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補強の捨て材接着

 

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厚さが30〜45mmくらいある板を掘り込んで蓋物(刳物-くりものともいいます)を作っているのですが、材料によっては表面からは不明な欠点=ひび割れ、虫食い、腐れなどが出てくる可能性が高いといった場合は、これで大丈夫まちがいないという所まで、木口や木端をちょっとずつ切り詰めます。しかし、製作しようと思っている品物の寸法に対して材料があまり大きくない場合、上記の切り詰めでますますその余裕がなくなってしまいます。上の写真の黒柿もその典型例で、A4サイズほどの仕上がり予定に対して材料の余裕は幅・長さとも数mmほどしかありません。

これをそのままで深く掘っていったのでは、刃物の衝撃などで割れてしまうおそれが大ですし(とくに木口側)、加工の際にクランプなどでしっかりと材料を保持するだけのゆとりもありません。

そのためこのようなケースの場合は、木口と木端に幅30〜40mm程度の捨て材を接着します。品物ができるまでの保護・補強と、木ネジやクランプ等による作業台への固定代・くわえ代を設けるためです。こうしておけば、かなり安心して加工をすすめることができます。

役目が終われば文字通り捨てられてしまう材料なので、通常の家具などに用いるような上等な材料でなくてもいいのですが、狂わないようにそれなりに通直で乾燥していなければなりません。上の例ではすこし節や変色のあるベニマツの余りを使用しています。

 

黒柿角形刳物3点完成

 

黒柿のかなり上等な杢の材料でこしらえた刳物(くりもの)3点です。被蓋(かぶせぶた)が2点、変則的ですが合蓋(あわせぶた)が1点。大きさは縦・横で9〜13cmほどの小ぶりな箱です。

もう1点黒柿で、A4サイズくらいの特大の刳物があるのですが、一気には加工できないので、同じ板から木取した小さめの角形刳物三つを先に仕上げてしまいました。詳細については近いうちにまたご紹介します。

完成の目処がついたものから順々に仕上げていかないと、先行きが心配です。後でまとめて最終の加工や塗装をしようと思っても、予定通りに行くとはかぎりませんから。個展まであと7ヶ月を切りました。

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鳥海山の夕景色

 

昨日の仕事帰りに出会った鳥海山です。あまりきれいだったので、車を農道に入れて20枚くらい写真を撮ったのですが、最初の5時40分にはまだ白い雲と雪だけだったのが、みるみるうちに夕焼けに染まり、5時48分頃には日没となってしまいました。中腹にちょうど雲がわいていたので、鳥海山が空中に浮かんだよう具合になっており、とても美しいです。

景色がきれいだなあと思っても、車を運転しているときや先を急いでいるときは撮影はできませんし、そうでなくとも往来の邪魔・危険にならないような頃合いの駐車スペースがすぐみつかることも稀です。ことに日の出や日没は刻々と表情が変わるので、停める場所を探しているうちに撮影のタイミングを逸してしまうこともしばしば。昨日はグッドタイミングでした。

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個展11月2〜8日に開催決定

 

当工房(大江進)の個展ですが、今年11月2日(水)〜8日(火)開催と決定しました。場所は山形県庄内地方の唯一のデパートである、酒田市中町二丁目の「マリーン5 清水屋」4階の「ミュージアム5」という画廊です。

昨年末くらいから展示する品物を作っているのですが、現在おおよそ半分程度の進捗具合です。当工房のメインの仕事は注文家具ですが、今回の個展はあえて一品ものの小物が中心。厚めの板を掘り込んで作る「くり物」の箱類を約40点ほど展示するつもりでいます。サブは若干量も作っている定番的小物類。

「くる」は掘るという意味の古い言葉ですが、形は丸・楕円・正方形・長方形・多角形・不定形などいろいろで、材料も黒柿をはじめとしてセン・タモ・ケヤキ・クルミ・シャム柿・トチ・キハダ・サクラ・カエデ類など十数種を予定しています。大きさは手の平に収まるくらいの小さなものから、A4サイズを越えるような大きなものまでさまざま。

詳しくはまた追ってお知らせしますが、多くの方にごらんいただければ幸いに存じます。

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コーヒーブレーク 75 「ロボット掃除機」

 

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しかたなく三月まである古暦

新年は1月からなのか4月からなのか? 暦的にはむろん1月からなのだが、学校をはじめ公的機関や団体・企業によっては年度は4月からというところも多い。したがって2016年の1月2月頃に「去年は〜」と言ってもそれは2015年の1〜12月のことを意味してるのか、2014年4月〜2015年3月のことを意味しているのか判然としない。うっかりすると1年近くも誤差が出てしまうので、「それは年のことか? それとも年度のことか?」と確認する必要がある。/それに加えて元号(年号)である。ふだん昭和△年、平成□年という表記を使う習慣がない私は、元号での表示を求められるたびにちょっと不安になる。実際ときどき間違うことがあって、相手から訂正されてしまう。どうして西暦に一本化しないのか。天皇制に連なる元号表記もだいじだと言うなら、せめて西暦と併記するようにしてもらいたい。/明治・大正・昭和・平成ならばまだいいが、それ以前の頻繁に元号が変わっていた時代のできごとを元号のみの記載で書かれても、素人にはまったくいつのことやら見当もつかない。歴史学者なら西暦の併記なしでもすぐにいつ頃の時代か即座に頭にうかぶんだろうか?

新聞の活字小さく雛飾

私は子供の頃に男の兄弟しかいなかったこともあって、家にお雛様をかざったことはない。女の子がいる親戚もあったのだが、やや遠方であったこともあってか雛飾りの記憶はとくにない。しかし大人になってから、仕事がらみでたまに雛飾りに遭遇し、準備や片付けを手伝ったりしたことはある。/その際に雛や諸々の道具を包んだ布の緩衝材として何十年も前の新聞紙が出てくることがある。驚くのは記事の内容よりもまず活字の小ささである。現在の一般的な新聞に比べると本文の字の大きさは面積的には半分もないのではなかろうか。まるで国語辞典でも開いているみたいだ。/テレビがまだない時代では新聞または雑誌はほとんど唯一の情報源であったから、限られた紙幅に目一杯の文字を入れこんだということなのだろうか。ちょっと目のわるい人は読むのがつらそうな気がするのだが。

思案しつつロボット掃除機働けり

ロボット掃除機といえばなんといっても米国のアイロボット社の「ルンバ」が有名である。知人でも何人かがこれを自宅で使っている。しかしアイロボット社は元々はというか今でも本業は軍事ロボットの開発であって、ルンバはその地雷探知用ロボット等の機能を部分的に民生用に活かしたもの。つまり掃除機が売れれば売れるほどロボット兵器も売れるということなんだろう(そう単純な話ではないかもしれないにせよ)。そう思うとわが家では絶対に導入することはないだろうな。マキタの充電式のハンディな掃除機で足りてるし。/ついでに同類のロボット掃除機を調べてみると、1万円もしないものから業務用とおぼしき20万以上もするものまでたくさんの種類とタイプがあり、内外の各メーカーがしのぎを削っているようである。なんでも「ほしい家電」かつ「買ってよかった家電」で大型液晶テレビと並んでトップであるそうな。

 

 写真は鳥海山の西側裾にあたる三崎海岸。約3000年前に猿穴火口から流れ出した溶岩流だが、日本海に面し強風がまともにあたるためか、樹木も剪定したように頭がきれいにそろっている。)

 

保管用木箱の材料

 

10月の個展に向けて、昨年末頃から一品物の蓋物を中心に製作していますが、定番的な小物類(10個単位での複数生産品)の場合のような紙箱ではなく、専用の木箱に収納・保管をし、お客様にお渡しします。一品物は必然的に値段も高くなりますし、実用を越えて飾り物として利用されることも多いので、傷が付かないようにしっかりした専用の箱が一対一で必要です。

入れる品物に対して箱をあまりきっちりに作ると取り出しにくくなるので、指が差し込めるように20mm前後の適度な余裕をもたせることと、品物よりは比較的柔らかく軽めの材料である必要があります。この手の箱にはキリ(桐)が用いられることが多いのですが、当工房では現在キリは使っていないことや、他の用途でふだん使用している材料のほうが都合がいい(無駄が出ない、在庫管理が楽)ので、今回も材料はスプルス(ベイトウヒ)です。北米産の針葉樹ですね。

写真はそのために木取→分決めした板ですが、厚さは7.5mmと5.5mmの二種類。ごらんのとおり無地の柾目の板で、保管用の箱には良すぎてもったいないと言われることがあります。たしかに建具用の特等クラスの45mm厚×4m長さの板をバンドソーで挽き割って作った板ですが、じつはそれ以外のグレードのスプルスは持っていません。大量に箱を作るのであればそれ用の材料を別に仕入れたほうがいいんですけどね。材料単価がまるで違いますから。

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鳥海山のみごとな姿

 

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快晴の空のもと、作日午前9時半頃の鳥海山のみごとな姿です。言うことなしです。

 

シテ句会 2016.3.16

 

奇数月の第三水曜日に開催している恒例のシテ句会ですが、この体制で句会をおこなうようになってからちょうど丸2年が経ちました。隔月とはいえ一度も中断することなく続いています。なによりと思います。『シテ』は現代詩や俳句や短歌等の短詩系文学の作品発表と批評を目的とする同人誌ですが(現在9号まで発刊)、同人の有志および外部の希望者による句会も開いています。場所は酒田駅にほど近い「アングラーズ・カフェ」というお店にて、午後6時半〜9時。

今回の参加者は相蘇清太郎・今井富世・大江進・大場昭子・南悠一の5名と、いつもより少ないです。伊藤志郎&齋藤豊司さんは急な都合により投句のみ。事前に無記名で2句投句し、句会当日は清記された句群(第一幕・第二幕)の中からおのおのが2句ずつ選びます。その句を取った弁、あるいは取らなかった弁などをみなで述べ評し合ったあとで、はじめて作者名が明かされます。こうしたやり方は他の句会でもおおむね同じで、先入観を排しできるだけ忌憚のない批評・意見を出してもらうための古来からの工夫です。

以下の記述は句会の主宰(代表)をつとめる私からみての講評です。ときに遠慮会釈のない辛口批評を含みますが、ご容赦ください。異論・反論はとうぜんあるかと思いますので、コメントをいただければ幸いです。では第一幕から。頭の数字は得点です。

0 暗黒の国土にちり敷き玉霰
1 早池峰の昏き道行うすにごり
2 独楽ひとつ猫のひとりと遊びけり
1 湯につかりみよちやんの春早く来い
2 手袋のやうな手首を拾ひけり
1 黒土の虫の驚く雷一つ
3 山河あり白鳥引きし広さかな

最高得点3点句は最後7句目の<山河あり〜>です。越冬で日本に渡ってきていた白鳥も、冬も終わりが近づくにつれ北方の繁殖地に帰っていきます。白くて大柄な鳥だけに、今まで河口や田んぼなどに群れていた白鳥の姿が見えなくなると、一抹の淋しさ寂寞を覚えますね。佳句ですが、しかしなにかの不在が逆にその空間の広さを感じさせるという表現はよくあることと、はじめに「山河あり」と強くいい最後に「広さかな」とさらにだめ押しをしているところは、どうでしょうか。どちらかに焦点をしぼったほうがいいように思います。作者は大場昭子さん。前回もそうですが、大場さん好調です。

次点2点句は2句あります。はじめの<独楽ひとつ〜>はまず中句の「ひとり」をどう解釈するか迷います。猫が複数いてそのうちの一匹ということか、独楽で遊んでいる猫を眺めているひとりの人間とかけているのか。はたまた上句の「ひとつ」はそうなると単純に一個の独楽とだけみていいのか……。むしろ、やや広い室内に一個の独楽があり一匹の猫がいて、独楽のほうが猫と戯れているととると俄然面白くなるようにも思います。いずれにしても句意がもうすこし鮮明になるように推敲が必要でしょう。作者は今井富世さん。

もうひとつの2点句は<手袋のやうな〜>ですが、これは私も取りました。実景としては、まるで手首とみまがう肌色か血の気の失せたような白っぽい手袋が落ちていたのでしょう。それを逆に「手袋のような手首」としたところが手柄で、とたんに怪しく禍々しい空気が漂ってきます。「やうな」+「けり」という表記も効果的ですね。作者の南悠一さんによると、犬の散歩で道ばたに肌色の手袋が落ちていてたいへん驚いたとのこと。

1点句は3句。<早池峰の〜>は、私も取ったのですが、すこし苦し紛れです。早池峰山は岩手県にある有名な高山ですが、歴史的にも地学的な意味でもとても興味をそそる山ですし、まず名前がいいです。その早池峰山から雪解けの水が流れ出してきているという景だけでじゅうぶん趣があるので、中句「昏き道行」とまで言うとかえって演出過多になってしまいますね。作者は齋藤豊司さん。

次の1点句<湯につかり〜>は童謡のフレーズを援用しており非常によくわかる句ですが、それだけという気も。みよちゃんではなく、作者のオリジナルな言葉がほしいです。作者は伊藤志郎さん。

三つ目の1点句<黒土の〜>は、季語である「虫出し」「虫出しの雷」の説明そのものになってしまっています。春の雷のことですが、啓蟄の頃によくなる短い単発的な雷ということで、早春のまだ草も萌えていない時期なので土も黒々としています。作者は相蘇清太郎さん。

点の入らなかった1句目の<暗黒の〜>は私の句です。金子兜太の有名な句の<暗黒や関東平野に火事一つ>に対するオマージュのつもりもあったのですが、玉霰との対比がちょっと大げさ・重すぎたかもしれませんね。

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第一幕は以上で終わったのですが、新規参加を期待されているNさんが、ちょうど仕事を終えて句会の会場に現れました。ということで、第二幕では急遽Nさんからも選句していただきました。

0 冷え冷えと鈍き光の春初日
3 百三才逝去は一度二月尽
3 さくらもちうぐいすもちととなりあい
2 雪兎いちども跳ねずに死ににけり
1 法法華経職無き朝の目覚めかな
2 淡雪にみちびかれアイス万引す
1 天井よりカメムシ落ちる雪の朝

最高点3点句は二句あります。はじめの<百三才〜>は、百歳をこえての死という大往生ならではの句。奇しくも一・二・三と数字がきれいに三つ並んでいますが、作者の大場昭子さんによればフィクションではなく実際にそうであったとのこと。また「逝去は一度」としたことで、誰でも一度は死ぬのだという事実をこえた哲学的な意味合いがかもしだされてきます。私も取りましたが、いい句です。

もう一つの3点句が<さくらもち〜>です。まあ、どうということのない見慣れた場面で、これだけではものたりないかな。私はすぐ岸本尚毅の<草餅に鶯餅の粉がつく>を思い出してしまいました。それくらいに飛躍すると面白くなると思います。草餅はきな粉がつくのを嫌がっているわけで「そばに来ないでよ、やだなあ」と言ってるという図です。AとBとが隣り合わせになるという句はよくありますが、よほどうまく組み合わせないと。難しいです。作者は伊藤志郎さん。

次点2点句はやはり2句です。<雪兎〜>は実際の動物の兎のことではなく、雪でこしらえた飾り物の兎のこと(冬の季語である兎をわざわざ雪兎と表することは普通ありません)。その作り物の雪兎が跳ねないのではあまりにも当たり前のことなので、この句は全体を寓意とみるべきでしょう。命をまっとうすることなく逝ってしまった幼きあらゆる生き物です。上五でいちど切れるので、上と中・下は別ととってもよく、解釈の幅は広がるでしょう。作者は私です。

もう一方の2点句<淡雪に〜>は、下句の「万引す」がしっくりしません。むろん俳句なので万引という行為自体の是非を問うつもりは毛頭ありませんが、あくまでもその言葉に詩的感興があるかどうかということです。俳句で窃盗・強盗・殴打・殺害などの言葉(と、それに類する言葉)はわりあい見かけますが、万引きはそれらにくらべるとどうもしょぼいからか、私は目にしたことはありません。作者は南悠一さん。

1点句もふたつです。<法法華経〜>はうぐいすのさえずりをあえて漢字で表すことで、まったく違った空気が漂い出ています。こうなると「職無き」も単に無職・退職というような俗世の習いをはなれて、もっと深遠な意味合いにもとれてしまいます。文字面も大事という見本のような句。作者は相蘇清太郎さん。<天井より〜>はたまさかの陽気にうかれてか落下してきたカメムシですが、そのまますぎる描写でただの報告に終わっています。

無得点の<冷え冷えと〜>は全体が無駄なリフレインで、しかも下五の「春初日」は春の日のことなのか、新年の初日のことなのかもはっきりしません。

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いつも句会の事務方・司会・進行役を務めていただいている南悠一さんが、3月12日の朝日新聞の記事のコピーをもってきて配布してくれました。東日本大震災から5年が経過し、それを機に東北在住の詩人・歌人・俳人が作品を寄せたもの。詩は秋亜綺羅、短歌は本田一弘、俳句はてるいみどり(照井翠)の各氏の新作ですが、圧倒的に俳句のできがいいです。
春の底磔のまま漂流す
大切のしら骨のもう海のもの
春の泥しづかにまなこ見開かる
塞き止めてわたくしは湖哀しみの
雛まつり遺影外され伏せらるる

 

丸形被蓋くり物6点 個々のご紹介

 

当ブログでたびたび言及していますが、今年10月に酒田市内の画廊で個展を開きます。それに展示する新作を昨年12月頃からすこしづつ作り貯めているのですが、今回は2月分に続いて旋盤加工による丸形の器です。基本形状はいずれも蓋が実にすっぽりとかぶさる形の被蓋ですが、やや変則的なものもあります。

材料は黒柿が5点、オニグルミが1点の計6点です。大きさとしては手の平にちょうど収まるくらいのものから、片手で持つにはすこし大きすぎるものまでいろいろです。直径(10〜13cm)がすこし変わるだけで、見た目のボリューム感はずいぶん異なります。

仕上げの塗装は黒柿は艶々の鏡面塗装、オニグルミは艶を半分程度抑えた半艶(5分消し)塗装です。黒柿はやはりできるだけ艶があるほうがその独特の黒い紋様が映えると思いますし、逆にオニグルミやタモやセンなどはすこし艶を消したほうがしっとりとして好ましい感じがします。内側はすべて艶消し(全消し)塗装です。

 販売価格については個展開催の直前にならないと確定しません。しかし製作原価から計算してのおおよその値段を算出することはできますので、仮予約という形での予約は受け付けています。ただし納品は原則として展示会終了後となりますし、お支払いも画廊との売買・契約というかたちです。ご興味のある方はメールにてお問い合わせください。

 

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No.509 黒柿丸形被蓋くり物 サイズ 直径118×高さ40×実の深さ26mm 黒柿の極上の孔雀杢。被蓋ですが実(み)の下部のほうだけ蓋の径と同じ大きさにした変形の被蓋です。蓋も上の縁にわずかな段差をつけて実のほうの形状とバランスをとるようにしています。

 

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No.510 黒柿丸形被蓋くり物 サイズ 直径129×高さ39×実の深さ25mm 上の509より一回り大きく、また被蓋もいくらか膨らんだスタンダードな形式です。杢は蓋の全面ではありませんがやはり孔雀杢となっています。

 

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No.518 鬼胡桃鶉杢丸形凹面被蓋くり物 サイズ 直径128×高さ44×実の深さ27mm オニグルミに鶉(うずら)の羽根の重なりを想わせるような変わった杢が生じています。写真ではよくわかりませんが、蓋は通常とは反対にすこし凹んだ形状。実のほうも下部をすこし大きくして蓋と外面をそろえた変形の被蓋です。

 

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No.519 黒柿丸形被蓋くり物 サイズ 直径107×高さ33×実の深さ21mm 519〜521および前に完成した513は、黒柿の一枚の板から連続的に木取したもので、紋様もつながっています。実のほうには黒い模様が出ていませんが、やはり蓋と共木です。材料がやや薄い28mmの板から旋盤で削り出しているために、手の平にちょうど載るくらいのコンパクトなサイズです。白黒がはっきりしたバランスのとれた杢ですが、上面にとどまっているのがちょっと残念。

 

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No.520 黒柿丸形被蓋くり物 サイズ 直径103×高さ29×実の深さ18mm 上の519の続きの材料です。だんだん蓋の黒い紋様がすくなくなってきましたが、このような景のはっきりしたもののほうを好まれる方もいます。サイズもだんだん小さくなっていますが、これはきれいな面が出るまですこしずつ削って成形しているため。 売切れ

 

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No.521 黒柿丸形被蓋くり物 サイズ 直径102×高さ27×実の深さ17mm もう蓋の黒い紋様が消えかかっています。白い部分が多いのですがそれにも濃淡があり、夜明けまたは日没の海辺の光景(黒いのが岩礁)のように見えなくもありません。 売切れ

 

コーヒーブレーク 74 「ざぶざぶと」

 

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雪兎いちども跳ねずに死ににけり

雪兎は元々は来訪されたお客へのもてなしで、お盆に半楕円球に盛った雪を、耳は椿などの葉で目は赤い木の実を用いて、兎に模したもののようである。これは「見立て」の一種であるが、子供の遊びというわけではない。しかし現代の家屋では暖房が効いていてすぐにだめになってしまうので、そうした余興は成立しないだろう。/昔は暖房といっても炬燵や火鉢や囲炉裏くらいの局所的な暖房であって、それらのすぐ近くにいればこそいくらか暖かいものの、すこし離れれば戸外とたいして変わらない寒さであった。厳冬期は室内のものも水気を含むあらゆるものが凍ってしまうというのが普通の暮らしである。朝目を覚ますと自分の呼気でふとんがうっすらと白くなっていたということも。

暗黒の国土にちり敷き玉霰

金子兜太に「暗黒や関東平野に火事一つ」という有名な句がある。私もこれは名句中の名句と考えている。彼が第二次世界大戦時に従軍していたこともあり、句中の火事を米軍爆撃機による空襲の火事と解釈する向きが多いようだが、なにもそれに限定する必要はないだろう。むしろ私は電気照明がまだない江戸幕府以前の世界や、それ以後であっても電灯の普及が遅れた、都市部ではない周辺の辺鄙な地方を想起する。月も星も見えないまっくらな闇夜に、どこかの火事の明かりが小さく天を照らしている光景が目に浮かぶ。「関東平野」というずいぶん大きなもの不可視のものと、それと対照的に「遠火事」の実景的ではあるものの小さな明かりを並べてみたところはさすがというしかない。/火事は冬の季語である。寒いときには火による暖房を用いるしかなかったためということらしい。手元の歳時記には説明として「冬は空気が乾燥しているので、〜」とあって、それは雪があまり降らない太平洋側のことを言ってるにすぎないことがわかる。雪国は冬ぶんは逆に湿度が高くなるので、この説明はあてはまらない。

ざぶざぶと鯨の碑より春の虹

たしか地元にも鯨の碑(いしぶみ)があったはずだと思っていたが、ちょっと調べきれなかった。当地では日常的に鯨を捕獲するよな漁撈文化は存在しないので、たまたま何かの拍子で浜辺に打ち上げられた鯨に驚き、それを弔ったものだったように記憶している。/鯨ではないがサケやナマズやクマの碑というものもよくあり、それらは他の動物の命をも大切なものとして考えたからというよりは、それもいくらかはあったにせよ、もともとは食料源として古来より大量に捕殺してきた鮭などのたたりを恐れたからというのが本音であろう。自分が殺したのにその相手からの怒り恨み祟りをしずめるために祀るという、人間同士の争いにもよくあるパターンで、どこまでも自分たちの一方的な都合なのだ。