雑草とよばれ

 

工房の前の未舗装のちょっとした空き地に生えたイヌタデ(1枚目)、キンエノコロとアキノエノコログサ(2枚目の手前と後方)です。イヌタデは俗にアカマンマ、エノコログサはネコジャラシともいわれ、親しみぶかい植物です。私は園芸花などとはまたちがった美しい花であると思いますし好きな花ですが、一般的には「「ただの雑草」とよばれ、たいして注目もされずすぐに刈払されてしまうことが多いのが残念です。

「雑草という植物はない」と口にされたのはかつての昭和天皇ですが、これはたいへんな慧眼でしょう。天皇制や昭和天皇にはいろいろ思うことはあるのですが、すくなくともこの言葉には深くうなづくものがあります。たしかにどれひとつとってもちゃんと名前があり、無名の草、雑草などというものはけっしてありません。

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コーヒーブレーク 89 「拝み虫」

 

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引力ありけりどこもかしこも月の客

[いんりょくありけり どこもかしこも つきのきゃく] 晴れていれば夜に散歩に行くことがしばしばある。コースはいろいろだが、いちばん多いのは月光川本流の川縁で、高水敷の堤防の上や流れのすぐ傍の低水敷の堤防の段差のところを歩く。街灯などはまったくないので真っ暗闇である。もちろん自他ともにであるが万が一、あるいは安全のためにライトは必ず持っていくのだが、基本的にたいそう暗いので星や月や飛行機や人工衛星などがよく見える。/月が出ていれば、それが三日月であれ半月であれしばし眺めることになるが、やはりいちばん目を引かれるのは満月である。雲がまったくない快晴の空に月だけがあかあかと輝いているのもいいし、雲に半ば隠れつつ姿を見せる満月もまた風情があっていい。

大鎌についてゆくなり拝み虫

[おおがまに ついてゆくなり おがみむし] カマキリは苦手である。理由ははっきりしている。ずっと昔、まだ小学校の1年か2年の低学年だった頃に、自宅のすぐそばの小さな用水にカマキリが流れてきて、それをたまたまいっしょを眺めていた兄が「カマキリにはハリガネムシって寄生中がいるんだ。触ると人にももぐりこむんだ」と言う。カマキリをよく見るとたしかに黒い紐みたいなものが尻から出てるような……。/むろんこれはハリガネムシが産卵するためにカマキリを水辺に誘導した結果だし、兄は嘘を言って怖がらせていただけだし、人間や獣には寄生しないということも後年はわかったが、そのときはひどく驚いてうろたえた。叫びたいくらいに心底怖かった。たぶん顔も青ざめていたと思う。それは小さなトラウマになったようで、他の昆虫はほとんどどれも平気だがカマキリだけはいまだにちょっと、触るのはいやだな。

案山子下ろせば内臓の転がり来

[かかしおろせば ないぞうの ころがりく] 案山子を見かけることがあまりなくなった。圃場整備で一枚の田んぼがずいぶん大きくなり、そのぶん案山子を立てるような余地=あぜ道なども極端に少なくなったという理由もあるだろうし、そもそも米価がぐんと下がってしまい何町歩(ヘクタール)も耕作していてもなお米作農家は経営が苦しい。どだい効果もほとんどなさそうな案山子なんぞを立てて遊んでいるような余裕などあるわけがない、というのが実状であり本音だろう。/その希少になった案山子だが、昔ながらの一目で案山子とわかるような案山子ではなく、マネキンに現代のカジュアルな服を着せたような案山子の場合、暗いところで不意に出会うとどきりとする。ほんとうに案山子なんだろうか? ひょっとして人間が案山子の真似をしてるのではないか? ぴくりとも動かず首も心なし垂れてるみたいだがあれは死体なのでは?

 

刃物研ぎ

 

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いま桐箪笥の「磨き直しを」をしているのですが、染みや小さな傷などは鉋で削り取ってしまいます。また引き出しが全部で10杯、戸が4枚あるので、これらと本体との入れ込み調整するのにも鉋が必須です。ただ長年の塵芥などの微小の異物が少なからず噛んでおり、ときたま砂粒様のものにも当たることがあるため。、刃がすぐ切れなくなってしまいます。

それで日に何度も刃を研ぎますが、写真は研ぎあがったばかりの幅48ミリと30ミリの刃。灰色と黒で見た目にはまるで切れない鈍い刃のように思われるかもしれませんが、実際には逆で、正確にきっちりと研がれてある刃は光の向きによってはこのような外観になります。つまり角度が一定なので当たった光が乱反射を起こさないため「ぎらぎら」した表情にはなりません。とりわけ天然の仕上げ砥石を用いた場合、地金の軟鉄は曇った色合い、鋼は鏡面になり、その差がはっきり表れます。

右の刃の研いだ面の大きさが左右でちがっているのは、刃自体が左右で厚みが3mmもちがうからです。なんせ金物店の棚の隅っこに埋もれるようになって残っていたのを、言い値の1500円で買ったものなので。ただし切れ味はまずまずいい方です。

 

栃縮杢合蓋刳物2点完成

 

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「とち ちぢみもく あわせぶた くりもの」と読みます。トチノキの合蓋式の刳物です。もとの角材は断面90×130mm×320mmあり、4面全体に細かな縮み杢が生じている超希少材です。それから木目の具合をみながら、方形のものと角形(長方形)のものとふたつ連続的に木取して掘り込みを行いました。

厚さが充分あったので、上下にふたつに切って、それぞれ蓋と実にしています。合蓋なのでその切断面に凹凸のかみあわせを作る必要があるのと、のこ厚のぶんだけは当然減るので、7mm程度木目がずれてしまいますが、全体的には上下一体のボリューム感があります。写真でも蓋と実とで縦方向に、また2個の品で横方向に木目が連続しているのがわかります。

 

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No.537 栃縮杢角形合蓋刳物 サイズは幅161mm、奥行112mm、高さ81mm、実の深さ32mm。上からみて柾目の材料なので、とくに蓋の上面に非常にみごとな縮みが出ている。

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No.538 栃縮杢方形合蓋刳物 サイズは幅と奥行130mm、高さ81mm、実の深さ32mm。これも蓋の上面がいちばんきれいな縮杢になっているが、光のかげんで側面(木端)にも縮みがうかがえる。

 

鉛筆の使い切り

 

鉛筆を最後まで使い切るのはなかなかむずかしいことです。あまりに短い鉛筆はとても使いにくく紛失しやすいことや、鉛筆専用の補助ホルダーを付けた場合でもくわえ部分の長さは必要なので、ほんとうに最後まで使うことはできません。

ところが今年1月7日の当ブログ記事でご紹介したように、鉛筆自体に断面に凹凸をつけて完全に一本の鉛筆につないでしまう器具「TSUNAGO」を使用すれば、それが可能です。下の写真はいずれも短くなった鉛筆を接続したものですが、一番下のものは先端の水色の部分はもう2cmくらいになっています。凹凸を精度よく成形し水性の接着剤(いわゆる木工ボンド)も併用してつないでいるのでぐらつきなどはありません。水色の部分がなくなったら、橙色の部分に別の短くなった鉛筆を足すことになると思います。

ボールペンとかマーカーなどもそうですが、最後まで100%使い切ることができると、ささやかながら達成感と爽快感が得られますよね。

もっともTSUNAGOは価格が1500〜2000円くらいしますし(たぶん定価はなくオープンプライス)、鉛筆に凹凸の加工をするのにやや強い指の力と慣れが必要なので、握力が弱くあまり器用でない人だとコスト的にはわりにあわない可能性があります。というわけで万人にはおすすめできませんが、工作などが好きな人にはうってつけでしょう。

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コーヒーブレーク 88 「扉」

 

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稲田ゆく金箔を撒き散らすがごとく

[いなだゆく きんぱくを まきちらすがごとく] 庄内平野もそろそろ稲刈りが始まる。この平野の大きさは南北約100km、東西40kmもあり、面積53000ha、そのうちの37400haが水田である。また均平率、すなわちどれくらい平坦であるかの度合いでも国内最高位にあるとか。それほどに広大かつ平らであるのは1万年ほど以前はここが浅い海であったからである。鳥海山・月山・出羽山地・摩耶山地・庄内砂丘のもとになった長い砂州に囲まれた浅海であり、そこを月光川や日向川、最上川・赤川などから運ばれてきた大量の土砂がしだいに埋め立ててきた。

大空の質量たしかめ秋燕

[おおぞらの しつりょうたしかめ あきつばめ] 燕の姿をあまりみかけなくなった。南から飛来する数自体が減ったのか、人家の軒先や梁など営巣できるところが減ったからなのかは、よくわからない。以前にも書いたことだが、私の工房の中にも燕が巣をかけようと飛んでくることは以前はよくあった。しかし、工房と自宅は別で夜間や休日その他は閉めており、燕のために終日窓などを開けておくことはできないので、燕もそのうち営巣を諦めてしまったらしい。/燕が人家などに間借りするのは蛇や鴉などの天敵をすこしでも避けようとするためである。完全には防げないにしても人が生活する場の間近なところで雛を育てれば、たしかにかなり安全度は増すにちがいない。

天空の扉ひらきて鳥渡る

[てんくうの とびらひらきて とりわたる]たまたま縁があって鳥海山・飛島ジオパークのガイドをすることになったのだが(先日9月9日に国内40番目のジオパークとして認定)、じつは鳥類に対する知識はたいへん乏しい。ほとんど素人同然であって、雀や鴉や鳶、白鳥や鷺の仲間、鶺鴒、翡翠などをのぞくと、仮にガイドをしていて「あの鳥はなんですか?」ときかれてもほとんどこたえられない。姿を見てもそうだが、鳴声での判別はいよいよ難しい。/草花にしても一般の人よりはいくらか詳しいとはいえ、しょせんは一愛好者であって、およそ専門家とはいえない。昆虫や魚等についても鳥類と似たり寄ったりであって、自然全般をガイドする立場の人間としては、これではまずいのではなかろうかと感じている。しかしもう若い頃とちがって記憶力が劣ってきており、覚えたと思ったそばからもう忘れてしまうのだ。

 

80年前の桐箪笥

 

近所の方から桐箪笥(たんす)2棹の補修と磨き直しを頼まれました。なんでも亡くなったおばあさんが、今から約80年あまり前にお嫁入りしたときに持ってきたものだそうです。写真上の箪笥は2段重ねで幅87cm奥行×41cm高さ120cm、下の写真は3段重ねで幅94cm奥行43cm高さ166cmです。

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だいぶ汚れや当て傷がついていますし、ところどころ壊れているところもあります。当工房に持ってきて詳しく点検してみると3段重ねのほうは100%桐材ですが、2段重ねのほうは一部にスギが使われており、また背板には合板が使われているので、3段重ねのものよりも時代的にすこし新しいものかもしれません。

ただしその合板はものすごくしっかりしていて、今どきの建材屋さんで売っているような合板よりずっと上等です。戦時中は飛行機の一部を合板で作ったそうですから、当時は高級素材だっかのかもしれません。

色が濃いのは単に日焼けや汚れではなく、もともとすこし色付けして(ヤシャブシの実などで)仕上げした可能性が高いです。

金具は完全にだめになっているものや紛失しているものがあります。また料金との関係でどこまでどのように手直しするかは思案どころです。

 

青猫創刊号

 

「シテ句会」として隔月で行ってきた句会を、今年4月から毎月の開催とし、また参加者がシテの会員以外のメンバーが多くなってきたことから句会の名称も7月の句会から「青猫句会」に改めました。

そこで青猫句会のメンバー(現在9名)がそれぞれ今まで句会その他で作ってきた俳句等を一冊の同人誌にまとめることにしました。私自身は季刊『シテ』本体に毎号俳句を12句載せていますし、自分のブログでも毎月3回程度自作の俳句+短文を発信していますが、そのような発表媒体をお持ちでない方も多いので、他者への披露と批評をいただくべくきちんとした印刷物にしたらどうかということになったものです。

今回はその1号=創刊号というわけですが、7名が俳句を各11句、2名が俳句に関係する小論、1名が写真を載せています。内容は全部はとても紹介しきれないので、各人から1句ずつまたは一部のみご紹介します(敬称略)。なお『青猫』は当面は不定期刊行ですが、できれば年2回くらい発行できればいいなと考えています。

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最初は私で「空深く」と題する11句。この2年余の間に句会に出したり『シテ』に載せたものの中から選句しています。昔も今も変わらぬ自然というのはあり花鳥風月ももちろんいいのですが、そうでない句も詠みたいとつねづね思っています。表紙にも使っていただいた<虫売りの鳴かぬ虫懐に放つなり>はどうでしょうかね。虫売りといっても昨今のカブトやクワガタなどではなく、鈴虫や鉦叩といった鳴声の美しい秋の虫をさしています。懐に放つ、とはどういう意味かは読者にお任せします。

次は佐藤歌音の「つばめの家」11句です。タイトルにもなった<今年またつばめの家となりにけり>もいいのですが、<給食のやや小ぶりなる桜餅>をあげます。じつは元の句に私が手を入れています。給食と桜餅との組み合わせはとてもおもしろいので、句意をいかしてすっきりさせました。実際には給食だからといって特別小ぶりということはないと思うのですが、もっと食べたいと希求するほど美味しかったのでしょう。

3番手は大場昭子「逢ひたきは」11句です。<はつものの豆ごはん炊きまみむめも>は座五のまみむめもが、白いご飯のなかに点在する薄緑色のエンドウ豆をイメージさせます。白と緑の対比がたいへんきれいで、韻を踏むだけでなくやはりここは「ま行」でなくてはいけません。

4番目は相蘇清太郎「目覚め」11句。<黒猫のごおと息せり星月夜>はちょうど私も8月18日に14歳の愛猫をみとったばかりでもあり、ちょっとこたえました。たしかに最後は大きくゆっくりと息をして、それでぱたりともう動かなくなるんですね。死んで星になるなどとは私は夢想はしませんが、きれいな星空が、長年かわいがっていた猫を失った哀しさをいっそう強く感じさせます。

今井富世「稲光」11句からは<稲光きのこ買わずに帰りけり>。稲妻が光ったことと茸との関係はなんだかよくわかりませんが、よほど近くで激しい雷光があったのでしょうか。あまりにも美しい夕焼けや激しい夕立、狂おしい地吹雪など、予期しないような自然のドラマに遭遇すると、つい世情の瑣事など忘れてしまいますね。

南悠一「およそそれから」11句。<数式の解かれ谷は山吹となす>は一見あれっと思うような句ですが、春先にあの黄金色の山吹の群落を思い起こすと、さもありなんという気がしました。それも不意にそうした光景に出くわすと、難問の答えが出たときのような驚きと開放感があります。現代的な句。

俳句の最後はあべ小萩「風潤む」です。<冬麗のかたちに楷のたたずまひ>ですが、楷は東南アジア原産のウルシ科カイノキ属の落葉高木で、孔子廟に植栽されているなどにより「聖なる学問の樹」とも。私は知りませんでしたが、そういった背景を含んでの冬木の端正な姿ということでしょうか。伝統的俳句を長く詠まれているとのことで11句全体が安定的な詠みぶりですが、あえていえば優等生的ですこしもの足りない気がします。

さて小論も2篇あります。ひとつは齋藤豊司「ある映画館の始まりと終焉」。氏の連綿たる映画との関わりを披瀝しているのですが、酒田市のかつての映画館「グリーンハウス」のことや俳優成田美三樹夫、久保田万太郎の句<湯豆腐やいのちのはてのうすあかり>などが登場します。有名な映画のワンショットなどは俳句の世界ともよく通じるものがあります。場面を提示するだけで、それをどう解釈するかは観客にまったく委ねられているという点で。

もうひとつの小論は私の「俳句の五七五という定型」です。定型のもつ利点を飯田龍太の<一月の川一月の谷の中>といった有名句を拝借しながらざっと述べたものですが、けっして五七五を絶対視しているわけではありません。定型でない句や、季語についての思考は追って述べていくつもりでいます。

『シテ』は文章のみの冊子ですが、『青猫』では写真も積極的に展開しています。表紙を含む今回の3点の写真は土田貴文。ヤグルマソウの花序のアップ、窓辺の雨、高圧電線の鉄塔、いずれも詩情のあるいい写真です。私のコンデジでは絶対撮れません。

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『青猫』を読まれたい方は http://www.e-o-2.com/ までご連絡ください。また青猫句会は毎月第三水曜日の18:30~21:00に本間美術館近くの「アングラーズカフェ」にて開催しています。見学だけでも可能ですので興味関心のある方はぜひおいでください。

 

胴腹ノ滝まわりの裸地化

 

胴腹ノ滝(どうはらのたき)は鳥海山南西面の標高240mに位置する、湧水のみによる滝です、落差は4m程度ですが、左右2本の滝が急斜面の途中から吹き出しているということから名付けられた滝です。

里に近く、車道(駐車場)から歩いて150m程度とアプローチしやすいこと、水量がかなり減るとはいえ真冬でも滝は涸れることがないこと、車道が除雪されていること、たくさんある鳥海山の湧水のなかでもとりわけ超軟水の雑味のないおいしい水であることなどによって、一年中見物や水汲みに訪れる人が絶えません。私は6年ほど前から胴腹ノ滝および周辺の湧水の温度や水量等の調査と、自宅ならびに工房の飲料水に用いる水を汲むために、月に3回程度ここを訪れています。

しかし最近、とくに去年あたりから目立ってきた問題があります。それは滝の周辺の裸地化です。写真は滝のすぐ前のお不動様のところから下流側を撮ったものですが、緑一色の中にところどころ地面がむき出しになって茶色に見えているところがあります。

歩道は1枚目の写真奥に写っている水汲場から滝に向かって右側(左岸側)についているのですが、その歩道を外れて渓畔に踏み込んで写真を撮る人などが急速に増えています。「湧水の滝と苔むした岩の渓流」は誰が眺めてもとても美しいと感ずるでしょうが、そう思うだけでなく他の人とはちがうアングルから写真を撮りたいという人が少なくないのでしょう。つまりせっかくの景観を自らが損ねているわけです。わざわざ三脚を苔むした岩の上に立てて撮影している常識はずれの人もいます。

吹浦地区の丸池様の畔の裸地化もまったく同様ですが、いったん明瞭な踏み跡がついてしまうと、他の人もなんら躊躇することなくそこに入っていってしまいます。環境問題や生態系といったことに特別意識を持った人でないかぎり、道があればなんとなく踏んでしまうのは無理からぬことではあります。したがって最初がかんじんで、そのような逸脱行為をしないことです。

鳥海山の秋田県側でにかほ市に元滝という、これもまた非常に有名な湧水の滝があります。胴腹ノ滝以上に人出があるようですが、やはり滝を撮影する人が渓流の岩の上に侵入して草や苔などを踏みつぶしてしまい景観を損なってしまったり、すべって転んで怪我をしたりということが続いたために、最近は歩道から外れないこと、渓流の中や岩には踏み入らないようガイドの方も注意を呼びかけているそうです。その旨を記した立札も設置されていました。私は当然の措置と思います。胴腹ノ滝も早急に手を打つ必要があります。

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トチ縮杢の合蓋刳物2点製作中

 

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トチノキ(栃ノ木)の太い角材(90×130mm)を用いて、合わせ蓋式の刳物の箱を作っています。基本加工が終わったところです。蓋付きの箱物の場合、本体(実)を覆うように蓋がすっぽり被さる形式が「被蓋(かぶせぶた」、本体に対して蓋が側面で面一になるようにするのが「合蓋(あわせぶた)」です。

合蓋の場合は、蓋と実とを一つの材料を上下に二分して木取することが多いのですが、そうすることで蓋と実との木目が連続することになり、見た目に美しく、ボリューム感を強く打ち出すことができます。ただし刳物で合蓋式の箱を作るとなると厚板よりさらに厚みのある材料=柱材のような大断面の角材、または盤が必要となり、そのうえその箱が工芸品的な一品ものであればそれに適合するような杢のきれいな大材を用意するのは容易なことではありません。合蓋は蓋と実の合わせ面の双方に凹凸のかみあいを作るので、狂いのないよく乾燥した材料でなければなりません。

上のトチノキは全体に細かな縮み杢が出ている銘木&特級材。仕上がりで高さ80mmくらいになりそうです。英語圏ではこういう杢の材料をカーリーとかタイガーと呼んでいます。県外のある方から何年か前にいただいた材料ですが、やっと日の目を見ることになりました。