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DKの戸棚

 

DSCN1860_2酒田市の方からご注文いただき、2ヶ月ばかり前に納品した戸棚です。そのときはもろもろの事情があって撮影しそこなってしまったので、いまあらためてご紹介します。

ダイニングキッチンに設置して、こまごまとしたものを収納するための戸棚ですが、空間的に余裕がないので、やや変則的なサイズと形になっています。基本的には2つに分かれており、まず左の写真の戸棚は幅740mm奥行350mm高さ2200mmと、通常の戸棚に比べるとずいぶん細身で背が高いです。もうひとつはこの背高の戸棚の裏側と、建物の壁に接合するかたちの吊戸棚で、サイズは幅1480mm奥行380mm高さ440mm&740mmです。左側で冷蔵庫を、右側で洗濯機をまたぐようになっていて、一部は扉が付きますが基本はオープンの棚です。ハンガーも付いています。

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建物の2階に設置だったので、階段をのぼって搬入したのですが、あと1cmも大きかったら通りぬけることができないほどぎりぎりの寸法でした。また建物の壁の下地がどうなっているのか分からないので、背高の戸棚と吊戸棚が倒れたり落下しないように相互の連結と建物に固定するのにもだいぶ神経を使いました。苦労はありましたが無事設置できてよかったです。こういった家具はまさにフルオーダーならではですね。

 

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副尺付鎌罫引

 

部材に一定の間隔で加工の基準となる線を引くための道具が罫引(けひき・毛引)です。大工仕事や木工で使用するそれは一般的には定規板と刃を仕込んだ棹からできており、線を引こうとする部材に定規板を当て、棹を任意のぶんだけ出し入れすることで部材に線を引きます。一度セットしまえば何度でも細く正確な線を引くことができるので、家具作りにも欠かせない道具です。

ただし刃先を部材にわずかながらも食い込ませながら線を引くので、言うまでもありませんが部材に傷を付けることにもなるわけで、見えがかりのところまで、よけいな部分まで線がのびてしまわないように注意が必要ですし、消すことはできません。したがって当工房では刃ではなくボールペンやシャープペンシルで線を引けるように自分で改造した罫引もよく使っています。

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さてその罫引に新顔がくわわりました。棹の部分がステンレス(SUS240Z・焼入・硬度HRC48〜52)製でなんと副尺がついています。ノギスの目盛りでおなじみの副尺です。棹の本体のほうの目盛とスライドする幅の狭いほうの棹の目盛との合致するところを読み取ることによって刃の出を0.05mm単位で正確に規制することができます。罫引の刃を研ぎ直すと0点が微妙にずれてしまうわけですが、その場合は容易に0点を修正することができるようにもなっています。なお刃は研ぎ直しがしやすいように青紙スーパー鋼でできていてステンレスの棹にきれいに溶接・研磨されています。

従来の罫引だと棹の出を決めるのに直定規などで定規板と刃との間隔を計って設定していたのですが、めんどうだしなかなか一発では決まりませんでした。棹に真鍮製の目盛り板が付いている罫引もありますが、そのスケール自体があまり精度のいいものではありません。それがこうして精密に簡単に刃の出=定規板からの距離を決めることができるのは画期的といっていいでしょう。

先日、取引のある建材店のフェアで、出店していたブースのひとつで買い求めたものですが、メーカーは松井精密という計測機器を製造している会社とのこと。写真の棹は長さ100mmですが150mmのものや、目盛りが寸尺の目盛りのものもあるようです。通常の罫引に比べると値段は何倍もしますが、それだけのあてはあると思います。同じような仕組みでボールペンやシャープペンシルの線も引けるようなものもあればもっといいのですが。

 

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腰が痛い

 

いまはだいたい収まってきましたが、ちょっと前まで右側の腰から膝にかけて痛みがあり、二三日は睡眠にも支障をきたすほどでした。先月下旬に倉庫の材料を大量に移動したときでさえとくに問題はなかったのに、どうして今頃?と思ったのですが、どうやら原因は猫のトントにあるようです。

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トントはよく私の部屋の机の前の椅子に寝ており、それをいちいち降ろすのもかわいそうなので私が椅子の前よりに浅く腰掛ける。それでパソコンを操作したり読み書きしたりしていました。それがよくなかったのでしょう。変則的な姿勢で、つまり言い換えるならば結果的に「身体に合わない椅子」に長時間座っていたために、身体にかなりの負担がかかったと推測できます。

「足の裏がぺったりと床に着き、ももの裏側が圧迫されない高さの座面に、楽な姿勢のままで深くまたほぼまっすぐに背をたてて腰をかけられるようなデザインとサイズの椅子でなければならない」という日頃の家具作りの方針と主張が、トントのおかげではからずも証明されてしまいました。その椅子が市販の事務机ではなく自作の木の椅子であればなおよかったのですが、まあ紺屋の白袴ということです。

 

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新しい自転車

 

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子どもの新しい自転車です。前の自転車が小さくなってきたので、地元のスーパーマーケットの自転車売場で先日購入したものです。前のはインターネットで探して入手したので、今回もはじめはその予定でいたのですが、身内からだいぶの商品券をプレゼントしていただいたので、それを活用することになったものです。

売場ではいかにも男の子向けのキャラクター的な派手な飾りが付いたものが主流でしたが、並んでいるなかではいちばん装飾のすくないシンプルな自転車にしました。色もカタログを見ると黒もあるということだったので、後から届けてもらうことにしてそれを注文。それで、10日ほど経ってから自宅に届いたのが写真の自転車です。24インチのタイヤに3×6段の変速機、照明はオプションでセンサーで自動点灯するLEDのライトです。

まだ体が小さいのでサドルをいちばん下まで降ろしてもやっとつま先が地面に着くくらいですが、しばらくは前の自転車に乗ることにして、半年もすればこちらに移行できるでしょう。

 

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コーヒーブレーク 11 「占い」

 

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草木に心はありや涅槃西風

陰暦の二月十五日の涅槃会前後に吹きつのる西風が涅槃西風(ねはんにし)であるが、現在では月遅れの三月十五日に涅槃会を行うことが多い。この頃に吹く強い西風といえば、つまり春一番のことでもあるか? /さて草や樹にも心はあるだろうか。園芸用や観賞用の草木には高等動物のように心があり、やさしく声をかけながら育てるとよく育つといった類いの話もあるが、私自身はそれは幻想だろうと思っている。もし植物にも心があるなら、農作物の収穫や森林の伐採などすればものすごい怨嗟がわき起こりそうだし、庭の草刈りや草原の草を踏むのさえ情け容赦のない殺戮や虐待ということになる。切り花などもさしずめ斬首刑というところか。

山あり谷あり折紙の生命線

子ども向けの雑誌の付録や、折り紙の解説本などを見ると、ここは山に折るまたは谷に折るなど指示する言葉がいっぱい出てくる。あとから邪魔にならない程度のごく小さな文字で山折り・谷折りが印刷されてあることも多い。なるほどこれはたいへんわかりやすい比喩といえよう。もしその比喩を使わずに折り方を説明しようとすればたいそう困難なことである。折り紙にとってもっとも大事なことはじつは折ってできる面よりも、折線それ自体であるのかもしれない。

谷底ばかり見ている手相かな

巷の隅に小店をひろげる手相占い。私は一度も占ってもらったことはないし、占ってもらおうと考えたこともないが、程度の差はあるとしても少なからぬ人々が占いの言葉を信じてしまうその精神的機序には興味がある。要するに占いは占う側にあるのではなくて、占ってもらおうとする側にこそあるわけで、どのようにも解釈できる占い師のあいまいで多義的な言葉を、占われる側は良いにつけ悪いにつけ自分の都合がいいように自分に引きつけて解釈する。したがって占いはたぶん、いま現在幸せであると感じている人には用はなく、反対に仕事や家庭や健康などに無視し得ぬほどの不安をかかえている人にこそ希求され有用であるのだろう。/世界は広いからひょっとするとほんものの占い師も存在するかもしれないが、彼または彼女は他者よりもまず真っ先に自分の来たるところや行く末がはっきり見えているはず。それはどんなにか恐ろしいことだろう。

 

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工房の看板

 

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ずっ〜と前のことですが、小物類をわりあい集中的に作っていたことがあり、一部はほかのお店に委託販売してもらっていたことがありました。その際にやはり工房の看板も必要ということでこしらえたものです。

材料はケヤキで、大きさは約25×71cmほど。工房名は大小のドットからなるシンボルマークを板に穴を開けることで表現し、SIMPLE  &  NATURAL  HANDICRAFT というキャッチフレーズは小刀で浅く掘り込んてから白っぽい油性ペンキで塗っています。タイプフェース(書体)はグラフィックデザインの仕事をしていた昔から大好きだったオプティマです。

「オーツー」は私の名字をローマ字表記をするとOOEでOが二つということと、酸素の分子記号であるO^2からとったものです。つまり酸素(空気)のようにふだんはその存在をほとんど意識していないものの、実際にはなくてはならないとてもたいせつなもの、そういった感じの家具や木製小物などを作っていきたいという思いをこめました。

工房を立ち上げたのは1985年ですから、来年は30周年となるわけですが、上記のような思いがちゃんと実現できているかどうかは忸怩たるものがあります。

 

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出羽富士ではない

 

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一昨日の鳥海山です。20代の10年間ほどをのぞいて、生まれてからずっと私はこの山を眺めながらこの山の麓で暮らしてきたわけですが、見るたびに美しいと思います。

鳥海山をいまだに「出羽富士」と称し紹介する人がいますが、私はそれはちがうだろうと思います。まず出羽と言われても地元や近隣の人でなければいったいどこの地方のことを指しているのかよくわかりません。出羽の起源は古代の行政区分であった令制国のひとつということのようですが、今さら大昔の政治区分でもなかろうと思います。

もうひとつは富士ですね。いうまでもなくそれは富士山のことで「地方の富士山に似た山」という意味なわけです。はじめからもう富士山に軍配を上げてしまっている。しかし火山で独立峰であること以外にとりたてて富士山と鳥海山とに共通項はありません。上の写真をみても明らかに富士山とは姿形が違います。これを出羽富士と称するのはいくらなんでもこじつけであり謙遜しすぎで、もっとわるくいえば「負け犬根性」というものです。鳥海山は鳥海山でそのままでよく、わざわざ富士山の二番煎じみたいな言い方をする必要はどこにもありません。

さらにきわめて現実的な事情をいえば、多少とも山岳に関心があり登山をする人たちにとって鳥海山はきわめて有名な山です。北海道・東北エリアで人気投票をするとたいてい北海道の大雪山とならんで一番人気。遠隔地の人にとっては山形も庄内も酒田や遊佐、そして出羽という名前は知らなくても「鳥海山に麓に住んでいる」といえば一発でうなづいてもらえます。つまり地元と他所の人とは大きな認知差があるということです。「出羽富士の麓に住んでます」とか「この前出羽富士に登りました」などと言ってもほとんどだれにも分かってもらえません。

詳しい数字は忘れてしまいましたが、昨年か一昨年かに鳥海山に登った人の数は13万人だったとかで、山形県内の他の高峰である月山や蔵王山、朝日連峰などをはるかに抜いて一番多いのです。それはそれでオーバーユース(特定の山の特定のコースと時期に登山者が集中しすぎる)の問題があるのですが、それほどに鳥海山はいまや全国的に著名な山ということです。

みなさん出羽富士などというへんな呼称はもうやめましょうよ。

 

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シテ 3号

 

DSCN1849詩の同人誌『シテ』の第3号です。山形県酒田市を拠点として、年に3回発行を目標、現在10名ほどの会員がいます。シテとは能や狂言の演者のシテであり、「〜してください」のシテ、また詩の書き手という多重な意味合いをもつとのこと。主眼は現代詩の作品発表ですが、今号には俳句も掲載されています。その俳句は私のもので「大旦」という題による比較的最近の15句です(当ブログのコーヒーブレークに掲載した句と多くがだぶっています)。とくに規制はないのですが俳句もいわゆる現代俳句で、私は季語・定型は尊重はしますが絶対視はしませんし、旧字・旧かなは原則使いません。

私の俳句は下の写真をみていただくとして(写真にカーソルを当てクリックすると拡大します)、他の方の7篇の詩に対して私の感想を簡単ですが記してみたいと思います。

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早川孝子「スカート」  いつものように(?)男女関係における女性側からの辛辣でウィットのある言葉。スカートというほぼ女性専用の衣服をモチーフに、それが隠しているものと逆に表彰するものとをたくみに暗示しています。うまいなあとは思うものの、私はあまりこの世界には近づきたくありません。「よしこさん」に対する「帰り道がわからなくなるといい」というフレーズも非常に怖い。装いが常のものとなり過剰となれば、いったい何を装うとしていたのかも忘れてしまうでしょう。そういえば上野千鶴子に『スカートの下の劇場』(河出書房新社1989)という著書がありましたね。

南悠一「積年」  降り積もる雪は容赦なく過ぎ去っていく時間の喩でしょうか。子ども時代の雪景色と、現在の雪景色とをオーバーラップさせながら彼は黙々と雪を踏みしめていくのですが、「もうもうと煙る吹雪となった/それからは何も見えない」とあるように、郷愁というだけでなく無数の断念とか挫折や悔悟もかみしめているようです。

阿蘇豊「プレパラート」  冒頭に「きょうのことばはついになく/きのうからかりてはりつける」、そして最後に「おれのことばはついになく/他人のことばでこれを織る」は、まったく同感です。新しい言葉はなかなか産み出すことはできません。しかし言葉は他者があり時間の積み重ねがあってこそのもの。我彼の意志疎通もしくは隔離・区別のためにこそ言葉が必要であることも自明の理で、その意味ではこの詩はやや平板。ここから先の、他者の言葉に自分の言葉を、過去の言葉に現在の言葉をどのように紡いでいくのかを、もうすこし緻密に執拗にみていきたいです。

今井富世「癒しは、はじまる」  飼っている猫、なんでしょうか。よくわかりません。降る雪の白さや柔らかさと猫のそれとをかけてるような…。私も猫を長年飼っているので、その存在がたいへん大きな慰めになっていることは痛感します。

相蘇清太郎「草花の名について」  人間の世界は「悲しみが血のように溢れていても」、路傍の草たちはそんなことには無関係に葉をのばし花を咲かせています。ユウガギクもイヌタデもいわゆる雑草と呼ばれるありふれた植物ですが、よくみればとても美しく愛らしいものですね。人もそのようにありたいもの。野の花を眺めていると心が休まります。もっともイヌタデのほうは蔑称としてのイヌをわざわざその名前に冠らされており、ちょっと悔しいです。

高瀬靖「弟たちのこと」  高瀬さんに弟さんが二人いたこと、そして幼くして亡くなったことはこの詩ではじめて知りました。最終行の靖国神社に対する「ワタクシ「靖」ハ 汝ト刺シ違エテ死ネレバ ト願ッテオリマス」という宣告は非常に重いです。しかしながら失礼ながら、詩としては題材負けという感想をどうしても受けてしまいます。この内容ならばきっちりとエッセイにしたほうがよかったかもしれません。

江口暢子「」  二十枚一組という某家の食器、皿。昔は冠婚葬祭などの集まりをたいてい自分の家で行ないましたから、たくさんの器が必要だったのです。引っ越しの手伝いでそれを紙に包んだりしているのですが、皿の模様を眺めたり家族の来歴などをおしゃべりしながらののどかな作業です。と思いきや「それにしても/今年の雛菓子の色が許せない/もう少し淡いほうが品がいいのに」という言葉が唐突に出てきます。「テーブルを覆うような大皿/一体何で包めばいいのかと」と続きますが、つまりこれは大家族(?)をめぐっての軋轢やしがらみでしょうかね。

 

シテの句会を3月から始めています。原則として奇数月の第二水曜日(→第三に変わるかもしれません)18時半から、酒田市のアングラーズカフェにて開催。次回は5月14日の予定です。おおむね当季の季語を入れた自由題で二句を、前月末までに無記名で提出していただき、当日それをみんなで批評しあう形です。

 

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10mmの角ノミ

 

角ノミ盤に装着する角ノミのケース&錐をひとつ新調しました。大きさは10mmです。これは当工房では初めて使うサイズの角ノミです。これまで使っていたサイズは3.2mm、4.5mm、5mm、5.5mm、6mm、6.4mm、8mm、9mm、9.5mm、11mm、12mm、12.7mm、14mm、15mm、16mm、18mm、24mmですが、10mmといういかにも普通にありそうなサイズは旧来のラインナップには入っていませんでした。それなのに小数点以下の半端な数字が付いている刃が多いのは、1インチ(約25.4mm)を8分してそれに整数倍をかけたものを無理やりミリ表示に直したりしているためです。3/8インチとか5/8インチとかいわれても多くの日本人にはピンときませんよね。

材木の厚さも同様で、北米の製材品ではいまだにインチの数字表記が幅をきかせているのは困ったことです。はやく世界標準のメートル法での表示に統一してほしいと思います。むろんとうぶんの間、移行期間中は日本の尺貫法と同じく併記がいいでしょう。

この角ノミの刃は兵庫県三木市の中橋製作所というところで作っています。木工機械用や電動工具用の刃物を中心に製作する会社で、とくに創業時以来の小林式角ノミは国内外で圧倒的な占有率を誇っています。マキタや日立、リョービなどの他の木工機械メーカーにもOEM(相手先ブランド)で出しています。

何年前だったかいちど経営危機に陥り(と聞いたように思うのですがもし違っていたらご容赦ください)、すわ倒産かと木工界では大騒ぎになりました。とりわけほかに代替えのきかない角ノミの刃をなんとか買い置きしてしておこうと躍起になった木工家も少なくないと思います。さいわい支援先があったのか持ち直し、現在の中橋製作所のHPをのぞくと角ノミの刃も種類がたいへん増えて、10mmも標準でそろえられています。ちなみに現在の標準ラインナップは以下の通りです。3.0   3.2   3.6   3.9   4.2   4.5   5.0   5.5   6.0   6.4   7.0   7.5   8.0   8.4   9.0   9.5   10.0   10.5   11.0   12.0   12.7   13.5   14.0   15.0   16.5   18.0   19.5   21.0   24.0   27.0   30.0   33.0   36.0ミリの33種類。

おもしろいのはパッケージがすっかり今風に変わったことです。以前は薄いボール紙の箱に入っていたので、注意しないとすとんと床に落として刃をだめにしてしまう、あるいは刃先が見えないので箱から出すときに指を怪我してしまうおそれがありましたが、今度のはフリーサイズの半透明のプラスチックの丈夫な筒なので安心です。

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大きな袋の絵

 

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小学2年の子どもが、学期中に学校で描いた絵などをまとめて家に持ち帰ったのですが、その収納運搬用の大きな袋(60×45cmくらい)に描いていた絵です。適当に何を描いてもいいとのことだったようですが、わが息子ながらこれはあっぱれです。映画かなにかのワンシーンみたいですが、手の形は正確に描かれているので実景をスケッチしたんでしょうね。小2で普通こういう発想をするかなあ。