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旧蕨岡道を駒止から鳳来山まで その2

 

前回12月5日に続いて、「旧蕨岡道を駒止から鳳来山まで」の後半部分です。主に稲作用の溜池である水呑ノ池までは、その池や水路を点検管理するための歩道が駒止の先からと、さらに嶽ノ腰林道を500mほどすすんだ地点からとの2本があります。後者は堤防工事や池の点検管理のための新しい作業道です。

したがって水呑ノ池まではときどきに集落の人たちが訪れるので、歩道もほぼ問題なく歩けるように手入れがなされています。しかしその先の、湯ノ台口の南高ヒュッテ近くまでの旧蕨岡道は、戦後はほとんど利用する人がなくなって荒れ果てていました。20年近く前に私が初めて遭遇したときは道型はしっかりついているものの、太さ15〜20cmはある樹木と密生した灌木と笹で道が覆われていました。

この道は鳥海山の山道のなかでも最も古くかつ賑わったメインルートであり、ふたたび通れるように整備すればいろいろな面で利用価値が高いということで、不通区間の刈払をすることにしました。15年くらい前です。最初は私一人で折りたたみ鋸でぎこぎこやっていたのですが、翌年くらいから東京都武蔵野市の関前南小学校の5年生の生徒数十名にも手伝ってもらいました。当時宿泊体験学習ということで遊佐町になんと9泊10日で来訪されていた子供たちです。現場で実際に作業できる時間は1時間ほどしかないのですが、3年かけて2003年10月に1.2kmの刈払が終了しました。

 

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ツキノワグマの足跡。大人の手の平くらいの大きさ。これは水呑ノ池から旧道にすすんだすぐのところの「水呑」という場所のものだが、じつはこれより前の地点ですでに2回足跡に出会っている。ついたばかりの新鮮な足跡なので、もしかすると同一個体かもしれない。このあたり一帯はクマが多いということは以前から知っていたし今日は私一人の単独行なので、ときおりホイッスルを鳴らしながら登ってきた。クマの足跡に遭遇してもああやっぱりなという感じだけで、怖いとは思わなかった。

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主稜線に上がったところ。庄内平野で遊佐町や酒田市あたりから鳥海山を眺めたときのスカイラインとなる尾根なので、左右ともに開けており眺望がたいへんいい。しかしところどころ深さ1.5〜2mほどの凹みになっているところもあり、昔は往来が頻繁であったことが実感できる。

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しだいにブナが優占してくる。ただし風がもろにあたる尾根の上なので、幹や枝は曲がりくねっているものが多い。樹間から鳥海山上部の真っ白に雪をかぶった姿が見えた。

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不通だった頃の予備調査で、私が最初に出会ったときは倒れて半ば土に埋もれていた陶製の祠である(見つけてすぐ泥をはらい上に立てた)。参詣道の祠というとほとんどみな石でできたものであるが、瓦と同様の土と釉薬でできた陶製のものはきわめて珍しいと思う。「奉納 羽後酒田港亀ケ崎古城内 國松重次郎」と刻まれており、有力な旦那衆が職人に作らせて人夫にでも担がせてここに持ってきたものであろう。背後の朽ちた大木はクロベかアスナロだが、10年近く前に残念ながら枯れてしまっている。

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祠のあるところから200mもすすむと湯ノ台口の登山道と合流する。分岐点には右側杉沢、左側湯ノ台の標識がある。写真はここから鳳来山のほうにさらに登っていったところで、樹木がほぼブナの純林に近い状態になった地点のもの。分岐点からは約1kmで、このすぐ先にソブ谷地との分岐点のT字路があるが、ソブ谷地方面はほぼ廃道といっていいほど荒廃している。積雪は20〜30cm。

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下山してきて水呑ノ池を反対側からみたもの。手前が池口で、湧水起源の沢水が流入しているためこちら側はまだ凍結していない(厳寒期に訪れたことはないので、全面凍結するかどうかは不明)。

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池に近い部分の、池から流下する用水路。水は池の底の排水弁の調整による。この写真では明瞭にわかるが、尾根の真上に川が流れているなどということは自然状態ではありえないことである。勾配がゆるいのでこのあたりは川底があまり洗掘されていない。

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以上2回にわたって旧蕨岡道を紹介してきましたが、春先や紅葉の頃はすばらしい景観があり、さまざまな花が咲いています。参詣の歴史的なことがらに思いをはせるのにも絶好の場所です。冬場もカンジキを履いてくれば鳳来山くらいまでなら、冬山登山のベテランでなくとも参加可能なツアーが組めるでしょう。みなさんぜひ歩いてみてください。ただしとくに単独行の場合はクマに注意です。おすすめは鈴ではなくホイッスルです。

 

旧蕨岡道を駒止から鳳来山まで その1

 

先日(11/30)、鳥海山のかつての主要な参詣道であった旧蕨岡道に行ってきました。神道的には鳥海山自体がご神体であって、とうぜん本殿は頂上にあります。しかし日常的にかつ誰もが頂上まで参拝に登るというのは困難もしくは不可能なので、山形県側の麓には吹浦と蕨岡にそれぞれ、里宮(口ノ宮)である吹浦大物忌神社と蕨岡大物忌神社があります。

戦前くらいまではこの里宮を起点として頂上に至る参詣道の吹浦道と蕨岡道は「ぞろぞろと人が連なって」という表現が誇張ではないくらいに夏場は登る人が多かったようです。しかしその後、しだいにお山参りの慣習も希薄になり、また1970〜80年頃に山岳観光道路の鳥海ブルーラインと鳥海高原ラインが標高1100m付近まで開削されたことによって、急速に参詣道の過半はすたれてしまいました。鉄道の羽越本線と国道7号線が通った吹浦のほうはまだしも、それらから外れてしまった蕨岡はかつてのにぎわいはうそのようです。

登山用のガイド本・地図などでも、「蕨岡口」として載っているのは本来の参詣道ではなく、戦前戦中にソブ谷地の鉄鉱床を採掘搬出するために開かれた嶽ノ腰林道を利用して鳳来山の西側斜面に至るルートです。私自身、20年近く前に湧水の探索をしていて偶然に旧蕨岡道の跡をみつけるまでは、蕨岡道とは昔からソブ谷地経由のものだとばかり思っていました。鳥海山登山で何度も通過しているにもかかわらずです。

現在、蕨岡からその東側の集落である杉沢〜褄坂〜月ノ原までは舗装された車道があり生活道路ですが、その先は嶽ノ腰林道の砂利道です。その林道に入って間もなく300mくらいのところの道の左側にちょっとした平地があり駒止の笹小屋の跡があるのですが、それを過ぎてさらに600mほど行ったところで車を停め、右手の尾根に向かって旧蕨岡道の山道に入りました。林道の向かいの反対側は月光川本流右俣の西ノコマイ左岸の牧場に降りていくY字路の分岐になっています。

 

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林道のすぐそばの杉林の一画に車1台分程度の駐車スペースがある。ここからは歩きだが、幅50cmほどの水路に沿って数十mゆるくのぼっていくと、水路が二手に分かれる。道は水路に沿ってどちらにもついているが、右側の細めの水路に従ってさらに約60mほど行くと「弘法水」という湧泉に突き当たる。大きな岩の下から水が湧いているが、水温は9.3℃あり、気温1.3℃に比べずいぶん暖かく感じる。標高は約350m。パイプは嶽ノ腰林道の下をくぐって、たしか牧場の飲料水として利用されていたように思う。この湧泉は元々は月ノ原側の北のほうではなく、南側にすぐ流れ落ちて熊野川に直に注いでいたらしいことが地形から判断できる。

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弘法水を過ぎるとすぐに道は屈曲し、先ほどの左側の水路に沿って延びていくようになる。すこし登って後ろを振り返ると庄内平野と日本海が見える。この日は積雪は20cm程度で、長靴だけでまだ大丈夫であった。もう少し深くなればカンジキが必要になるだろう。

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水路は赤土に素堀の人工の用水路で、作ってから60年以上経っており、だいぶ掘れてしまっている。深いところは岸辺から水面まで2m以上あるところも。傾斜の急なところは水路の底がまるくえぐれており、まるでポットホール=甌穴のようだ(こういうのはポットホールとは呼ばないのだろうか?)。

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落葉広葉樹林のなかに続く水路。参詣道の蕨岡道はこの水路の管理道と重なったり平行したりしながらずっと上まで続いている。

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登るに連れて杉の植林帯も消え、広葉樹林もしだいにブナが優占となってくる。このあたりで標高450mほど。

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標高500m近くになると道は用水路から離れる。左側の尾根筋(写真は逆方向で写しているので右側)から道は3mほど下にあり、V字型に深くえぐれている。これはおそらく人の往来が激しいために植生がなくなって裸地化し、雨が降るたびに浸食していったためと思われる。1年当たり仮に3mmでも1000年も経てば3mになってしまうわけである。これを見てもいかに利用頻度の高いメインルートであったかが分かる。しかしこれだけ深く狭くなると歩きずらく、すれ違いも難しくなるので、実際この道の外側には2本3本のバイパスができている。

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V字型の隘路をすぎるとほどなく道は二手に分かれる。おそらく右側の薮化しているほうが元の参詣道で、標高544mの小ピークの南側を巻いてから次の鞍部を越えた先で「水呑」という飲料水等の補給地に出ていたと思われる。が、現在は道は左手に折れて544mピーク手前の鞍部を越していくようになっている。そこを過ぎるとすぐに目の前に「水呑ノ池」が広がる。大きさは約1ヘクタール。/以前は湿地だったのを、戦後に大井建設の請負で西側に高い堤防を築いて溜池にしたという。堤防を築く前は湿地からの水はダイレクトに南南西に流れ、月光川本流の右俣である南ノコマイに合流していた。現在は池からの水は用水路によって南西方向に運ばれ、途中の湧泉の水も加えて月ノ原と褄坂の集落に広がる水田等に利用されている。水源は元湿地東側の沢の水だけでなく、なんとソブ谷地の湧水を人工水路で尾根を越えて合流させている。/現在の地形図では水呑ノ池の南側に池尻があり熊野川に注いでいるように描かれているが、これは豪雨時などに堤防が破壊されないようにするためのオーバーフローだ。

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湧水を主な水源とする沢水が流れ込んでいるので、南側の半分くらいは池面が凍結していない。そこにカイツブリかと思われる水鳥がひと番い浮かんでいた。

水呑ノ池から先は次回に掲載します。乞うご期待。

小型の置時計の製作

 

定番の製品として作っている置時計は当工房では1種類だけです。先日の個展(酒田市・清水屋の画廊にて11/2~8)に見本品を展示したところ、いくつか予約注文をいただきました。

材料はアメリカン-ブラック-ウォールナットです。長い名前なので通常略して「ウォールナット」と称されているものがこの樹で、アメリカ産です。クルミの仲間ですが、日本産のオニグルミなどにくらべるとずいぶん色が濃いです。まさにブラックという感じですね。気乾比重は0.64で、比較的重いほう。硬めの材料のわりには加工しやすく、接着性と塗装性も良好。乾燥したあとは狂いにくく強度と耐久性も高いです。

洋家具の材料としては古来よりたいへん人気があり、北米では数百年前から計画的な植栽と材木生産が行われていますが、人気があり需要が多いぶん材料単価はかなり高いほうの部類になります。厚手の板で無地となると80万/㎥以上するでしょう。今回のこの置時計の場合は、デザインと機能上の観点から素材厚で51mm(約2インチ)は必要なので、材料コストとしては頭の痛いところです。

下の写真は素材の板を厚さ46mmに下拵えしたあと、径約140mmにバンドソーで丸くカットしたところです。製品は前面の文字盤が曲面=球体の一部になっているので、旋盤でそれを削り出した後に、縦・横100mmほどに四角にカットします。材料的にはずいぶん無駄が出るわけですが、きれいな曲面を作り旋盤加工する際の安全面からはやむをえません。色の濃いのと薄いのとツートンカラーになっているものがありますが、外周部で後からカットする部分にクルミなどの端材を接着したためです。「幅150mmくらいの欠点のない厚手のウォールナット材」という時点ですでにかなりハードルが高いので、家具材には使えないような寸法のものをできるだけ活用するようにしています。

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カンニングペーパー?

 

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ジオパークの案内をする際に、一日または半日の間に一カ所だけでなくいくつものジオサイトを連続的に回ることが多いので、必然的にタイムスケジュールは非常にタイトなものになります。ある場所で10分予定をオーバーしてしまうと、次の場所では10分予定を縮めないといけなくなり、とりわけ同じガイドではなく別の人が別の場所のガイドをする場合は、はっきり言ってとても迷惑な行為となってしまいます。

ちゃんとしたガイドであれば参加者(お客)の構成や、持ち時間に合わせた案内をあらかじめ用意し現地の下見やガイドのシミュレーションをしているので、それが無駄になってしまうおそれすらあるわけです。私自身も案内に夢中になってしまい、つい時間を失念してしまう可能性がないわけではないので、最近は写真のように時間のメモを腕時計に貼付けるようにしています。目立たず、しかし一目瞭然というわけです。

宇宙飛行士がミッションやマニュアルの要諦をコンパクトに記したものを、そのときどきに腕に巻き付けていますが、おおげさにいうとそんな感じですね。

 

ジオパークのガイドのための小道具

 

9月9日に鳥海山・飛島ジオパークが認定となりましたが、それの現地審査ならびに訓練のための模擬ガイドでは、ただ口頭で説明するだけではなく、さまざまな小道具も用いました。地学的なことがらは話だけでは理解することはたいへん難しいので、そのための補助です。

ものとしては地形の模型や地図や写真などがありますが、下の写真は地形・地質説明のための手書きの絵です。上は鳥海山の西側馬蹄形カルデラの中の湧水の概念図、下は最終氷期(7〜1万年前)の中で最も海水準が下がったとき(約120m)の海岸線をあらわしたものです。いずれも直接目で見ることはできないものなので、事前によほど基本的な知識のある人でないと、口頭で説明を受けただけではちんぷんかんぷんだろうと思います。

実際にこれらの補助的な道具を併用しながら何度か模擬ガイドまたは本番のガイドを行って感じたことは、お客にはとてもわかりやすいことや注意をひきつけることができること、話すほうも一種のあんちょこ(備忘録)として使えることです。絵は水性マーカーと色鉛筆を使って私自身でさっと描いたものですが、パソコンの「お絵描きソフト」などを用いたきれいすぎる緻密すぎる絵よりも、かえってこういう下手くそな絵のほうがむしろ好ましいと感じました。お客から「あ、このガイドが自分で描いたんだな」と思ってもらえれば親しみもわきます。文字情報は最小限にとどめます。

基本的に野外での説明のためのものなので、水に濡れてもいいように紙に書いたものをラミネートしています。フィルム面に照明の光や太陽光などが反射すると非常に見にくくなるので、艶消しのフィルムを用いたラミネートであることが必須です。サイズはA3とA4の2種類。大・中型バスの中での説明やお客の人数が多い場合は後ろの人からも見えるようにA3でないといけませんし、車から離れて諸々の荷物をザックに入れて運ばないといけない場合はA4になります。

 

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小型の掛時計の製作

 

先般の個展(11/2~8 酒田市の清水屋デパートの画廊)で追加注文をいただいた定番の小物類が4種類、特注の小物類が3種類あります。下の写真はその中のひとつで、径12cmくらいの小型の掛時計です。

材料の都合もあって木取と下拵え、円形の荒加工までは30数個ぶん作ったのですが、全部を最後まで仕上げるには時間がかかります。しかしそれでは他のご注文の仕事が期限(原則3ヶ月以内)に間に合わなくなってしまうので、とりあえず十数個を先に仕上げる予定です。

加工の方法にはいろいろ独自のノウハウがあり、またこの掛時計は人気のある定番品のため加工の詳細は書けませんが、ああこんな感じで作っているんだなということを知っていただければと思っています。

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コーヒーブレーク 92 「夜行バス」

 

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なにひとつ変わることなく神の留守

[なにひとつ かわることなく かみのるす] 神無月(かんなづき)というのは旧暦十月の異称である。この月は八百万(やおよろず)の神が出雲大社に集まるという。したがって出雲以外の地には神様がいなくなるのだそうな。しかし神様は自分の産土にいてこその神様であって、そこをほっぽりだして”全国大会”に出かけるとはなにごとだ、という気はする。まあ、しょせん神仏などその程度の、観光土産のおまもり程度の意味しかないのだ、ということを自らが宣言しているようなものか。

弧をしぼる水平線や十一月

[こをしぼる すいへいせんや じゅういちがつ] 十一月ももうじき終わるが、雨の日が多く晴れたり曇ったりの不安定な天気。天気予報も外れること、しばしばである。しかし、だからこそなのかもしれないが、たまにきれいに晴れ上がりいくぶんか暖かい日は、遠くまで景色もくっきりと見えてたいへんよろしい。雪を冠った鳥海山や月山も神々しいまでに美しい。/俳句歳時記ではたいがい11〜1月を冬とし、2〜4月を春としているが、てやんでぇ!というものだ。11月はたしかに当地でも最低気温は零度近くまで下がり、霰がちらつく日があるとはいえ、それでもまだ冬とはいえない。まだまだ秋の領分であり、冬を目前とした晩秋である。

夜行バスなお獣道疾走す

[やこうばす なおけものみちを しっそうす] ずっと昔の20代の頃、東京に住んでいてたまに帰省するのに夜行の普通列車を利用していた。上越経由で9時間以上かかったと思うが、帰省するのはたいていお盆とか正月のあたりなので、ほとんどの場合、普通列車の自由席では腰をおろすことが難しいほど混雑していた。むろんだからといって指定席をあらかじめ取っておくなどの経済的余裕はないし、ましてグリーン席(一等席?)などは論外であった。はじめから最後までほぼ通路に立ちっぱなしだったことさえあるが、そこは若さ故の「なんとかなる」の範疇ではあった。/試しに夜行バスなるものに乗ったこともあるのだが、いちおうシートに座れるとはいえ、やはりきゅうくつでろくに眠れはしなかったので、列車よりは安上がりとはいえ、二度くらい利用しただけで終わってしまった。上越新幹線を利用して4時間半ほどで往来できる昨今とは隔世の感がある。

 

湯ノ台の石油鉱井の跡

 

鳥海山の南面、湯ノ台地区の一画に古い石油採掘の跡があります。麓の集落の上草津をすぎて、くねった道を北のほうに車でのぼっていくと10分弱でまた人家が見えてきますが、湯ノ台高原にある戦後の開拓集落である湯ノ台です。もうすこし行けば鳥海山荘や家族旅行村、猛禽類保護センターなどの施設があるのですが、建物が見えはじめた最初のところで左側の木陰に三角形の赤いあやしい建物が……。

湯ノ台という地名からもわかるようにこのあたりには鉱泉があるのですが、小さな橋をわたって敷地内に入るとかすかに石油の匂いがします。一面にススキが繁茂しており、その間に間に真っ黒の土壌がのぞいています。地表に滲み出て堆積したアスファルトで、夏場の暑い時は靴がずっぽりはまってしまうので要注意です。

これは昭和9年(1934年)、日本石油により試掘、昭和16年頃には豊富な石油鉱床が発見され、昭和18年には約2万kl/年の原油が採取されたそうです。しかしながら戦時中の濫採によって急激に枯渇してしまい、昭和21年以降は2000kl/年以下にまで減ってしまいました。現在はまったく稼働されていません。

この付近では古来(縄文時代から?)より地表面に石油の兆候がみられ、アスファルトの採取→接着・防水・防腐剤などに利用されていたといいます。油層は深度350〜500mの北俣層上部にあるとのこと。

赤い三角屋根の建物は当時の資材庫か採掘した原油の貯蔵庫だったかもしれません。現在は使用されていませんが、地表にはいまもこの敷地内や周囲一帯で石油がわずかながら出ており、それが地下水や河川などを汚染するおそれがあることから、この建物よりだいぶ下のほうに汚染防止のための新たな処理施設があります(関係者以外立ち入り禁止)。

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猿穴はひとつではなかった

 

鳥海山の西面にある有名な噴火口跡の猿穴ですが、じつは通常の地図に出ているひとつだけでなく、他にも周辺にいくつかの噴火口跡があるらしいという話はきいていました。最初にきいたのは十年くらい前のことだったように思いますが、そのときは単にうわさ話のなかの一こまで、また根拠もなにもなかったので聞き流してしまい、そのうち忘れてしまいました。

ところが今年になって鳥海山・飛島ジオパークのガイド仲間から、グーグルの航空写真と国土地理院の地形図をもとにしたかなり信憑性の高い話が流れてきました。それらを仔細に眺めるとたしかに少なくともあと二つくらいは噴火口の跡がありそうにみえます。ぜひとも実地調査をして確かめたい。

とはいうものの、ただでさえ薮(低灌木が主)ぼうぼうなので、夏場は見通しがきかず+暑くて+虫も多いという三重苦。加えて今年は春からお盆過ぎまで鳥海山・飛島ジオパークの認定に向けての準備、さらに11月上旬に木工の個展というわけで、まったく時間的に無理でした。それらが一段落して、やっと一息ついたのですが、こんどはぐずぐずしていると雪が降ってきてアプローチがたいへん難しくなってしまいます。

それで思い立ってまず一人で偵察に行ったのが11月12日。薮こぎは多少は慣れているはずの私も、これ以上に密生し曲がりくねった猛烈な薮はないだろうなと思うような薮をかきわけての探索でした。その調査・確認のもとにジオパークのガイド仲間などといっしょに4名で再度訪れたのが11月16日です。16日には噴火口跡の探索だけでなく、林道から猿穴への登り口の標識の取り付けと刈払もしました。夏場にブルーラインの側から猿穴を訪れるぶんにはかなり楽になったと思います。(※ 写真はいずれも11/12のもの)

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はじめに一人で行った際のGPSの軌跡。誤差が数メートルあるものの、見通しのあまりきかない場所での地形図+コンパスでの探索を強力に助けてくれるすぐれもの。重要なポイントは地図に記憶させることができるが、左の085は観音森林道からの猿穴の登り口。中央の赤丸の等高線が猿穴で、その北東側の086(087は軌跡に隠れていてこの図では見えない)と、東側の088が今回確認した噴火口跡。o85から088までは水平直緯線距離で約200m。

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グーグルのマップで航空写真を検索。上のGPSの軌跡図とほぼ大きさを合わせてトリミングしている。この写真ではさらにもっと噴火口跡があるようにも見えるし、単なる樹木や噴火口ではない地形の凹凸のようにも見える。やはり現地に実際に行ってみないとわからない。

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猿穴の噴火口跡の北西側の縁に三角点(標高点)がある。これも草木に半ば埋もれていた。標高763.3m

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猿穴の三角点から眺めた観音森。古い絵地図には桑ノ森とある。高木が生えていないのは戦後の昭和30年代前半頃までは農家の牛馬のための採草地だったことによる。強風のためではない。標高685.2m

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以上4枚は、猿穴から北東方にある噴火口跡の底。猿穴と同様にすり鉢の底には水たまりはなく、大きな岩がごろごろしている。風穴らしき穴も多数あるが、詳細は未確認。同様な小さな噴火口跡は並んで数カ所ある。

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以上2枚は、猿穴から東方にある噴火口跡。猿穴よりはだいぶ規模が小さいものの同形のすりばち状の地形。最後の写真は北側の縁から眺めたもので、樹木の陰影と傾きででなんとなく凹みがわかるだろうか。

 

フォトスタンドと掛時計の材料の養生

 

11/2〜8の個展で予約注文をいただいたものの一部ですが、フォトスタンドAタイプと径12cmくらいの小型の掛時計を作っています。フォトスタンドは素材がオニグルミ、掛時計はサワグルミ。木取りして一次下拵えとして仕上寸法より2〜3mm程度厚い状態にします。そのあとは、いったん切削は中断して「養生」をします。

素材(荒木)の板は多かれ少なかれ反りや捻れがあるのですが、それを一度鉋盤を通して平滑にしても内部応力の変化によってまた徐々に狂ってきます。そのひずみを出るだけ出させるために写真のように一枚ずつ木端立てにして1週間ほど放置します。風が通るように板と板とは隙間をあけます。

こうした作業を養生と呼んでいますが、これはたいへん重要な行程で、養生なしに一気に加工をすすめると製品になってから不具合が出て来るおそれがあります。よく「作るのにどれくらいの時間がかかるんですか?」と聞かれることがあるのですが、それは実際に切ったり削ったりの加工している時間のことだけの話なのか、材料出しや養生や乾燥などの時間も含むのかによって大きく変わります。たとえば「実時間は1個当たり3時間、養生なども含めると2週間」といった具合になります。

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