月別アーカイブ: 12月 2010

鮭の遡上

鳥海山の西斜面を流れ下る牛渡川は、全長10kmほどの小さな河川ですが、鮭の遡上数は東北地方日本海側では有数です(念のため記しておきますが、牛渡川はよく「全長3~4km」と紹介されますが、途中伏流になっているだけで、川筋はもっとずっと上の大平あたりまで続いています)。海から約3kmあがったところに箕輪鮭孵化場がありますが、大半の鮭はここで捕獲されてしまいます。産卵直前の卵と精子をとり人工授精させて稚魚まで育てるためです。

9月下旬から1月まで毎年数万匹の鮭が遡上してきます。そして3月以降に人手で育てられた稚魚約1000万匹を放流するのですが、海に下り北洋を周回して、多くが4年後に生まれた川にまたもどってきます。ただし回帰率は2%程度にすぎません。つまりほとんどは他の生き物の餌になったり、病気や怪我で死んでしまうわけです。

写真は箕輪孵化場の採捕用の囲いに入った昨日(12/5)夕方の鮭ですが、数十匹の鮭が泳いでいました。大きいものは体長90cmほどもあり、湧水の清澄な流れのなかを群泳する様を至近距離で眺めるのはじつに壮観です。川に入ってからはいっさい餌をとることもなく、次世代に命をつなぐためにひたすら川をさかのぼるので、身が細くなり色が変わり、あちこち傷ついている個体もいます。

角材?

一見したところただの角材や木製ブロックのようですが、さにあらず。では薄板をくみあわせてこしらえた指物(さしもの)の箱かというと、それでもありません。ウォールナット変杢長方形被蓋くり物(〜かわりもくちょうほうけいかぶせぶたくりもの)です。

材料的には縮み(カーリー)ともキルテッドともいえない、濃淡のかすり模様というおもしろいウォールナットです。厚みは素材で51mmありました。その厚板を40mmほど彫り込んで蓋にしました。身(実)のほうも同じです。被蓋箱物に仕上げた状態で幅162mm、奥行83mm、高さ49mmです。各部の残った厚さはそれぞれ5~6mm程度。もっと薄くすれば見栄えはいいかもしれませんが、強度的にこれが限界かな(とくに木口側)と思います。

6面すべてが平面で、角も0.5mm程度の糸面しかとっていませんので、ぱっと見にはごくありふれた指物のようでいて、じつはよくよく見ると木目が木口面までみな連続している。そのことに気づかれて驚かれる方が少なくありません。内面も完全に平面のみで構成されていますので、製作はまずまず困難な部類といっていいと思います。

ウォールナットという、広葉樹としては中庸の硬さで刃物の切れがよいことや、靭性があって丈夫で粘りのある材料だからこそできる細工ともいえます。材料はなんとか2個分とれましたので、写真の品とほぼ同様のものをもう一箱後から製作しました。

入り皮

トネリコの材面になにやら褐色の斑紋が散らばっています。拡大してよく見ると樹皮の断片が材料の芯のほうまで不規則に巻き込まれています。これは「入り皮」といわれる現象で、ふつうなら忌み嫌われ商品としては欠点でしかなく、ほとんど売り物になりません。ところがこれだけ派手に入り皮が入っていると、これはこれで見方ひとつ変えればじつにおもしろい希有な材料に思えてきます。

トネリコはモクセイ科の落葉広葉樹ですが、そもそも国産のトネリコが木工の材料として出回るのは珍しいと思います。私自身は初めての出会いです。そのうえにこの材料には全面に縮み(英語ではカーリー)と入り皮が加わっているではありませんか。で、思い切って購入しました。大きさは厚み37~38mm、幅16~31cm、長さ204~213cmで、2枚は共木です。写っているのは全体の約4割くらいでしょうか。

節や虫食い、変色などがなく、反りやねじれなどもない素直な材料は、もちろんきわめて貴重な材料ですが、そういう高級材はじつは加工するのもわりあい楽なのです。できあがった製品もまず誰が見ても立派だきれいだと認めてくれるでしょう。それに比べると、この入り皮だらけの材料はなににどうやって使ったらいいか、ちゃんと加工ができるのか。無事に完成したとしても自分以外のどれだけの人が気にいってくれるのか。難問がたくさんあります。

田中一村作品集

書店で出会い手がふるえるほど驚きました。『田中一村作品集 新版』(日本放送出版協会刊2001年)です。名前はいちおう知っていましたし、ごく断片的には雑誌などで作品も目にしたことがあります。しかし35×26センチの大判であらためてその全貌に触れると「これはとんでもない絵だ」とうちのめされるような思いがしました。

田中一村は1908年に栃木県で生まれ、1977年69歳、奄美大島で没。18歳で東京美術学校(現在の東京芸術大学)日本画科に入学し、と、いろいろ経歴を書き連ねてもしょうがありませんが、同期生に東山魁夷がいたことは記しておいてもいいでしょう。なんといっても画業に専念 するために、50歳で家を売り払い、奄美大島におもむいたことが大きいです。紬工場で染色工として働きながら、一心不乱に絵を描きました。

ただその作品が一般に公開されたのは1979年の遺作展でです。生前、特別有名な賞を得たわけでもないし、著名な美術評論家から評価されていたわけでもありません。いわば無名の埋もれた画家に近かったわけですが、いったん公開されたあとはその作品は一般の人々をみるみる魅了、圧倒しました。緻密をきわめた描写と、それでいてただの写実に終わらない独特のデフォルメや飛躍があり、見飽きることがありません。

濃密な緑の空間に花や虫や鳥を配した奄美の連作の大作が有名ですが、「南国の明るく陽気な光景」とはいいがたい、どこか屈折したほの暗い雰囲気にも私は強くひかれます。私は絵は描けませんし専門的な知識もまったくありませんが、田中一村が技術的にも超一流の腕を持っていることはよく分かります。部分図の拡大された描線や彩色を見ると、ほとんどあきれ果てるくらい。正真正銘のこれは天才です。

下の写真は奄美大島にわたる前の絵ですが、その後の展開を予告するようなすばらしい作品です。「白い花」と題されていますが、ヤマボウシの花ですね。

ヨーロピアンビーチのデスク

ヨーロピアンビーチ(欧州ブナ)で作ったデスクです。幅広の一枚板が手に入ったので、これを甲板にしました。若干の反りと割れがありましたので予定よりいくらか小さくなりましたが、それでも全体の寸法は幅1680mm、奥行600mm、高さは650mmです。注文品ではなく「自主製作品」です。

甲板は完全に平らになるまで両面を削っていったので薄くなってしまいましたが、ヨーロピアンビーチの白くなめらかな肌合いをいかして、全体に細く軽い感じになるようにしあげました。ただ、きゃしゃすぎてぐらぐらしたり耐久性に問題があるようでは話になりませんので、脚と脚は幕板の通しホゾでがっちり締結しています。甲板下側も3本の根太で受けています。

奥行(材料的には幅)は600mmなので食卓テーブルなどとして用いるにはサイズ不足ですが、個人用のデスクならば十分な大きさだと思います。当工房の場合、ご注文でいちばん多い家具はテーブル類(テーブル・デスク・座卓など)ですが、それはやはりもっとも使用頻度が高く、毎日目にし手で触れるからでしょうね。そういうものこそ無垢材でできたちゃんとした家具を、というご要望はとても納得できます。

ご希望の方には、このデスクをお売りします。メールにてご連絡ください。※※酒田市のOさんがご購入。合わせてハイバックチェアも作らせていただきました。ありがとうございました(2011/12)。