積乱雲

 

連日の猛暑。昨日は34℃くらいまで上がりました。日向にいると肌がじりじりと焼け付くような感じです。汗が噴き出してきます。

写真は昨日の午後3時頃の鳥海山ですが、積乱雲(入道雲)が盛んにわきたっています。遊佐町や八幡町では局所的なスコールがあり、道路にすこし水たまりができていました。天気が良すぎるからこその突然の雨、ということをとくに野外活動の場合は常に念頭に置いておかなければいけませんね。

(※ スコールは正確には突然襲って来る強風のことで、強い雨や雷をともなうことが多いとはいえ、スコールは風それ自体をいうようです。)

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青猫句会 2016.7.20

 

これまで「シテ句会」という名称で行ってきた句会ですが、本体の「シテの会」の同人以外の参加者が増えてきたこともあり、また別会計とする必要もあるため、今月(7月)の句会から「青猫句会」と名称をあらためました。(青は旧字の青、下のほうが月ではなく円の青です。しかし私のパソコンのワープロでは旧字は出てきません。悪しからず)。青猫句会はこれまでと同様に毎月第三水曜日の午後6時半〜9時、酒田駅に近い「アングラーズカフェ」にて開催します。

本体の『シテ』は現代詩・俳句・短歌などの短詩系の作品の発表とその批評を目的とする季刊の同人誌ですが、現在10号まで発刊しています。次回11号は9月に発刊の予定です。

さて青猫句会としては初の句会ですが、参加者は相蘇清太郎・今井富世・大江進・大場昭子・齋藤豊司・佐藤喜和子・佐藤百恵・土田貴文・南悠一の9名。20歳代の新人2名もくわえての新たなスタートです。

句会のすすめ方は一般的な方法のとおりですが、事前に無記名で2句投句し、当日は清記された2枚の句群ごとにそれぞれ2句ずつ選句。その句を取った人、また取らなかった人もおのおの披講を行い、その後にはじめて作者名が明かされます。これは先入観を排し、できるだけ忌憚のない批評を相互にかわすための古来からの工夫です。「先生」のお言葉をありがたく頂戴する、というような句会では意味がありません。また高得点の句がかならずしも最もすぐれた句であるとはかぎらず、むしろ参加者がそれぞれの句にどのような感慨をいだき発話がなされたかがとても重要です。

以下の記述は当句会の主宰をつとめる私(大江進)からみての講評です。もちろん異論反論もあるかと思いますので、コメントをいただければ幸いです。さて、では其の一から。

1 万緑のところどころの擬木かな
1 蛍火をてさぐるごとく鵺の鳴く
5 ぼうぼうと記憶のふたに草茂る
0 反骨の茨木のり子半夏生
5 背泳の広がる空の恐ろしく
0 夕立に行方くらまし横恋慕
0 波頭先烏賊釣り犇き漁火燃え
5 うすものの胸の高さよ海抜は
1 夏至の陽や母の眠りの深きかな

最高点5点句が3句あり、他は1か0と珍しく二分しました。最初の<ぼうぼうと記憶のふたに草茂る>は生い茂った草が、まるで蓋をした記憶にさらに蓋をして閉じ込めてしまったようだと言ったところがいいですね。春先などのまだ草が萌え出して間もないころの景観と、背丈を超えるほどに繁茂した景観とでは、同じ場所であってもまるで印象が異なります。それは住宅地などで、いつのまにか建物が壊されて更地になってしまい、早くも草が茂りだしている光景にも強く感じることです。私も取りました。作者は土田貴文さん。

次の5点句の<背泳の広がる空の恐ろしく>は、一読して石田郷子の有名な句「背泳ぎの空のだんだんおそろしく」を想起しました。偶然の一致でしょうが、ほとんど同じといっていい句です。情景や情感はたいへんよくわかるのですが、自分がそのように感じたということはきっと他の人も感じたであろうし、同工異曲の先行句がある可能性が高い。投稿する前にインターネットなどでチェックしてみることです。作者は大場昭子さん。

3つ目の5点句は<うすものの胸の高さよ海抜は>です。これは座五の「海抜は」に着目です。うすもの(羅)は夏の季語で、絽・紗・薄衣などと同じく、薄く軽い布で仕立てた単衣の衣類またはその生地のこと。当然ながらそれをまとうと体形があらわになりますが、「うすもの」であることによって軽快でさわやかな感じになりました。しかし問題は「海抜」ですね。それをどう解釈するかは人それぞれでしょうが、これで急に現代的な雰囲気になりましたね。私も取りました。作者は南悠一さん。

次点1点句は3句。<万緑のところどころの擬木かな>は鬱蒼たる緑一面と見えてはいても、とくに日本の場合はよくよく見れば必ずといっていいほどに人工物が混じっています。道路であるとか鉄塔や建物であるとかだけでなく、ほんものの樹木に似せたコンクリートや樹脂製の擬木も。そのあたりを嘆いているのか、皮肉っているのか。作者は私です。

<蛍火をてさぐるごとく鵺の鳴く>の鵺(ぬえ)は暗い森の中で甲高い一本調子で鳴く鳥で、いまはトラツグミであることがわかっていますが、たしかにいささか気味のわるい感じがします。しかし蛍火との取り合わせでは、やはりつきすぎでしょうね。作者は今井富世さん。

<夏至の陽や母の眠りの深きかな>は「日」ではなく「陽」とした点がかえって句意をわかりにくくしたきらいがあるかもしれません。それが眠っている母をどう解釈するのかのをさらに戸惑わせていると思います。作者は相蘇清太郎さん。

無得点句からは1句だけ触れます。<夕立に行方くらまし横恋慕>は川柳的な味わいですが、横恋慕してちょっと気まずい雰囲気でいたところに、ちょうどいい具合に夕立がやってきたという景でしょう。行方をくらましたのは誰あるいは何なのかという箇所で読者はつまずくかもです。作者は佐藤百恵さん。

人それぞれ性格も思考や感覚も異なるので、年齢でひとくくりするつもりはまったくありませんが、それでも20台の若手の新人が入ると句会の雰囲気が変わるのはたしかですね。えっ、そんなふうに解釈するのか!と思うこともあり、それが論評の糸口になったりしますから。

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さて其の二です。

0 夕闇のひとり寂しきぶらんこよ(ぶらんこは漢字)
7 水の皮切り裂くごとく虎が雨
1 睡蓮や葉陰に目高放ちたる
3 これでもかこれでもかと滝落ちぬ
1 空蝉の寿命が尽きぬ松の枝
3 山ぼうぼうホウタルはみなまぼろし
2 天と地の力もて在る泰山木
1 田は青く耳の底にて蛙鳴く
0 立ち込めた雲に紫陽花の空あり

最高点は7点句の<水の皮切り裂くごとく虎が雨>ですが、そもそも「虎が雨」という夏の季語を知らないと観賞は難しいですね。私もこの言葉はよくお目にかかりはするものの詳しくは知りませんでした。手元の歳時記には「〜鎌倉時代の武士、曾我十朗祐成の愛人であった大磯の遊女虎御前が、十朗の死を悼んで涙の雨を降らせる」とあります。号泣したということですかね。だとすると「水面」ではなく「水の皮」としたのは虎御前の虎にかけたと思われますが、やはり過剰でありくどい感じがします。私もいちおう取ることは取ったのですが。作者は大場昭子さん。

次点3点句は2句。<これでもかこれでもかと滝落ちぬ>は、韻を踏んでいて水の勢いが目に浮かぶ。しかし「これでもか」の繰り返しは他にもありそうという意見も。じつは私の句ですが、一段の滝の落水のようすではなく、多段の滝や、二ノ滝渓谷のように三ノ滝・間ノ滝・二ノ滝・一ノ滝と断続的に大きな滝があらわれるような谷川の光景を頭に描いていました。後者のような滝を連想された方はいませんでしたので、まあうまくいきませんね。

次の3点句<山ぼうぼうホウタルはみなまぼろし>は音調もそうですが、ホタルをホウタルとしたことや、最後を「みなまぼろし」としたことも、なんだか全体に弛緩した空気があります。蛍はそもそもが幻みたいな存在なので、むしろどこかでぴしっと締めたほうが逆に蛍が活きてくるのではないでしょうか。作者は南悠一さん。

2点句は1句。<天と地の力もて在る泰山木>は、座五が動きます。天地(あめつち)の力で成り立っているものはそれこそ無数にあり、樹木に限ってもケヤキとかナラとかクスノキ・スギとか、見上げるような大木はいろいろあります。泰山木を生かしたいのであれば上・中に泰山木ならではのものを具体的に持ってこないと。作者は佐藤喜和子さん。

1点句は3句。<睡蓮や葉陰に目高放ちたる>は、睡蓮は花もさることながらあの丸い大きな葉がとても目立ちます。そこにメダカですから、そのまますぎる情景ですね。なお睡蓮もメダカも夏の季語です。作者は相蘇清太郎さん。

<空蝉の寿命が尽きぬ松の枝>はセミが羽化して抜け殻となった空蝉にも寿命がある、とした目のつけどころがいいです。環境によっては前年の抜け殻がそのまま年を越しても残っていることがあります。しかし落枝とともに空蝉も地面に落ちてしまったということでしょうか。作者は佐藤百恵さん。

<田は青く耳の底にて蛙鳴く>は私だけ取ったようです。田が青いというのですから日中ですが、ふつうは聞こえないはずのカエルがどこかで鳴いている。いやよくよく聴くと自分の耳の奥から聞こえてくるみたいだ、ということでしょうか。いわゆる耳鳴りなわけです。あるいは一面に広がる水田を眺めながら、昔はたくさんいたカエルの姿に思いをはせているといったところか。作者は今井富世さん。

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シテ句会から通算2年くらい句会を開いており、ずっと参加してきている人もいるので、青猫句会では年に一度くらいは俳句誌を印刷物として出したいと考えています。これまで句会等に投稿した句が中心ですが、その他の記事も若干含みます。9月には発刊できるように準備中です。

 

方形と楕円形のウォールナット被蓋刳物

 

アメリカン-ブラック–ウォールナットの変杢を素材に、正方形に近い形と楕円形の被蓋刳物(かぶせぶたくりもの)、各1点が完成しました。毎回同じようなことを述べていますが、杢は表面的な模様ではなく木部の組織構造による反射光の乱れなので、眺める角度によってまったく別のもののように異なって見えます。大きさは方形の品が約21cm×21cm、楕円形の品が約18cm×22cmで、やや大きめの品物です。仕上げは3分艶(7分消し)塗装。材料は数年前に友人の木工家からいただいたもので、干割れなどを除いた最大限の寸法と、その杢がもっとも映えると思われる形を考慮しました。

杢がきれいに出ている素材ほど材質の組成(硬軟・繊維方向など)が複雑なので、加工には細心の注意が必要です。木取はその材料がいちばん活きるように大きさと形を決めてから行うので、もし途中で加工に失敗したり、内部から予想外の傷(干割れや腐れなど)が出てきたら、すべてはその時点で無となってしまいます。実際、このウォールナットではありませんがこれまで数点だめにしています。

2点とも、今年11月2〜8日に酒田市のデパート「清水屋」の画廊で行う個展に展示する予定のものです。今回の個展は、以前のような家具中心の展示ではなく、さまざまな銘木&杢板を素材とした一品物の蓋つきの刳物を30〜40点、+アルファを並べ、販売します。事前に予約も受けますので、希望の方はメールにてご連絡ください。

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No.531 ウォールナット変杢方形被蓋刳物 サイズは縦・横212mm、高さ49mm、実の深さ30mm 売切れ

 

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No.532 ウォールナット変杢楕円形被蓋刳物 サイズは縦179mm、横216mm、高さ45mm、実の深さ30mm 売切れ

 

コーヒーブレーク 84 「擬木」

 

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これでもかこれでもかと滝落ちぬ

[これでもか これでもかと たきおちぬ] 滝は俳句の世界では夏の季語ということになっている。言うまでもなく滝は年中流れていることが多いのだが、それは荒々と白く落下する滝に涼感を感じ爽快な気分になるのは、やはり暑熱の夏だからこそではあるのだろう。もちろん個人的には春の新緑の頃も、秋の紅葉の頃も、晩秋の寂寥の頃、冬の雪の白さと競うような景も、滝はそれぞれに味わいがあって甲乙付けがたく、どれも好ましいと思っている。/早春の雪解けや、他の季節でも長雨が続くと、河川はたちまち増水し、滝は様相を一変する。ふだんは垂直に落ちている水が、川の流れのあまりの強い勢いのせいで滝口からジャンプするように水が斜めに落ちて滝壺をとびこえることがある。また落水とその両側の露出した岩壁の対象を美しいと感じていたのに、水量が急激に増えて谷の幅まるごと白い布のごとくに滝となって落ちる様には畏敬の念を覚える。

万緑のところどころの擬木かな

[ばんりょくの ところどころの ぎぼくかな] うっとおしいくらいの草木の繁茂である。ただでさえ暑いのに闇をかかえるほど密になり背丈を増した叢(くさむら)は、まことに自然そのものの本来的な姿ではあるものの、ややうろたえるものがある。「万緑」はもともとは王安石の「万緑叢中紅一点」からきているのだが、中村草田男が俳句に用いてから有名になり夏の季語として定着したという。/さて擬木である。コンクリートまたはプラスチック製品で、公園や山中の遊歩道の柵などに用いられことが多い。樹木の細めの幹や枝を模したもので、たいていは焦茶色に着色されており表面は樹皮にみたててでこぼこしている。木製の杭などにくらべ腐りにくく強度もあることや、金属製の柵などとは異なりすくなくとも遠目にはあまり目立たない点も利点である。むろん近くで見ればニセモノであることはすぐわかるのでちょっと残念な気持ちにはなるが、まあやむをえないな。

天蚕の目玉を閉じて漂えり

[てんさんの めだまをとじて ただよえり] テンサン(天蚕)は通常ヤママユガ(山繭蛾)のことで、天然の蚕の代表的なもの。コナラやカシワ、シラカシなどの葉を食べて育つが、糸は普通の絹とくらべ軽く柔らかい。それは糸の中に含まれる空気の割合が多いためであり保温性が高い。糸はさわやかな緑色で、希少性があり当然値段も高い(約100倍とも)。ヤママユガも絹糸を採る目的の場合は、当たり前ではあるが人手で幼虫の世話をするのだが、たいへん繊細でやっかいな虫であるそうな。/普通の絹でさえ私は手が出ないので、天蚕など一生身にまとうことはないだろうな。

 

(※ 写真は鳥海山の二ノ滝渓谷で、二ノ滝と三ノ滝の間にある狭霧橋からの景。)

 

釜磯のポットホール 2

 

鳥海山西端の釜磯は、10万年前くらいに鳥海山の大平付近から流れ出した吹浦溶岩の先端部分です。日本海の中までその溶岩流は及んでいますが、Cの字状に溶岩で囲まれた釜磯の北西部分の露出した岩肌の上には、7月10日の記事で紹介したように径80cmほどのきれいな円形のポットホールがあります。たぶんかつては波打ち際にあったものが、1804年の象潟地震であたり一帯が隆起したために地上2mほどの高さにあらわれたものと思われます。

そのポットホール自体も、私が知ったのは1ヶ月ばかり前のことにすぎないのですが、つい先日そこからさらに西側約10m先の波打ち際に巨大なポットホールを発見してしまいました。

大きさは長径(東西)180cm、短径(南北)130cm、深さは90〜120cmあります。海水面に対し内部にたまっている水面は20cmばかり高い位置にありますが、たぶん満潮時には同じくらいの高さになり、波が高いときは内部に海水が容易に浸入すると思います。

中に大きな岩塊が3個はまっていて(120×80cm、90×40cm、70×40cm)角は摩耗して丸くなってきています。小さな石も多数底にありました。大波が来るたびに中の岩がグリグリ動いて、穴の側面と自分自身を削っていくのでしょう。中の岩がきちきちで大きすぎるためか、穴もすこしいびつな形になっていることや、すでに完成したポットホールと、いま形成されつつある”現役”のポットホールのふたつを同所で観察できるのはすごいことです。

ただし足元の岩は海蝕によりぎざぎざに尖っており、転んだりしたら怪我(裂傷、骨折など)が必至かと思いますので、くれぐれもご注意ください。カッコを気にしないで四つん這いくらいの体勢で行ったほうが間違いがないと思います。ジオガイドでの一般客の案内は避けたほうがいいでしょう。

 

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釜磯の湾の北東側。中央の大きな岩塊の下部亀裂3カ所くらいから地下水が湧き出ている。海水浴客がスイカやキウリなどを冷やしていることがある。

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7/10の記事のポットホール。その後の雨でまた水がたまっている。右がすり鉢状に完成したポットホール。左は一帯が2mほど隆起したために、ポットホールになりそこねた窪みと思われる。

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今回みつけた大きなポットホール。穴の中の水面は海水面とほぼ同じ。

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ホールの東側。

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ホールの西側

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ホールの南側で、海面にいちばん近いほう。波が非常に高い場合以外は左上に向かっての亀裂+最低鞍部から海水が入るように思われる。

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ホールの北側。

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パン皮のようにヒビがたくさん入った溶岩も丸く削られている。

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釜磯の湾から南側の景。海岸線の上を鉄道の羽越本線と国道旧7号線が通っている。それへの落石を防ぐために線より東側の海蝕崖はコンクリートが吹き付けられているが、線より西の海側の海蝕崖は溶岩がそのまま露出している。節理が発達しており、絶好の観察ポイントである。

 

ホンドリス

 

先日、鳥海山の山岳観光道路の鳥海ブルーラインを登っていたら、駒止をすぎた標高600mあたりの路上で動物の死骸をみつけました。

ホンドリス(ニホンリス)で、体長20cmくらい。車にはねられたのでしょう、死後硬直したばかりのようです。そのままにしておくと行き交う他の車に踏みつぶされて悲惨なことになるので、道路の脇の叢に移して写真だけ撮りました。写真には写っていませんが、頭の右側面に損傷があります。尻尾の一部も毛が欠けています。

これほどの至近距離でホンドリスを見たのは初めてのことです。ベルベットのような短くて密な体毛や、真っ白な腹部、体長と同じくらいあるブラシのような尻尾(その骨はずいぶん細いです)など、非常にきれいです。交通禍にあってしまい、かわいそうなことをしました。

車で道路を走っていると、ときおり動物が轢かれているのに出会います。いちばん多いのがタヌキ。次いでネコで、他にはハクビシン、イタチ、カラスなど。交通状況をみて、可能であればできるだけ路外に移すようにしていますが、野生動物は仕方がないにしても往来の激しい幹線道路の近くなのに猫を放し飼いにしていることにはたいへん疑問を感じています。

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7/12 牛渡川・丸池様周辺ナイトウォーキング

 

7月12日に実施した牛渡川・丸池様周辺ナイトウォーキングです。【梅花藻とハナカジカと螢と星をめぐるナイトウォーキング パート3】というタイトルでチラシも作り、ジオパークの遊佐と酒田エリアのガイド受講生や、鳥海やわたインタープリター協会(細矢洋会長)にメール等でお誘い。またフェイスブックへの投稿で告知を行ったところ、8名の参加がありました。

前回の6/19は直前に雨で中止となってしまったので、今度もまた天気の具合で取りやめにならなければいいな、平日の火曜日夜だったので皆さん都合がつくかなとかなり心配していたのですが、結果オーライでした。夜の水辺の散策なので、安全面からも雨ではいっさいだめなので、1週間くらい前から天気予報と毎日にらめっこをしていました。土・日の休み前なら都合がつく方が多いのはわかっていますが、天気予報では12日の火曜日がいちばん天気が良さそうだという判断です。

午後7時半に遊佐町の生涯学習センターに集合。ロビーで行き先の地図を各自に渡しながら、簡単なあいさつと行程等の説明。そのあと2台の車に分乗して現場の牛渡川・箕輪の孵化場に向かいました。駐車場に付く頃にはもう真っ暗です。とても一人二人では夜には怖くて来られませんよね。

まずは牛渡川へ。日中も含めて初来訪という方もおり、まるで水がないかのように澄んでいる川面にまず驚いていました。水門から上流側のバイカモは7/6の大水で花が一度ほとんど散ってしまったのですが、その後にまたすこし復活していました。カジカやウキゴリなどは第1回目の6/4にくらべるとずいぶん少なかったのですが、かわりにイワナ(orアメマス?)は何匹も間近かに見ることができました。日中は魚は警戒して物陰に隠れていることが多いので、夜間ならではの観察です。

次いで丸池様へ。月は半月で、雲もすこしだけ出ていましたが、池の上空を樹々が覆っているので、ほとんど暗黒の世界です。ヘイケボタルがちょっといるなと思っていたのですが、目が暗闇に慣れるにつれ、予想以上に多くのホタルがいることがわかりました。ライトをすべて消すと足元から樹々のあちらこちらから点滅し、とても幻想的な光景が出現しました。私自身もこういったホタルの光景を眺めたのはずいぶんひさしぶりのことです。今回はこれがいちばんの収穫だったかもしれません。

それから近くの田んぼの真ん中にある船盛山(舟森山)を一周しました。東西100m、南北50mばかりの小山ですが、南側の麓だけに湧泉が点在し、他のところには皆無であることや、水温が11℃ちょいと牛渡川右岸の湧泉と同じ温度であることなどから判断すると、地層としては一連なりのものであることがわかります。つまり人工的な築山ではないということです。

孵化場の駐車場に戻ってからは、湧水でドリップコーヒーとリーフティーをいれ、チーズタルトのおやつでティータイムです。星は私はほとんど分からないので、参加者のお一人にかわりに説明してもらいました。

終了は10時になってしまいましたが、たいへんいい体験ができたと思います。また場所をかえて同様なナイトウォーキング=自然観察会をときどき行いたいと思っています。なお事前の準備があるので、必ず申込が必要ですし、お茶等の実費は頂戴しています。

(※ 写真は参加者のIKさんから拝借しました。ありがとうございます。)

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円弧定規の製作

 

家具などを製作する際に用いる原寸のR(円弧)定規を作っているところです。墨で描いてそれに沿って切り取り加工するのではなく、長さ1800mmの特大コンパスをこしらえ、それにトリマーを装着して6mmのストレートビットで5.5mm厚の合板を直接切り取ります。

正確かつ迅速ですが、はじめにこれ用の専用の治具を作るのがちょっとめんどうです。治具自体がしっかりしていないと、定規もいいかげんなものになってしまうからです。

今回は半径1200mm、1000mm、800mmの外丸と内丸の円弧定規ができました。厚さが5.5mmあるので、家具材料などをルーターで掘り込みする際のテンプレート(ならい型)としても重宝します。

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コーヒーブレーク 83 「摩天楼」

 

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煉獄の針山ならん摩天楼

[れんごくの はりやまならん まてんろう] 鷹羽狩行は「摩天楼より新緑がパセリほど」と詠んだ。ニューヨークのセントラルパークの早春の樹々を超高層ビルから見下ろした景らしいが、樹高数十メートルはある堂々たる樹であっても、数百メートルもの上から眺め下ろしたら、たしかにパセリほどにしか見えないかもしれない。鳥海山でも鳥海高原ラインの通称「のぞき」から約200m下の鶴間池を見下ろすと、ブナの原生林がなるほどパセリのかたまりのように見えることがあり、そのたびに鷹羽狩行の上の句を思い出す。/横道にそれるが、鷹羽狩行の本名はたしか髙橋行雄といい、1930年生まれで山形県出身である。まあ本名のままではあまりにも平凡で(失礼)、同姓同名の人も少なくないだろうから、ずいぶんとかっこうをつけた俳号であるものの、そのことで注目をひき名前を覚えてもらうのに一役かっているのはたしか。狙いは当たったといえるであろう。

地下室に空気満ち満ちて夏至

[ちかしつに くうきみちみちて げし] 近現代ならいざしらず、地下室といえばろくな照明もなく、まず暗い。とにかく暗い。陽が射すこともなく、湿っぽい感じがする。基本的に地下の水位が高いところだと防水対策が非常にたいへんなので、地下室を作るのは難しい。日本では鉄筋コンクリート造の頑丈なビルでもないかぎり地下に空間を作るのは避けたほうがいい。壁や床からの浸水がないとしても、地上に水があふれたらたちまち地下室は水没してしまう。/夏至とか冬至などの天文的に特別な日だけ、外光の直射光が地下の深いところに届くようにあらかじめ計算して作った構築物というものは、世界のあちこちにある。現代のようになぜその日その時だけ陽が射すのかの理由はわからなくとも、事実としてそういった現象があることは遥か昔から認識されていただろう。科学的なメカニズムがわからないぶん、世界は今よりもずっと不思議と魅惑に満ち満ちていたであろう。

螢放てばたちどころに暗渠

[ほたるはなてば たちどころに あんきょ] ホタルの姿を今年はまだほんの少ししか見ていない。街中の用水路にもホタルはいることはいるのだが、あっちに一匹、こっちに一匹と簡単に数えることができる程度の数でしかない。かつてのような無数ともいえるホタルの乱舞はとうてい望むべくもないし、まして一本の樹に大量のホタルが群がってやがて明滅がシンクロするという「クリスマスツリー」など夢のまた夢である。/そのわずかのホタルの光もついに消えてしまうと、あたりの闇はいっそう深くなる。

 

庭の花 4

 

いつもように、わが家の庭にいま咲いている花の紹介です。ぜんぜん立派でもなんでもない狭い庭ですが、いつもなにかしらの花が咲いているようにはなってきました。

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テッポウユリ(ユリ科)

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バラ(バラ科) 半球型でクリーム色の花びらがぎゅっと詰まった感じの花。

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カタバミ(カタバミ科) 花径1cmほどのありふれた「雑草」だが、よくみれば葉も花もなかなか愛らしい。一日花。

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ヒマワリ(キク科) 毎年種を採って植えている。背が高くなるので、道路からの目隠しや日除けを兼ねたもの。

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(?) 3年前に植木市でナツツバキなどを購入した際におまけでいただいた低灌木だが、なんだかいまだに不明。 →やっと判明しました。ツツジ科カルーナ属のブルガリスでした。(2017.2)

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スペアミント(シソ科) これはすごい勢いで増殖。間引いたものをときどきお風呂に入れて香りを楽しんでいる。

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トキワハゼ(ゴイマノハグサ科) 地面に這いつくばるような背丈の茎に1cmくらいの小さな花を咲かせるが、これもいい感じの花。

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ハキダメギク(キク科) かの牧野富太郎氏の命名だそうだが、名前からくるイメージとはうらはらにとてもかわいい花。庭に自然に生えてきた。

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キキョウ(キキョウ科) 2株あるのだが、開花する前の蕾のようすがおもしろい。