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木取ふたつ

 

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椅子とそれに合わせたサイドテーブルを1組製作しています。写真上がクルミ材で椅子の木取(きどり)と一次下拵(したごしらえ)が終わった各部材、写真下が建築解体材のマツ(松) で   サイドテーブルの木取と一次下拵を終えたものです。

木取は素材から甲板なら甲板を、脚なら脚になる部分を大まかに切り出すことです。材料は天然の無垢材なので、家具としてのできは木取いかんで三分の一くらいは決まってしまいますし、いちばん迷い悩むところです。図面の寸法に合えばいいだけでなく、木目の調子や向き、色合いのバランス、そしてもちろん材料コストも 考えながらすこしづつ素材から切り出していきます。

下拵えは、木取でおおまかに取った材料を、最終的に用いる厚さや幅や長さに決めていくことですが、地域や人によっては「木作り」とも呼んでいるようです(どちらの言い方が正しいor正しくない、ということではありません)。当工房では下拵といい、最初にある程度の寸法に整えていく作業が一次で、1週間くらい寝せた後に必要に応じて二次・三次と削ったり切ったりして最終寸法にします。今回は一次下拵で厚みと幅はプラス3mm程度までできたので、二次までやれば寸法は決まると思います。長さについてはホゾの加工や、組立時の掴み代などの関係で、プラス15〜30mmにしておきます。

じつはこの記事は1週間以上前に下書きしたものですが、ブログのサーバーの不具合があって写真をアップできなかったため、発信を保留していました。サイドテーブルのほうはすでに完成しており、いま椅子の加工をしているところです。

 

ブログの不調

 

先月の末頃からブログが不調です。当ブログはWordPressというフリーソフトで作製しているのですが、それをインターネット上に載せるのにサーバーが必要です。これまで4年間くらいはとくに大きな問題はなく編集・発信できていたのですが、WordPressが新しいバージョンに自動更新されたたとたんに、ブログを開くこともできなくなってしまいました。レンタルしているサーバー側のソフト(?)がWordPressの新しいバージョンには対応していないとのことだったようです。

私はパソコンについてはよくわかりません。それは自動車の運転はまあ普通程度にはできても、自動車が動く細かい仕組みや、整備や修理や改造はまったくできないことと同様です。サーバーを管理している業者の方に連絡しましたが、「◯◯を△△するとだいじょうぶです」と言われても、操作以前にその◯◯や△△という単語自体が理解できません。

その後、ブログのデータを別のサーバーに移行してもらい、WordPressの新しいバージョンでの閲覧はできるようになったのですが、新しい投稿のほうはテキストはいいのですが写真はなぜか投稿できません。当ブログは自分で撮った写真もできるかぎり添えて発信するように心がけているのですが、その原則を維持することができない状態です(具合がわるくなる以前に下書として編集済だった写真の発信は可能なようです)。

このままではらちがあかないので、サーバーを管理してもらっている業者の方に近日中に自宅に来ていただいてこのMac本体でいろいろ手当をしてもらうつもりでいますが、もちろん無料ではないので頭の痛いところです。

サーバーをレンタルしている業者の方に来ていただいて、いろいろ調整してもらいました。これで問題なくまたブログの更新ができそうです。(2015.5.27)

 

 

シテ句会 2015.05.13

 

1週間ほど前になりますが、5月13日にシテ句会を開催しました。本来は奇数月の第3水曜日夜に行うことになっているのですが、その5月20日がちょうど酒田祭りに重なるということで1週間早めたものです(ちなみに次回の句会は7月15日を予定しています)。『シテ』は現代詩や俳句・短歌といった短詩型文学の作品発表&批評を目的とする同人誌ですが、現在6号まで発行しています。こちらは年3回の発行で、7号は7月発行の予定です。

今回の句会の参加者はシテの会員と外部からの参加もふくめて6名でちょっと少なめ、出句は7名で、伊藤志郎・今井富世・大江進・大場昭子・加藤明子・齋藤豊司・南悠一の各氏です。事前に無記名で2句投句し、当日は清記された2枚の句群のなかから2句ずつ選びます。取った弁、取らなかった弁を一通り披瀝したあとで作者名が明かされます。これは先入観を排し忌憚のない批評を行うための仕掛です。

以下はこの句会でいちおう主宰をつとめる私=大江進からみての講評です。辛口ご免。異論・反論はどうぞ遠慮なくお願いします。各句の冒頭の数字は得点です。では第一幕から。

2 春眠より目覚めおれば春になっており
3 天高く囀るヒバリ疲れぬか
1 いもうとの腿を舐めてる鎌鼬
1 コシアブラ葉一枚の春を食べ
0 梅桜花見に土筆顔を出し
3 流浪牛瞳黒々原発忌
2 つばくろはきらりきらりと風を切り

最高得点3点句はふたつあり、まず初めの2句目<天高く〜>です。たしかに地上から空へと勢いよく繰り返し飛び立つヒバリをみていると、あれで疲れないのかなという気はしますね。ヒバリは縄張りを主張したりしているのでしょうが、それを眺めている作者のほうもすこし疲れ気味なのかも。ただ下五は疑問形でなくともいいかとか、「天高く」は秋の季語じゃないのとか、囀(さえずり)はとくに今の季節だとどうしてもウグイスを連想してしまうというきらいはあるかもしれません。私も取りましたが、作者は伊藤志郎さん。

もうひとつの最高点は6句目の<流浪牛〜>です。一読して4年前のあの大震災のことだとわかります。ぜんぶ漢字表記なのも3.11の過酷と悲惨を感じさせます。放射能で汚染された土地に少なからぬ元家畜や動物が棲んでいるのですが、ひどい状態になっていることはまちがいありません。それでいっそう牛のあの大きなつぶらな瞳が痛ましく感じられます。しかし「流浪牛」というのはどうでしょうか? 流浪というよりもはっきり言って放棄・廃棄された牛ですね。流浪牛では情緒的で造語的になってしまうので、もっと他の表現がないかなと思います。作者は大場昭子さん。

次点2点句もふたつです。1句目の<春眠より〜>は、一見すると当たり前のようにも思いますが、よく読むと変ですね。ふつうに就眠、あるいはちょいと昼寝くらいのつもりで寝たのですが、覚めてみたらどうもようすがおかしい。春にはちがいないもののひょっとして別世界の、あるいは100年後の春に来てしまったのか? といったところです。神話や浦島太郎の昔話などを連想させるという意見がありましたが、まさにそんな感じです。作者は私です。

もうひとつの2点句は7句目<つばくろは〜>です。平明で語調もいいですが、燕が風を切るというのは平凡すぎるようです。中七の「きらりきらりと」を別の擬態語にするか、下五を風ではなくもっと別のものを切るなどして、自分の句にしたいところです。作者は今井富世さん。

1点句<いもうとの〜>は私だけ取ったのですが、全7句のうちではいちばんの問題句。「いもうと」は妹だけでなく妻や恋人を意味する場合もありますが、いずれにしても鎌鼬が女性の腿を舐めているというのですから、ちょっと異様ではあります。エロチシズムというよりももっとおどろおどろしい雰囲気です。鎌鼬は冬の季語で、突然皮膚が鋭利な刃物で切られたように傷が付く現象のことです。足元に多いことから、まるで鎌のごとき鋭い歯をもったイタチのしわざであるという、それはもちろん迷信ですが、ほんとうの原因はよくわかっていないようです。作者は南悠一さん。

4句目の<コシアブラ〜>は近頃有名になった春の山菜ですが、天ぷらなどにするとおいしいそうです(ただし山菜のなかでもとくにコシアブラは放射能を溜めやすいので私は食べません。庄内地方はなんとかセーフかもしれませんが、他はアウト)。とは言ってもそれが春のひとかけだというのでは常識的で説明的。コシアブラは歳時記には春の季語としては収録されていませんが、世相的には春のものとしてすでに認識されているでしょうから、ぜひ春ではない言葉を持ってきてほしいと思います。作者は齋藤豊司さん。

点の入らなかった、<梅桜〜>は失礼ながらさもありなんですね。梅と桜と花と土筆ですから、春の季語がそろい踏みです。もちろん有名な山口素堂の<目には青葉山時鳥初松魚>のように同期の季語を連ねて成功している句もあることはあるのですが、やはり難しいです。作者は加藤明子さん。

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さて第二幕です。やはり得点はばらけました。

1 蕗の花二尺の先でチョウの舞い
2 神楽坂路地裏湯屋に夏椿
2 こいのぼり上げて下ろしてまた明日
0 青嵐風車は海に自問する
2 とどまればルネ・マグリットの春の闇
3 犬の目の風を頬張る五月かな
2 さくらさくら桜ばかりでなにも見えぬ

最高得点は6句目の<犬の目の〜>ですが、中七の「風を頬張る」と目とはちぐはぐな感が私にはぬぐえません。上・中・下と切れ目なしに続いているのでよけいにそう思うのかもしれません。作者の南悠一さんによれば飼っているラブラドールが目をしばたたいており、それが目で風を頬張っているみたいだと感じたそうです。が、そういったことは読者にはわかりません。例えばですが上五を「犬の目や」にしていったん切ってしまうのもありかな。切れ字がふたつあることになりますが、それは避けるべきというのは一般論であって、個別具体で結果としてよければべつにかまわないと私は考えています。

次点2点句は4句あります。2句目の<神楽坂〜>は、これはもう伝統的情趣そのもので、よくできている句だと思いますが、すでに何千何万と詠み尽くされている世界です。花が梅や桜ではなく夏椿の白花であるところが救いにはなっていますが。作者は齋藤豊司さん。

3句目の<こいのぼり〜>は、簡明なフレーズで調子のいい句です。ともすれば子どもが作った句のようにも思われるかもしれないのですが、じつはこういった句は意外に難しいかも。私も取りました。ただし予定調和的であって物足りない気もしないではありません。勝手なことを言えばですが、かつひねくれていると思いますが、私なら下五を「暮れにけり」くらいにしますかね。作者は加藤明子さん。

5句目<とどまれば〜>はまず読者がルネ-マグリットときいてどういうイメージを脳裡に浮かべるかですが、やはりたいていは青い空に白雲がいくつも浮かんでいる光景でしょう。したがって画家の固有名詞を出した場合、代表作といわれる絵からのメジャーなイメージに句も規定されてしまいがちです。ところが当句では上・中・下と一続きの文になっていることもあって「マグリットで春の闇か?」という抵抗を覚えます。実際には『闇の帝国』といった、まさしく宵闇を描いた絵もマグリットにはあり、作者=大場昭子さんはそれを念頭に置いているのでしょうが、読み手にはそこまでは伝わりません。

7句目の<さくらさくら〜>は私の句です。俳句で花といえば桜のことであるとか、桜が咲く頃になるとそればかりに関心が向けられる、観桜会や花見といいつつその桜さえろくに観察はされていないことが多々あるといったような事態を嘆いています。俳句の短い言葉でも社会批判や風刺は可能だと思っています。アジテーションになってはいけませんが。

1句目の<蕗の花〜>は下五の「チョウが舞い」がよくないですね。蝶は舞うものですし、わざわざチョウと片仮名表記にした意味も不明です。中七の「二尺の先で」を私は蕗の花から二尺ばかり離れてと思ったのですが、じつは薹がたったフキの背丈のことだそうで、そうなるとますます読み手にはわかりません。作者は今井富世さん。

4句目<青嵐〜>は下五の「自問する」がまったく伝わりません。風車はむろん無生物なので自問することはありませんし、作者がなにごとかを風車に仮託するとしても、なにを問うているのかの手がかりくらいはないと、読者は途方にくれてしまいます。作者は伊藤志郎さん。

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今回は投句者が7名、出席者が6名と少なめになりそうだということで、最後の20分ばかり趣向を変えてみました(全体では18:30〜21:00までの2時間半です)。すなわち既成のわりあい有名な句から、句作の参考または刺激になりそうな句を私が事前に選んでおいて、それを皆さんに観賞してもらうというものです。選んだ句は下の3句です。

先生の背後にきのこぐも綺麗   谷雄介
進化してさびしき体泳ぐなり   正木ゆう子
双子なら同じ死顔桃の花     照井翠

谷雄介さんは「俳句甲子園」出身の方で、現在30歳くらいの方だったかと思いますが、いわゆる若手俳人といわれる中では私はいちばん注目している一人です。しかし、この句は強烈ですね。どう読むかはむろん読み手の自由でいいのですが、私は「きのこぐも」は核爆発のそれであり、「先生の背後」はいまは教壇で自由と平和を唱える教師の、戦中には「鬼畜米英」「一億玉砕」を喧伝していたかもしれないその黒い歴史をイメージしています。むろん今現在の若い先生ととってもいいでしょう。表記が「後ろに」ではなく「背後に」、「きれい」ではなく「綺麗」と、硬い言葉と字面になっているのも計算づくでしょう。

正木ゆう子さんは私が敬愛する俳人ですが、この句では生物学としての進化論を詠んでいると思います。生物はかつてはみな海のものであったのですが、やがて鰭が足となり、四つ足歩行から二足歩行となって人類に至ります。おそらくは人間のみが進化の果てに自意識と言葉を獲得したのですが、それとひきかえに本能が衰退し、大自然や他の生き物との共感能力の多くを失ってしまいました。まさに「さびしき体」になってしまったわけです。泳いでいる水はたぶんすこし冷たいでしょうね。個人ではなく人類としての寂寥感や孤独感が伝わってきます。

最後の照井翠さんですが、この句は3.11の大津波をテーマにした句集『龍宮』に納められた一句です。テレビでは自粛または規制されていましたが、インターネットでは津波に巻き込まれて亡くなった方の無惨な姿も容赦なく映し出されました。手足のちぎれた遺体もありましたし、子供や幼児の遺体も。当句は、泥に汚れ傷も付いていたと思いますが、見つかった遺体は双子であったゆえに死に顔まで同じだったという句です。いえ、実際にそうであったかどうかはわかりませんが、すくなくとも作者はそう感じたということです。下五が「桃の花」ですから、おそらくはまだ幼い女の子だったのでしょう。これは哀しいとか痛ましいとか惨いとかいろいろ言うよりもはるかに強く3.11の悲惨さを表していると思います。

 

36mm平小鉋

 

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上の写真は当工房で使用している小鉋で、左の鉋が今回新調した平鉋(ひらがんな)です。小山金属工業所の「兼友」(かねとも)という銘の鉋で、刃の幅は36mmですが、実際に削れる最大幅は30mmくらい。中央の鉋は同じ銘の「兼友」ですが、昨年5月に購入したもので、こんどの鉋より二まわり大きいサイズの刃幅48mmです。まだそれほど使い込んでいませんが、よく切れる上等な鉋です。

いちばん右の鉋はもう30年近くも使用している刃幅30mmの鉋ですが、じつは今回36mmの鉋を仕入れたのはこの30mmの鉋の代替という意味もあります。片手に入るような小型で軽い鉋は、ちょっとした面取りなどをしたり、材料の試し削りをしたりするのに欠かせない道具だからです。

30mmの鉋はもともとが道具屋さんの棚の片隅で埃をかぶっていたもので、いつどこで作ったのか売っているほうでさえ皆目わからないという状態でした。そのためもあってたしか1500円で他の道具のおまけ的に買ったと思います。作りはあまりよくなくて、刃の厚さも左右で見るからに異なっており、裏刃も鉄板をただ折り曲げたような感じのものです。それでも切れ味はまずまずだったので、長く使い込んできて相当ちびてきました。刃の長さはまだ残っているのですが、研ぎづらくなってきたのと、「兼友」の48mmを使うようになってからは、やはり今一感がだいぶつのってきました。

家具と同様に、木工の道具もサイズがいくらか小さくとも作る手間はほとんど変わらないので、今回の36mm小鉋も定価では1万円をちょっと超えます。寸六の普通の大きな鉋(表示サイズは65mm)でも、安価なものなら買えるような値段です。

 

ムクドリ

 

自宅の台所で食器を洗っていたら、隣の家の畑のところに中くらいの大きさの鳥が十数羽、地上ににおりてきてしきりに地面をついばんでいました。虫を食べているのでしょうか。しかしちょっとついばんではすぐに頭を上にあげ、周囲を警戒しています。この鳥はスズメ目ムクドリ科のムクドリ。全長24cmほどで、当ブログの3/7に取り上げたヒヨドリの30cmよりは若干小さいサイズです。

こちらがガラスごしに眺めているせいか、最短では5mくらいの距離でついばんでいたので、双眼鏡なしでもじっくり観察することができました。しかし撮影は望遠レンズなどないコンパクトデジカメなので、上の写真くらいが限度です。草むらのクリーム色の花のように見えているのは、実際はウシハコベの枯れた花茎です。

 

リカバリードライバー

 

先般、ある家具の組立のときに硬い節に当たってネジがつぶれてしまうことが連続してあり、外すのにけっこう手間取ったこともあって、店頭でたまたま目についたこのリカバリードライバーを購入しました。刃先はプラス2で、長さはグリップをのぞいて100mmのものです。

ドライバーの一種ですが、頭がつぶれたりなめてしまったネジ、または錆びついて固着してしまったネジなどを取り外すことができる、やや特殊なドライバーです。金属の軸が先端から後ろまで貫通していて、後端をハンマーなどで叩いて使うことができます。

写真の品はベッセル(VESSEL)というメーカーの「メガドラ インパクタ」というシリーズの製品で、ハンマーで叩くと刃先が左方向に12度まわるようになっています。貫通ナットにカム回転機構がそなわっていて、特許出願中とのこと。その仕組みでだめになったネジをゆるめて除去するのですが、実際のところそううまくいくのかどうか試してみようと思ったのですが、いざそういう状態を故意に作ろうと思うとうまくいきませんでした。まあそのうちきっと出番があるでしょう。

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コーヒーブレーク 49 「原生林」

 

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春昼の光敷きつめ原生林

原生林あるいはジャングルというと樹木がうっそうと生い茂っていて昼なお暗いというイメージがある。しかし現実には陽光がある程度差し込まないことには植物は光合成ができないので、それほど真っ暗なわけではない。繁茂の密度にしても森林の際こそは隙間なく草木が生えており密度が非常に高いが、すこし森の中に入れば下生えは急速に薄くなりむしろ歩きやすくなるというのが通例である。つまり背の高い樹木がしっかりと生えている場合は林床にあまり陽が届かないので、灌木や草類にとっては繁殖するには厳しい環境だからである。/ただしその高木が落葉広葉樹の場合であれば、春先はまだ葉が伸びておらずそれでいて冬にくらべれば日がずいぶん長くなっているので、林床は意外なほどに明るい。上の写真は鳥海山の鶴間池周辺のブナ林であるが、まだ残雪もあるなか、ブナの若葉が目がさめるほどに美しくきらめいている。

仔蟷螂あまさず蟻に連れさられ

カマキリ(蟷螂。とうろう)は昆虫のなかでもいちばんに獰猛で強いと思われている。たしかに成虫のカマキリは動くものはなんでもすばやく大きな鎌で捕え、すかさずむしゃむしゃ食ってしまう。捕捉率も高そうで、カマキリに狙われたらもうアウトという気がする。/しかしそれはあくまでも大きな成虫のカマキリの話である。まだ小さく幼いカマキリには敵がたくさんいる。ひとつの卵鞘には200〜300くらいの卵が入っているが、それほど多くの卵を産むということは無事に成虫となって次の世代を残せるカマキリはごくわずかしかいないということの証左である。一固体にかぎるなら全滅ということも珍しくないだろう。

足の指十本そろうて青き踏む

裸足になって外を歩くとたいへん気持ちがいい。柔らかく背丈の低い草が一面に生えた野原であればもう最高である。靴を履いた場合とはちがって、足の指で地面をじかに触っている、つかんでいるという感触だ。山登りでも、平地での歩行や散歩でも、ほんとうに理想的な無理のない自然な歩き方のコツをつかむには、いちど靴を脱いで裸足で歩いてみることだ。よくいわれるような、背筋をのばして膝をのばして大股で腕を振って、なんてのはまったくの嘘っぱちであることがすぐわかる。あれは軍隊の示威的な行進であり、あるいは他者の目から見ての美しさを優先するという倒錯した美意識のあらわれでしかない。/快適で無理のない歩き方とは、背筋や膝をはじめ全身のどこにも無駄な力を入れず、歩幅は小さ目に、蹴り出しではなく一歩ずつゆっくり重心移動という感じで歩をすすめることである。地面からの反作用は足・踵・膝・腰・背中・首と、全身をクッションにして分散して柔らかく受け止める。歩くのに基本的に腕は使わないので、腕を振るのは無駄な動作である。

 

ロッカー6台

 

うちの子どももお世話になっている学童保育所に昨日納めたロッカーです。全部で6台ありますが、単品の大きさは幅434mm、奥行600mm、高さ1880mm。和室の床の間を大工さんが改修工事(床の間を除去)をし、その空間にぴったり6台収まる寸法となっています。

材料はスギ(杉)のKD材です。KDというのはキルン-ドライのことで、密閉された乾燥機(釜=キルン)に入れて加熱して水分を落とした材料=人工乾燥材のこと。予算の都合もあって節はけっこう多いものになってしまいましたが、集成材やMDFやランバーコアといった工業的材料にくらべると、無垢の木はだんぜん味わいがありますし、耐久性も高いはずです。

下の方4段に子どもたちのランドセルやバッグなど個人的な持ち物&学用品を入れることになりますが、カラーボックスなどとちがって奥行が600mmもあるので収納力はわりあい高いでしょう。今までは決まった専用のロッカーはなく、玄関や2階への階段の踏板にランドセルなどをずらりと並べていたのですが、これでだいぶ整理整頓ができるようになるかと思います。

 

シャクナゲ&ヒメウツギ

 

自宅で鉢植として飾っているものですが、写真上がシャクナゲ、下がヒメウツギ(姫空木)です。シャクナゲのほうはツツジ科の常緑低木ですが、この鉢植のものは園芸品種で「ヤクシマ交配種」だそうです。西洋シャクナゲというのも園芸店で広く売られていますが、葉の形とか花の感じとか、どうも私は山で見る自生のシャクナゲとの差がありすぎるのでなじめません。やはり日本産のほうがいいですね。

ヒメウツギはアジサイ科の落葉樹ですが、文字通りに非常にコンパクトな花木です。写真のものでは背丈は15cm弱、花の大きさも径13mmほどしかありません。鉢植で室内などでも観賞できるように園芸屋さんがとくに小さく仕立てていることもありますが、地植えでもせいぜい60cmくらいのようです。通常のウツギは樹高1〜2.5mくらい。ただし一個一個の花の大きさは径10〜15mmと、このヒメウツギと同じくらいの大きさです。

 

鳳来山へ

 

5月の連休中に子どもたちと泊まりがけでキャンプに行くつもりでいたのですが、仕事の都合でなかなか日程が決まらないでいるうちに、予定していたメンバーの都合もわるくなってしまい、結局中止に。かわりにせっかくの日曜日ということで、5月3日は自分の子どもといっしょに鳥海山南面にある小ピーク、鳳来山に登ってきました。

予定では上りは湯ノ台口から主稜線伝いに鳳来山、下りは横堂から東側斜面をトラバースする沢追分のコースを考えていたのですが、後者はまだ残雪が多くて夏道が寸断されていたので止めて、往路の往復となりました。何十年ぶりかで南高ヒュッテに入り、昼食休憩に利用させていただきました。

鳳来山は酒田市や遊佐町あたりから鳥海山を眺めた際に、頂上から右にくだるスカイラインの下部にちょっと三角形に小さく見えているピークです。標高は858mで、おそらく戦中戦後にソブ谷地経由で西側斜面から上ってくるルートができるまでは、ずっとスカイラインの主稜線づたいで横堂まで通して行くルートが旧来の本道であったのではないかと思われます。だいぶ薮が繁茂していますが、道型は深く刻まれていましたから。

稜線上の雪はほぼ全部消えており、キクザキイチゲやミヤマスミレ、ツルシキミ、スミレサイシン、エンレイソウ、コミヤマカタバミ、オオカメノキ、オオヤマザクラ、オオバクロモジなどの花が咲いていました。エゾハルゼミの鳴声やウグイスのさえずりも聞こえ、主稜線上〜西斜面のみごとなブナ林を満喫しながらのちょっとしたハイキングです。2枚目の写真で、中央直下にオレンジ色に見えているのは鉄分を多く含む湧水があるためです。