私の詩の仲間である相蘇清太郎さんの第一詩集『ルネサンスに至る神々』です。写真は外箱とそれに付けた腰巻きですが、たいへんしゃれた美しい装丁(by 村上修一)です。
酒田市役所を退職されての第一詩集ということは、おおよそ40年間にわたる詩作の果実ということで、ひとのことはいえませんが寡作ではありますね。ただし詩自体はけっして古びた感じはありません。
同人詩誌『カイエ』に載せた連作の「ルネサンスに至る神々」をはじめ、23篇の詩が盛られていますが、いずれも日常的な平易な言葉使いながら、ときおり精神の暗い深淵に降りていく。氏がつねづね言うように、詩は趣味娯楽ではなく自らの生に根ざしそれを探求する切実な道程のようです。ルネサンスとは氏いわく「再生・復興」の意であって、農的環境のなかで生まれ育ち死んでいった者たち、イエとムラという束縛と豊穣との狭間で揺れ動いた精神に、ふたたび光を当てる行為です。氏自身は大学を出て以来ずっと市役所に勤めていたのですが、実家は古くからの農家だったので、精神的ルーツはやはり依然として農にあるということでしょう。
魅力的な詩はいくつもあるのですが、引用するには長くなってしまうので、ここでは目次の裏ページに記された蠱惑的な小文を紹介しましょう。
ルネサンスに至る神々は
お相撲さんではありません
プラトンのイデアでもないのです
人間の尊大さや卑小さを哄笑する巨人族でもなく
もっと暮らしに身近な代物です
さればといって山から下りてきたり
海を渡ってくる神々でもなく
もとより神社に祀る神々でもありません
また「死に至る病」としての絶望を
超越する精神でもありません
ルネサンスに至る神々は
苦しげに労働と幽明からの投企を繰り返し
菫の下を歩む汲々として自縛たる小人族なのです