雪兎いちども跳ねずに死ににけり
雪兎は元々は来訪されたお客へのもてなしで、お盆に半楕円球に盛った雪を、耳は椿などの葉で目は赤い木の実を用いて、兎に模したもののようである。これは「見立て」の一種であるが、子供の遊びというわけではない。しかし現代の家屋では暖房が効いていてすぐにだめになってしまうので、そうした余興は成立しないだろう。/昔は暖房といっても炬燵や火鉢や囲炉裏くらいの局所的な暖房であって、それらのすぐ近くにいればこそいくらか暖かいものの、すこし離れれば戸外とたいして変わらない寒さであった。厳冬期は室内のものも水気を含むあらゆるものが凍ってしまうというのが普通の暮らしである。朝目を覚ますと自分の呼気でふとんがうっすらと白くなっていたということも。
暗黒の国土にちり敷き玉霰
金子兜太に「暗黒や関東平野に火事一つ」という有名な句がある。私もこれは名句中の名句と考えている。彼が第二次世界大戦時に従軍していたこともあり、句中の火事を米軍爆撃機による空襲の火事と解釈する向きが多いようだが、なにもそれに限定する必要はないだろう。むしろ私は電気照明がまだない江戸幕府以前の世界や、それ以後であっても電灯の普及が遅れた、都市部ではない周辺の辺鄙な地方を想起する。月も星も見えないまっくらな闇夜に、どこかの火事の明かりが小さく天を照らしている光景が目に浮かぶ。「関東平野」というずいぶん大きなもの不可視のものと、それと対照的に「遠火事」の実景的ではあるものの小さな明かりを並べてみたところはさすがというしかない。/火事は冬の季語である。寒いときには火による暖房を用いるしかなかったためということらしい。手元の歳時記には説明として「冬は空気が乾燥しているので、〜」とあって、それは雪があまり降らない太平洋側のことを言ってるにすぎないことがわかる。雪国は冬ぶんは逆に湿度が高くなるので、この説明はあてはまらない。
ざぶざぶと鯨の碑より春の虹
たしか地元にも鯨の碑(いしぶみ)があったはずだと思っていたが、ちょっと調べきれなかった。当地では日常的に鯨を捕獲するよな漁撈文化は存在しないので、たまたま何かの拍子で浜辺に打ち上げられた鯨に驚き、それを弔ったものだったように記憶している。/鯨ではないがサケやナマズやクマの碑というものもよくあり、それらは他の動物の命をも大切なものとして考えたからというよりは、それもいくらかはあったにせよ、もともとは食料源として古来より大量に捕殺してきた鮭などのたたりを恐れたからというのが本音であろう。自分が殺したのにその相手からの怒り恨み祟りをしずめるために祀るという、人間同士の争いにもよくあるパターンで、どこまでも自分たちの一方的な都合なのだ。