにも予定調和にすぎませんか。「じじむさい」という声もありましたし……。作者は阿蘇豊さん。

次は3点句で10句目の<雪しろの〜>です。雪しろは雪解水でありそれが集まって流れ下る早春の河川のことでもあります。とりわけ強い雨が降った後は急激に水量が増し、泥水も混じって濁った色合いになってしまいます。しかしそれも時が経つにつれてしだいに濁りが取れ、青緑色の流れに変わります。ただ下五の「波の青」がいまひとつ分かりませんでした。作者の今井富世さんは河口の気水域の波の青さと言われるのですが、それではかえって焦点がぼけてしまったように思います。さすがの雪しろも海に入ってその青さに没入してしまったとするなら、それは<白鳥は哀しからずや海の青空のあをにも染まずただよふ>(若山牧水)の反歌みたいな。

2点句は三つです。5句目の<春疾風〜>は私も取ったのですが、この鼠は幼い鼠というよりもカヤネズミのような成体でも数センチしかないくらいの小さな野生の鼠が似合います。たしかに烈風に吹き飛ばされてしまいそうです。ただし表記的には全体的に漢字がひしめいて窮屈すぎる感があるので、<春疾風子ねずみ転ぶあしたかな>くらいにすると、小鼠の愛らしい雰囲気も出るかなと思います。作者は大場昭子さん。

次の2点句は6句目の<電柱の〜>です。道ばたに萌え出している蕗の花を摘んでいるようですが、電柱の影と山菜との取り合わせはどうでしょうかね。実景かもしれませんが、もっとふさわしい対象がありそうです。作者は加藤明子さん。三つ目の2点句は9句目の<言いそびれて〜>ですが、バレンタインデー周辺の景であることは明らかですし、あまりよろしくない意味で女子高生の俳句みたいですね。チョコだけに甘過ぎ。とくに上句の「て」は不要でしょう。作者は金井ハルさん。

3句目の<あおやぎや〜>は初めは貝のアオヤギか?とも考えたのですが、青柳のことのようです。だとするとイコール下五の「柔らかき」そのままなので、付き過ぎです。作者は南悠一さん。4句目の<川底に〜>は産卵・放精を終えたサケの遺骸のことですが、実景そのもので膨らみに欠けます。その先を詠むか視点をかえてほしいです。作者は伊藤志郎さん。

7句目の<春夕べ〜>は私の句ですが、点は入りませんでした。百獣の王と称される雄のライオンが、動物園で飼育係または雌のライオンに叱られている、そのちょっと滑稽かつ哀愁をおびた感じを出そう思ったのですが……。8句目の<そよ風に〜>は実際にそうだったのかもしれませんが、やはり大げさで、しっくりしません。作者は高瀬靖さん。

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参加者10名くらいでも、全部の句に、かつできるだけ皆さんから意見を出してもらうようにすると、あっと言う間に1時間以上が過ぎてしまいます。自由闊達に発話するのはいいのですが、冗長になったり横道にそれすぎないようには注意しないといけません。小休止のあと第二幕です。

4 初蝶に光をあたえ空あたえ
6 おにはそとどすんと雪が落ちてくる
1 ひっそりと蔵のある町落椿
1 櫃開くる去年の桃の香風に舞い
3 草もちを頬ばりをれば月の山
2 日だまりをひろうて咲くや蕗の花
3 納豆汁最後のいもがら仲直り
0 ごおと言う鵙の息ありや父逝けり
2 ネピアで洟をかむ山が雪崩れる
0 春渚波もおのずとソラシドレ

最高得点は2句目<おにはそと〜>です。もちろんこれは節分の日の追儺(ついな)で、「鬼は外、福は内」という豆撒きのかけ声です。節分は立春の前日で、新暦では2月3日頃ですが、寒さはまだ厳しく冬のまっただ中ながらも、晴れれば日中は気温があがり暖かい日もあります。そんなときは屋根に積もった雪が一気に落下することも。しかしそういう理屈よりも、まるで「鬼は外!」という大きな叫び声が屋根の落雪をさそったかのようです。この句は上五のセリフや中七の「どすんと」が効果的です。私も取りました。作者は伊藤志郎さん。

次点4点句は1句目の<初蝶に〜>です。初蝶は春先に出てくるモンシロチョウやキチョウなどの小型の蝶のことで、春の季語となっています(アゲハ類の大型の蝶は夏の季語)。蝶が舞うようになると、ほんとうに春が来たのだという気持ちになりますね。それをリフレーンで光と空をあたえとたたみかけるのは、効果的ではあるものの安易というそしりもあるかもしれません。作者は私ですが、果たして蝶に光や空をあたえたのは誰かという話にもなりました。私は無神論者ですので、神様仏様ではなく大自然や自然の摂理が蝶にあたえたのだと考えています。

3点句はふたつで、5句目の<草もちを〜>は定型のよろしさという声がありましたが、その通りでしょうね。草餅だからそれほど上品ぶらずに口をあんぐりと開けて食べたのでしょうが、口を大きく開けるとおのずと顔がすこし上向きになります。そうしたら月山が視野に入ってきたという景でしょうか。草餅だからいいと思います。作者は高瀬靖さん。

次の3点句、7句目の<納豆汁〜>は、私にはどうもうまく受け取れませんでした。仲直りしたのは誰なのか(何なのか)、判然としません。いもがらその他の具が入って混沌としていた納豆汁が、食するにつれ整然としてきたことを仲直りとみたという解釈もありましたが、すこし無理があります。作者の金井ハルさんによれば、仲直りしたのは共に納豆汁を食べていた人間のほうだとのことですが、それも説明されないと分からないです。

2点句は2句ありました。6句目の<日だまりを〜>は、フキノトウ(蕗の薹)の説明そのままです。日だまりではなくもっと別のなにかを拾う・追うとしたらどうでしょうかね。作者は今井富世さん。9句目の<ネピアで洟を〜>はティッシュペーパーのブランドのネピアのことで、それはすぐ分かるものの、さすがにそれで山が雪崩れるのは飛躍しすぎかなと感じます。さきほどの2句目の「おにはそと」と落雪はすんなりと納得できますが、洟をかむのと雪崩は、付き過ぎならぬ離れ過ぎかと。いえいくら離れていても、読者の腑に落ちさえすればなんでもかまわないのですが。作者は南悠一さん。

3句目、<ひっそりと〜>は常識的。4句目、<櫃開ける〜>はやはり常套的かつ素材が多すぎ。8句目の<ごおと言ふ〜>はモズとではやや付き過ぎでしょう。第一幕の<黒猫の〜>と比較すると同じ作者ですが差は歴然としています。10句目の、<春渚〜>は言葉遊びで終わってしまっていませんか。作者は順に大場昭子さん、加藤明子さん、相蘇清太郎さん、阿蘇豊さん。辛口どうかご容赦を。

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私はこれまでいくつかの句会を経験しましたが、10名くらいがちょうどいいですね。多くてもせいぜい20名くらいまでで、それ以上になると選句もたいへんだし、批評も高得点句などごく一部の句に限定されてしまいます。また、じっくりゆっくりと、あるいは多面的視点で選ぶ余裕がないので、形のできた分かりやすい句のみに点が集中するきらいがあります。「高得点句に佳句なし」といわれる由縁です。

逆に参加人数=投句数がすくなすぎると、まあだいたい誰の句か推測できてしまうので、作者と切り離して作品自体を語るという原則が崩れてしまうおそれがあります。なれ合いに陥る危険もあります。

得点もそれはたくさん入ればうれしいには違いありませんが、誰がどの句を取ったかということや、どのような批評がなされたかということはもっと重要です。俳句は五七五とたいへん短いがゆえに解釈が多様になることが多く、作者がまったく想定していなかった読みがなされることもしばしばです。

作者はその句が生まれた情景や背景をとうぜん知っていることで、逆にそのことに強くとらわれてしまうことがあります。読み手は理想的には作品そのものと向かい合うので、その差が句会では露呈するわけです。しかしそれはもちろん欠陥ではなく、句が飛躍する契機となります。だからこそ句会はおもしろいと思っています。